郵便屋と怨念(10)
3月3日 修正しました。
フードを取り、色素が薄くて茶色い前髪を左右に分けたとたん、目の前の2人が息を呑んだのがわかった。
『なっ……』
『……』
薫さんは何か言おうとして口をあけたまま何も言えず、中条さんは目を見開いて何も言わなかった。
それもそうだろう、とは思ったが、気にしている余裕はない。
一般的な白目と黒目の色が逆転した左目と、粗い縫い目で縫合されて開かない右目。
驚かれるのなんて、日常だし、気味悪がられるのだって、また同じなのだから。
「……さっき薫さんは、僕は幽霊は見えるだけだけど、怨念は消せる、とおっしゃいましたが、それは誤りです」
そして、僕は2人の反応は無視して勝手に話を進める。
「そもそも怨念が死んだ人間の思いの塊であり、霊も人の思いにエネルギーがくっついただけの存在ですから、いわば怨念と言うのは霊の一部でしかありません。
だから、僕は怨念に干渉することができるのです」
つまり、怨念に干渉できるから霊が見えるわけではない。
僕は、無表情のまま言葉を続けた。
「霊に直接干渉できるから、怨念にも干渉できるんです」
腕を顔の高さまで持ち上げ、人差し指を薫さんのほうへ向ける。
彼女からの怨念の放出は止まっていた。が、僕は自分が今からやろうとしていることを止めようとは思わない。
「貴女の依頼は郵便屋として受けましょう。
彼女たちの怨念は僕が責任を持って霧散させます。
だから、これは対価です」
それは、紛れもなく自分自身への言い訳だった。
これは、対価。対価だ。
そう言い聞かせて、僕はいつもは「押さえ込んでいる」力を解き放った。
例のマンションの前に救急車が停車するのを確認して、僕はその場を立ち去った。
フードを深く被りなおし、店へ帰る道をただたどる。
『……』
「……」
中条さんが、何か言いたそうにこちらを向いているのはわかったが、僕は振り向きもしなかった。
僕は勝手に少しだけ傷ついて、フードのふちをぐっと引っ張った。小さく唇をかみしめる。全然、傷ついてなんかいない。自分自身にそれを言い聞かせる。
でも、傷ついている。僕は傷ついているんだ。
自分で勝手にフードを脱いで、薫さんを「消した」癖に、そのことで恐れられて傷ついて。
馬鹿みたいだ。ていうか、馬鹿だ。
自嘲気味に小さく笑って、ポケットに手をつっこむ。
『……おい』
だから、声をかけられたのは本当に驚いた。
「……何ですか」
驚いたが、僕は振り返らずに足だけ止めた。
おそらく、この目のことと力のこと、聞かれるだけだろう。
中条さんに背中を向けたまま、口元をゆがんで彼の言葉を待つ。
『薫ちゃんを、どうしたんだ?』
ほらみろ。僕は中条さんのほうを見ないで、口の端をさらに吊り上げた。
わかりきっていることを、聞き返す。
「どうした、とは?」
『……郵便屋が手を翳したら、薫ちゃん消えたじゃん?
どこに行ったんだ?』
僕はゆっくりと息を吐き出しながら答える。
「彼女はどこかにいったわけではありません。
僕が彼女のエネルギー……所謂魂を吸収しただけです」
『吸収?』
彼が首をかしげている様子が目に浮かんだが、やっぱり振り向かずに僕は淡々と答える。
僕の「本当のこと」の一端を、僕は中条さんに伝えた。
「僕は、その生死に関わらず、人の魂を吸収してしまう体質なんです。
いつもは無理やり抑えているんですけど、緊急事態だったので開放させていただきました」
僕のその言葉に、彼は少しだけ考えて質問を返す。
『……じゃあ、薫ちゃんは消えてなくなった、ってことか?』
「はい」
『……』
中条さんが黙り込み、僕も何も言わなかった。
彼はこのまま無言で立ち去るだろう、と決めて、そろそろ歩き出そうとしたとき、
『ありがとな』
という中条さんの声が聞こえて、僕は、反射的に後ろを振り返った。
きっと今、酷く間抜けな顔をしているんだろう。
わかっていたが、他に表情を取り繕えるほど、今の僕は冷静ではなかった。
「え……?」
口をぽかんと開けたまま、これもまた間抜けな声が零れた。
『本当に、感謝している』
中条さんの口が動くのを思わず凝視する。
感謝?何が?誰に?
言葉の意味を理解することができない僕に、中条さんは少しだけ苦笑した。
それから、僕のそばまで近寄ってきて、『そういう表情なら歳相応なのにな』なんて、余計なことまで呟く。
中条さんは改めて、と言った様子で頭を下げた。
『裕二を助けてくれて、ありがとう。
薫ちゃんは……正直、自分を殺した人間に同情なんてできないから、正直敵を討ってもらえたような気分だ。
本当にありがとうな』
「……いえ、別に」
他に、返す言葉が見つけられなかった。
別に、裕二さんのためではありません。ましてや中条さんのためでもありません。僕のためです。
いつもだったらそう言っているはずなのに、なぜか僕は中条さんを見上げたまま、それ以上何もいえなかった。
そして、余計なことだけは尋ねていた。
「……僕のこと、気味悪くないんですか?」
『は?』
「いえ、目、とか……」
無意識のうちに尋ねていたから、最後のほうは口ごもってしまう。
……何を聞いているんだ、僕は。
今の質問は忘れてください、と言う前に、目の前の彼はにかっと笑った。
『さっきまで、あんだけ嫌ーな空間に居たんだぜ、俺ら。
そこから開放させてくれたやつを気持ち悪いなんて、思うわけないだろう』
そして、僕の中でその笑顔が、ブイサインと共に、にまっと笑う師匠と重なる。
「……そう、ですか」
それ以上、何もいえなかった。
またのご来店お待ちしています、なんて、なんだか間の抜けたことを返して、僕は歩き出す。
中条さんは『おう、また俺が地上にいる間に邪魔するな!』と言って、裕二さんを乗せた救急車を追いかけていった。
「……」
独り残った僕は、また店に通じる道をたどり始める。
中条さんは、あの気持ち悪い空間に居たから、僕のことはそうは思わないと言った。
つまり、普段の状態で僕の「目」を見たら、どう思ったのかなんてわからない。
そこまで考えて、僕は思わず苦笑してしまった。
「……何被害妄想してんだ、僕」
大体、あの状態じゃなきゃこの目も力も解放しなかっただろう。
全てを受け入れてくれる人間なんて居ない。師匠もそう言っていたじゃないか。
「……こういう時、どうしたらいいんだろう」
喜んでいいのか、それとも当たり前のことだと思えばいいのか。
気味悪がられるのがいつものことで、滅多にそうでない物好きは居ないため、僕は自分の心をどう表したらいいのかわからず、頭を掻いた。