駿府会談
天文十七年の四月、駿府城の大広間で始まった会談だが、案の定難航していた。
私的には今川義元と直接話したいのだが、事あるごとに名前も知らない家臣たちが割り込んでくるのだ。
「今川家と同盟を結びたくば、尾張の誠意を見せるべきであろう!」
「然りよ! 捕らえた人質を即刻返還すべきだ!」
全く聞く耳を持たないのだ。
そのせいで三歩進んで二歩下がるどころか、振り出しに戻されている。
「だからそれは、同盟が成ったあとで──」
「はははっ! 化けの皮が剥がれたな!」
「同盟を成したとて、返還の条件として銭や物資を新たに要求するつもりであろう!」
こいつら全員ぶん殴ってやろうかと思ったことも、一度や二度ではない。
しかし正念場なので、ぐっと堪えて交渉を進めようとする。
現在人質になっている竹千代も、百貫で売られてきたのだ。
こっちからは銭や物資ではないが、三河の解放をついでに要求するため、彼らの言うことも一理ありであった。
かと言って、誠意を見せて先に返還すると同盟を蹴られる可能性もある。
「そもそも松平家から、今川家に救援を求めてきたのだぞ!」
「さよう! 織田家が安祥城を所有しておるのが悪いのであろうが!」
そう主張されると、織田信秀の娘としては、黙るしかない。
だが言われっぱなしは不味いし、私は負けず嫌いである。
なので足りない頭を必死に働かせて、何とか反論の糸口を探す。
「それに関しては、織田家に非があるのを認めるわ」
取りあえずこちらの非礼を詫びるために、小さく頭を下げる。
「ふん! ようやく非を認めたか!」
「悪しき織田には協力できぬと、理解したようだな!」
何とも酷い言われようだが、はいそうですかと納得するわけもない。
なので、私はすぐに顔を上げて口を開いた。
「でもこれは、水掛け論よ」
「何だと!」
カチンときた彼らが騒ぎ出す前に、私は素早く言葉を重ねていく。
「私の家では、松平家が安祥城に攻め込んだと習ったわ」
「我らが嘘をついていると申すか!」
家臣たちは怒り心頭という顔だが、今さら引き下がるわけにはいかない。
「違うわ。立場によって主張が変わると言いたいのよ」
「……むうっ!」
何が正しくて間違っているのかは立場によって大きく違うし、織田と松平のどちらに正当性があるかなんて、私にはわからなかった。
誰もが譲れないものや守りたいものを持っており、そのために必死で戦っていることはわかる。
しかし私個人としては、そういった面倒な主張や過去なんてどうでもいい。
さっさと同盟を結んで尾張に帰りたいと、強く思っていた。
「貴方たちも過去に縛られるのではなく、未来を見据えたらどうかしら」
「未来だと?」
今川の家臣たちは同盟ではなく別の話題に変わったことで、一先ず矛を収めたようだ。
しかし相変わらず油断できない状況なので、行き当たりばったりと綱渡りの連続で嫌になってくるが、へこたれずに口を開く。
「日の本の国の未来よ」
「……どういうことだ?」
流れが変わり、誰もが聞く姿勢になった。
相変わらず出たとこ勝負ではあるが、私はいつも通りに本音で語っていく。
「私は天下を統一して、生き地獄の戦乱の世を終わらせるわ」
そう堂々と口に出すと、すぐに鼻で笑う声が聞こえてきた。
「ふんっ、口だけなら何とでも言えるわ!」
野次が飛んできて少々イラッとするが、彼らの気持ちもわかるので、取りあえず我慢して続きを話した。
「確かに、今はまだ絵に描いた餅よ。
口だけに過ぎないでしょうね」
美濃と同盟を結んで一歩前進したものの、天下統一の道のりは遠い。
「でも稲荷神様は天下を統一して戦乱の世を終わらせよと、私に命じたのよ」
今は自分から天下を統一するために動いているので、稲荷神様の思惑など関係ない。
とにかく心が折れるか力尽きるまでは、私は止まるつもりはなかった。
「だから今川家も協力して欲しいの。
稲荷大明神様の化身として、この通り。お願いするわ」
深々と頭を下げて、言うべきことは言った。
これで駄目なら別の何かを考えることになるが、家臣団が沈黙していることから手応えを感じた。
しかしここで、黙して語らなかった今川義元が口を開いた。
「美穂殿の主張はわかった」
彼の声が聞こえたので、私は顔を上げて正面をじっと見つめる。
「今川家としても、戦乱の世が続くのが良いとは思っておらぬ」
血で血を洗う戦乱が何十年も続いているので、多くの人が平和を望んでいるのはわかる。
取りあえずは今川義元も賛同したくれたことに、私はホッと息を吐く。
「しかし、人は、霞を食べて生きるにあらず」
一瞬意味がわからなかったので、ふむと首を傾げて考える。
やがて答えを出した私は、溜息を吐いて口を開いた。
「つまり織田家と同盟を結ぶには、相応の見返りが必要になると?」
「そうも言えるな」
戦国大名らしい考え方だ。
そして今の私には、彼に払えるものがない。
何より今川義元が、本当に求めているモノがわからなかった。
頭の悪い自分がどれだけ考えても正しい答えに辿り着けるとは思えないので、直接尋ねてみた。
「今川様は、一体何が欲しいのかしら?」
「ふむ、……そうだな」
彼は顎に手を当ててしばらく考えたのち、堂々と告げる。
「織田家に変わり、今川家が天下を手に入れるのも面白いな!」
挑発的に笑いながら口にする今川義元を見て、またとんでもないことを言い出したものだと、私は心の中で本日何度目かの溜息を吐いたのだった。




