伊賀国
秋に行われた稲荷祭は好評だった。
何より領民の不平不満を一時的とはいえ解消できて、来年に向けて英気を養えたのだ。
織田家や稲荷神様の化身の求心力が劇的に上がったかは疑問ではあるが、少なくとも効果はあったので、それで十分だろう。
そして祭りを終えた後の私はと言うと、相変わらず仕事に追われていた。
しかも最近は、何処に行くにも稲荷神様の化身や豊穣の美穂様、あとは尾張の剛力無双という通り名で呼ばれるのだ。
羞恥心がマッハであるが、彼らは真面目に褒め言葉だと思っている。
実際にその通りなので、下手に止めるわけにもいかなかった。
増長して天狗になれれば良かったのだが、元女子高生の人格が固定化されているのだ。
いくら表向きは威風堂々と振る舞っても、内心が小市民なのであたふたしてしまう自分の根底は、きっと死ぬまで変わらないだろう。
だがしかし、人の噂も七十五日だ。稲荷祭でのワッショイワッショイも、いつかは落ち着くはずである。
なのでその間は、極力外を出歩かずに、米村の下宿に引き篭もって仕事をするのが良い。
そう考えたが、自分は元々書類仕事は苦手で、体を動かすほうが得意なのだ。
そこで父にどうしたものかと相談すると、ならばちょうど良いものがあると言われて、吉法師や他の役人を一時的に派遣することで、私は全く別の仕事を任されたのだった。
少しだけ時が流れて天文十二年の秋の終わりになり、私は護衛を引き連れてお忍びの旅に出ていた。
これが自分の新しい仕事であり、向かった先は伊賀国だ。
街道の途中にある峠の茶屋で、別に疲れてはいないが良い機会なのでと一服する。
そして周囲に誰も居ないことを確認したあと、愚痴を漏らす。
「しかし、とんでもない仕事を命じられたものだわ」
喋った後に、茶碗に乗せて出された団子を摘んで口に放り込み、何度か咀嚼して飲み込んだ。
「殿はそれだけ、美穂様を信頼しておられるのでしょう」
「それでも無茶振りは、勘弁して欲しいわ」
この発言はブーメランのように自分に返ってくるが、気にせずに二個目の団子を摘み上げる。
「忍者を雇いたいと提案したのは私だけど。
まさか直接出向くことになるとは、思わなかったもの」
弟の吉法師と話した時に、諜報や内部工作の専門職の忍者が欲しいと言った。
そして伊賀国から高待遇で雇い入れることが正式に決定したのだが、残念ながら交渉は上手くいっていない。
何度か使者を派遣したが、色好い返事がもらえないことに業を煮やした父が、ちょうど別の仕事をしたがっていた私に白羽の矢を立てたのだ。
だがしかし、織田信秀が交渉下手な者を送るわけがないのに、それでも失敗したのだ。
「条件は悪くないのに、何故かしら?」
口の中で団子を噛みながら器用に喋り、首を傾げる。
するとお目付け役の林秀貞が、すぐに答えてくれた。
「美穂様、伊賀国は忍びを迎え入れる前に、話を通すべき者が居るのです」
尾張とは目立った戦になっていないが、伊賀国は仮想敵国だ。
必要最低限の情報収集は行っているし、関係の悪化を防ぐために上の者に話を通す必要があるらしい。
「六角氏、北畠家、仁木氏の三つの派閥。
それらの上に立つ者ございます」
ちなみに織田家も派閥がわかれており、決して一枚岩ではない。
しかし今は稲荷神様の化身に権力が集まり、ゴリ押しして一致団結状態にしている。
私がコケればたちまち空中分解しそうだが、それでも父を中心にして連携が取れているので、まだマシだろう。
おかげで家臣たちに意見を通しやすくなったので、尾張に新技術を普及することも可能だったのだ。
だがまあこれは、どの家臣たちの領地も、誰よりも豊かになりたいと要求したのもある。
他国に漏れるよりも自らの利益に天秤を傾けた者が賛成して、このような結果に落ち着いたのであった。
それはともかくとして、林さんの説明は続いていた。
「勧誘や協力を願おうにも筋を通す必要があり、派閥の仲は良いとは言えませぬ。
たとえ好条件だとしても、交渉は困難を極めておりまする」
「それは何とも、面倒臭いわね」
思わずしかめっ面になり、本音を口に出した。
林さんの話を聞く限り、妨害が頻繁に入って面倒な事態になっているらしい。
安請け合いするんじゃなかったと、今になって後悔し始めている。
「それでも美穂様ならばと、一縷の望みを託したのでございましょう」
頭の足りない元女子高生が、三つの派閥をどうこうできるわけがない。
自分にできるのは、感情任せや場当たり的な行動か脳筋ゴリ押しだけだ。
「お父様は私のことを、過大評価しすぎよ」
伊賀国を武力を以て支配する案もあるが、敵味方に多くの犠牲が出るためできれば避けたい。
それにもし戦になれば、派閥の勢力も何らかの形で介入してくるのは想像に難しくない。
何にせよ面倒この上ないので、私は大きく溜息を吐いた。
「ところで林さん」
「何でございましょう」
団子を食べ終わってお茶で喉を潤しながら、林さんに質問する。
「何処の派閥と交渉すれば良いのかしら?」
「それならば、仁木氏でしょうな」
仁木氏とは何ぞやと首を傾げている間に、さらに説明を続ける。
「伊賀国の守護大名の家系でございます。
それに他二つは周辺勢力との繋がりが強いゆえ、関わりを持つと事態がややこしいことになるかと」
なるほどと頷くが、今は派閥が三つにわかれているのだ。
守護大名の家系だろうと、きっとあまり振るえる権力も多くなさそうである。
そんな人と交渉して、果たして忍者を雇えるのかと思わなくもないが、六角氏、北畠家は他勢力に染まっているので、何かにつけていちいち親分の機嫌を伺うのも面倒である。
色々と気になることはあるが、基本的に行き当たりばったりの自分が長考しても、あまり意味はなさそうだと溜息を吐く。
何はともあれ取りあえずの方針が決まったことで、私は峠の茶屋の主人に銭を払って礼を言い、よっこいしょと立ち上がる。
そして、交渉相手である仁木氏の居城へと向かうのだった。




