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最終話 幸せになっていい

 大家さんとお墓参りに行った翌日の月曜日。結局、あれからアカメとの論争は平行線を辿り、一時間ほど経ったところで夕飯の支度を言い訳に無理矢理その場の空気を終わらせた。


 どこでもいいとは言ったものの、あくまでも観光地的な意味合いであり、まさか地元に行きたいとは想定していなかった。


 俺の地元は山と畑しかなく、観光して楽しい場所など一つもない。


 そして、もう一つ行きたくない明確な理由が俺には存在した。


「今さらどんな顔していけばいいんだよ・・・・・・」


 晴れない気分のまま出勤の支度を済ませ、玄関の扉を開ける。


 今日は朝から曇天。太陽は一切見えないものの、それでも夏の暑さを感じる。


 昼食代に千円だけ置いてきたけど、昼ごろに雨が降る天気予報だったし、作り置きでも用意してやれば良かったな。


「はぁ!?どうしてそんなことになってるんだよ!?」


 オフィスについて早々、まだ始業もしていないオフィスに佐藤の大きな声が響いた。


 あいつの大声なんて初めて聞いたなと思いつつ、何事かとデスクに近づいて行く。


「佐藤、そんなでかい声出して何があったんだ?」


「あ、いや、すみません・・・・・・。こいつが先週したミスを今頃報告してきて、つい・・・・・・」


 佐藤の隣で肩をすぼめている社員は佐藤の実質的な部下である。話を聞くと、その社員は取引先へ誤った案内をしていたのだが、そのことを一週間経過した今日になって報告したそうだ。


「穂川さん、すみません!完全に俺の確認不足でした。先方にはこの後すぐに二人で出向いて、直接謝罪してきます」


「すみません佐藤さん、穂川さん。向こうからの返信で気づいた時には、もう金曜日で・・・・・・。僕、伝えたら怒られるんじゃ、って怖くて・・・・・・」


「なんでその時に報告しなかったんだよ!」


「落ち着け、佐藤」


 息を荒げる佐藤の肩に手を置く。


「確かに報告が遅れたのは褒められたことじゃないが、こうして頭も下げてるんだ。それに怒鳴ってもどうにかなる事じゃないことくらいお前が一番分かってるだろ?」


「いや、でも、今からじゃどう考えても・・・・・・」


「お前は容量がいいからな、イレギュラーに弱い。とりあえず今は、お前の言った通り先方への謝罪。そして、相手が譲歩してくれるだけの材料の確保だな」


 佐藤は自分の顎に手を当てて、目をつぶった。そして、三十秒もしないうちに顔を上げた。


「誤案内の内容は納品日です。予定より二週間も早い案内をしてるので、完成品を間に合わせるのは・・・・・・。いや、他のチームにも助けてもらえれば、あるいは・・・・・・」


