新年の計は元旦にあり。
除夜詣から帰ってくる頃には、帰り際で飲んだ甘酒がいい感じで回った勇太が、すっかり眠りこけてしまっていた。
彼女を背負っての帰宅である。
金城邸に返却すると、
「すみませんねえ、うちのバカ兄が」
とか心葉に恐縮された。
出てきた尊さんに勇太を手渡して、家に帰ると、まだ姉が返って来ていないとかで父が騒いでいたが、眠かったので郁己はベッドへダイブ。
目覚めた時には良い時間だった。
ちょうど、綾音が帰ってきた音で目覚めたのである。
「和田部さんの車でね、初日の出を見に行ったの。それから初詣して帰ってきちゃった」
海まで行ったらしい。
ご苦労様なことである。和田部教諭も、思ったよりロマンチストらしい。
そういうのに弱い綾音はすっかり、和田部教諭に参っているようだし、教諭も彼女を難からず思っているのではなかろうか。
前もってこれこれ、この時間の帰宅になるという旨は電話していたようだから、父が怒っているのは単純に、娘の朝帰りにショックを受けたからに違いない。
「姉貴の巣立ちが案外近いかもしれないなあ」
「バカな、早すぎる!」
「だって父さん、姉貴はもう21だろ? 今年は四年生だし、卒業と同時に結婚する人だって珍しくないって聞くけど」
「ぬううう、許さんぞ、早すぎる! 21歳なんてまだ子供じゃないか!」
「どうどう、落ち着いて父さん」
「ふう、ふう」
父は綾音大好きパパだったので、ショックも大きかろう。
大体、綾音が彼氏を作るたび、そして振られる度に会社を休もうかというほどのダメージを受ける父である。
もっと打たれ強くなってほしいものだが、このヘタレ具合が父らしさなのだろう。
嫌いではない。
ともあれ、両親に新年の挨拶。改めて、姉にも挨拶。
「あけましておめでとうございます」
顔を洗って目を覚ましたら、台所でおせちを出す手伝いをする。
綾音はシャワーを浴びて目を覚まして来るらしい。
多分、朝飯が終わったら寝るつもりだ。
きっちり和服は着付けたままだったから、いかがわしいことは起こっていない様子。
和田部教諭と綾音、存外硬い二人なのだ。
年賀状が来た音がしたから外に出たら、まだパジャマ姿の勇太がお隣の塀から顔を出した。
「やっぱり郁己が出てきた」
「よう、あけましておめでとう」
「おめでとう、郁己、今年もよろしくお願いします。去年はお世話になりましたー」
最後の最後でお世話をしてしまったものだ。
年々、年賀状はメールやらに変わっていって、紙のタイプは少なくなって来ている。
これはこれで風情があるのだが、手間暇が掛かり過ぎるのである。
両親の年賀状は、付き合いが多い関係上たっぷり。
綾音が友達同士で出しあったのがちょこっとと、郁己は、
「お、勇太からの来てるじゃん」
「こっちも郁己の年賀状来てたよ。えへへ、後でゆっくり読もうっと」
「昼過ぎに挨拶行くからさ」
「うん、待ってる」
手を振って別れた。
家に入りながら、自分に来た年賀状を選り分ける。
全部で五枚だ。
勇太と、上田と、和泉と、御堂と、境山。伊調は多分、いつも通りメールで送ってくるだろう。
板澤小鞠からは……まあ来ないよなあ、なんて思う。
未だにその辺を考えてしまう辺り、自分はちょっと勇太に対して誠実になりきれないなあ、と反省する。
坂下家のお正月は、だいたい毎年決まった流れを組んで行われる。
一家の大黒柱たる父が挨拶し、去年のこと、今年のことを話す。
そして、母が挨拶して、みんなで今年の抱負を話すのだ。
だが、なんとなく郁己はこのイベントが、今年が最後ではないかと思えて仕方ない。
物事というのは急激に変化するもので、自分や姉の人間関係が、今までどおりではなくなってきているのを実感する。
案外、綾音は在学中に結婚したりしてしまうかもしれない。
「俺の抱負は、うーん……『道を見つける』かな。やりたいことや出来ることを見定めて、ちょっと努力の方向を絞っていきたい」
高校一年生っていうのは、モラトリアム期間だと思う。
これからやらなければいけないことを、ひとまず先延ばしにして、今を楽しんでいられる時間。
