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繭の夢




 ほんわりと暖かい。

 真綿に包まれているように、全身すっぽりと覆われている。

 膝を抱き込んで小さく身体を折り曲げているけれど全く息苦しさはない。

 それどころかあまりに気持ちよくて、微睡む身体はピクリとも動きたくなかった。


 瞼も重い。

 まるで目がくっついてしまっているみたいだ。

 自分の息遣いも聞こえない世界はとても静かだった。

 痛い程の静寂は、動かない体にちょうど良かった。


 ここは夢の中だ。

 何もせず、ただ優しい何かに包まれているだけの夢。

 真っ暗な世界で、それでも私を守ってくれる静寂。


 この夢はたまに見る。

 だからこのままじっと微睡んで、そのうち自然と目が覚めるのを待てば良い。

 

 動くのは思考だけ。

 それですら億劫で、もう何も考えたくなかった。


 もうどれくらいの時間が経ったのか分からない。

 夢の中でまた眠りについているようなこの夢では、時間の流れは酷く曖昧であった。

 いつものように微睡んでいた筈だったのに、無理矢理覚醒させられたように意識が呼び起こされた。


 遠くから声が聞こえる。

 煩さは感じない。

 心地の良い声はずっと聞こえ続け、徐々にそれが誰の声なのか分かってきた。


 最初は何て言っていたのか聞き取れなかったそれは、私の名を呼んでいる事に気付く。

 真綿の中で、私は初めて目を開けた。


 「ルーリア!」


 ヘルムートさんだ。

 私を包み込んでいる何かの外で、ヘルムートさんが私を何度も呼んでいる。

 声が遠くて聞き取りにくいけれども、確かにあのツンツン魔術師長様の声である。


 初めて私の名前を呼んでくれている。

 嬉しくて嬉しくて、喜びを噛み締めながら思わずガッツポーズを取ってしまった。

 しかしあまりに狭い空間では小さく拳を握るのが精一杯だった。

 

 「ヘルムートさーん」


 呼んでみたが、どうやら外へは聞こえていないらしい。

 相変わらずヘルムートさんは少し焦ったように私の名前を呼ぶばかりである。


 私は大丈夫ですよ、と早く伝えたくて壁を崩すイメージをしてみるが上手く出来なかった。

 私の夢の産物の筈なのに閉じ込められたままである。


 「ヘルムートさん聞こえませんかー? 今出るのでちょっと待って下さいね!」


 ヘルムートさんの声をバックミュージックに、外へ出るべく狭い暗闇の壁をペタペタ触る。

 少し弾力性があった。

 グッと押してみるが力では穴を開けることすら出来ない。

 開け開け〜と念じてみても、やはり何も起きなかった。


 ここまで思い通りにならない事は珍しく困っていると、外が静かになっている事に気付く。

 ヘルムートさんは諦めてしまったのだろうか。

 しかし僅かに声が聞こえ、何と言っているのだろうと壁に耳を当てた。


 呪文のようなものを呟いていた。

 そして思い出す彼の肩書き。

 もしかしなくても魔法を使おうとしているのではないだろうか。

 そういったものに詳しくはないのだが、夢の中でも使えたりするのだなと思った。

 もし使えたとして、彼は何の魔法を使おうとしているのか。

 この壁をぶち壊す攻撃魔法かもしれない。


 サッと身体が冷たくなる。


 「ヘルムートさん待って待って!」


 壁の外へと力の限り叫んだ。

 同時に壁がグニャリと奥へとくぼみ、パンッとはぜる。

 支えを失った身体は宙に投げ出され、思いのほか近くにいたヘルムートさんと目が合った。


 条件反射で衝撃から身を守るべく、思わずキュッと目を瞑ってしまう。

 そこは夢だからなのか、それともヘルムートさんが咄嗟に身体を支えてくれたからなのか、危惧した衝撃はやって来なかった。


 恐る恐る目を開けると、目の前には見慣れた盛服がある。

 思いの外ガッチリと逞しい身体に、これまたガッチリと私の腕を巻きつけていた。

 状況を理解すると、頭から湯気が出そうになった。


 意図せずヘルムートさんに抱き付く形となってしまった。

 異性とこんなに密着するのは人生初めての事で、次にどう出ていいか分からない。

 このまま顔を上げていいのだろうか。

 先に声をかけるべきかもしれない。

 それとも直ぐに離れた方がいいのか。

 いやいややはり、と頭の中が混乱していつまで経ってもヘルムートさんの胸に顔をうずめたままの私に上から声がかかった。


 「……おい」


 それはそれは低い声である。

 静かな怒りをたたえたような重低音にドキリとする。

 今まで悩んでいたのも忘れて、ヘルムートさんの顔色を伺うため顔を上げた。


 「……おい貴様、聞こえているのか」


 ヘルムートさんは私ではなく、何処か遠くを睨みつけていた。

 そこに一体何があるのかと振り返ったが、私が今まで居たらしい場所に細い糸のようなものが大量に垂れ下がっているだけだった。

 ちょっと気持ち悪い。


 「……おい!」

 「ご、ごめんなさいごめんなさい! 聞こえてますよ!」

 「だったら早くそれをどうにかしろ!」

 

