01. 混ぜてはいけないものを混ぜた男
※転載、翻訳禁止です。
細胞の話が出ますが、作者が作ったデタラメな細胞話です。
国立生命科学研究所の第七実験室には、消毒液とコーヒーが交ざりあって独特の匂いが漂っていた。そして誰も正確には言語化できないが、何かよくないことが起きそうな予感の匂いもある。
白崎亨、三十二歳。博士号取得後四年目の研究員。専門は細胞生物学、特に幹細胞の分化誘導。身長は百七十五センチで、黒縁眼鏡をかけており、白衣の左ポケットにはいつもマジックペンが刺さっている。同僚からは「ちゃんと頭はいいんだけど、なんか抜けてるよね」と評されることが多い。本人はその度に「抜けてるんじゃなくて、別の次元を見てるんです」と弁明するが、誰にも伝わったことがない。
その白崎が、今日も第七実験室の実験台に向かって独り言をぶつぶつ言いながら実験をしていた。
「えーと……ES細胞の培養液に神経幹細胞のシグナル因子を添加して……」
彼はピペットを器用に操りながら、透明な液体を次々とシャーレに垂らしていく。
「で……ここに筋芽細胞の分化促進因子を……あれ?これじゃなかったっけ……」
白崎はラベルの貼られた小さなボトルをひっくり返して眺めた。
「『鳥類上皮細胞培養液』……あっ、これ先週の山本さんの実験の残りだ!」
普通の研究者なら、そこで手を止めてボトルを棚に戻す。しかし白崎亨は普通ではなかった。
「まあ、どうせ捨てるんだろうし……少しくらい混ぜても面白いかな?」
ポチャン。
白崎は、その透明な液体をすでに複数の細胞培養液が混合されたシャーレに躊躇いなく垂らした。
「よしっ!あとは培養器に入れて……」
彼はシャーレをインキュベーターに滑り込ませ、タイマーをセットした。
その瞬間を廊下を通りかかった同僚の上条奈々(二十九歳、白崎の一年後輩)が目撃していた。
「白崎さん、また変なもの混ぜてませんか?」
「変なものじゃないですよ。科学的な好奇心に基づいた創造的な実験です」
「それ去年も言ってシャーレが赤黒く光って、くっさい煙出した後に所長に怒られてましたよね」
「あれはあれで興味深い現象でした!」
「あれ、すっっごく臭かったんですけど!その後は廃棄物として処理されたじゃないですか!」
「……科学の世界に早すぎた才能というのは、常に悲劇を伴うものですよ」
上条は呆れた顔で首を振り、自分のデスクに戻っていった。白崎は構わず実験ノートに記録をつけはじめた。
その日の夜、白崎は残業をしていた。研究所の廊下は静まり返っていた。
インキュベーターのタイマーが鳴った。
「んー、そろそろ確認するか」
白崎はのそのそと立ち上がり、インキュベーターの扉を開けた。
シャーレを取り出して、顕微鏡にセットしようとした時——
なにかが動いた。
「……え?」
シャーレの中に何かがいた。いや、正確にはシャーレの蓋を持ち上げようとしている何かがいた。
白崎は目を丸くしてシャーレを持ち上げた。蓋を慎重にずらすと——
ぴっ。
小さな声がした。
そこにいたのは親指の先ほどの大きさで、何とも言えない生き物だった。体はほぼ球型で、青色をしている。目はつぶらで黒々としており、頭のてっぺんには申し訳程度の小さな羽毛がぴょこんと一本生えている。足は二本あり、翼のようなものもあるが、まだほとんど機能していないようだった。
「なんだこれ?!」
ぴっぴっ。
生き物はまた鳴いた。
白崎は呆然としながら、自分がさっき混ぜた培養液の構成を頭の中で整理しようとした。
ES細胞+神経幹細胞因子+筋芽細胞因子+鳥類上皮細胞培養液……。
「……鳥?ぽいものができたな」
ぴっ。
「……鳥だよな多分。なんか丸いなー。でも羽もあるし、鳴くし」
生き物は、白崎の指先に向かって小さな翼をばたばたさせながら近寄ってきた。
「なにこれ、かわいい!」
白崎の科学者としての理性と人間としての本能が激突した。その戦いは三秒で決着がついた。
「よし。飼おう!」
私の他作品も読んでみて合わないと感じた場合や今後は希望されない場合、ミュート設定をご利用ください。




