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それ以降、道中に大きな襲撃はなく、一行は予定よりも早くグラーツェルの城門へとたどり着いた。
グラーツェルは王都とシュトラールを結ぶ要衝の交易都市である。
城郭の中には大小さまざまな市場が並び、諸国から集まる物資や贅沢品が取引されていた。
そしてこの都市から続く北街道は“輸入の要”――他国からの品がここを経て、王都や周辺領へと流れ込むのだ。
一行はまず、市の中央広場近くにある宿泊館へと落ち着いた。
石造りの外観に赤い屋根瓦を頂いたその館は、広々とした玄関と温かな食堂を備えている。
クラウディアは馬車を降りると、軽く外套の裾を整え、宿の一室に案内された。
やがて扉を叩く音がし、キミトフが入ってきた。
「クラウディア様、これからの段取りですが……」
窓の外へ視線を流しながら、キミトフは低い声で続けた。
「侯への面会を求める使者を先に送りますか?」
クラウディアは小さく首を振る。
「いや、まず商人ギルドに向かう。おそらくは賊の相談だとは思うが……グラーツェル侯ではなく、私に手紙を寄越したのが気になる。相談の内容も記されていなかった。――つまりは、大きく口にはできない事柄なのだろう」
キミトフは頷き、背筋を正した。
「承知しました。商人ギルドに使者を送ります」
「その後にグラーツェル侯へも使者を出せ。祖父の代からの付き合いで見知った仲だ。顔くらいは出さねば失礼だろう」
「了解しました」
クラウディアは椅子の背に身を預け、ようやく表情を緩めた。
「やっと着いたのだ。一息つかせてもらおう。半刻後に食堂に全員集合だ。――今日ぐらいは酒も飲ませてやろう、当然だが私のおごりだ」
キミトフは口元をわずかに緩め、深く一礼すると部屋を後にした。
翌朝。
窓から射し込む柔らかな陽光の下、クラウディアは姿見の前に立っていた。
長い髪を丁寧に梳き、艶やかに整える。動作ひとつにも気品が漂い、華麗な令嬢の面影を映していた。
衣装台に置かれた上着を取り、貴族的な仕立てのスラックスの皺を指先で正す。
そのとき、扉が二度ノックされた。
「クラウディア様」
キミトフの声が続く。
「商人ギルドから返事がありました。――いつでもお越しを、とのことです」
クラウディアは鏡越しに己の姿を一瞥し、静かに頷いた。
「では、向かうぞ」
グラーツェルの商人ギルドは、中央広場に面して建てられていた。
石造りの堂々たる建物は二階建てで、玄関には紋章が彫り込まれた大扉が構えられている。
朝早くにもかかわらず、出入りする商人や文官らしき人物が絶えず、帳簿や巻物を抱えた若者たちが忙しなく駆け回っていた。
重厚な扉を押し開け、クラウディア一行はギルドの中へと足を踏み入れた。
帳簿を抱えた若者や、商談に向かう商人たちのざわめきが広いホールに満ちている。
その中で、シュトラール家の紋章を掲げた一行が姿を現すと、視線が一瞬だけ集った。
クラウディアは気負うことなく歩みを進め、受付へと向かう。
ちょうどその途中、奥から慌ただしく駆け寄ってきた壮年の男が深々と頭を下げた。
「クラウディア様――ようこそお越しくださいました。商人ギルド長がお待ちしております。どうかこちらへ」
男は姿勢を正し、一行を奥の応接間へと導いた。
案内役に導かれ、一行はギルドの奥にある応接室へと通された。
磨き込まれた机と椅子が並ぶ静かな空間。その奥で待っていた壮年の男が立ち上がり、恭しく頭を下げる。
「クラウディア様……遠路はるばるお越しくださり、感謝の言葉もございません」
男はこの街の商人ギルドを束ねるギルド長であった。
恰幅のよい体に豪商らしい衣を纏っているが、顔には深い疲労と焦りの色がにじんでいる。
クラウディアは椅子に腰を下ろし、落ち着いた眼差しを向けた。
「手紙には詳しいことが記されていなかったな。――それで、話というのは?」
ギルド長は唇を噛み、机上に置かれた両手を強く握りしめた。
「……賊の件でございます。ここ数月、街道に出没する賊の数が急増し、被害は看過できぬほどに膨れ上がっております」
「グラーツェル侯に訴えは?」
クラウディアの問いに、ギルド長は深い皺を刻んだ顔を曇らせた。
「幾度も陳情いたしました。しかし、状況に大きな変化はなく……。商人達も不安に駆られ、声を上げ始めております」
クラウディアは静かに目を細め、卓上に指先を軽く置いた。
「なるほど。――だからこそ、私に直接手紙を送ったというわけか」