15.気高き魔獣
気を取り直し、菜月は目線を草原に戻した。
「あのグリフォン達は神殿で飼育しているということですか?」
「いいえ。グリフォンは決して人の下につく生物ではありません。知能が高く、気高いからこそ神獣として選ばれているのです」
思わず隣にぴったりとくっついているグリフォンの目を見る。知能が高いというのは何となく分かる気がするが、家猫のようにすり寄ってくる姿を見ていると気高いとは程遠い気がする。
「では、彼女たちは何の世話を?」
「滞りなく儀式を行うためには、我々国民とグリフォンとの意思疎通を事前に図る必要があります。その為に儀式を行う三月前からこの草原にグリフォンが山から下りてきているのです」
世話と言うとどうしても餌や排泄物の処理を思い浮かべてしまうが、主な目的は儀式までに人に慣れさせることらしい。しかしランスロットの言い方では、まるでグリフォンと事前に打ち合わせをしたかのようだ。菜月にグリフォンの声が聞こえたように、もし会話が出来るのならそれも可能なのだろうけど。
「あの……、グリフォンは精霊のように言葉が交わせるのですか?」
「いえ。そのような話は聞いたことがありません。知能が高いと言ってもあくまで魔獣ですから」
(言葉を交わせない……?)
けれど確かに菜月には彼の声が聞こえていた。あれは一体何なんだったのだろう。
「魔獣っていうのは、魔物とは違いますよね?」
「かつては混同されていこともあったのですが正確には全く違います。魔獣とは魔力を持った動物の事。エルフは精霊と人間の中間の存在ですが、魔獣もそれと同様に精霊と動物の中間の存在です」
「そうなんですね。でも言葉を交わせないのなら、どうやってグリフォンに儀式のことを伝えたのですか?」
まさか山に入って地道にグリフォンを探し回って捕獲したわけではあるまい。菜月から見えるグリフォンは鎖に繋がれている訳でもなく、草原の敷地外へ一頭出てしまったことから考えても儀式までここに拘束しているわけではない筈だ。しかしそれならグリフォンをここに留める方法がある筈である。
「精霊を介して彼らに協力を仰いだのです」
「あ、そうか」
人と魔獣が直接言葉を交わせなくても、人間は精霊と言葉を使って意思疎通ができる。それは魔獣と精霊間でも同じという訳だ。
「元々五十年前までは定期的に儀式を行っていましたから、その時に参加していたグリフォンも山にはいます。今ここにきているグリフォンはその世代の子供達です」
「子供! こんなに大きいのに?」
「まだ幼獣ですね。成体になればこの三倍から五倍に成長します」
理解ある親の子供達という訳か。けれど今でも十分大きいのに、これの五倍も成長してしまったらアフリカゾウぐらいになってしまう。先程のように頭をぐりぐりされたら倒れてしまうだけでは済まなそうだ。
「なら神官さん達がグリフォンに近づこうとしないのは悪戯に刺激しない為ですか?」
菜月は神殿前に並んだ神官達を見る。彼らは菜月が叫んだ時に集まって来た神官と同様、遠巻きにするだけで決して近づこうとはしていない。
「それもありますが、彼らはグリフォンに触れることを禁じられています。実際儀式に参加できるのも今直接グリフォンを世話している少女だけですから」
「世話ができる人に条件があるのですか?」
「そうです。女性であること、未婚であること、狩猟・精肉業に従事していなことが必要になります」
未婚女性だけなんて、まるで神様に生贄や花嫁を捧げる童話の様な話だ。
「因みに、その三つが必要なのは何故ですか?」
「要は血の匂いが無いことが重要なのです。グリフォンは肉食ですから。血の匂いが濃ければ本能を刺激されて世話係を襲う恐れがあります」
精肉業に就いていない、という条件はそこから来ているのだろう。もしかして未婚女性に限定しているのは出産が出血を連想させるからかもしれない。
「女性である必要は?」
「古来より狩りは男の仕事でしたから。まぁ、今では儀式に花を添えるという意味合いが強くなっていますね」
「あぁ、納得です」
だから見目の良い若い女性が集められているのだろう。儀式へ参加した女性は縁起が良いと婚姻の申し込みが殺到するらしく、人気職だそうだ。国の代表として選ばれるようなものだから当然だ。色々な根回しがされ、結果的に貴族の子女ばかりになってしまうらしい。神聖な儀式だと言うのにその辺りは生々しい話だな、と菜月は苦笑する。
「彼女達は世話係に決まった時から肉魚類の食事は一切禁止になります。グリフォンの世話の前には必ず禊を行い、血肉の匂いから遠ざけるのです」
「へぇ、それは大変ですね……」
今は真冬。禊はともかく春の儀式まで約二ヶ月間野菜だけの食事で我慢しなければならないとなれば、生来のベジタリアンでなければ辛い筈だ。
「そこまでしても、グリフォンが人に懐くことはほぼないのですがね」
「え?」
えーとそれはつまり、この状況が異常だと暗に言っているのですよね?
