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03

果ての山脈の麓に広がる鬱蒼とした森は日中でも暗い。

だが、山から染み出る水は鮮烈で、甘露と呼ばれるほど美味かった。


汲めども尽きぬ泉は今日もひとりの人間の男を魅了していた。




「マサヤ。」

しゃがれた声が響き、巨体がうっそりと森の中から現れた。


毎回思うが此処の魔族と云う連中には驚かされる。

こんな深い森の中で音も立てずに良く動けるものだ。

まして、軒並み二メートル越えの長身に凶暴なほどの体格を誇っているにも拘らず。

俺の手から水桶を取り上げた、このバルーにしてもとてつもないマッチョマンだ。

そのマッチョマンが唸った。

「長が呼んでいる。これは俺が運んで置くから行くが良い。」

「ああ、済まない。」



魔族の村は実に質素な村だった。

広大な森に散らばっているし、幾つかあると云う集落自体も多くも無いらしい。

魔族全体の人口も決して多くは無く、長命な為か成長が遅く出生率も低いと云う。


だから長は大事にされた。

だから俺はまだ生きていた。

魔族の住む森に迷い込んだ唯の人間でも。

長が。

まだ幼い長が俺を気に入ったから。




「お呼びか、ニコ様。」


村で一番大きな家屋は建坪でいえば十坪程度しかない。

しかも平屋だ。

石造りの、生活環境が決して良いとは言えない暗い室内には窓も無い。

いっそ戸外の方が気持ち良いほどだが。


「マサヤ、今日の晩御飯はこれだ。」

鴨程の大きさの、綺麗な羽の鳥を嬉しそうに見せて尋ねる。

「使えるか?」

「あぁ、十分使えますよ。」

興味津々な幼い顔がぱっと輝く。

「マサヤの作るご飯は美味しいからな、楽しみだ。ユージンもバルーも美味しいと云っている。」

にこにこと笑う顔に頷いて鳥を抱えて下がった。



長の村に来て既に二週間が過ぎていた。

初見の時は驚いた。

初めて見る人間にニコ様は大きな眼を見張り見つめていたが、傍付きのバルーは胡散臭そうに尋ねた。

『人間か。魔力は無い様だが・・・何が出来る?』


何と云われても俺に出来るのは飯を作る事ぐらいだ。

その飯をニコ様が美味いと云った。


長のニコ様は御年120歳。

魔族の平均寿命は800歳前後。

つまり、人間換算で12歳児となるらしい。

しかも愛らしい姫君だ。


磨き上げた(あかがね)(いろ)の肌。

艶々した栗毛色の髪と、金色の瞳。

額の両脇に、まだ小さな象牙色の角がちんまりと出ている。

前長の忘れ形見のニコ様をバルーとユージン夫婦が育てていると云う事だった。


ついこの間、魔族ならば長ではなく魔王様ではないのかと聞いたらバルーは黙ってしまった。

俺はそれ以上聞かなかった。

人でも魔族でも云いたくない事は有るのだろう。



ニコ様の為に毟った羽を取っておく。

ユージンがきっと何かに使うだろう。

綺麗な物と美味しい物が好きな可愛らしい長に喜んで貰うために、俺たちは手を尽くしている。

そう、俺もそこに含まれていた。

いつの間にか。


鳥を捌きながら俺はこの森に来た時を思い出していた。

それは未だに夢としか思えない。

今は悪夢とは言わないが。





ぐらりと傾いた胸元に突きつけられたのはやけに研ぎ澄まされた金属だった。

包丁や料理用ナイフじゃ無い事は判ったが。

それよりも、

着いた膝の下は濡れた草。

突きつけられた金属よりも冷たい感覚に唖然とした。


こんな処には居なかったはずだ。

最後の記憶は狭いダイニングキッチン。

大柄なゼルと年寄言葉のガイ。

溌剌とした少女の弓月に、嗤う猫・・・・


そうだ。

あの猫が嗤って、驚いた拍子に手が離れた。

いや・・・振り解いたのは自分か。



『人間、どこから現れた。』


ぐるぐると記憶を再生している耳に入った声に顔を上げると。

有り得ないものが眼に入った。


鍛えられた体格の男が立っていた。

必要以上に日焼けした肌は必要以上に筋肉に覆われている。

だが、その男の額の両側にはうねる様な太い角が生えていた。

角・・・つの・・・?


