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三河の各地で説明会を開いたり、尾張から指導員を派遣したりと忙しい毎日が続く。
さらに三河各地に農具や物資などを融通、賄賂や横領が行われていないかと監視したりと、私の仕事は増えるばかりだ。
しかし来年の収穫期には結果を出さないといけないので、とにかくやるしかなかった。
時は流れて天文十八年の春になり、私は岡崎の武家屋敷の自室に籠もって、様々な書類に目を通していた。
そして一段落したところ凝ってはいないが肩を叩いて、大きな溜息を吐く。
「有効期限があるのは、果たして同盟と言えるのかしら?」
織田家と良好な関係を築いた勢力はある。
だが実際には、その全てが私という抑止力に依存していた。
信仰が盛んな時代なので、稲荷神様の化身としての求心力を高めたり、神輿として担ぐのに適しているのはわかる。
しかし逆に言えば、私が亡くなったら織田家は屋台骨を失うことになるのだ。
もしそうなれば、同盟国は一斉に反旗を翻しかねない危険な状態とも言える。
いくら怪我や病気にならない健康な体とはいえ、年相応に成長しているため、不老不死ではないだろう。
自分も神様になりたいとは全く思わないが、いつか寿命で死ぬのは避けられない。
岡崎の武家屋敷で書類仕事をしながら、そんなことを考えながら私は独り言を呟いた。
きっと天井裏で銀子が聞いているだろうが、知られて困る情報ではない。
「まあ、弟なら上手くやってくれるでしょ」
何しろ織田信長は、何か色々やって天下統一目前までいったのだ。
そして弟はとても頭が良い。
私が寿命で亡くなることを見越して、何か手を打っておくはずだ。
「しかし稲荷大明神様も御加護を授けるなら、もっと優秀な人にすれば良かったのに」
たまたま庭に祠があったのが理由なのは、ほぼ間違いはない。
しかしそれにしても、歴史に詳しくない元女子高生に任せるのは、あまりにも荷が重かった。
「今は三河を統治できてるけど、相変わらず綱渡りなのよね」
私や尾張の者は、任期が終わる今年の秋には故郷に帰ることになっている。
しかし、竹千代やお供の者は三河に残るのだ。
交渉が失敗したら彼を回収して速やかに撤退と考えていたが、約束をしてしまったのだ。
ならばたとえ何の成果も得られなかったとしても、契約には従わなければいけない。
なので収量の増加以外にも、今後のためにも地盤固めをしておきたい。
「最悪でも、中立になって欲しいわね」
今現在も尾張から支援物資を送ったり、先行投資として多額の銭を融通している。
失敗したら回収不能になるが、恩は売れる。
任期終了後に、すぐ敵に回られるよりはマシだった。
多少は関係が改善すれば、外交官を派遣して同盟の話を進めることもできる。
「何にせよ、秋になるまで身動きは取れないわ」
朝から晩どころか、徹夜が当たり前の仕事漬けの毎日にうんざりする。
しかし私が契約を取ってきたのだから、自分が責任を持って最後まで処理しないといけない。
「でも! 駿河、遠江、美濃、伊賀まで面倒を見てくれとか!
冗談じゃないわ!」
三河以外の同盟国まで、指導員を派遣して領地経営を教えてくださいと頼まれたのだ。
普通に考えれば自国の技術流出は避けるべきだし、他国も政治や経済に干渉されて良い顔はしない。
だが父である織田信秀が許可を出しただけでなく、向こうも美穂殿なら安心だと太鼓判を押すのだ。
私が睨みを効かせている限りは、同盟が破棄されることはない。
ならば関係悪化の事態は起きず、不利益も被らないと判断したらしい。
信頼してくれるのは嬉しいが、責任や重圧で胃に穴が空きそうだ。
「実際には胃に穴は開かないけど。
ただでさえ忙しいのに、仕事が増えるのは困りものよね」
父や弟や家臣たちが手伝ってくれるが、重要な箇所は私が目を通さなければいけない。
最後に判子を押す役職みたいだが、寝る暇もないとはこのことであった。
「豊穣の美穂姫、稲荷大明神の化身、尾張の剛力無双。
他にも色々あるけど、尾びれや背びれがついてるわね」
誰もが日々の暮らしに不安を抱えている戦国乱世は、誰もが心の拠り所を求めている。
三河ではそれが御仏という宗教だったが、溺れる者は藁をも掴む作戦は、そこに稲荷神の化身を新たに追加した。
もし成果を出せずに失敗に終わった時は、大ブーイング待ったなしだ。
なお、成功してもそれはそれで面倒なことになる。
「心の拠り所や求心力を高める必要はあるわ。
でも、後の統治にもろに影響が残りそうよね」
今では父の織田信秀よりも娘の私のほうが、民衆だけでなく家臣までをも惹きつけている。
まるで、ヤバい薬でも投与したのではないかと言わんばかりの求心力だ。
これでは信長が跡を継いだ時に、お家騒動になりかねなかった。
「頭が悪くて扱いやすいから、神輿として担ぎやすいんでしょうね。迷惑な話だわ」
現在は織田信秀の旗の下で、尾張は殆ど一つにまとまっている。
これでもし父が亡くなったら、次はどうなることやらだ。
だがまあ、結局の所は心配するだけ無駄だ。
足りない頭であれこれ考えたところで、実際にその時になってみないとわからない。
何より今の私は、片付けるべき仕事が山積みである。
それをもう一度確認して、本日何度目かの大きな溜息を吐くのだった。




