郵便屋の仕事(8)
「会って話す……のが無理なら、伝言だけでも頼めないか」
杉原さんは一口コーヒーを飲んでからそう提案してきた。
僕は渋い顔をしながら告げる。
「……ここ数日、横間さん店に来てないんで、伝言もいつになるかわかりませんよ?」
「……」
杉原さんは悩ましげに頭を掻いた。どうしたものかと唸る。
「杉原さん、彼女に会って何を話すんですか?」
そんな彼を見て、僕はふと疑問に思ったことをそのままたずねた。
顔を上げた杉原さんは、そのまま自分の鞄に視線をもっていく。
そこから視線をはずすことなく、彼は僕の問いに対する答えを口にした。
「あの手紙の意味を知りたいんだ」
「意味?」
何か意味深なことを書いただろうか。と、今度は僕が悩む番だった。
先日書いた二通目の手紙を思い返し、
「あぁ」
合点がいってうなずく。
「二度と私を思い出さないでください」
そして、彼もうなずいた。
僕はこの商売をする上で、手紙の内容に一切口を出さないことを自分の中でルールとしている。
本人の意思を告げてこそのこの仕事なのだ。
僕が手紙の内容に口を出して「そんなこと書くのは止めろ」なんていうことはしないし、ましてや内容の改ざんなどもっての外だ。
それゆえ、考えても無駄なので内容のことは考えずに言われたことだけを書くようにしている。
だから、おかしなことを書いているつもりはひとつも無かったのだけれど。
確かに、言われてみれば無茶なことを要求している文だ。
そして、そういえばと思い出す。
「あの時、手紙出したかって聞いてきたのは、さすがに無茶な要求だと気づいたからか……」
「ん?何の話だ?」
僕の呟きが聞こえたらしく、杉原さんは身を乗り出して尋ねてきた。
正直に答えると、彼はまた小さく唸る。
「だったら、何で最初からこんな文を書こうと……?」
横間さん本人にしかわからないその答えだけれど、彼は答えを探さずにはいられないようで、眉間にしわを寄せて考え込んだ。
僕はすっかり氷の溶けたココアを一口飲む。少しだけ薄められたココアは、思いの外まずい。
自分の世界に入り込んでしまった杉原さん越しに窓ガラスの外をぼんやりと見た。
とにかく、彼の用件は僕にはどうしようも無いことだ。昼時には彼もあきらめて仕事に行くだろう。
配達は昼からになってしまうが、急ぎの配達ではないから問題ない。
一人計画を立て、相変わらず眉間に深いしわを刻んでいる杉原さんを眺めた。
諦めが悪い人だな。
そんな失礼なことを考えて、無表情に彼を見つめる。
「とにかく、理穂が見つかれば……」
僕のその様子に気づくことなく、彼がそう呟いて頭を抱えたときだった。
「……あ」
彼越しに見た、その「透けた」人影は、
「横間さん」
僕の呟きに、彼はものすごいスピードで立ち上がった。
「本当に見たんだな!」
「今も見えてますよ」
僕が彼女を見失う前に慌てて勘定を終わらせた杉原さんは、店を出るなりそう叫んだ。
人ごみにまぎれて何度か見失いそうになるが、彼女の姿はまだ捉え続けている。
と言っても、霊は人をすり抜け壁をすり抜けどこへでも行くので、いつ姿が見えなくなってしまってもおかしくは無い。
「追うぞ!理穂の進むほうを教えてくれ!」
有無を言わせぬ口調で僕の腕をつかむ彼にぎょっとし、しかしそれに気づかない彼はそのまま走る。
僕は横間さんを見失わないことと、つかまれた自分の「腕」に意識を集中させるという、非常に疲れることをやりながら彼に引きずられるように走った。
杉原さんはどうやら彼女の姿が見えていないらしく、僕が「右」「左」と言う声を頼りに人を掻き分け進む。
彼女は重々しいため息を時折つきながら、徐々に暗い路地のほうへと入っていった。
それに伴って、僕らの周りに「生きている」人間が徐々に少なる。
かといって、「死んだ」人間の数が上昇するわけではないが、何が言いたいかというと、人ごみから抜け出した、ということだ。
横間さんは、僕らのことに気づいているのだろうか?
ふと疑問に思う。
僕らに気づいてどこかに誘導しようとしているのか、それとも、まだ気づいていないのか。
どちらなのかはわからないが、杉原さんががむしゃらに走るので、僕はそれに従うしかない。
いい加減息が切れてきた。普段運動なんて配達に行くときぐらいなんだから、当たり前と言えばそうだけど。
そろそろ止まってくれないか。
「理穂……!」
その願いが通じたのかはわからないが、杉原さんは大声で彼女の名前を呼び、そして横間さんは驚いたように振り返った。
どうやら彼女は僕らに気づいていなかったらしい。
汗をぬぐう杉原さんと、肩で息をする僕を、目を見開いて見つめている。
「理穂……そこにいるのか?」
杉原さんには姿が見えない「彼女」に呼びかける。
呼びかけられた横間さんは、驚きで声も出ない、と言った様子だろうか。
『何で……太一が……』
ようやく発された声は、震えていた。