「よし、人員に関しては俺の方で確保する。即席チームが決まり次第、二週間で進められる範囲を連絡するから、先方にはその内容で納得してもらえるように交渉できるか?」


「本当ですか!?ありがとうございます!」


「あ、ありがとうございます!」


「おう、しっかり他の班に嫌な顔されてこい!」


 深々と頭を下げ他の班へと向かっていく二人の背中を見届け、自分のデスクへと戻る。


「今日は久しぶりに残業だな」


 マウスを触る前にポケットに入っているスマホに手を伸ばし、アカメにメールを送った。


『今日は遅くなる。自分の分だけでいいから、適当に食べといてくれ』


 既読のつかないメッセージアプリをそっと閉じ、スマホをポケットに入れて仕事を再開した。



「うっわ、雨降ってますよ!?」


 部下のミスが発覚した帰り、終電の時間まで残業していた俺と佐藤と田中はビルを出ると梅雨らしい本降りの雨に足を止めた。


「すみません、自分がミスなんてしなければ雨に当たることもなかったのに・・・・・・」


「もう謝らなくていいから!俺も怒鳴って悪かったし・・・・・・。今日だけで半分は追い付いたし、明日からも気合入れて行くぞ!」


 再び肩を落とした田中の背中を叩く佐藤。そんな様子を後ろから見ていると、二人が部下でよかったと思える。


「ははは。お前ら、雨で風邪なんて引くなよ?」


「当り前ですよ!って、早くしないと終電が!お先、失礼します!」


「あ、自分も!穂川係長ありがとうございました!お先失礼します!」


 走って駅の方へ走って行く二人を見送り、俺はカバンを傘代わりにして駅へと向かった。




「はい、タオル」


 深夜の大雨の中、ずぶ濡れで家に帰った俺にアカメはタオルを差し出した。


 午前一時になろうかという時間帯。アカメは眠そうに目を擦っている。


「悪い、起こしたか?タオル、ありがとうな」


「ちょうど寝れなかったから。遅かったね。お仕事?」


「ちょっとな。今日と明日、もしかしたら水曜も遅くなるかも。アカメにも迷惑かけるな」


 濡れたタオルとシャツを洗い物用のゴミ袋に入れ、匂いが漏れなようにその口を縛った。


「先に寝てていいぞ。待っててくれてありがとな」


「うん、そうするね。おやすみ」


 リビングへと向かう足音を背に、服を脱いでシャワーを浴びる。

シャワーを頭から浴びると、一気に仕事から休息へと体がスイッチを切り変え、頭に浮かんできたのは急な仕事に紛れていたアカメの事だった。


 どうして俺の故郷に行きたいと言い出したのか。


「理由は分かってる、分かっては、いるけど・・・・・・・・・・・・」


 この家に湯船があれば頭まで潜って、こんな気持ちも紛らわせたか。


 

 久方ぶりの残業を終え、雨に打たれて帰宅した日の翌日。


 窓を閉めていても聞こえるほどの雨音と共に激しい頭痛と倦怠感で目が覚めた。


「・・・・・・ようすけ、大丈夫?」


「・・・・・・アカメか。今、何時だ?」


「朝の六時だよ」


 いつもならもうとっくに家を出ている時間だ。頭痛により目を開けることも辛いが、体を無理矢理にでも起こそうと布団に手を着く。


「ダメ。ようすけ今ひどい顔してるよ」


 しかし、起こそうとした肩をアカメに抑えつけられた。


「途中で薬局に寄るから。今日だけは休めないんだよ・・・・・・」


「もう会社には電話したから寝てて。ほら」


 そう言ってアカメが見せつけてきた俺のスマホには、俺から会社宛てへの着歴が残っていた。


「佐藤さん、って人がお大事にってさ。仕事も問題ないって言ってたよ」


「そう、か・・・・・・」


 アカメが会社に連絡を入れていたことへの驚きよりも、安堵で肩の力が抜けた。


「ならもうちょっとだけ寝とくよ。ありがとな、アカメ」


「うん、おやすみ」


 俺が目をつぶるとアカメが優しく俺の前髪を撫で始めた。いつもなら恥ずかしいと思うのだろうが、熱で弱っている今は少しだけ安心感を覚えた。




 こんな夢を見たのはアカメの故郷に行きたいと言う発言か、眠る前に見た優し気な眼差しからか。


 夢の中の俺はいつも小学校中学年で、前を歩くのは物心ついた時から常に一緒にいた年上の少女、珊瑚。珊瑚はたびたび海のないこの田舎で海を見たいと口にしていた。


「バーベキュー!?やったー!はるか、絶対に風邪なんて引いちゃだめだよ!?」


 俺と珊瑚の家族はともに一人っ子だったこともあり、田舎でもひときわ付き合いが深かった。バーベキューも一年に二度ほどは開かれていた。


 珊瑚は俺の事を遥祐ではなく、漢字の音読みではるかと呼んでいた。これは難しい漢字を読めるようになったことの、一種の自慢と愛情表現だったのだろう。


「今年は泳ぎ方を教えてあげるから、今度水着を買いに行こうね!あ、バーベキューの後は隣町で夏祭りもあるから、浴衣も買わなくちゃ!」


 夏休み前にそんな会話をし、二人の家族で近くのデパートに水着を買いに行ったのを覚えてる。



 そして、その翌日に珊瑚は死んだ。



 死因は溺死。


 二人の親が総出でバーベキューの準備をしたり、テントを張っていた。来年は中学生になる珊瑚も親たちの手伝いをしていて、俺は買ったばかりの水着を着て川を眺めていた。


 親と珊瑚から一人で川に入るな、川の奥には行くなと散々聞かされていた。しかし、俺は早く冷たい川に入りたい、珊瑚に泳いでるところを見せたいと思い、一人で川に入った。


 川はとても冷たく、足首までがひんやりとして気持ちがよかった。


 足元の水を手ですくい、頭にかける。そんなことをしていると奥の方で泳ぐ魚の影が見えた。俺はその影に誘われて、川の奥へと足を進めた。その瞬間、急に足場が無くなりもがく間もなく川の流れに捕らわれた。


