ヴェスト
西にある、帝国の街――ヴェスト。
緑実る大陸の端に作られた街を見上げて、シンシアは開いたままの口を慌てて閉じる。
芸術といっても差し支えない程の見事な石造りの城壁。
城壁の周囲には害獣避けなのか、木の杭が突き出すように飛び出ている。
ロークたちに続くように街の門をくぐる。
門を通り出るのは、広場。
人の往来を活気づかせる、大きな通り。
その広場の中心に、活気とは無縁の代物が備え付けられていた。
「…………あ、あれは?」
シンシアが尋ねる。
「あ、ああ……あれは、絞首台だよ」
見た目通りの情報しかロークには伝えられない。
彼自身も良しとしてはいないが、単身で帝国に逆らった所で出来ることは無い。
「この辺りで連れてこられた人は、刑罰と称して見せしめに首を吊るされるんだ」
ドアの枠のような形の上部に吊るされている、輪っかを作った縄。
縄の足元にある木板は、開閉可能になっている。
「…………ひどい」
彼女の呟きが、ガヤガヤと話し声ひしめく通りでは誰の耳にも届くことはなかった。
「……………………」
オズワルド以外は。
彼女の悲痛な呟きを耳に受け、心痛を和らげる方法を模索する。
あるには、ある。
だがそれは、シンシアの衣食住の安定した提供を更に遠のかせるものだ。
彼女の生活の平穏と心の平穏、どちらを取るべきか。
「………………いいんです、大丈夫です」
オズワルドの心中を察したのか、いつの間にかシンシアはオズワルドを見上げていた。
曇りのない藍色の瞳をじっとオズワルドに注ぎ、小さく首を振る。
王がそう言うならば、彼が何をすることもない。
雑踏の間を抜けていき、ロークの後ろをついていく。
通りでは、人の呼ぶ声が辺りをひしめき合う。
様々な商店が、客を呼び入れようと声を上げ続けている。
二人が一見して思ったのは、店主に余裕がないこと。
誰も彼もが、必死の形相で客寄せを繰り返す。
「……売って、お金を稼がないと税が払えないからね。街の中で店を持つと、その分税も高くなるから」
「なのに、街の中で店を構えるんですか?
「むしろ街の外で商売をすることは禁じられているんだ。完全に管理下に置くことで、金の流れを支配しようとしているんだと思う」
過去に、隠れて街の外で野菜や果物を売った者がいた。
何処からか帝国の耳に入ったその密売は、すぐさま突き止められ、捕縛。
連帯責任として親族含め全員が絞首台送りにされた。
故に、現在の帝国民に歯向かう為の反骨心は限りなく残されていない。
「ついたよ、ここだ」
立派な門構えの、大きな建物。
「ここは?」
「ここは、ギルドだ。様々な依頼が入り込み、登録している人に斡旋する派遣所」
ロークは他四人と別れ、彼一人になる。
扉を開き、シンシアとオズワルドを招き入れた。
中は広い。
一階部分は大きなホールとなっており、奥に受付らしきカウンター。
その横には掲示板が備え付けられ、様々な張り紙。
人がごった返している所を見るに、そこが依頼の掲示をしているのだろう。
隅には丸椅子と丸テーブルが幾つか並べられ、パーティーらしき人物たちがテーブルを囲んで作戦を立てている。
二階に続く階段は見受けられるが、職員と思しき人間が忙しなく走り回っている。
そこは職員の事務作業場のようだ。
「ここは獣退治から、採取依頼、護衛依頼等色んな依頼が届けられる。ここなら、シンシアちゃんの人助けの一助になってくれるんじゃないかと思ってね」
「………………」
オズワルドは黙ってシンシアの後ろに立つ。
だが、それは帝国を助けるということにならないのか?
この言葉を頭に何度も浮かべながら、飲み込み続ける。
「まずは登録しよう、そしたら依頼を受けれるようになる」
受付カウンターを指差し、案内する。
二人はロークに促されるままカウンターまでついていく。
「いらっしゃ……あら、ロークさん。帰ってきてたんですね…………って……」
「ただいまホリィさん」
ホリィと呼ばれた女性は、目を見開いてオズワルドを見上げる。
彼女は椅子に座っているため、立っているよりも余計に首が上へと傾く。
明るい栗色の髪は肩ほどに短く切り揃えられ、清廉なイメージを先行させる。
驚きに見開かれた黒色の瞳は、艶々と瞬き輝く。
「彼女たちの登録をしてほしいんだ」
「彼女たち……? って、あら。あらあら」
オズワルドを見上げるための首を、真っ直ぐ戻す。
そこには、オレンジ色の髪を結んだ見目麗しい少女の姿。
思わず感嘆の声が漏れた。
「可愛らしいお嬢さんね。登録するの?」
「は、はいっ! お願いしますっ!」
珍しく緊張している様子のシンシア。
声は上ずり、体は固まっていた。
「ふふ……それで、名前は何ていうのかしら?」
ギルドでは珍しい、年若き女性。
建物内の注目を一身に浴びているシンシアとオズワルド。
オズワルドは気にしていなかったが、シンシアはそうもいかない。
これだけ人に見られることがあまりない彼女は、極度の緊張状態に陥っていた。
「し、し、シンシアですっ! よろしくお願いしますっ!」
ガバッとお辞儀。
その際に、カウンターに頭をぶつけてしまう。
「…………いったぁ」
ギルド内から沸き上がる笑い声。
それは嘲笑なのか、可愛らしさから起こる笑い声か。
シンシアには判断できず、ただただ顔を赤く染めて俯いた。
「シンシアちゃんね………………それで」
ホリィは見上げる。
先程から一言も発しない、異様な黒騎士を。
「…………貴方は?」
「オズワルドだ」
ようやく聞こえた声。割と低いが、若さも感じられる。
