林通具
天文二十年の秋、那古野城から末森城を目指して進軍した私は、於多井川を越えた先の平野で、織田信行が率いる軍勢と遭遇する。
その後は互いに名乗り合い、勝っても負けても恨みっこなしの悔いのない勝負にしようと宣言した。
そして、いよいよ戦が始まった。
忍びの報告では、こちらが二千で信行が千と少しである。
信長は既に鶴翼の陣を展開している。
そして数で劣る敵軍は、魚鱗の陣の構えを取り始めた。
見通しの良い平野を戦場に選んでいるため、向こうの兵の動きが良く見えた。
私は何度か戦を経験しているとはいえ、いつもは最初に強く当たってあとは流れでだ。
なので軍を率いるのも、敵の様子をじっくり観察するのも今回が初めてと言える。
「統率の取れた、良い動きをするわ。敵は戦上手なのかしら?」
さほど深い意味はない感想だったが、それを林さんが拾って答える。
「不肖の弟は、戦上手でございます。
ですので兄として、自分が始末をつけまする」
私はギョッとして、真面目な表情をしている林秀貞に視線を向ける。
「まさか、死ぬ気じゃないわよね」
「死ぬつもりはありませぬ」
それを聞いて、私はホッと息を吐く。
「ですが、たとえ刺し違えても仕留める気持ちはありまする」
身内の不祥事を、片付けるつもりのようだ。
しかし私は、裏切りは罪には問わないと公言したのだ。
世間体が悪くなったり降格処分はあるが、切腹や打首を命じることはない。
そのことを頭を掻きながら、林さんに告げる。
「お家騒動で喜ぶのは敵だけよ。
だから私は、罪には問わないと言ったの。
貴方の弟である林通具も、戦が終わったら仲直りよ」
「しっ、しかし!」
まだ反論しようとしたので、頭の悪い私は言いくるめられる前に大声を出した。
「しかしも案山子もないわ!
上に立つ者が、家臣の不始末の責任を取るって言ってるのよ!」
そんな役目があるかは知らないが、口にした後に部下に責任を擦り付ける上司は嫌だなと思った。
「そもそも、織田家当主の私が至らないから反旗を翻したのよ」
「そのようなことは、決してございませぬ!」
林さんはそう行ってくれたが、結局は私よりも弟の信行に仕えるほうが、利益が得られたり魅力があったから裏切ったのだ。
なので他にも様々な理由があっただろうが、自分が至らないせいは間違いない。
「とにかく、林通具は私が討つわ。……良いわね?」
有無を言わさずに、彼を睨みつけた。
「ご命令とあらば! しかし、万が一の時は──」
まだ諦めていないのは、それだけ忠義に溢れた武士と言うことだ。
なので根負けした私は、大きな溜息を吐いた。
「私が敗れた時のみ、助力を許すわ。これで良いかしら?」
「ありがたき幸せに存じます!」
林さんはつくづく頑固であった。
それでも頭も要領も悪い織田家当主に尽くしてくれるので、本当にありがたく思うのだった。
ちょうど話が一段落した頃に、敵軍が大きく動き出した。
「どうやら陣形の展開が終わったようね」
自分に軍略の才能はないので、隣の信長がすぐに声をかけてきた。
「姉上、如何致す?」
どうすると聞かれても困ってしまうので、少しだけ考える。
「……任せるわ」
「ならば包囲して、殲滅するとしよう」
数で劣る敵が勝つには、中央突破を試みて指揮官を討ち取るのが定石だ。
逆に数で勝る場合、包囲殲滅することで効率良く兵力を削って殲滅を行う。
信長は鶴が翼を広げたように横に広く兵を展開する、鶴翼の陣。
そして信行は、ほぼ正三角形に近い魚鱗の陣を組んでいる。
少しだけ時間が流れて、彼の軍勢は予想通りに放たれた鏃のように、真正面から中央突破を狙ってきた。
鶴翼の陣は横に長く広がるので、中央の守りが薄いのだ。
陣形が崩されたら勢いのままに押し切られて、最悪指揮官が討ち取られ、壊滅状態に陥ることもあり得る。
だが私はあえて、陣形中央から自ら進み出た。
そこで堂々と名乗りをあげる。
「林通具! この織田美穂を恐れぬのならば、一騎討ちに応じなさい!」
私の大声は、戦場で良く響いた。
なので林通具の耳にも入り、彼は不敵な笑みを浮かべて前に出てくる。
「命知らずなことよ!
ならばこの場で討ち取り、信行様にその首を献上してくれるわ!」
負ける気せーへん。女やしだ。
きっと稲荷神様の御加護を直接見ていないか、喉元を過ぎて熱さを忘れたのだろう。
情報伝達が人伝が主な戦国時代では、流れてきた噂を信じるかどうかは当人次第となる。
なので私の盛大なやらかしの数々はあまりにも現実離れし過ぎて、尾張の者でも完全には信じきれていない者も、少数だが居たのだった。
それはともかくとして、私は馬に乗るよりも地面に足をつけて戦うほうが得意だ。
なので地に足をつけて立ち、林通具を迎え撃つ。
その際に武道を習っていないので、相変わらず亀仙流の適当な構えである。
「その首! 頂戴致す!」
刀を引き抜いて馬を操り、林通具は勝ち誇った笑みを浮かべて一直線に突っ込んでくる。
なお、周りで様子を見ている織田軍は違う。
まるでドナドナされる子牛を見送るような、そんな悲しそうな顔を彼に向けていた。
そのまま寸分違わず私の首を刈り取るべく、すれ違いざまによく研がれた刀が横薙ぎに払われた。
だが自分は、わざわざ回避するまでもない。
両手で刀身をピッタリと挟み込んで、勢いを止めてみせる。
「真剣白刃取りよ!」
そして馬上で刀を振るった林氏が勢いを殺されて、無事に済むわけがなかった。
「何だとぉ!?」
私は刀身を手の平で挟んだまま、体を捻って回転することで上手く受け流す。
そして驚愕の声を上げる林通具を馬上から引きずり下ろすだけでなく、綺麗な放物線を描くように放り投げた。
彼は刀の柄を放さざるを得ず、しばし宙を舞った後、仰向けのまま地面に叩きつけられる。
その衝撃はかなりのもので、あまりの痛みに起き上がれずに、苦しそうに呻き声を漏らす。
私はそんな林氏に一切の容赦をすることなく歩み寄り、奪い取ったばかりの刀の柄を握って、先端を彼の喉元に突きつけた。
「私の勝ちね」
「けほ…っ! まっ、まさか! これ程までの強さとはっ! むっ、無念!」
確かに私は別に、ゴリラみたいな体型をしているわけでもない。
多少は筋肉がついているが、全く目立っていない。
胸やお尻やほっぺたなどには傷一つなく、プニプニのスベスベの肌触りを保持し続けている。
これで超パワーを発揮するのだから、色んな意味でヤバい。
何にせよ、林通具が舐めてかかるのも当然と言える。
だが彼は、私に倒されたのだ。この結果が全てを物語っていた。
林氏を討ち取ったことで、魚鱗の陣の統率に綻びが生まれたのだった。




