17.もう一人の魔術師
「これは一体どういうことだい!?」
とても個人に与えられた一室とは思えない程広い空間に怒りを含んだ声が響く。その当人は癖のある明るいオレンジ色の髪を靡かせて執務机を勢いよく叩いた。
「落ち着け、レオ」
「これが落ち着いていられるか! 僕のかわいい子猫ちゃんがどこかのバカの手で害されたんだぞ!!」
レオと呼ばれたその男は憤懣やるかたないと言った様子で更に声を上げる。だが、先ほど「落ち着け」と言った執務机の主も、そんな二人の様子を応接用ソファに座ったまま眺めている神官服の男にもそんな彼の態度に驚く様子はない。
はぁ、とこれ見よがしに溜め息をついたのは神官服の男だった。
「神獣を子猫ちゃん呼ばわりとは……。貴方も十分馬鹿だと思いますが」
「子猫がダメなら小鳥でもいい!!」
「馬鹿に人間の言葉は理解できないようですね」
勢いよく振り向いたかと思えば訳の分からない理屈を力説するレオに、神官は冷たい言葉を返す。二度目の溜息をついたのは執務机に着いた金髪の男だった。
「お前もその辺にしておけ、ランスロット。話がちっとも前に進まない」
「失礼しました、陛下」
神官服の男――ランスロットは一度軽く肩を竦め、ワザとらしく深々と頭を下げた。だが言葉通りレオへの軽口を反省した訳ではないだろう。それが分かるくらいには彼らの付き合いは長い。
暮れの陽に染まる部屋に集まったのは、国主専用の執務室の主であるクレイアドア国王ルドワルド、王宮魔術師レオ、大神殿の枢機卿ランスロットの三名。神殿からの報告を受け、ルドワルドがランスロットを呼び出したのだが、そこに乱入してきたレオを加えてこの顔ぶれとなっている。かつてルドワルドがまだ王太子だった頃、魔王討伐のために共に戦った面々だ。あれから十年。それぞれの地位も変化したが、身分に対する遠慮など今更ない。
「それで? 例の娘はどうなんだ?」
「あり得ません」
ルドワルドが問えば、真っ先に口を開いたのはランスロットだった。はっきりと断定した彼の回答にルドワルドは意外そうに片眉を上げる。
「何故そう言い切れる」
「彼女を疑えば、ますますグリフォンの心はこの国から離れるでしょう」
「それ程か……」
「はい」
神官長の名で緊急の知らせがルドワルドの下に来たのは本日の昼過ぎだった。この国の聖獣として神殿が管理しているグリフォンの容態がおかしいと。幸い該当するのは一体だけで流行病の可能性は低いとのことだが、そもそもグリフォンは生態系の頂点に立つとも言われる魔獣。病に罹患するなど過去にも聞いたことのない話だ。外傷もなく病でもない。ならば最も可能性が高いのは人為的な工作だった。
現在春の式典に向けてグリフォンの下には神官以外の人間が近づける状態にある。無論それは国に認められた者達ばかりだが、一人だけ例外がいるとの報告は前々から受けていた。精霊を見ることの出来る可視者と認定された為、神殿に逗留している人間だ。可視者を神殿で受け入れるかどうか、最終的な判断は神官長が行う。その可視者に問題があれば神官長を呼び出すべきだが、今回は元々ランスロットが連れてきた人物であると事前に聞いていたので彼を招集していた。
「ナツキ、と言ったか。彼女は何者だ?」
「さて。森番をしている独身女性としか」
何も知らないとばかりに淡々と答えるランスロットにますます疑問が募る。ルドワルドの知るランスロットは慎重で疑い深く、簡単に人を懐に入れるような人間ではない。それだけに国家を揺るがす問題の渦中にある人物をよく調べもせずに神殿に置いているとは考えにくい。
「ただの森番がシリフェイス・ルーローに保護され、おまけにグリフォンに好かれていると?」
最もルドワルドが気になっているのはそこだった。グリフォンはかつて魔物がこの世界を蹂躙した際共闘した種族だ。人間が彼らの生活域を侵さなければ敵対することなどない比較的友好的な魔獣だが、それでも彼らがただ好んで人間に近づくなど滅多にない。上位精霊にしても同様だ。そんな彼らに好かれていると言うのだから、どんな人物かと思えばランスロットから返ってきたのは素っ気ない言葉だけだった。
「仰る通りです」
彼の表情を注意深く観察していたルドワルドは悟った。たとえ国王相手であってもこの神官の口からこれ以上の言葉は出てこないだろう、と。何より彼は頑固なのだ。それは十年前からよく分かっていた。
「そうか。では……」
