04
鹿に似た獣の腿肉を捌いて行く。
骨を外し、余分な脂を取り、少し大振りにカットして行く。
調理器具は乏しく、と云うよりほとんど無い。
粥を似る鍋だけだ。
肉や魚は串に刺して焼くしかない。
当然、調味料も無い。
僅かな岩塩のみで、ある意味素材の味が良く解かる。
火も焚火。
炭のような肉や魚を喰うか、もしくは生か。
『マサヤは美味い飯を作る。』
ノアルが吹いてくれたが、此処まで何も無い状態で何を作れと云うのか。
俺が真っ先に作ったのは竈だった。
完成するまでは一つしかない粥鍋と焼いた石で凌いだが、それでも美味いと云う。
森の中で採って来た香草や木の実、ベリー類に洋梨やマンゴーに似た果物で甘さや酸味を出し、焼くだけでなく蒸したり煮込んだりと出来る限りの手を掛けては来たが。
出来栄えは到底満足の行くものでは無い。
なのに美味いと云う。
世の中にはもっと美味いものが有ると云うのに。
文化、と云う日本人なら有って当たり前の物から大きく逸脱してしまった彼らはこの先どこへ向かうのだろう。
この世界は何処も同じなのだろうか。
「マサヤ。晩御飯は何だ?」
振り返るとニコ様が覗き込んでいる。
「シチューですよ。ポメロ味で葱と芋が入ってます。」
何とも複雑な顔をしている。
ニコ様は葱が嫌いだ。
「辛くは無いですから残さず食べて下さいね。」
「・・・う、うん。」
渋々の返事だが視線が俺の手元に向かうと眼が丸くなる。
「ポメロは何時もそのまま食べるよ。」
確かにトマトの様な色と味だ。
形は細長で種は少ないが。
「火を通しても美味しいから。楽しみにしていて下さい。」
どうやらお気に召したらしい。
嫌いなはずの葱も煮込めば甘くなるし、ポメロも良い味を出している。
嬉しそうに夢中で食べるニコ様を見ていると何故だか切なくなって来た。
料理人を志した一番最初は名声やステータスでは無かった筈だ。
父親の店で笑顔が広がる瞬間を見たから。
父より年上の夫妻が。
綺麗なお姉さんが。
俺よりも年下の子供たちが。
父さんの作った料理を口にした瞬間。
幸せそうに笑ったからだ。
こんな風に。
良かったと思える自分が此処に居た。
感謝をするべきは、さて、いったい誰だろう。
「マサヤ、話がある。」
バルーの声が重く響いたのはその夜だった。
「お前には感謝している。だから、この森を出て行け。」
「・・・・・・・へ?」
最近になって判ったのだが魔族は言葉が足りない。
それはもう、いろいろと。
つまり。
「森の強い魔力を唯の人間が受け続けると最悪死ぬと云う事か。」
何度も聞き直し、確認した処でやっと理解した。
「そうだ。最初は人間など死んでも良いと思っていたが、お前は死なせたくない。ニコ様もマサヤが死ねば悲しむだろう。」
よくよく聞けばこの森の魔に中てられたなら十年の命が一年になると云う。
それは勘弁願いたい。
「だからな、あの山の向こうに有る街に行って見ないか?」
がっくりと肩を落とした俺にバルーは酷く優しく告げた。
「お前がニコ様を大切に思ってくれているのは良く解かる。だからお前を死なせたくは無い。だが、俺たち魔族は人間界を知らないのだ。お前の云う国の名も全く分からない。だから、俺の弟が暮らしている街で調べてみるのも良いかと思ったのだ。」
「・・・弟・・・?」
怖いほどの笑顔でバルーが笑った。
「父の四番目の妻の五男だ。」
・・・・・・・・・・・・何、それ。
魔族の中でも極めつけに変わり者の四番目の妻の五男に乾杯、だ。
俺は遥か彼方の果ての山と呼ばれる高峰を超える旅に出る事となった。
アリア大陸と呼ばれるこの地の最西端、バララ岬を目指す遠い旅に。
ニコ様との別れは辛かった。
おそらくニコ様は美味い飯を作れる下僕程度にしか思っていないだろう。
だが、周囲に居るのは大人(人間でいえば50~70歳)ばかり。
俺の歳はニコ様からすればずっと近しい訳で。
しかも珍しい人間だ。
『マサヤを死なせたくない。だから・・・此処を出ろ。』
ああ。
お願いだから、そんなに涙に潤んだ眼を向けないでくれ。
いまにも零れ落ちそうなそんな眼を・・・
だから思わず言ってしまった。
『いつか必ず帰って参ります。この魔の森に負けない力を携えて。』
当ての無い約束などしてはいけない。
そんな事は知っている。
だけど
だけど。
この可愛らしい幼子に僅かな夢の一つも与えられないなら、今までの人生は何だったのか。
子供は夢と希望と山ほどの愛で生きているんだ。
人間も、
魔族も、
動物も、
だから、どうか。
どうか、
待っていて下さい。
いつか、必ず、俺は貴方の許に。
マサヤはニコ様の御許に戻ります。
森を抜けるのは確かに大変だった。
バララ岬の湊町、バラシスからの商隊は一年に二度魔族の住む森へと商いをするためにやって来る。
バラシスに旨い取引では無い。
むしろ赤字に近いらしい。
だが、バルーの父親の四番目の妻の五男がバラシスのギルドの重役で、人の世に置いてきぼりを喰らった魔族の為に無理を通していると云う。
何とも世知辛い話だ。
俺は餞別に貰った小汚い皮の袋を担ぎなおす。
バルーの、妻のたくさんいた親父殿が残した魔道具で何でも入る不思議な皮袋は便利グッズだ。
今もこの中に食料からなんやらかんやらが入っている。
まぁ、これぐらい無いとやってられないが。
「明日、あの山を越える。」
示された指の先は目線が遥かに仰向いた高峰だった。
嘘だろう。
富士山より高いじゃないか。
「・・・動き出したが、何で果ての山に向かうっ。」
「果ての山だと? まるで反対じゃないか。」
「えええっ、反対方向なの?」
「いや、それでも魔の森の中に居るよりは良い。あそこでは自殺行為だ。」
『弓月、我を出すが良い。隠遁すれば奴の影に入り最悪でも身は護れようぞ。』
良く光る黒瞳が声の主を見つめた。
「彼を死なせることは出来ない。でも、クロウ。貴方も死なないで。」
その言葉に浮かんだ笑みは常に見せるものとは違う優しげな微笑だった。
『承知。』
するりと消えた漆黒の影を見送って三人の捜索者は遥か西を見据える。
「行くぞ。」