「ざんご、おねぇちゃ──」


 目、鼻、耳、口。ありとあらゆる穴から侵入する水に必死の思いで出した声も遮られる。


 四肢をばたつかせ水面から出ようとするが、激流はそれを許さない。もがくことを諦めるとすぐに呼吸と視界を奪われ、子供ながらに死を悟った。


 川の中は驚くほど静かで、両手足が冷たくなっていくのを感じながら沈んでいく。


「・・・・・・・・・・・・か!」


 朦朧とする意識の中耳に届いた声の方向に自然と手が伸びる。そして、伸ばした手が暖かな何かを掴んだところで意識は完全に途絶えた。



 気付いたころには病室のベッドの上だった。


「っうぅ・・・・・・」


「遥祐!」


 声を上げた俺を母が痛いと思うほどに強く抱きしめた。


「良かった、良かった・・・・・・!」


「・・・・・・母さん、珊瑚お姉ちゃんは?」


 状況がうまく理解できなかったが、意識を失う前に聞こえた声と感じた温かみ。それだけは確かに覚えていた。


「珊瑚お姉ちゃんがね、呼んでくれたんだ。でね、すごく温かくて・・・・・・」


 母は俺の身体を抱きしめたまま、声を抑えて泣いていた。


 俺はどうしたらいいか分からずただただ黙ってその時間を過ごし、しばらくしてから母から珊瑚は同じ病院で眠っていると聞かされた。


 そこから一晩明けて母に手を繋がれたまま病室を出ると、珊瑚の両親が見たことも無い顔をして廊下に立っていた。


「おじさん、珊瑚お姉ちゃんは──」


 頬に平手打ちをされた。体が吹き飛び、病室のドアに背中をぶつけた。


 母さんが大声を上げ、珊瑚のおばさんが泣きながらおじさんを止めている。


 だけど、俺は何も考えることが出来ず、ただ理由の分からない涙が溢れて止まらなかった。


 その晩、家に帰ったところで母の口から珊瑚の訃報を伝えられた。


 それから俺はひたすらに泣きじゃくり、幾度となく自分を責め続けた。そんな時に届いた珊瑚からの、夏祭りの招待状。


 わざわざ綺麗な封筒に入れられ、デパートに行った日の消印が着いて夏祭りの前日に配達日まで指定された手紙。


 俺はそれを読むことも出来ず、ただ机の奥底にしまった。




 夢から覚めるとすぐに大量の汗を掻いていたことが分かった。しかし、夢の影響からアカメの事が気になり、飛び起きて台所へと向かう。


「アカメ、いるか!?」


 そこにアカメの姿はなく、あるのは綺麗に畳まれた布団とその上に置かれた封筒。


「っ!」


 見覚えのある封筒を急いで手に取り、裏面を見る。そこには珊瑚の住所が書かれていた。


 その住所を見た瞬間、俺は家を飛び出した。


 俺の故郷に行きたいと言っていたこと、故郷の住所が書かれた封筒。お金は日ごろから食費として渡していた。一人で向かう条件は揃っている。


 家を出た勢いのまま電車に乗り込み、故郷までの数時間を祈りながら過ごした。


「アカメ、アカメ、アカメ・・・・・・!」


 家を飛び足したころは薄暗かった周囲もすっかり、今ではもうすっかり明るくなっている。故郷の駅に感慨を受けることもなく、走り出す。


 初夏の太陽が照らすアスファルトを蹴りつけ、ひたすらに走る。


 珊瑚を失ったあの川へ。


 川はあの頃と全く変わらず、嫌になるほど太陽を反射している。アカメの姿を探し、河原を歩いて川へと近づく。


「頼む、アカメ・・・・・・。俺にはまだお前が・・・・・・!」


 川の手前で膝から力が抜け、河原に座り込んだ。その時、後ろから声がかけられた。


「はるか、来てくれたんだね」


 違うだろ。アカメは俺をようすけって呼ぶだろうが。


「ごめんね、ちゃんとお別れも言えなくて。急に一人にしちゃったね」


 昨日まで一緒だっただろ。


「昔は泣き虫で怖がりだったのに、大きくなったんだね」


 やめてくれ。俺はあの頃のままだ。何も変わってない。まだ何も変われていないんだ。


 張り詰めた胸から嗚咽の代わりに、言葉を出す。


「・・・・・・・・・・・・お前が、死んだ日から俺は今日ま逃げてきた」


「・・・・・・うん」


「墓に行かなかったらお前の死を見なくて済んで、部屋から出なかったら、田舎にいなかったら、仕事だけ考えてたらって・・・・・・!周りの人も傷つけて、ずっと逃げてきたんだ!そうやって何年も、何十年も!」