嫌な方向に話が流れたな、と菜月はランスロットから目線を反らした。
「ナツキさん。もう一度聞きますが、貴方一体何をしたのです?」
「い、いえ……、もう一度言いますけど、特に何も……」
(これは……、やっぱりグリフォンの声が聞こえたことは言わない方が良さそうだな)
突き刺さるようなランスロットの目線が痛い。だが言葉が分かることも含めてどちらにせよ菜月にも理由は分からないのだから、ここはシラを切るしかない。
お互いに無言が続いたが、しばらくして諦めたのか、ランスロットは長いため息をついた。
「……分りました。とりあえず彼女達の下へオルオ様を返してきてください」
「あの……、先程の神官さんも言ってましたけど、オルオ様っていうのはこの子の名前ですか?」
「えぇ、そうです。ここにいる全てのグリフォンには名前があります」
「それは人が名付けたのですか?それとも精霊から?」
「精霊を介して名を知るのです。さぁ、私はこれ以上近づけませんから。菜月さんが一人であちらへ移動すれば、オルオ様も兄弟達の下へ戻るでしょう」
そんな雑な……。だが賢明にも口には出さずに彼女達の所へゆっくりと歩く。オルオはべったりと菜月にくっついて歩いているので、ちゃんとついて来ているか振り返る必要がないのは助かるけれど、周囲からの視線が突き刺さって仕方がない。やがてこちらに気づいた少女達が振り返る。その表情はやはりというか何というか驚きの一色に染まっていた。
よく見れば、彼女たちもグリフォン達には無暗に近づけないようで、五メートル程の距離を保って立っていた。ランスロットが言っていた通り、菜月にべったりなこの状況はかなり珍しいらしい。
一人一人の顔がはっきり区別できるほどの距離まで近づくと、五人いる少女の中の一人が困惑顔で話しかけてきた。金色の巻き毛と長いまつ毛に縁どられた青紫の瞳。この大役に選ばれるまで動物の世話などしたことは無いのだろう。その腕は白くて細い。エプロンをつけた服装こそ華美ではないけれど、その佇まいや言葉遣いから身分の高い人なのだと察することが出来る。
「あの、失礼ですが貴方は……?」
「私は、今神殿でお世話になっています。菜月と申します」
「貴方も儀式に参加なさるのですか?」
少女の目が鋭いものに変わる。ランスロットとは違う、ギラギラとした感情を宿した目だ。
「いいえ! たまたまこのグリフォ……、いやオルオ様?を中庭で見つけまして、こちらにお戻しするようランスロットさんに言われてきただけです」
「ランスロット枢機卿に……、そうでしたか」
誤解を受けているようなので慌てて説明するけれど、彼女達の表情は硬くなる一方だ。ここにいるグリフォンは全部で五匹。世話係は一匹につき一人とランスロットが言っていたから、もしここでグリフォンの世話係が一人増えたとなれば自分達が落とされるかもしれないのだ。彼女たちの反応は当然だった。
これ以上言葉を尽くしても神官でもない菜月では徒労に終わるだけだろう。そう判断してさっさと役目を終えようと大きな木の木陰で一塊になっている四匹のグリフォン達の方へ向かう。少女達の横を通り過ぎようとした時、一人が慌てて私に声をかけようとしたが、別の一人がそれを手で制したのが見えた。前者はこれ以上近づけば危ないと忠告するつもりだったのだろう。後者は私の出方を窺うつもりなのか、それとも万が一私が危険な目に合えば候補が一人減ると考えたのか。
グリフォンは危険な魔獣だと言うランスロットの説明、そして彼女たちの態度。様々なことが頭をよぎるが、それでも菜月は足を止めなかった。最初に出会ったグリフォンがオルオだったせいなのか、グリフォンを恐ろしいとは今でも思えない。
あと一メートルまで近づいた所で中心にいたグリフォンが顔を上げた。金色の意志の強い瞳と目が合う。姿形はオルオとそっくりだと言うのに、一目見た瞬間に美しい獣だとそう思った。
『アナタ、ニンゲン?』
(あ……。やっぱり聞こえる)