「おーっともう一つあるだろ?」
ランスロットを下がらせようとした時、レオがその言葉を遮った。怪訝そうにランスロットはそちらに首を巡らせる。
「もう一つ?」
「おまけに彼女は勇者の連れだ」
(こいつ……)
あえてルドワルドが触れなかったことに気づいているだろうに、意地悪くレオが口の端を持ち上げる。みるみる内にランスロットの眉間に皺が寄った。もはや見慣れた表情だが、かと言って積極的に見たいものではない。どうしてこの男は嬉々として相手の地雷を踏み抜くのか。ルドワルドは頭痛を堪えるようにこめかみに手を当てた。
「タクトは関係ありません。彼女を連れ出したのは私です」
「なら枢機卿の連れ? どちらにせよ大物だ」
レオはまるで舞台俳優のように大げさに手を振った。ランスロットから心底鬱陶しいと言わんばかりの視線を浴びせられてもどこ吹く風。
「何が言いたいのです」
「べっつにー。ただ僕も興味が出ちゃったなぁ」
興味というのはこの一件ではなく、彼女に対してだろう。その一言に面倒ごとの予感がして、ルドワルドは思わず口を挟んだ。
「レオ、彼女は一般人だ」
「それはこの国での身分の話だろ? ただモノじゃないって、あんたも思っているからランスにさっきの質問をしたんだろう?」
レオの言っていることは正しい。かと言ってこのまま彼の要望を聞くわけにもいかない。旧知の仲だと言ってもこの自由な男が何をしでかすか、ルドワルドにも分からないのだ。
「彼女を調べるのは他の者を用意する」
「だーかーらー。僕は会ってみたいだけだって。尋問する気なんてサラサラないよ」
「どうだか……」
敵意はないとばかりに両手を上げるが、その笑みがなんとも胡散臭い。同じことを思ったのか、ランスロットが溜息と共に呟いた言葉にはルドワルドも同意したい所だ。
「ただの一般人の顔を見るぐらい何の問題もないだろ? 王様」
「お前はそれだけじゃ済まないから言っているんだ。大体どうやって……」
「旧友に会いに行くぐらい良いだろう。ついでにタクトと同じ部屋にいる彼女と顔を合わせたって不自然じゃない」
だから何故お前は自分から地雷を踏み行くんだ! そう言いたいのを堪えてランスロットの方をちらりと伺えば、案の定美貌の神官は絶対零度の視線をレオに向けていた。
「おーおー。そんな顔で睨まないでよ、怖いなぁ。大体君もいけないんだよ? ランス」
「何の話です?」
「君みたいな冷血漢が庇うんだ。余程彼女に何かあると思うじゃないか」
「誰が誰を庇っていると言うのです。私はただありのままを述べただけですよ」
いくらカマをかけてもランスロットの表情は崩れない。けれどそれで諦めるレオではない。
「ふーん。ありのまま、ねぇ。ま、いいけど? タクトに関して君が頑固なのは百も承知だ。けど、君も僕がグリフォンに関して譲らないのは良く知っているだろう?」
「…………」
「僕達は互いに長い付き合いなんだからね」
彼の言う通り、レオは先の戦い以来グリフォンをいたく気に入っていた。一体何が彼の琴線に触れたのかは分からないが、人間よりもグリフォンの方が大事だと言わんばかりに気にかけている。魔王との戦い後、彼が城に残ったのはグリフォンを守る為だと言っても過言ではない。
それじゃあ、バイバイ。そう軽く手を振り男は消える。文字通り、先程まで立っていた場所から煙のように消えた。呼吸をするように魔術を使いこなすレオは、魔術師としては優秀なのだが、何せあの性格だ。縛れるのを嫌い、権力など知らぬとばかりに自由に振舞う。彼は今国の機関に属してはいるが、それもグリフォンの事とルドワルドとの付き合いがあってのことだろう。でなければ今頃国を出ていてもおかしくはない。
先程までレオが居た場所を見ながら、ルドワルドは深い溜息をついた。
「レオが無茶する前にどうにかしなければな」
例の彼女をレオがどうするのか、ルドワルドには想像もつかない。
「まったくあの男は昔から……。なんです?」
「いや、お前がそれを言うのかと思ってね」
「…………」
ランスロットの冷えた目が今度はルドワルドに向けられる。国王に向けるものではないだろうに、レオにしてもランスロットにしても全く遠慮がない。
「そう睨むな。レオじゃないが、お前のその目は針で刺されるように痛い」
「針ぐらいなら可愛いものでしょう。それで? 犯人の目星はついているのですか?」
「まいったな。俺も同じことを聞こうと思っていたのだが」