「貴方と、シンシアちゃんの二人で登録するってことで、良い…………のでしょうか?」
怪しい雰囲気から、気丈な態度を崩さず接してきたホリィだったが、空気に負けて最後には敬語になってしまった。
「ああ、頼む」
「シンシアちゃん……彼の奴隷とかじゃないわよね?」
ロークとシンシアにだけ聞こえるように、小さく耳打ち。
だが二人とも揃えて首を振った、何度も何度も。
「違いますよ! オズさんは、仲間です!」
「そうだよ。オズワルドさんはシンシアちゃんをとても大事にしているから」
「……なら、いいんだけど」
怪しさから来る疑念は、簡単に振り払うことは出来ない。
訝しげにオズワルドを見上げるホリィは、しかしそれでも登録手続きを済ませていく。
「二人で一緒に組むのよね? 組んだ際のパーティー名とか、あるのかしら?」
「名前、ですか……?」
シンシアはオズワルドを見上げる。
オズワルドは黙したまま、シンシアを見下ろす。
全て自由にして良いのです。
無言の中に、そんな意思を汲まれていた気がした。
「じゃあ…………ベルガルで」
「ベルガルね」
「……シンシア様?」
「…………様?」
本当にそれで良いのだろうか。
あれだけ王であることを否定してきた彼女が。
実を言えば、シンシアはまだ自分が王であることを認めてはいない。
しかし今、自分とオズワルドを繋ぐ糸は、ベルガル王国という千年前の古い糸一本だけ。
古くも強固なその一本を、更に強固なものにしたい。
彼女の願いが込められた名称だった。
そしてオズワルドから発せられた敬称をつけて呼んだシンシアの名前に、ホリィは疑念を抱くが。
「まあ、いいか……えーと、シンシアと、オズワルド両名で組んだ、ベルガルってパーティー。それで良いのかしら?」
「はい、お願いします!」
元気よく返事するシンシア。
だが、周りからは野次が飛ぶ。
「いいのかよ、あんなに小さいのに」
「おーい、大丈夫か? そんなちっこいのに何が出来るんだ?」
「金持ちの家でメイドをしてる方が様になってそうだぜ」
「なんなら、俺のメイドになってくれてもいいんだがな。ガハハハハ!!」
最後の一言がオズワルドの耳に届く。
声の方向を、腕を組んだまま見る。
「な、なんだよ…………」
男の群れ。
その中の誰が言ったかまでは分からない。
が、異様な雰囲気を纏うオズワルドに睨まれたような気がして、たじろぐ男たち。
「………………」
オズワルドは視線を外す。
相手にする必要はない。
下卑た男の野次など無視すれば良い。
そういった意図から視線を外したのだが。
男たちは、舐められていると感じ取った。
「じゃあ、まずは薬草である野草を採取してきてもらおうかな?」
カウンターの下から木の皮で出来たカゴを取り出し、一枚の紙も一緒に渡す。
紙には野草の特徴が描かれていた。
その草にオズワルドは見覚えがある。
かつて、最初の村で出会った少女から教えられた滋養強壮に効くと聞かされた薬草のそれであった。
「はい、わかりました」
にっこりと笑顔でカゴと紙を受け取ったシンシアは、その場を去ろうとするが。
「おい、お前」
オズワルドが、先ほど視線を送った男たちによって、足止めされる。
だが。
「行きましょうシンシア様」
無視して横をすり抜けていく。
「待てって……言ってんだろうが!」
オズワルドの肩を掴もうとした男だったが。
唐突に振り向いたオズワルドに腕を捕まれ。
「どぅおわぁっ!?」
投げられる。
地面に叩きつけられ、一瞬息が出来なくなる。
「ぐはっ!?」
殺生をするわけにはいかない、と。
頭を打たないように気を付けながら、背中を叩きつけた。
「て、てめえっ!!」
「みんな、やめたほうがいいよ……」
ロークが力なく助け舟を出すが、聞き入れる者は一人としていない。
帝国の兵士としても、ギルドに所属する粗暴な者たちには辟易していたのだ。
他力本願の意趣返しも兼ねて、しかし一応最低限引き止める声明は出しておこう。
「ホリィさん」
「え、あ、はいっ!?」
オズワルドに声をかけられると思っていなかった彼女は、驚きから上ずった声を出す。
「恐らく私闘は禁じられていると思うのだが、こういった場合は反撃しても致し方ないのだろうか?」
「え、ええ……そうですね。自身や味方の身を守るためなら」
「ありがとう。……ここは迷惑がかかるな、外に出ようか」
余裕綽々なオズワルドの様子に、更に神経を逆なでされる男たち。
「ローク、シンシア様を頼んだ」
「うん……程々にね」
一度鉄拳制裁を食らっている身。
人数の差はあれど、どちらが勝つかは見るまでもなく分かっていた。
………………。
…………。
表に出た後、勝負は一瞬だった。
十数人の男に囲まれたオズワルドだったが、次々と殴り倒し、投げ飛ばし。
あっという間に全員のされてしまった。
「な、なんなんだよお前……」
「なんだって……聞いてなかったのか?」
足元で呻く男たちに向かって、オズワルドは腕を組んで言い放つ。
「ベルガルのオズワルドだ。これから共にギルドに所属する仲だ、よろしくな」
「す、すごい…………」
ロークとホリィ、シンシアは離れた所から見ていた。
ロークの想像通り、勝つのは想定内。
シンシアも負けると思って見ていなかった。
だが、オズワルドの実力を知らないホリィだけは、驚いていた。
「凄いですよね、オズさんは」
仲間を褒められ、まんざらでもないシンシア。
少し胸を張り、得意げだった。
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