 それって何だ? と再び見上げるが、鋭い視線は動かず何もない一点を見続けている。

 目尻も赤く、顔は凶悪だ。


 そこでようやく抱きついたままだった事に気付き、慌てて離れようとする。

 一歩後退した身体に違和を感じ、見下ろした。


 「な、ななななっ……なんで!」

 「早く着ろ!」


 私は真っ裸だった。

 わわわ、どうしようどうしよう服ない! と慌てふためく私は咄嗟にヘルムートさんの背中に回り込み、ここが夢だと思い出すや否やいつものメイド服姿となった。

 無意識って怖い。

 そろりとヘルムートさんの様子を仰ぎ見ると、先ほどの位置から微動だにせず硬直している。


 「……ヘルムートさん……何とも卑猥なものを押し付けてしまい……」

 「着たのか!?」

 「はい着ました!」


 ヘルムートさんの背後でピシッと背筋を伸ばす。

 見て分かる程に肩から力が抜ける様子を申し訳ない気持ちで眺めた。

 

 「すみません、まさか裸体をさらけ出していたとは……」

 「もっとオブラートに包んで話せないのか」


 さすがのヘルムートさんも疲れたように溜息をついた。

 いつもみたいにワザとではないのでセーブ出来ない分申し訳無さはひとしおだ。


 「それにしても、あの中で何をしていたんだ」

 「あの中?」

 「自覚がないのか? 上空から垂れ下がった繭の中に入っていたぞ。 僅かに透けて中に人間が入っているのが見えたから貴様だと思って呼びかけたが、いかんせん反応が無かった」


 繭って、あの蚕の繭か。

 図鑑で見た事はあるが、人間がすっぽり入る大きさのものがぶら下がっていたら、それはそれは不気味ではないだろうか。

 それなのに中には私と思わしき人間が閉じ込められいる。

 あれだけ焦って私に呼びかけてくれていたのも理解できた。


 「そうだったんですか。たまに何かに包まれている夢は見ていたんですが、まさか外から見たらえげつない状態になっていたとは知りませんでした。 心配をおかけしました」

 「別に心配などしていない」


 ん? もしや聞き間違いか? と思いヘルムートさんが言った言葉をオウム返しに呟いてしまった。

 あれは確かに聞き間違いでは無いはず。

 しかしヘルムートさんは、だから何だと言いたげな顔で見下ろしてくる為、それ以上は問い詰められなくなってしまった。


 せっかく名前で呼んでくれたのに。

 これを機に名前呼びを定着させようと画策していたのが水の泡である。


 「しかし、繭とはらしくないな」

 「そうですか? 中はウトウトするのに最適な環境なんですよ。 こう、大事に大事に優しく包んでくれてるんです」


 身振り手振りで柔い球体のイメージを伝えるが、上手く伝わっているかは謎だ。

 現に最近ほとんど見なくなった眉間の皺が、現在進行形で今日はずっとこびりついている。


 「違う。 貴様は現実では出来ない事を夢で発散しているだろう。 眠るだけなら事足りている筈だ」


 的確に指摘され言葉を失う。


 確かにそうなのだ。

 繭の夢は私が望んだものではなく、無意識下で投影されているものだ。


 正しい答えを見つけられない私は黙するしかなかった。

 ヘルムートさんだけには知られたくなかった。

 私の中に薄暗い願望が潜んでいる事を。


 困ったような、驚いたような、もどかしいような。

 ないまぜになった感情で私を見るヘルムートさんから俯いて顔を隠した。


 あぁ、嫌だ。

 きっと酷い顔をしているに決まっている。

 最近は上手く隠せていたのに。

 夢の中は簡単に心を暴くから気をつけなければならなかったのに。


 あまりの楽しさに忘れてしまっていた。

 近くにいる人ほど私を見せてはならない事を。


 ごう、と突風が吹き付ける。

 視界を覆うほどの枯葉が、辺りを右往左往と激しく舞った。

 突然の事に腕で顔を守るヘルムートさんは何かを叫んだが、暴風の音にかき消されて私の耳には届かない。

 お互いの間を遮断させると、私はそこから姿を消した。











 「レベッカ、これから一緒にコーヒーでも飲まない?」

 「……今からですか? 夜も更けてまいりました。 お身体にさわりますよ?」


 こんな事を私が言い出すのが珍しいのか、彼女が動揺しているのが伝わってくる。

 そんな時は、皆んなが安心するとっておきの笑みで返す。


 「今日はレベッカとおしゃべりしたい気分なの」

 「そうですか……。それでしたらご一緒させていただきます。 準備をしてまいりますので少々お待ちください」


 ごめんなさいレベッカ。

 ドアの外へ消えて行った彼女に心の内で謝罪する。

 

 どれだけ保つかは分からないけれど、しばらくは夢を見たくなかった。




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