14.迷子と声の主
午前の講義が終わってお昼休み。今日は雲一つない晴天だ。陽の当たる暖かい場所に木製のベンチを見つけて菜月は腰を下ろした。中庭に面したガラス張りのこのテラスは神殿を訪れた人なら誰でも使用できる休憩スペースになっている。
用意された包みを開くとサンドウィッチが四つ並んでいた。主な具材はポテトにレタス、トマト、卵。流石に食事での贅沢は期待できないけれど、ここで出される野菜は新鮮だし、何よりパンが美味しい。ランスロットの話ではここでパンを焼いているらしく、一日二回厨房のある東棟から良い匂いが漂ってくる。
うっすらと残った雪が太陽の光を浴びてキラキラ光る。その下には冬とは思えないほど青々とした背の低い常緑樹。森の中とは違う景色を眺めながら昼食を食べ終えた時、幼い少年のような声がした。
「……ドコ?」
未成年は居ないと聞いたばかりだと言うのに、確かに聞こえてきたのは子供の声。どこから聞こえてきたのだろうか。窓辺へ行ってみるけれど、どこにも人影は無い。
「ドコイッター?」
今度ははっきりと聞こえた。やはり外からだ。何かを探している様子だけれど、もしかして迷子になってしまったのではないだろうか。心配になって中庭へ出る。ざっと周囲を見渡すば、そこから十メートル程離れた大木の下、背の低い生垣が揺れていた。
「誰かいるの?」
返事は無い。そっと近づくと何かが飛び出してきた。
「わっ!」
小さくて茶色いものがあっという間に駆けて行く。サッサッサッと軽い足音。後姿を目で追えば、それが走った軌跡が雪の上に残っていた。
「なんだ。ウサギか……」
驚かされて早くなった鼓動に苦笑する。先程の声はまた勘違いだったのだろうか。
(戻ろう。外は眩しいな……)
真っ白な雪が照り返した陽の光に目を細めた時、さっと影が差した。太陽に雲がかかったのだろうか。反射的に空を仰げば、そこに太陽は無い。
「え……?」
視界を覆うのは黒い黒い塊。後から考えれば黒いのは逆光のせいだと分かったのだけれど、その瞬間は真っ黒で大きな岩が飛んできたように見えた。頭で考えるよりも先に体が後ろへ下がるが、雪に足を取られて尻餅をついてしまった。
「きゃっ!!!」
雪があるとは言え、ここは雪深い森の中とは違う。流石に倒れた衝撃を全て吸収できるほど厚くはなく、お尻が痛んだ。けれど硬く目をつぶった菜月を襲った痛みはそれだけ。大きな岩が落ちてきたような地響きも、下敷きになったような激痛もない。
「あれ……??」
恐る恐る瞼を開けた菜月の顔色が見る見るうちに青くなる。そして再び悲鳴を上げた。
国で一番大きなこの大神殿では神官も一般の者も含め沢山の人間が働いている。けれど秩序を重んじるこの場所では不用意に騒ぐ者も大きな声を上げる者もいない。子供がいないこともその要因の一つだろう。ほとんどが昼の休憩を取るこの時間帯でもそれは変わらない。だが、そんな静寂が常の大神殿ににつかわしくない声が響いた。
(悲鳴……?)
離れた場所からだが自室で昼食をとっていたランスロットの耳にもそれは確かに聞こえていた。不測の事態に備え、すぐに上着を羽織って部屋を出る。すると廊下を何名かの神官が速足で進んでいた。そちらに視線を飛ばせば警備の者も駆けつけているようだ。ランスロットは廊下にいた神官の一人に声をかけた。
「何があった?」
「分りません。女性の悲鳴のようなものが聞こえたとしか」
仕方がない。事実関係を確認しにランスロットも速足で廊下を進む。精霊たちが騒いでいないことを考えれば、最悪の事態でないことは確かの様だ。五分もしない内に神官達が集まっている現場に着く。そこは中庭の入口だった。
「何事だ」
「あ、ランスロット様。あの、あれをご覧ください」
年配の神官が示す先を見る。そこにはある意味信じられない光景が広がっていた。
「ナツキ……?」
「あ、ランスロットさん!! あの、これ、……何ですか?」
そこには珍しく取り乱したナツキと、馬ほどの大きさの体を持った動物が一頭雪にまみれていた。
『チッコイチッコイ!!』
「へ……?」
驚きのあまり何年振りかも分からないくらいの大声で叫んでしまった後、菜月は目の前の大きな何かが言葉をしゃべっていることに気が付いた。自分の顔なんか丸ごと銜えてしまえそうなほど大きな嘴。頭部が鷹のような色の羽毛に覆われているかと思えば、菜月の体を囲むように地面についた足や胴にはライオンのような体毛。そして大きな翼が一対背から生えていて、バサバサと落ち着きなく動いている。
猛獣にしか見えない容姿だが、声は少年のそれ。菜月が探していた声の主だ。
「あなた……」
「ナツキ……?」
「あ、ランスロットさん!!」
顔を上げれば中庭の入口には沢山の神官達がいた。いつの間に集まっていたのか、その後ろからランスロットが顔を出す。彼にしては珍しく困惑した表情をしている。
「あの、これ、……何ですか?」
目の前の大きな動物、自分を遠巻きしにしている神官達、現状の全てを指して『これ』と言ったのだが、ランスロットはそうは捉えなかったらしい。神官達の中から彼だけが菜月の傍にやって来た。
「お手を」
「ありが……、わわっ!!」
差し出された手を取って立ち上がろうとした時、菜月が離れるのを嫌がるようにその動物がお腹に頭をぐりぐりと押し付けて来た。大型犬が構って欲しい時の仕草に似ているが、相手は菜月よりも遥かに巨大な大型動物。その衝撃は大型犬とは比べるまでもない。当然掴もうとした手は空を切り、菜月は雪の上に背中を付けることになった。
