波の調べ
「ヴェニス・ビーチって、初めてなのよ」
樹里は解放感からか、無防備に芝生の上に寝転んだ。それを見て、マットも同じように寝転ぶ。
「そういえば、前にもロスに来たことがあるって…?」
すると樹里は、美術館に行ったりパーティーに招待されたり、とても楽しかった…と、笑顔で語った。しかしその笑顔も、所詮は作り物でしかなかった。
樹里は以前、当時の恋人・城田悠二 (しろたゆうじ)と、このロサンゼルスを訪れていた。結局、別れてしまったが、今でも忘れられなくて、前に進めずにいたのだ―。
風が少し強くなり、樹里は身体を起こし小さくなっていた。すると、マットがそれに気づき、樹里を包み込むように抱きしめた。そして、マットは樹里の顔を覗き込み「大丈夫?」と、声をかけた。
しばらくのあいだ、樹里は波の音と、そしてマットの胸の鼓動を聴きながら、穏やかな気持ちになっていた。
「ずっと、こうしていたいけど…」
そう言って、樹里はマットからそっと離れると、立ち上がりクルマの方へと歩き出した。すると、マットも急いで立ち上がり、樹里の後を追った。
マットは樹里をクルマに乗せると、無言で運転に集中した。しばらくすると、クルマは海辺の豪華な屋敷に到着した。
「…ここは?」
樹里はクルマを降りると、その屋敷を見上げた。マットは樹里の手を引いて中庭を抜けると、裏のボートハウスへと誘導した。中に入ると、電気を点けてソファーへドカッと腰をおろした。
ソファーには毛布が無造作の置いてあった。きっと、ここで寝泊りをしているのだろう。窓の外にはビーチが広がっている。そして、その小屋の片隅では製作中のヨットがあった。樹里が近づくと、マットは慌てて布で覆った。そして「こんなもの…」と吐き捨てると、キッチンに消えた。
「すごい…」
樹里は少し布を捲 (めく)ると、目を輝かせてヨットを眺めている。すると、コーヒーを持ってマットが戻ってきた。樹里にカップを渡すと、またソファーへ腰をおろした。そして、
「彼女には、理解してもらえないけどな」
と言って苦笑した。
マットのガールフレンド・セシルは大学の同級生。彼女もまた、ライアンの教室にいた生徒のひとり。マットは、セシルを喜ばせようと、このヨットの製作に取りかかったのだが、セシルには、それが不満だった。そして、『早く着替えて。パーティーの時間よ!』と、いつも振り回されっぱなしなんだ…と。
樹里はクスッと笑うと、
「彼女は…、いつでも自分を優先して欲しいのよ」
と言った。するとマットは「わかってるけど」と、ふてくされた様子。
「好きなことと、大切な人。どちらも大事だけど…」
樹里はマットを見つめた。すると、マットは樹里を抱きしめようと腕を伸ばす…が、
「強く抱きしめると壊れてしまう」
樹里はそう言い残し、その場を去ってしまった―。




