郵便屋と学校(7)
遅くなって申し訳ありません。
「……何の用」
僕は机に頬杖をつき、彼女に向って冷たく言い放った。失礼な言い方だろうが僕には関係ない。自分が相手に好意とは正反対の感情を抱かせるような態度をとっている自覚はある。ただ、終わらない仕事と睡眠不足の苛立ちが募ってしまい、どうしようもなかった。普段、どれだけ苛立っていてもここに来るのは客だけだ。でも、彼女からは代償を受け取っていない。よって、彼女は正式には客ではないのだ。だから、客相手では我慢していた理不尽な怒りが顔を出してしまった。もともとほとんど持ち合わせのなかった愛想が完全に吹き飛ぶ。
何でテスト前には来ないくせに、テストが終わって忙しくなると来るんだよ。タイミング悪すぎるだろう。前回来た時も居座るだのなんだの言って、僕の業務を邪魔しようとしてきたし。今回も僕の仕事の邪魔をするつもりなのか。
「……えっと、姉のことで相談が」
「何で今なの。僕忙しいんだけど。見てわからないの。何で今なの。一週間も来なかったのに」
「……ごめんなさい」
苛立ちのままにまくし立てた僕に、佐久原さんは素直に頭を下げた。前回この店に来た時とは真逆ともいえる態度に、僕は少しだけ苛立ちがおさまっていくのを感じた。彼女だって、悪気があってわざわざこんなに忙しい日を選んだわけじゃないのだろう。完全に八つ当たりをしてしまったことに気付いて少しだけ罪悪感がわいた。
僕は寝不足で回転の鈍い頭でこの気まずさを打開する方法を考え、ふと思いついたことをそのまま口に出す。
「君さ、学校はどうしたの」
時計を見ると、4時を指示している。確か、学校の授業は5時過ぎまであったような気がする。今日は平日のはずで、とすれば、彼女は学校をさぼっているのだろうか。
僕の問いかけに、彼女は少し居心地悪そうに視線をそらした。
「……さぼり」
予想通りの返答に、僕はふーんとだけ答える。僕も学校に行っていない身なのだから、さぼっていることについてどうのこうの言うつもりなど微塵もない。ただ、気になるのは佐久原さんがここに来た理由、それだけである。
「で、何の用?ていうか、何で今更?」
一週間来なかったのだから、僕はてっきりもうここには来ないと思っていたのだけど。
それを口に出すと、彼女は少し驚いたような顔をして当然のように告げる。
「だって、テスト前だったじゃない」
「……え?」
どうしてテスト前だとここに来ないということになるのだろう。僕が思わず彼女を見上げて首をかしげると、彼女はさらに驚いたように目を見開く。
「テスト勉強をしなきゃならないじゃない。あなた去年もテストだけは受けに来ていたから、勉強の邪魔をしちゃダメだと思って……」
「……テスト勉強なんて、一日もかからないだろう」
「え?」
「……え?」
「……」
「……」
自分の常識と他人の常識は違うのだと、改めてはっきりとわかった。なるほど、自覚はしていたけれど自分の記憶力はやはり異常なのだ。佐久原さんはただただ驚いてこちらを凝視しているだけで、僕はすっかり苛立ちを捨て去って、頭を掻いた。
つまり、これは彼女なりに僕に気を使った結果らしい。
「……とりあえず、急ぎの用事じゃないならまた後日にしてもらいたいんだけど。できればあさって以降」
僕は気まずく頭を掻き続けながら、それだけは口にした。彼女が帰れば、すぐに次の手紙に取り掛からなければならない。しかも残りの手紙は普段の手紙よりかなり長い。一通に2時間近くかかるだろうか、と考えて気が遠くなりそうだ。
「……忙しそうだし、今日は帰るわ。明後日以降にまた来る」
佐久原さんは物わかりよくそう言う。僕は手をひらひらと振った。彼女はドアの取っ手に手をかけ、もう一度こちらを振り返った。
「ねえ、これだけ聞いていい?」
そして、僕の答えを聞くことなく続きを言葉にする。
「姉は、私のことを恨んでるわよね?」
僕は彼女には見えないフードの下でぎゅっと眉を寄せた。
話が見えない。何の意図があってそのような質問を僕に投げかけているのかわからない。恨まれているのが前提の問いかけを投げかけられた意味もわからない。
佐久原さんは僕のほうをじっと見ていた。フードと前髪に隠れた目のある位置を探り当てようとしているように、決して合わない視線を合わせようとするかのようにこちらを見る。
ただ僕は、事実だけを答えた。
「……少なからず、君に執着はしていない」
彼女の姉は、怨念を持っていない。もし、佐久原さんのことを深く恨んでいるようなら、澪子さんは佐久原さんに付きまとい、怨念を送り続けているだろう。
僕の答えに満足したのか、彼女はそのまま店を後にした。
なんだか、澪子さんのところに行かなければいけないような気がして、僕は明日配達予定の郵便物の数と配達先を確認した。
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