品定めするようにその目が眇められる。すぐにでも言葉を返したいけれど、そうすれば彼女達にグリフォンと会話できることがバレてしまう。菜月は逡巡した後、小さく頷いて見せた。そしてその場で両膝をつく。人が神獣に対峙する時どうするのが正式な振る舞いなのかを知らないので、取りあえず彼らよりも頭を低い位置にすることでその場を凌ぐことにした。
「私はナツキと申します。貴方がたのご兄弟をお連れしました」
合図をするようにオルオの顔を見上げる。それに気づいたオルオだったが、その意図までは汲めなかったのかその場を動く様子はない。無理やり引っ張って行くことは出来ないし、どうしようかと考えあぐねていた時、再びグリフォンから声がかかった。
『ナツキ、コチラヘ』
「…………」
一瞬躊躇したが、他に良い案も浮かばない。仕方なくゆっくりと立ち上がり、更にグリフォン達へ近づく。少女たちの方から息をのむ声が聞こえた。ランスロットを含め離れた場所に居る神官達からも痛いほどの視線を背に感じる。
手を伸ばせば触れることのできる距離まで近づくと、ぐるりと周囲を五匹のグリフォンに囲まれてしまった。
『ワタシはアリィ。兄弟達の姉よ。オルオが世話になったわね』
あ、なるほど。やはり彼女がグリフォン達の中心であったらしい。
『向かって右がマイラ、左がリリ、後ろに居るのがヌイよ』
「…………」
『今アナタの声はニンゲン達には届かないわ』
「え?」
『だからアナタの思う通りに話せば良い』
「あ、ありがとうございます」
菜月の考えは全てお見通しだったらしい。恐らく聞こえないというのは単に距離が離れているから、という理由だけではないのだろう。菜月ではその理由まで察することはできないけれど恐縮してお礼を言えば、まるで猫のようにニッとその目が細くなった。
「でも、どうして私をここまで傍に置いてくれたんですか? 他の人達はあまり近づけないのでしょう?」
『アナタ、良い匂いがするから』
――ナツキ
――え?
――良い匂いする
連鎖反応のように思い出したのは昨日のマオとの会話。
「あの、それって……」
「ナツキさん」
はっとして振り返れば、あと数歩の所までランスロットが近づいてきていた。その表情が硬い。どうやらグリフォンに囲まれたことで、大分心配をかけてしまったようだ。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい! 大丈夫です!」
『ザンネン。今日はここまでね』
『え――!! もっとナツキと遊びたい!』
『オルオばっかりずるいよ! ボクもボクも!』
「わわっ!」
両側から頭ぐりぐり攻撃をされる。その仕草は可愛らしいのだけれど、相手は自分よりも大きな魔獣。囲まれたこの状況では避け切れないし、流石に苦しい。
『おやめなさい。ナツキ、行っていいですよ』
本当に? アリィを見返せば、楽しそうな視線が返ってくる。
『えぇ。それにあのオスは厄介ですから。あまり関わらない方が賢明です』
あのオスって、……ランスロットさんのこと?
それ以上は深く聞くことが出来ず、ランスロットに聞こえない様声には出さずに礼をする。それでも渋るオルオには軽く手を振ってグリフォンの輪から出た。
ランスロットの表情はやはり硬い。彼が何を言いたいのかは分かっているけれど、その疑問に対する答えは持っていないのでお願いだから追求しないでほしい。
「すいません。オルオ様を誘導するだけのつもりだったんですけど……」
「いえ。仕方がありません。怪我はありませんか?」
「はい。大丈夫です」
「それは良かった。……少し目立ちすぎましたね」
「え?」
ランスロットの視線の先を追えばそこにはあの少女達の姿があった。その表情を見れば、困惑している者半分、菜月を警戒している者半分と言った所だ。
「戻りましょう」
「あ、はい」
足早に神殿へと戻るランスロットを追いかける。最後にもう一度だけ後ろを振り返り、こちらを見ているグリフォン達に小さく手を振った。




