郵便屋と怨念(6)
3月3日 修正しました。
「……」
店の鍵を開けて中に入ると、なんだかとてつもない疲労感に襲われ、ドアにもたれかかってそのまま座り込んでしまった。
額の汗をもう一度ぬぐい、ふぅと大きく息を吐き出す。
「……なんなんだ、あれ」
僕はポツリと独り言を呟いて、はいつくばったまま畳へと移動した。
頭痛は引かないし、体はだるいし、こんなに疲労したのはいつ以来だろうか。
中条さんと薫さんは、あのまま裕二さんの家に居ることにしたらしく、僕は一人で帰ってきた。
結局「鍵」の応用したものは、かけたままにしていったので、あれ以上に霊がよってくることはないだろうが、それで彼に乗せられ、ぶつけられた「怨念」が消えるわけではない。
ただ、その怨念の主以外からの干渉はなくなる。それだけだ。
それだけでも、彼からしたら大きな変化かもしれないが、原因不明の体調不良はまだ残っている。
それは僕にも言えたことだった。
「……あー、畜生」
怨念をぶつけられた張本人以外でその影響を受けた人は、大体時間が経つとその頭痛や疲労感は消える。
もちろん生活環境によってはその体調不良が長引く人もいるが、普通に3食食べ、しっかりと睡眠を取ればすぐに治る代物だ。
だが、生憎と僕は「普通」の生活を送っていない。
食事も睡眠もほぼ取らないに等しい。
だったら食べて眠ればいいじゃないか、と言われると、僕はそうもできない理由がある。
「……久しぶりに行こうかな」
少しぐらい、何の問題もないんじゃないか。「狩」に行ったって。ずっと言いつけは守って行っていなかったんだし、ほんの少しだし……―――。
そう考えて、僕は思い切り頭を横に振った。
脳内に現れた師匠にも「あれほど言ったろう!」と怒鳴られる。その脳内の師匠が暴れだす前に、必死で思考から師匠を追い出した。
……完全に弱ってるな、僕。
畳の上で大きく伸びをして、そのまま寝転がる。いつか、師匠に出会ったころの自分に戻ってしまいそうな自分自身に苦笑した。
「とにかく、あの怨念の根源をどうにかするしかなさそうだな……」
自分自身に言い聞かせるようにそう呟く。
今は、10人が集まってきていた。だけど、10人も、ではない。まだ10人、なのだ。
あれ以上集まったら、大変なことになる。その前に何とかしないと僕にももっと被害が出る。
とりあえず寝ようと布団を手繰り寄せ、まぶたを閉じた。
「こんにちは」
『おー、来たか郵便屋』
疲労感と頭痛を残しながらも午前中に手紙の配達を終え、昼前に裕二さんのマンションに行くと、僕の出迎えをしてくれたのは中条さんだった。
「何か変わった様子は?」
自分が入るためにいったん解いた「鍵」をドアを閉めると同時にかけなおしながら尋ねる。
目の前の彼は肩をすくめて答えた。
『無いな。
郵便屋のおかげで少しばかり裕二の体調は良くなったし、霊もよってこなくなった。
逆に言えば、裕二の体調はあれ以上良くなってはいないし、怨念の主の霊もどこにいるかわからねえままだ』
「まぁ、そうでしょうね」
社交辞令程度に尋ねた質問だったため、僕も中条さんと同じように肩をすくめた。
彼は苦笑して、その後、苦笑の笑の部分を消し去った表情で、『それから』と付け足す。
『俺たちの姿は認識されないままだ。アイツは今も眠ってて、薫ちゃんはその横にずっといる』
「……そうですか」
それも、まぁそんなものだろう、と思ったが言わなかった。
霊が確認できるのは、本当に稀なことだ。
だから、大抵の人が死んで霊になって、生前自分と近しかった人間のそばにずっといるのに、彼らはその姿を認識することはほとんど無い。
けれど、それを言わなかったのは、中条さんがあまりにも苦々しげな表情を浮かべていたからだし、そんなことを伝えたって何にもならないからだ。
「僕はこれから外を見てこようと思うんですけど、中条さんもご一緒されますか?」
だから、そのまま何も伝えることなく次の動きについて提案をする。
『あぁ、ここは薫ちゃんに任せて、俺も行こう』
中条さんは僕の提案にうなずいて、その旨を薫さんに伝えてから一緒にマンションを出た。
マンションを出て、とりあえず怨念の「跡」を追うことにした。
怨念は、それを乗せた、あるいはぶつけた霊とその対象者を「跡」でつないでいる。つまり、一方の居場所がわかっていれば、その相手の居場所も知ることができるわけだ。
僕は霊が見えるだけで霊を探知する力は持ち合わせていないが、怨念を見ることはできるのでその「跡」も見ることができる。
『なあ、郵便屋』
「何ですか?」
地面をじっと見つめて「跡」を探していた僕に、中条さんは唐突に話しかけてきた。
『……なんで、裕二はこんなに呪われてんだろうな』
「……さぁ」
それを知りたいのは僕のほうだったが、彼の目があまりにも悲しそうなので、首を傾げただけにしておく。
どうやら、中条さんにも裕二さんがこんなに怨念を浴びる理由がわからないらしく、『アイツは人から恨まれるようなやつじゃない』と呟いた。
「……前にも申し上げましたが、怨念は人の心の塊です。他人の心は誰にもわかりません。
また、どんな行動がいつ誰を傷つけているかなんて、僕たちにはわかりません。本人だって気付かない理由で、誰かを傷つけていることはよくあることでしょう。
だから、裕二さんがどんなにいい人だとしても、怨念の対象になる理由はあるはずです」
僕のその言葉に、中条さんが黙り込む。僕はただ、と続けた。
「ここまで怨念の対象になる人間は滅多にいません。
そして、中条さんから見て、裕二さんは恨まれるような人間じゃないのならば、理由は他にあるのかもしれない」
彼が顔を上げ、『理由?』と呟く。
『それは何だ?』
「今から、それを調べに行くんです」
それからしばらく、僕らは2人とも何も言わず、ただ「跡」を追って歩き出した。