 何も成せなかった。手に入れれば、また失うことが怖くて。何も持たなければ、何も失わない。


 溢れ出す後悔、想い、それら全てが重りだと決めつけて逃げてきた。


「あの時、俺が、お前を呼ばなかったら、手を掴まなかったら・・・・・・」


 何十年も抱え続けた想い。無為に生きるたびに、自分を卑下するたびに溢れ出てきた想い。


「代わりにお前が生きてたなら、お前ならもっと明るい人生に・・・・・・。死ぬのはお前じゃなく──」


 最後の言葉が口から零れる直前、後ろから温かな腕に頭を包まれた。


「はるか、私は幸せ者だね・・・・・・!」


「何でだよ!お前が生きてればもっとうまく──」


「──だって!だって、私が大好きな人を助けられて、大好きな人に何十年も覚えててもらえて、こうして思いを伝えることが出来るから」


 俺の頭を包む腕に力が入る。


「穂川遥祐君!私はあなたと出会えて、あなたを守れて、あなたに覚えててもらえて幸せでした!だから、だからもう、はるかも幸せになっていいんだよ」


『幸せになっていい』その言葉に一筋の涙が頬を伝う。


 幼なじみを殺し、全てから逃げ、周りを傷つけてきた俺には幸せになる資格がない。心のどこかでそう思っていた。そう決めつけていた。恐れていた。


「・・・・・・珊瑚、ごめんな。明るく、生きてこなくて。笑って、生きてこれなくて。お前がいたら怒られてるよな」


 大好きだった子が繋いでくれた命。伝えてくれた想い。


 感覚のなかった手足に熱が戻り、ゆっくりと膝を立てて立ち上がる。後ろから伸ばされた腕が優しく離れて行く。


 後ろには見知った顔があるのかもしれない。だけど、振り返ることはしない。


「あの時、俺が言うべきだった言葉がやっと分かったよ。馬鹿な俺だから。何十年も待たせたな。けど、もう大丈夫だ。ここまでやってもらって、やっと分かったよ」


 言葉が返ってくることはないが、今も聞いてくれているだろう。


「お前に言葉を伝える。けど、それはここじゃない。ちゃんと、お前の前で口にするから。全部、全部終わらせて、お前に伝えるから」


 行くべき場所に足を踏み出そうとするが、自分の足が震えていることに気付く。最後に残った幼い自分を拭うように、足を大げさに振り払う。


 すると、背中に小さな手が触れ、始めの一歩を後押ししてくれた。


 その手に応えるように大きく息を吸い、足を前へと進める。


「・・・・・・行ってきます!」



 珊瑚と並んで歩いた通学路。放課後に寄った駄菓子屋は看板の劣化が激しく、何年も手入れされていないであろうシャッターが下ろされていた。


 二十年も訪れていない街だが確かな記憶を辿り、迷うことなく一軒の家に辿り着いた。


 何と声をかければいいか、そもそもまだここに住んでいるのか。


 そんな迷いを今更、と振り切ってインターホンを指で押す。


 「・・・・・・はい、どちら様でしょう?」


 それは押したインターホンからではなく、背後から聞こえてきた掠れた男性の声だった。


 振り返るとそこには背を曲げて、野菜の乗った手押し車を押す老爺がいた。


 「ぁ・・・・・・」


 一目見ただけでは分からなかったが、その老爺は目の上に特徴的な傷がある。その傷には見覚えがあった。珊瑚の父親だ。


 当時は畑仕事をしていたこともあり、豪快な性格でガタイの良い体つきをしていた。しかし、目の前にいる珊瑚の父親は背が低く、ひどく細く、覇気にかけている。


「・・・・・・もしかして、遥祐君、か?」


 名前を呼ばれた瞬間に心臓が飛び跳ねた。考えていた言葉を忘れ、インターホンを押したままの位置にある手が右往左往する。なんとか、老爺の方へ体を向ける。


「おひさし──」


