柴田勝家
天文二十年の秋、於多井川を越えた先の平野で、合戦が始まった。
信長は鶴翼の陣で迎え撃ち、信行は魚鱗の陣で突撃してきた。
だがその際に私は、自ら前に出て一騎討ちを申し出た。
それにより、林通具を討ち取ることに成功する。
無力化した林通具を、兄の林秀貞に預けたが、切腹や打首は絶対にしないからと何度も言い聞かせたのだった。
結果的に、信行軍の指揮系統が混乱し、突撃の勢いが削がれて二の足を踏んでいるのがわかる。
そして、それを見逃す信長ではない。
彼が全軍に包囲殲滅を命じる直前に、私は大きく息を吸って声を張りあげた。
「柴田勝家!
この織田美穂を討ち取りたくば! 正々堂々と一騎討ちをしなさい!」
混乱が広がる信行軍を立て直すのは容易ではないので、危機的状況を打破する一番手っ取り早い策を使うはずだ。
そして私の予想は当たり、敵軍から立派な武将が前に進み出てきた。
「この柴田勝家! 逃げも隠れも致しませぬ!」
即ち総大将を討ち取り、強制的に勝利判定を得るのである。
ここで戦況が不利だと悟り、末森城に撤退しなくて良かった。
私はそう、心の中でホッと息を吐いた。
「良く吠えたわ! その意気や良し!」
別に相手が逃げて城に立て篭もろうと、ダイナミックお邪魔しますで正門をぶち破れるので、こちらの勝利は揺るがない。
しかし、戦を続行した場合の怪我人や死傷者、必要になる物資や銭、その他諸々の出費を考えると頭が痛くなる。
つまりはこっちとしても、短期決戦は望む所なのであった。
馬に乗った柴田勝家が威風堂々とした立ち姿で、信行軍の前面に進み出た。
そこで馬の脚を止めて、声高に叫んだ。
「美穂様! もし拙者が勝ち申したら、ある条件を飲んでいただきたい!」
彼は大声で話しかけながら、長い槍を持ったまま馬から降りる。
「聞くだけ聞くわ!」
もしも無理難題を言われたら、即断るつもりだ。
なので、私は深く考えずに返事をした。
「では、もし拙者が美穂様を下したら、嫁に来ていただきたい!」
「……は?」
あまりにも予想外な要求だったので、開いた口が塞がらない。
それでも何とか気を取り直して、柴田氏に慌てて質問する。
「待ちなさい! 柴田勝家! 貴方の正室はどうしたのよ!」
「数年前に流行り病にかかり、亡くし申した!」
彼は油断なく私との距離を詰めながら、堂々と返答した。
「……ごめんなさい。辛いことを聞いたわね」
私のほうが動揺させられる有様だ。
それでも何とか、気持ちを持ち直す。
「お気になされるな! 心の整理はついておりまする!
それより、返答は如何に!」
こんな条件、普通なら飲めるはずがない。しかし私は悩んだ。
そして数メートル程の距離を保った状態で、彼は歩みを止めて返答を待っていた。
しばらく考えたが、今度はこちらから話しかける。
「一つ、聞かせてくれるかしら?」
「何なりとお尋ねくだされ!」
何ともさっぱりした男であり、性格は脳筋の私に近いかも知れない。
それはともかく、こちらも遠慮なく質問させてもらう。
「柴田勝家は私を妻に迎えるために、信行に付いたのかしら?」
「その通りでござる!」
即答であった。
それに主である信行の前で、堂々と告白した形になる。
「美穂様は身持ちが固く、主と家臣の間柄でございまする!
真っ当な手段では妻にはできませぬからな!」
何とも強引な手を使うが、彼も悩み抜いた末の決断だ。
だが自分の根っこも脳筋ゴリ押し上等なので、嫌いにはなれなかった。
「ならば私が負けたら、柴田勝家の妻になりましょう!」
柴田勝家との一騎討ちを受けないという選択肢はなかったので、この場は首を縦に振るほうが良いと判断した。
「姉上!? ご乱心なされたか!」
だがここで、信長が待ったをかけてきた。
確かに乱心と言われてもおかしくないので、私はすぐに理由を説明する。
「彼は命を賭けて告白したのよ。
それだけ大切に思われるなんて、女冥利に尽きるわ」
今まで恋愛経験がなかったが、戦場で堂々と告白されるのも悪くないと思った。
多分だが、略奪愛とか何かそういう類なのだろう。
彼はそれだけ私に一途だと、堂々と口に出したようなものだった。
「それに柴田勝家に打ち勝って、尾張の統一すら成せないようじゃ。
天下統一なんて夢のまた夢よ」
楽勝のはずの戦いに負けるというのは、単純に運がなかったのだろう。
だがそれはつまり、織田家に天下を統一する資格なしと、天がそう言っているようなものだ。
「もし負けたら、その時はその時よ」
軽快に笑い飛ばすが、負ける気は毛頭ない。
どうせ柴田勝家の勝利が目前になれば横槍が入るだろうし、たとえ負けて嫁になっても天下統一を目指して突き進むつもりだ。
「はぁ、姉上は相変わらずじゃのう」
信長が溜息を吐いて苦笑気味に呟いた。
そして私は、とても負けず嫌いだ。
売られた喧嘩は買うし、こっちから吹っかけることもある。
合意の上で戦いが始まった以上、もう止める理由はなくなった。
なので、後ろに控えている弟に不敵な笑で浮かべて声をかける。
「いつも気を張ってると、疲れてしまうわ。
信長もたまには、肩の力を抜くことを覚えなさい」
不出来な姉のせいで気が休まらないのだろうが、それでも弟にはもう少し気楽に生きるようにと伝える。
そして私は柴田勝家に向き直り、一歩足を踏み出した
「大丈夫よ。稲荷大明神様の化身は負けないわ」
最後に、心配をかけてしまった弟にそれだけ伝える。
「待たせたわね」
私の準備が整ったことを察した彼が、こちらと同じようにゆっくりと距離を詰める。
「いえ! おかげで体がほぐれましたゆえ!」
互いに相手の様子を観察しつつ、約三メートルほどの距離で足をピタリと止める。
既に柴田勝家は、自慢の長槍を構えている。
そして、何処か捕食者を思わせる獰猛な笑みを浮かべていた。
どう見ても、性的な意味で私を美味しく食べる気満々のようだ。
負けたら嫁入りという条件を飲んだので仕方ないが、薄い本的な展開だけは何としても避けなければいけない。
なので私は呼吸を整えて、恒例となった亀仙流の構えを取り、敵を真正面から睨みつけるのだった。




