郵便屋と怨念(5)
3月3日 修正しました。
『あ、郵便屋さん違いますって!』
「……」
たった今、僕は薫さんに教えてもらいながら病人食を作っている。
もともと自分がほとんど食事をしないため、料理などはからっきしなのだが、裕二さんに何か食べさせる必要があるから仕方がない。
久しぶりな鍋や包丁に少しばかり緊張しながらも薫さんに言われるがまま手を動かす。とりあえず、手だけは切らないように、必死で包丁を動かしているが、彼女からの指摘は止まない。
『水、入れすぎです!』
「……」
見るからに女子高生な彼女は、生前は親を手伝って家事をよくしていたのだそうだ。
だが、違う違うと僕を怒る薫さんはどちらかと言うと「母」に見えて、僕はこっそり視線をそらした。
母親という存在は、未だに苦手意識がある。
「……これでいいんですか?」
『……まあまあってところですかね』
完成した卵粥に、薫さんは辛口な評価を述べて、中条さんがついている裕二さんの様子を見に行った。
その後姿を確認して、僕は怨念によって引き起こされた頭痛に額を押さえる。軽いめまいがして、取り落としかけた鍋を慌てて持ち直した。
以前に師匠に怨念の中に閉じ込められたときの比ではないが、それでもこの「霧」の中で影響が出ないわけがない。
怨念は普通、生きている人間、つまり肉体のある人間にしか効果がない。
そして、その生きている人間の中で、「怨念をぶつけられた、乗せられた」人間が一番被害を受ける。
これは当然のことだろう。標的なのだから。
だが、怨念の中に居て、標的の次に被害を受けるのは「怨念を認識できる」人間なのだそうだ。
これもまた師匠の受け売りであり(本当に何でも知っているんだ、あの人は)僕は自分以外の人間が怨念の中に居てどう感じるのかはもちろん知らないが、自分はその二番目に被害を受ける人間であり、実際多大な影響を受けてしまうので、本当なのではないかと思っている。
正直に言ってしまえば、まずこの部屋から出たいし、それが叶わないのならばここの怨念を全て霧散させてしまいたい。
だが、さっき中条さんに説明したとおり、今はどちらも叶わないので、僕は耐えるしかないのだ。僕自身の安全のために、今は耐えるしかない。
大丈夫だ。師匠から受けた訓練(もしくは虐待、いじめ)を思い出せ。
『郵便屋!裕二が気が付いたみたいだ!』
「……今、卵粥持って行きます」
中条さんのその声に、僕は額から手をはずした。
大丈夫、師匠の特訓(もしくは虐待、いじめ)に耐えてきたじゃないか。
僕は額の脂汗をぬぐって、怨念の「標的」が居るためさらに霧の濃くなっている隣の部屋へと移動した。
「お気づきですか?材料は勝手に使用させていただきました。
あと、緊急事態でしたので不法侵入させていただきました」
「……誰だ」
僕が近づくと、やつれてはいるが、しっかりと目の開いたその顔がこちらを見てきた。
どうやら、僕が取り払った分だけは回復しているらしい。まだ全快ではないが、このまましばらくすれば立って歩ける程度にはなるはずだ。
「僕は郵便屋です」
「郵便屋……?」
素っ気無い僕の声と、それを怪訝な顔をしながら聞く裕二さんのやり取りに、中条さんと薫さんが心配そうな表情で僕と彼を見やる。
『なぁ、郵便屋……』
そして、これまた心配そうな表情で中条さんが僕に声をかけた。
それを無視して、僕は裕二さんに話を続ける。
「実は、今ここに中条亘さんと藤崎薫さんがいらっしゃいます」
彼は、呆然と目を見開いた。周りの二人も、驚いたように目を見開いている。まさか、言うとは思っていなかったのだろう。
「……ふざけないでくれ」
裕二さんの声は、掠れてはいたが明確な「怒り」がこめられていた。
「ふざけてなんていませんよ。彼らが居なかったら、僕はここには来ていませんから。
マンションの場所も中条さんにお伺いしましたし、鍵の在り処と卵粥の作り方は薫さんに教えていただきました」
だが、それには気づかないフリをして飄々と答える。
「中条さんが亡くなられたのはつい5日前、薫さんも同じころでしたね」
「何故そんなことを知っている」
「本人から聞いたからです」
「……」
裕二さんは、思案するように目を閉じた。
僕は、その間に顎を伝う汗をぬぐう。
「……仮に、2人がここに居るとして、何故君はここに来たんだ?」
「2人に貴方を救ってくれと頼まれたからです」
「君は郵便局のアルバイトではないのか?」
「アルバイトではありませんが、僕は一介の郵便屋であることは確かです。
管轄外だと申し上げたのですが、お2人が聞く耳を持たず、渋々ついてきました」
彼は閉じていた目を開けた。
「……今、2人はそこに居るのか」
「はい」
裕二さんの質問に、僕はうなずく。
また汗が垂れたので、自然な動作でそれをぬぐった。
「2人と、話はできないのか?」
「今は、できません。
ですが、2人とも裕二さんとは近しい人間ですので、場合によってはできるかもしれません。
立場や血縁が近い人間ほど、霊は確認しやすいので」
淡々と答えてから、2人のほうを振り向く。
裕二さんには見えないが、薫さんの目が潤んでいる。
はて、どうしてだろうか、と僕が首をかしげると、彼女の口から答えが出た。
『お兄ちゃん、話せるぐらい元気になってよかった』
そう言って涙を流す薫さんに、居心地の悪さを感じたのはどうやら僕だけではなかったようで、中条さんが頭を掻きながら僕に促す。
『……郵便屋、粥が冷めるから、早く食べさせてやれ』
「あ、すみません」
僕は裕二さんに「起きられますか」と確認を取ってから体を起こすのを手伝い、机の上の卵粥を差し出した。病人の世話はしたことがないので、とりあえずぎこちなくスプーンですくって口元に運んでみる。
自分で食べられる、という彼の拒絶の言葉に正直安堵しながらきちんとスプーンを持たせ、僕は包丁などの片づけをするために部屋を出た。