 親父さんは俺の目の前で膝を折り、地面に両の手を着いた。


「すまなかった・・・・・・!すまなかった!」


 親父さんの丸くなっている背中に手を添えたところで、その背中が小刻みに震えていることに気付いた。


「わしは、わしはなんと酷いことを!幼い君をあの日、わしは怒鳴り、あまつさえ殴ってしまった!ずっと、ずっと謝りたかったんだ!すまなかった、すまなかった・・・・・・!」


 あぁ、この人も同じなんだ。俺と同じ後悔を持っている人なんだ。


「君の声に気付けず、珊瑚が伸ばした手も掴めず、不甲斐ない自分から目を背け、君に全てをぶつけてしまったんだ!」


 アスファルトを濡らす大量の涙をあふれさせ、大きく震えるその背中を優しく包む。珊瑚がそうしてくれたように。


「親父さん、珊瑚が言ってくれたんです。もう前を向いていいって、幸せになっていいって。それでやっと俺は、あなたに会いに来ることが出来た」


 もう十分に涙は流した。弱音も、迷いも珊瑚とアカメが聞いてくれた。だから、


「あの日、川から俺を救ってくれてありがとうございました・・・・・・!」


 川に流される俺の腕を掴んでくれた珊瑚。しかし、二人はそのまま流されそうになった。それを助けてくれたのが珊瑚の父親だった、と後から母親から聞いていた。


「俺はもう一度会って、この言葉をあなたに伝えたかったんです。本当にありがとうございました!」


「・・・・・・珊瑚は最後、何と言っていた?聞かせてくれ」


 親父さんは呼吸で肩を大きく上下させつつも、顔を伏せたままだ。


「自分は幸せだった、と」


「そうか・・・・・・。よかった・・・・・・!」


 親父さんは顔を上げて俺の目を見つめてきた。その顔はしわだらけで、涙や鼻水の後もはっきり残っているが晴れやかだった。


「遥祐君、ありがとう・・・・・・!君のおかげでわしは珊瑚を自慢の娘だと誇り、残された人生を生きていける」


 その後、俺は親父さんから珊瑚が眠るお墓の場所を聞き、一人で墓前に立った。


「親父さんに会ってきたよ。見ててくれたか?」


 腰を落とし、掘られた文字を優しく撫でる。


「俺さ、好きな人が出来たんだ。その人はこんな俺でも真っすぐに見ててくれて、文句の一つも言わずに一人で頑張ってる人なんだ」


 小さなままだと思っていたその子は、俺なんか比べ物にならないほど大人だった。


「俺はその人の力になりたい!俺がお前に貰った分まで、その子を笑顔にしたいんだ!」


 貰ってばかりだった人生。この歳になって、ようやく自分の本心に向き合った。


「珊瑚、川から助けてくれてありがとう。アカメ、傍にいてくれてありがとう。今度は俺が大事な人に恩返しできるように頑張るからさ、もうちょっとだけ見ててくれよ」


 落とした腰を上げ、大きく空を見上げて両手を掲げた。


「俺は世界で一番カッコいい男になる!お前が自慢できるくらいの、男に!」


 それからしばらく空を見つめてから、再び墓石に目をやる。


「今度はその人と一緒に来るよ。だから、その時までお別れだ。・・・・・・じゃあな、珊瑚!」


 今は供える花一つないが、静かに手を合わせ目を瞑る。こうして、俺の夏は終わりを迎えた。



 二十年越しの墓参りの帰り、アパートの前で掃除をする大家さんの姿が目に入った。

 大家さんもこちらに気付いた様子で、小走りで近寄ってきた。


「穂川さん!?そんな格好で何かありましたか!?まさか、親父狩りにでも・・・・・・」


 そんな恰好、そう言われて服を見下ろす。すると、ワイシャツは汗や涙でべとべとになった上に、珊瑚の親父さんがしていたであろう畑仕事の土まで付いている。喧嘩でもしてきたと思われそうな汚れ様だ。