二人の間の空気が変わる。彼女のことは気にはなるが、ランスロットが違うと言うのならばそれが正しいのだろうとルドワルドは早々に結論付けていた。昔からの付き合いを抜きにしてもランスロットに対する信頼度は高い。ならば犯人はグリフォンの世話をしている乙女達、つまり貴族の子女に絞られる。
「貴族の間では大した動きはない。そちらも同じか?」
「えぇ……」
「これは、思ったよりも厄介かもな」
「どういう意味です?」
「長年姿を消していた勇者が戻って来た途端の事件だ。タクトに関連が有ろうと無かろうと、一部の人間はそれを疑う」
ランスロットの表情が厳しいものに変わる。先程までの冷たい、とは全く違う。まるで目の前に魔物がいるかのようだ。
「タクトに注目が集まるのは困ります」
「勿論だ。それはレオも同じだろう」
「どうだか……」
「そう言うな。お前との相性は最悪だろうが、あれもまたタクトを好いている」
「…………」
ふとランスロットにしては珍しく目を逸らした。ルドワルドの言葉を彼もよく理解しているからだろう。
「静かに過ごして欲しいのは皆同じさ」
その言葉を最後に、ランスロットは一礼して執務室を後にした。扉が閉まる音を聞きながら、ルドワルドは誰もいない空間でぽつりと零した。
「幸せになってほしいのもな……」
***
ローストチキンにミートローフ、豆サラダ、籠いっぱいのクロワッサン、デザートにはミックスベリーのパイまである。食卓に並んだいつもより豪勢な料理に、ナツキの胃も刺激されたのか空腹感を訴えてくる。お客様の前でお腹が鳴るのは恥ずかしいので、お茶を飲んでなんとか誤魔化すしかない。
「それにしてもタクトは遅いなぁ。もう日が暮れるじゃないか。せっかくの僕が用意した料理が冷めちゃうよ」
そう言って口を尖らせているのは、癖のあるオレンジ色の髪に、長いローブを羽織った男性だった。タクトと同じか少し下ぐらいの年齢だろう。しゃべり方は初対面の相手の前だとは思えない程気安い。
「いつもはもう少し早いんですけど……」
「仕方ないなぁ。五時までは待ってあげよう」
そう言って、ソファの上で踏ん反り返る。その言動や態度はどこか幼い。
今日の講義が途中で打ち切られ、菜月は本を借りて部屋で自習していた。陽が暮れてきて、さて今日の夕飯はどうしようかと思っていた時に現れたのがレオと名乗るこの男性だった。彼はタクトの友人らしく、夕飯時にお邪魔するのだからと両手いっぱいの料理を持って訪ねてきたのだ。見知らぬ男性を部屋に入れて良いものか一瞬迷ったのだけれど、沢山の料理を抱えたまま部屋の前で立たせておくわけにもいかず、中に通して今に至る。
「?」
ふと彼の向かいに座った菜月の膝に、かすかな重みを感じて視線を下げる。するといつの間に部屋の中にいたのか、きれいな灰色の猫が菜月の太ももの上に乗りあげようとしている所だった。菜月の視線に逃げる様子もなく、灰色猫は床からぴょんと膝にのる。そしてあっという間に丸まってしまった。
「……あの、この猫は、レオさんの?」
「あぁ。僕の連れだよ」
「触っても?」
「どうぞ」
恐る恐る丸まった背中に触れる。ふわふわとした毛の感触が手のひらに伝わってきてとても気持ちが良い。大きさは成猫だが、不思議とあまり重さを感じない。
「人懐っこいんですね」
「僕も、こんなに早く人に懐くのは初めて見たよ」
「え?」
「君が精霊に好かれるというのは本当のようだねぇ」
「精霊……、この猫が……?」
「そうさ」
驚き、膝の上の猫をマジマジと見る菜月にレオは好感を持っていた。ランスロットのように疑い深い訳ではないが、そもそもレオは人間がそれほど好きではない。特に女はいちいち大きな声を上げるから嫌いだ。けれど菜月の態度は最初から変わらない。知らない男が行き成り現れても、華やかな美形だと騒がれるレオの顔を見ても、そして膝の上の灰色猫が精霊だと知っても。むしろ寝ている猫の邪魔をしないようにと声を抑えてさえいる。何より精霊が彼女を好んでいた。人の、魂の本質を見抜く精霊が。それは王宮や貴族の中で嘘偽りを多く目にしてきたレオにとって何より信頼できる証だった。
そんな評価をされているとは知らず、菜月は灰色猫の毛並みを堪能していた。グリフォンの羽毛とはまた違う、指通りの良いサラサラとした手触り。猫は犬と違って構われ過ぎるのを好まない。ほどほどにしようと思いつつも、中々その手は止まらなかった。