瞬きを数回。

消えない。



『言葉が判らんか?』

呆然とした耳に入る声に掠れた自分の声が応えていた。

『・・・いや、判る・・が。』


突きつけられていた槍が離されて、やっとそれが槍だったと気付く。

生まれて初めて見る。

角男の長身よりも長い槍だと。


『この地に人間は入らない。まして急に姿を顕わすなど魔導師と呼ばれる者しか居ないが、お前は誰で何をしに来た。』


その問いに応える事を俺は出来なかった。





俺を拾ったのはノアルと云う魔族らしい。


魔族。

聞いたことは確かにある。

主に子供の頃、童話やお伽噺の中でならだが。


この森は彼ら魔族の治める森で、相当な広さがあると云うが詳細は判らなかった。

長さや平面の単位の概念が彼らには無く、歩いて何日と云うのが普通らしい。

森の外れにほど近い此処はノアルの管轄、護らねばならない地だと云う。

成人した魔族の義務だと云う。

東西南北どの方角にも歩いて三日かけなくては仲間さえいないのだとノアルは云った。


もっとも日頃はのんびり暮らしているらしい。


『人間に会ったのは初めてだが、聞いて居た話とはずいぶん違うようだな。』

木の枝と草で出来た仮小屋で晩飯を食いながらノアルが云った。

いや、魔族もかなりイメージと違うと思うが。

良く見れば所謂細マッチョと云うのか、よく発達した筋肉は滑らかな赤銅色の肌に覆われ、まだ若いらしい表情は豊かだ。

ノアルが云うには、俺は眼の前にいきなりポンと現れたらしい。

驚いて腰を抜かしそうになったと笑う。

そうか、魔族も腰を抜かしたり笑ったりするのか。



『どうやら黒魔導師が関わっているようだ。』

俺が覚えている限りの話からノアルはそう告げた。

『召喚魔法はよほど魔力が大きくないと使いこなせない。だが、黒魔導師は・・・我らの敵だ。』


遥か昔、この大陸で大掛かりな魔族狩りが行われ、その第一線に居たのが黒魔導師。

彼らのせいでノアルの先祖たちはこの森に追い込まれたと云う。


『我らを攻め滅ぼすためにお前を寄越したとは思えんが。』

物騒な言葉に見れば僅かに笑みが零れている。

『お前には魔力が無い。この森で魔力が無いのは死に直結する。』

だからすぐに殺そうとは思わなかったと、どこか人の悪い笑顔を向ける。


魔力だと?

そんなもの有ってたまるか。

純正日本人の誰が魔力を持っていると云うんだ。


だが、そうなるとあのゼルやガイや弓月が黒魔導師なのだろうか。

弓月はどう見ても違うようだし、ゼルもどちらかと云えば脳筋っぽい。

となると、ガイか・・・まさか、あの猫、じゃないだろうな。


『それでどうする。森の外れまでなら送って行けるが。こんな良い魔道具を貰ったし。』

使い捨てのライターは魔道具じゃ無い。

三つで百円の某100均大手メーカー謹製だが。

気に入ったなら幸いな事だ。


ノアルには国の名前は判らないと云う。

辛うじて知っているのは隣国、トーリア王国のみ。

ただ、如何に人間であっても魔の森から現れたならどう扱われるかは判らないと云う。

まして森の外にすぐ、街が有る訳では無い。

広大な砂漠と荒れ地を抜けてやっと辺境の街に着くのだと。


『お前に砂漠を渡る力は無さそうだ。』


失礼な言い草だが怒る気は無い。

自分でもそんな事が出来るとは思わないから。

長の住まう森の奥まで歩けば10日は掛かると云う。

俺が云う事じゃないが呑気な事だ。

が。


『この森に居たいならば長に話を通さなくてはならん。』

『人間でも良いのか?』

『そうだな、長が良いと云えばだ。駄目なら殺されるだけだ。』


そうか。

実に判りやすい事だ。

実際の話、否も応も無い。

逃げて、逃げて、たどり着いた此処が最後ならばそれも仕方が無い。

不思議なほど達観している自分が居た。


申し訳程度の屋根から夜空が見える。

ふたつの月を取り巻いて星が渦を巻いている。


こんな星空を見れたならもう良いか。




などとつい二週間前は思っていたが、まだ生きている。

まったく可笑しな事になったものだ。

こんな話、誰も信じないだろうが。

魔族の幼い長の専属料理人と云う立場を今の俺は結構気に入っているし。


さあ、ニコ様の為に何を作ろうか。






「ニコ様は?」

低い夫の声にユージンは籠を編む手も止めずに答えた。

「良く寝てますよ。」


それきり何も言わないバルーにやっと手を止めて振り返る。


「どうしたの?」


バルーは研ぎあげた槍の切っ先を見つめ僅かに息をついた。


「マサヤが来てから、ニコ様は楽しそうだな。」

「・・・・・・・そうね。」


乾した変り映えの無い茶色の蔓に、色鮮やかな鳥の羽を編み込むユージンの手も止まってしまった。


「云った方が良いのかしら。」

「云えばマサヤは出されるだろう。」

「ええ、そうね。そしてまた寂しい思いをされるんだわ。」


幾ばくかの沈黙の後、バルーが呟いた。


「如何に人間でもあれは奴らと同じではない。このまま死なせるのは儂には出来ん。」

「・・・ええ、私も・・・そう思う。」


応えた妻の声も低かった。




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