暴走の境界
訓練場の事件から二日後、棘の翼でより深刻な衝突が起きた。
今度は単なる口論では済まなかった。
狼人二年生のガルド・クロムウェルとその取り巻き数名が、吸血鬼側の訓練区域に踏み込み、「お前たちの魔術は弱すぎる。力で証明してやる」と挑発した。吸血鬼三年生のルーカス・ヴァルハラも応じ、両者の魔力が激しくぶつかり合った。
魔力の暴走が訓練場の壁を抉り、黒薔薇の棘が飛び散った。周辺にいた低位の人形の一体が巻き込まれ、軽い損傷を受けた。
報告を受けた私は、すぐに現場へ急行した。
訓練場に着くと、空気が重く張りつめ、魔力の残滓が渦を巻いていた。
ガルドは牙を剥き、荒い息を吐きながら叫んでいた。
「吸血鬼の貴族ども! いつも優雅ぶって、人間どもに媚びを売っているだけじゃないか!」
ルーカスは銀髪を乱し、冷たい青い瞳で睨み返した。
「狼人の粗暴さが、異類全体の評判を落とす。人間の好奇心を刺激しているのは、お前たちだ。」
二人の魔力が再び高まり、訓練場の床に大きな亀裂が走った。
私は二人の間に割って入り、声を張った。
「ルーカス様、ガルド様、両者ともおやめください! これは学院の規則に反します。私が仲裁いたします!」
しかし、二人の魔力の奔流はすでに制御を失いかけていた。ガルドの狼人特有の野性魔力が爆発的に広がり、私の位置する方向へ向かってきた。
危険だった。
体が動くより早く、強い圧迫感が胸を襲った。
その瞬間——
漆黒の影が私の前に滑り込むように現れた。
セバスティアン・ヴァン・ノワール。
彼は優雅に片手を上げ、指先から黒い魔力が静かに広がった。ガルドの暴走した魔力を、まるで霧を払うように受け止め、完全に消し去った。
訓練場が一瞬、静まり返った。
セバスティアンは私を背後に庇うように立ち、深紅の瞳で二人を見据えた。
「これは……少しばかり度が過ぎたようだな。」
声は低く甘く、しかし底知れぬ威圧を湛えていた。
ガルドの表情が凍りつき、ルーカスも息を飲んだ。
セバスティアンはゆっくりと微笑んだ。
「女仆長を巻き込むのは、感心しない。異類内部の因縁を、学院の場で暴発させるのも、感心しない。……二人はどう思う?」
アレクサンドル・ヴァルハラも駆けつけ、状況を見てすぐに間に入った。
「セバスティアン……君も来ていたか。ルーカス、ガルド、今日はこれで収めろ。」
セバスティアンは私の方を振り返り、優雅に手を差し伸べた。
「大丈夫か、リリアーナ。少し離れた方がいい。」
私はその手を取らずに一歩後退し、礼をした。
「……ありがとうございます、ヴァン・ノワール様。無事です。」
セバスティアンの視線が、私の胸元を一瞬捉えた気がした。
彼はそれ以上何も言わず、訓練場の出口に向かって歩き始めた。
ルーカスとガルドは互いに睨み合いながらも、渋々引き下がった。
私はその場に残り、静かに息を整えた。
異類内部の衝突は、思った以上に深刻になり始めていた。
吸血鬼と狼人の因縁が、血盟条約の下で抑え込まれていたものが、今、明確に表面化し始めている。
人間側の好奇心がそれをさらに煽っている今、学院の均衡は、以前より大きく揺らぎ始めていた。
(第12章 終わり)