もちろん、毎日の中には大事なことが隠れていて、その中から目指すべき目標を見つけ出す奴だっている。
郁己は尊さんからその道への入り口を、指し示されたような気がしていた。
彼にとっての優先順位。その何よりも先には、勇太が来る。彼女と一緒に行くことが出来る道を探し出し、勝ち取らなければならない。
例えば、勇太が普通の女の子だったらこんな考えなどする必要はない。
自分のやりたいことを考え、彼女のやりたいことを尊重し、例え道を違えても、志は同じと未来を信じて離れることだって出来る。
勇太は違う。
少なくとも、18歳になり、本当に女の子になるまでは、不安定な立場だ。
その正体が周囲に知られてしまうことは、彼女の世界が壊れてしまう危機だ。
人生の危機だ。
ほんのちょっとの手違いや気の緩みで、彼女の世界は消えてなくなってしまうかもしれない。
男が女になってしまうなんていうことは、普通ありえないのだ。
楓のように理解してくれる人は、一握りだろう。
彼女のような善意に期待するのは間違っている。
郁己が守らねば、勇太は先に進むことが出来ない。あの幼馴染は……恋人は、決して強い人では無いから。
なんてことを思いながら雑煮を食って、汁粉を食って、おせちを食ってお屠蘇を飲んで、お年玉を拝領した。
「お前、郁己」
「なんだい父さん」
「お隣の、な。勇太くんとはどうなってるんだ」
「まだあまり変わっていないのよね?」
両親が興味津々で尋ねてくる。隠すようなことでも無かったので、
「実はキスしちゃってから気まずくなりまして。今はもう大丈夫だけど」
とか言ったら、二人共目が泳ぎだした。
これはアカン、と思い、郁己は家を飛び出す。
向かうはお隣だ。
「あけましておめでとうございます」
と言えば、金城家勢揃いで、おめでとうございますを返してくる。
尊さんと律子さんは和装だった。
そんな堅苦しいものではない、普段着の着物だ。
テレビでは、尊さんが出ている正月特番が放送している。やっぱりあれって収録なのだ。
「色々今年は、尊さんにもお世話になりそうで……」
「決めたかい? 僕のゼミは君を歓迎するよ」
そんな風な会話をする。
勇太は興味ありげに、尊さんと郁己をキョロキョロ見回す。
「俺はね、今年は物語を書く!」
勇太が一発大きなことを言った。
これに対し、心葉は真剣な顔で、
「完成したら、まず第一に私に読ませるように」
と勇太に言った。
勇太へ毎日、本を読ませて教育しているようだ。
兄が一体どのような創作者へと仕上がるのか、彼女は楽しみにしているのだろう。
以前、心葉に、君は物語を書かないのかと聞いたら、
「私は読み専なんです。そうして、たくさん物語を胸の中に詰め込むのが好きなんです」
なんてロマンチックな答えが返ってきた。
確かにこれは、楓とウマが合いそうだ。
「それから、郁己くん。勇太をよろしくな」
「こんな子だけど、郁己くんにしか任せられないから」
金城家両親、頭を下げる。
「あ、いえ。頑張ります」
とりあえず所信表明。
勇太は分かってるんだか分かってないんだか、多分理解できてない顔で、ニコニコしていた。
金城家は色々、しがらみが多い家柄で、本来は玄帝流宗家の娘と、炎帝流の宗家がくっついてしまっている。
炎帝流宗主たる尊さんは、律子さんのために宗家を捨てて来てはいるが、未だにそういう方面の社会とは深く結びついており、顔役のような存在だ。
表の仕事と裏の仕事で忙しく、家庭を振り返る暇があまりない。
それは律子さんも同様。
だから、勇太の事を守り続けることができなかったのだろう。
この二人は、それを悔しく思っている。
だからこそ、大事な時に勇太を守った郁己を深く信頼しているのだ。
もうすぐ一年生という期間が終わる。
あとたった三ヶ月。
その後にまた、大きな転機のクラス替え。
頑張らなければならないことは山程あるのだ。
「ということで、勇太、今年も頼む」
「んお? わからないけど、分かった、頼まれた」
相変わらず、その顔は分かってるのか、分かってないのか……。




