天下の行方
天文十七年の四月に、駿府城の大広間で始まった会談だが、今川義元が提示した同盟締結の条件は天下統一であった。
何とも複雑な心境だったが、ここで私はあることに気づいて少しだけ考える。
「……その条件で構わないわ。
今川様に天下統一を譲りましょう」
この発言に大広間に集まった者たちは皆、驚愕の表情を浮かべていた。
先程天下を統一するのが望みだと告げた後に、それをはっきりと譲ると言ったので無理もない。
「美穂殿、そなた正気か?」
なので、今川義元が問い質す気持ちもわかる。
「私は正気よ」
それでも今川氏は戸惑っているが、私は最初から本音しか語っていない。
ゆえに、真面目に答えを返した。
「稲荷大明神様は、織田家が天下統一することを望んでいるわ。
でも、その後のことには全く触れなかったわ」
稲荷神様は織田家に天下を取らせるために、私を戦国時代に送り込んだ。
自分としても、戦乱の世を終わらせて、天下泰平の世にしたいと思っている。
そのために今代の征夷大将軍を支えるか、朝廷のご助力を願い出るのだ。
しかしその計画は未だに行き当たりばったりであり、平和になった後は完全にノープランであった。
「だから天下を統一した後に、今川様に譲るのは何の問題もないわ」
大広間の者たちが唖然とする中で、私はそう堂々と言い切った。
「馬鹿な! それでは他の者が納得するはずがあるまい!」
敵である織田家が大いに乱れるのは、今川家にとって歓迎すべき事態のはずだ。
それなのに何故か、私のほうが怒られていた。
「……何で今川様が怒るのよ」
思わずおかしくないかとツッコミを入れたが、今川氏はプンスカするだけで理由を教えてくれなかった。
なので仕方なく、足りない頭で考えて自分なりの答えを出す。
「土下座でも何でもして、謝り倒すわ。
あとは私が持ってる所領や物資を全て手放して、何とか許してもらうわ」
父にお願いして、私の管轄である那古野を分割統治させることで、何とか矛先を収めてもらう。
現状で支払えるものと言えば、それぐらいしか思いつかなかった。
だが今川氏はまだ納得していないどころか、この場に集っている家臣団までが狼狽えていた。
「みっ、美穂殿を慕う家臣や領民もおろうが!」
もちろん、私を信じて付いて来てくれた者は大勢いる。
だがその件は何の問題もないので、恥じることなく心の内を堂々と告げた。
「確かに、最初は驚いたり反対するでしょうね。
でも彼らは、暮らしがより良くなれば、きっとわかってくれるわ」
逆に悪政を敷いて民衆を苦しめれば、下剋上や一揆を起こす。
今の尾張は、私が管理する前よりも遥かに生活水準が向上している。
なので、そういった不穏な動きは起きていない。
いずれにせよ天下統一した後に私が退いたところで、彼らの生活がより豊かになれば、何の問題もないのだ。
「美穂殿は、本当にそれで良いのか?」
やけに真面目な顔で尋ねてきたので、私はそんな今川氏から視線をそらさずに不敵に笑いかけた。
「私の望みは、最初から唯一。
天下を統一して、戦乱の世を終わらせることだけよ」
ただし、力で強引に押さえつけて日本を平定するのではない。説得や同盟という形で互いに歩み寄るのが理想だ。
ブチ切れてぶん殴ったりはするが、やはり人は殺したくなかった。
そして天下統一の決意表明とばかりに、ここぞとばかりに大声で宣言した。
「稲荷大明神様のためだけじゃないわ!
大勢の部下や、私を慕っている領民たち!
そして大切な家族のためにも! 自ら泥を被ってやるわ!」
根っこが元女子高生で固定されているからか、精神的には小市民である。
武士の誉れなど最初から持っていないので、余程理不尽でなければ大の前に小を切り捨てて泥を被るぐらい、平気であった。
「でも、天下人になった今川様が悪政を行うなら、殴ってでも止めるわ!」
しかし、悪政で民衆を苦しめる統治者は許さない。
戦乱の世を終わらせたはずなのに、人々の嘆きや悲しみが消えなければ、天下を譲った意味もないのだ。
今まで犠牲にしてきた者たちに、申し訳が立たなかった。
今川氏の前で、気に入らなければ殴る宣言をした私は、一息ついて呼吸を整える。
気づくと駿府城の大広間は、完全に静まり返っていた。
しばらくの間、誰もが口を閉ざしていた。
だがやがて、当主の今川義元が自らの膝に手を置き、突然大声で笑い出した。
「いやはや! 面白い会談だった!
噂に違わず破天荒だのう!」
何処がそんなに面白いのかと疑問に思うが、今川氏は楽しそうに笑っている。
それと同じように、大広間の空気も軽くなった気がした。
「敵地に単身で乗り込む度胸! 誠に天晴なり!
女にしておくのが勿体ない豪胆さよ!」
稲荷神様から授かった御加護があるので、状況が不味くなったらいつでも逃げられる。
私に武士の誇りなどないので、恥を雪ぐために腹を切ったり首を落としたりとか、そんなものを期待されても困る。
そしていつの間にか穏やかな笑みを浮かべる今川氏が、楽しそうに身を乗り出していた。
「それに美穂殿は誠実で真っ直ぐだからこそ、家臣や領民に慕われておるのだろう!」
確かに補佐役の信長や家臣、領民も慕ってくれている。
だが、逆に無茶振りするのは珍しくなかった。
(でも、何で私がどうこうって話になってるのかしら?)
同盟や天下統一は何処へ行ったのか。
彼はそれとは別のことについて話していたので、私はコホンと咳払いをする。
「言っておくけど、織田家を継ぐのは弟の信長よ」
そう告げると、今川義元は挑発的な笑みを浮かべて口を開いた。
「美穂殿も、織田家の当主となる資格はあろう」
織田信秀も、家臣たちに信長が次期後継者であると告げている。
戦国時代の一般常識や父の方針が容易に覆ることはないし、そもそも私は当主にはなりたくない。
「冗談でも笑えないわね」
今川氏がそれを望むのは別に構わないが、そんな未来はあり得ない。
そう思いつつ、しかめっ面で首を横に振る。
とにかく会話が途切れたところで呼吸を整えて、再び同盟交渉へと戻るのだった。




