1話 毒見の唇に、愛は咲く(前編)
【その魔女は、花を吐く女だった】
今日も私は毒を呑む。
背中がぞくりと震えて、喉が熱くなる。唇を緩やかに開けば、吐息と共に零れ落ちたのは、一輪の小さな花。
――毒に侵されるのは私。けれど堕ちていくのは、旦那様。
旦那様の金の瞳が私だけを見つめている。その視線だけで、くらりと私は酔ってしまう。昨夜交わしたキスの味が、今も熱く唇に残っている。
目と目が合っても、旦那様が私を見つめている。
――嗚呼、もっともっと。私に堕ちてください、旦那様。
***
――第一王子の兄が死んだ。毒殺だった。
毒は二人で飲もうと言っていた酒に入っていた。遅刻しなければ、共に飲んでいたはずだった。
――犯人は次の継承権を持つ俺を今度は狙ってくるだろう。
悲しむ暇はなかった。母を支えられるのは、もう自分だけ。父は中立を決め込み、当てにはできない。転がり込んできた玉座への道を守るため、新たな手札が欲しかった。
「だから、貴女の力をお借りしたい。深緑の魔女殿」
目の前には深緑の魔女と呼ばれる黒髪の女性が座っていた。長い髪はまっすぐ床へと伸びており、じっとこちらを見つめてくる黒い目はどこまでも深く、飲み込まれそうだった。
マグナリア王国の最果て、死火山の麓。深い森の奥の小屋に彼、第二王子ノア・マグナリアはいた。暗いその小屋の中で、彼の金髪と金目は宝石のように輝いている。
部屋の中には、見たことのない飾りが多くあった。紅い紐が独特の文様を作って垂れ下がっている。彼女の背後の壁に並ぶ数多くの薬草瓶と、立ち込める草の匂いが異質な雰囲気を助長していた。
「どうか、私と城に来てはもらえないだろうか。私たち家族を、その力で守ってほしい」
ノアの懇願に、ふふ、と彼女は笑う。
「私、魔女だなんて言われていますけど。少し毒に詳しいだけの、ただの薬師ですわ。医者でもありませんが、大丈夫かしら?」
ゆったりした口調には含みがあり、紅い唇は艶やかさがある。頬に軽く添えられた指先は緑色に染まっていた。微笑んでいるはずの目はこちらを値踏みしているかのような粘度があり、ノアは身震いする。
――緑色の、指。
なぜそんな色をしているのか、彼は考えるのをやめた。
「貴女の力をお借りしたい。報酬は、良い値で払う」
「あら頼もしい。では、一つわがままを叶えていただいても?」
「お聞きします」
「では……少し、一人で生きるのが寂しいと思っていたところですの。私、貴方のお顔が好きです」
突然の愛の告白に、高額請求を身構えていたノアは肩すかしをくらった。
自分の顔の良さを知っている彼は、少し気を良くする。
「私に、貴方の愛をくださいませ」
魔女が口にした願望に、ノアは目を見開いた。数秒前の浮かれた気分が吹き飛んだ。
「……私は、この国の第二王子です。その妃の座を、望まれるということですか」
「あら、そうなるのですね? がんばりますわ」
魔女との会話の噛み合わなさにノアは奥歯を食いしばる。代償の大きさに吐き気がした。
――こんな森小屋に住む女を、次期王妃としなければならないのか。
その価値の高さを分かっていない様子の魔女に、ノアは勝手に視線が鋭くなる。
「他に、夫となれる男を連れてくるのでは、だめですか」
「……私、貴方が良いのです」
ノアの苦肉の提案は、あっさり打ち砕かれる。
一瞬、ふざけるなと小屋を出て行くことも考えた。
――だが、そうすれば待っているのは死だ。
口や目から血を吐き、床に転がっていた兄の姿を思い出す。常に長男の権威を振りかざす嫌味な兄だったが、それは無様な死に方だった。
「今日から我が家の専属薬師兼、毒見役となる深緑の魔女殿だ。みな、敬意を払うように」
住まいである第一王宮の食堂で、彼は魔女をそう紹介した。夕食に間に合ったので、早速毒見を行ってもらっている。
「ノア、本当に連れて来たのですか」
母のメアリーが心配そうな声を上げ、二人の妹たちも奇妙な服を着た魔女の仕草を怖々盗み見ていた。兄が死んで間もないため、家族は全員、黒のドレスを着て喪に服している。
「今の我が家には必要な方ですから。これから毎食、共に食事をとってもらいます。他は私に随行してもらう予定です」
「でも、その……」
母親も疑念の視線を魔女に向ける。彼女らは明らかに未知の存在に怯えていた。
――今は未知の存在も、味方に引き込まなければならないのだ。