「け、警察に!いえ、その前に、救急車!?どこか怪我でも──」


 慌てふためく大家さんにはっきり聞こえる、されど落ち着いた声で、


「──春野しおさん」


「・・・・・・え?」


 戸惑っている大家さんの目をしっかり見て、口を開く。


「話を聞いてくれませんか?少し、いや、かなり長くなるんですけど、俺の今までとこれからの話を」


 大家さんは、なおも戸惑っている様子だが大きく息を吸い、その息を吐くとこう答えた。


「はい。聞かせてください。穂川さんの話を、穂川さんの言葉で!」



 あれから幾度かの夏が過ぎ、俺は元大家さんであるお腹の中に新たな命を抱えたしおさんと一緒に、珊瑚のお墓参りに来ていた。


「珊瑚、久しぶりだな。今すぐ綺麗にしてやるからなー」


 お墓の前に掃除道具を並べ、水をくむべくバケツをもっと蛇口の方へ。


「ふふ、張り切ってお墓に傷を付けないでくださいよ?あ、珊瑚さん!私、赤ちゃんが生まれるんですよ!?出産はまだ先ですけど、産まれたらすぐに挨拶に来ますね!」


 しおさんはたわしを手にし、軽く墓石を磨いている。


「あ、しおさんは休んでて!お腹に子供もいるんだし!」


「じゃあ、お言葉に甘えてあそこのベンチに座ってますね」


 日陰にあるベンチまでしおちゃんを送り、座ったのを見届けて墓前に戻る。


「あ、そうだ。今日は懐かしいのを持ってきたんだった!」


 バッグの中を漁り、形が崩れないようにと袋に入れていたあるものを取り出す。


「アカメが使ってたスニーカー!」


 アカメと初めて出かけた日に買った白色のスニーカー。あれから短数年が経過しているせいか、元々だったか、薄く汚れたそれを墓石の前に置く。


「もっといいやつもいっぱいあったのに、お前はこれが良いって言ってたよな」


 しおちゃんと同棲をする際に持っていたものはほとんど捨ててしまったが、これだけは捨てられなかった。


「あの時に新品を買ってれば、お前が・・・・・・。いや、そんなのはどうでもいいか!」


 アカメはもしかしたら最初からいなかったのかも知れない。だけど、俺は確かにアカメに救われた。重要なのはそこだけだ。


「さすがにスニーカーをお墓に供えたままには出来ないから持って帰るけど、また今度も持ってくるからな。お前なら、もう捨てろって言いそうだけど」


 アカメが腰に手を当てている姿を想像してしまい、笑みがこぼれる。


「俺、会社だと結構偉くなってさ、しおちゃんのお婆さんが残したアパートもまだちゃんとあるんだぜ?なんと満室!」


 聞けば俺とアカメが住んでいたころ、あのアパートはしおちゃんの部屋と合わせて二部屋しか使われていなかったそうだ。


「お前が守ってくれた命で、お前が救ってくれた人生で、家族を持つことが出来た。今度は俺が守れるようにならないとな。お前みたいにうまくはできないけど、俺頑張るから!」


 丁寧に、優しく暮石を磨き、バッグから出したスニーカーを慎重にバッグに戻す。


「遥祐さーん、終わりましたかー?」


「うん、すぐ行くからねー!」


 終わりを待っていたしおちゃんに返事をし、改めて暮石の前で手を合わせる。


「じゃあまた今度な!」


 別れの言葉を告げ、暮石に背を向ける。


 すると、後ろから風が吹き、耳元でこんな声が聞こえた気がした。


 ──がんばったね、ようすけ

 

  振り返るとそこには太陽の光を反射するほどに磨かれた暮石と季節外れのツユクサの花弁が暮石の上に乗っていた。


最後までお読みいただきありがとうございました。誤字脱字報告、感想よろしくお願いします。

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