そうやって、彼は自分自身に言い聞かせる。
テーブルの端では黒髪の魔女が毒見を進めていた。スープを口にするその所作は存外美しい。紅い唇に、スプーンが触れる。
――これならば、外にも連れていけそうだな。顔もスタイルも、悪くはない。
城に帰ってくるまでの馬車の中。魔女はずっとノアを見つめていた。目が合うと、微笑んだ。不気味ではあったが、悪い気はしなかった。
愛を乞われた時はどうしようかと思ったが。まあ、この女なら、情けを与えるのも甘受できるだろう。
ノアがそんなことを考えた時。魔女の動きが止まった。
おもむろに宙を見上げて、口を開く。
紅い唇の間に、薄青の小さな花が一つ咲いた。
「これは、瑠璃茉莉、ですわね。かわいらしい」
口から出た花を手の平に転がして魔女は微笑む。
明らかに異質な彼女の様子に、食堂にいる全員が言葉を失っていた。
「なぜ、突然」
突然異物を生んだ紅い唇に、恐怖を感じる。
それなのに何故か、彼はその紅さから目が離せなくなっていた。異様なはずなのに、何故かその紅は甘く見えた。
魔女は楽しそうに笑う。
「ああ、話していませんでしたね、ごめんなさい。私、毒を口にすると花が咲くのです」
毒、という言葉に、全員が震えた。
「また、毒がもられたのか!」
使用人の誰かが叫ぶ。スープを配膳していたメイドが真っ青になって立ち尽くした。使用人達が騒ぎ始める。それを、魔女が制した。
「落ち着いてくださいませ。これは、調理過程で仕方なく混入しているものですわ」
「どういうことだ」
ノアが詰め寄ると、魔女からは花の香りがした。思わず力が抜けそうになる体に叱咤を入れて耐える。
――ここに帰ってくるまでの馬車の中でも感じたが。この香りはどこか心地よくて、眩暈がする。
魔女は緑色の指で花を弄んでいた。
「これは鉛の花ですわ」
「鉛?」
「調理鍋から溶け出たのでしょう。すぐに死ぬ毒ではありませんが、長期服毒はおすすめしませんね」
「すぐに厨房に伝えて、鍋を変えさせろ! 明日の朝食までにだ!」
ノアの指示を聞きながら、魔女は他の皿に取り掛かった。食堂にいる全員が、彼女の一挙手一投足を見守る。
全ての皿の料理を食べても、再び彼女の口に花が咲くことはなかった。
「スープ以外は安全ですわ。どうぞ、お食べになって?」
緑色の指で口元を拭い、魔女は笑った。
***
ひたひたと、食堂の中で足音がする。
私は今、昔読んだ外国童話集に出てきたようなお城の中で、王子様とお姫様に囲まれている。
なんて素敵なんでしょう。みなさんとてもお綺麗。
目の前の食卓では王族たちが青い顔で食事を始めていた。彼も、険しい顔で料理を口に運んでいる。
ここに来るまでの馬車もずっとあのお顔だったけれど、お顔が綺麗だから不機嫌な顔でも美しくて見入ってしまう。とても綺麗。とても好き。
――この人が今日から私の旦那様なんて。
素敵すぎて、体が勝手に震えてしまう。今はまだ、不機嫌なお顔ばかり見ているけれど。
――あの顔が、私に向けて微笑んでくれたら、どんなに美しく、眩しいでしょう。
想像するだけで楽しい。どうやって彼との距離を詰めていくか。考えるだけでわくわくする。
毒を呑むと花が咲くこの力が人の役に立つなんて思っていなかった。
力を使う代償に昔の記憶が薄れることもあるけれど、そんなのは大した問題ではない。
……それに。
私は、さっきから部屋の中をうろつく黒いものを横目で見る。
それはゆっくり食堂を徘徊していた。
ひたひた。ひたひた。
――死人が部屋の中にいるなんて。これもまた一興ですわね。
彷徨う死人を視界の端に捕らえながら私は何も知らないふりをする。これは私にしか見えていないから、反応してはだめなものだ。
食事をとる王族を死人は一人一人確認していく。なにかをぶつぶつと呟きながら。
ひたひたと、足音が周回する。
死人の口から紡がれる呪詛が、とぐろを巻いて生者に絡みついていく。それは魂を蝕み、侵し、ゆっくりと気力を奪っている。
誰もそれに、気づかない。
私は笑む。
――しばらく退屈しないで済みそうですわ。
不気味かわいいヒロインと彼女に翻弄される第二王子、そして散りばめられているホラーをご堪能ください。
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