「ちょ、ちょっと待って! ね、ちょっ、ランスロットさん!! 助けてください!」
「……無理ですね」
「え!!?」
「ナツキさん。あなた何をしたんです?」
何もしてないのに!! そう叫んだ時、再びランスロットの見たことのない顔が視界に入った。
「グリフォン……?」
大型犬もとい大型獣の興奮が落ち着いた頃、ようやく菜月はランスロットからその動物の名前を聞くことが出来た。因みにランスロットが現れてから既に十数分が経過しており、その間ランスロットはただ脇で見ているだけで何もしてくれなかった。おかげで菜月の顔は大きな舌で舐められてベタベタになり、服は毛だらけである。だが色々な不満もその名を聞いてふっとんだ。グリフォンという言葉は菜月にも覚えがあったのだ。
「え、と……、グリフォンって、あのグリフォンですよね? 国旗の」
グリフォンと言えばクレイアドア国の国旗に描かれている神獣のことだ。鷲の頭部と翼、獅子の胴と四肢を持ち、古くからこの国の守護神として国民に親しまれている。
「えぇ。そうです」
頭が真っ白になる、とはこの事だろう。上手く思考が働かない。神獣と言うからにはそれこそ神様のような想像上の生物だと思っていた。
ナツキが混乱している隙に、神官の一人がランスロットの傍に寄って来た。彼に気づいたランスロットが厳しい目を向ける。
「担当の娘はまだか?」
「も、申し訳ございません。オルオ様が逃げてしまったのは自分のせいだと泣くばかりで……」
一体何の話だ。口を出しそうになるが出来なかった。混乱していた思考が一気に冷静になるくらい、ランスロットの目が冷たかったからだ。
「……分かった。オルオ様は私が連れていく」
「し、しかしそれでは……」
「現状、他に方法があるとでも?」
「いえ……、申し訳ございません」
猫のようにゴロゴロと喉を鳴らしてすり寄る大きな生物のほのぼのとした光景とは裏腹に、目の前の神官達からはピリピリとした空気が流れている。やはり余計な口出しはしない方が良いらしい。
その後神官がランスロットと二言三言交わしてその場から離れると、遠巻きにしていた者達も神殿の中へと戻って行った。
「ナツキさん。怪我はありませんか?」
「はい、びっくりして大きな声を出してしまったんですけど、今はこの子も大人しいので……」
すっかりリラックスしているのか、グリフォンは地面の上にだらりと体を投げ出している。菜月から離れようとしないのは先程と変わりないが、思わずその頭を撫でてしまう程には菜月もその存在に慣れ始めていた。ランスロットや神官が近づいても逃げることも威嚇することも無い事を考えると人に慣れているのだろう。危害を加える様子もないので、今菜月にとってはこのグリフォンより絶対零度の空気を醸し出していたランスロットの方が余程恐ろしい。
「ナツキさん」
「あ、はい!」
「そのままで構いませんので聞いてください。まずは謝罪を」
そう言って、ランスロットが膝をついた。
「謝罪?」
その疑問に対して明確な言及はせず、ランスロットは話を進める。
「神殿内でこのような目に合せてしまって申し訳ございません。グリフォンを見たのは初めてですか?」
「はい……。あの、グリフォンって伝説上の生き物なんじゃ……」
「今あなたの隣にいるように、グリフォンは現存している魔獣の一種です。通常は人里に降りることはありませんので、一般国民の間では伝説と思っている者もいるようですね」
未だにぐりぐりと頭を押し付けてくる鷲頭を見る。大きさは馬と同じぐらいだろうか。全身にがっしりとした筋肉がついている分このグリフォンの方がより大きく見える。
「こんなに人懐こい生き物が、魔獣……」
「それについては誤解がありますね」
「誤解?」
「グリフォンは決して人懐こい生物ではありません。知能が高く、時に獰猛。その爪で魔物すら狩ってしまう、生態系の頂点に立つ魔獣ですよ」
「魔物も……? でもそれなら、どうしてこんな所にグリフォンがいるんですか?」
ここは国内で最も人口の多い王都の中。魔物すら倒してしまう大型の魔獣が闊歩していたら当然危険な筈だ。王城にも魔獣討伐を行う騎士団が組織されているが、国民の生命を脅かす存在であることは間違いない。
「それは、口で説明するより見ていただいた方が早いでしょう。移動しますのでついて来てください」
「あの、この子は?」
「……ナツキさんに随分懐いているようですので、貴方が移動すればついてくる筈です。こちらへ」
「はい」
菜月が立ち上がるとグリフォンもその姿を追って顔を上げる。おいで、と手招きすれば立ち上がって移動を始めた。後をついて来ると言うよりは、ぴったりと横にくっついているだけなのだが、無事に目的は果たせそうなので問題は無いだろう。ちょっと歩きにくいのが難点だけれど。
やがて二人が到着したのは立入禁止と説明を受けていた北殿の更に奥。中央神殿が管理する広い草原だった。そこにもグリフォンが。しかも四頭もいる。その傍には若い女性達が全部で五名。北殿前には先程のように神官達が彼女たちを遠巻きにしていた。
「ここは中央神殿が管理している草原です。一般人の立ち入りは勿論のこと、貴方にもお話しした通り、許可のない神官も立ち入れないグリフォンの保養地です」
「保養地……」
その言葉にようやくこのグリフォンが何故ここにいるのか理解出来た。この草原に保養地が作られているということは、グリフォンの存在もある程度神殿に管理されているという事だ。恐らく街中へは出ないように何か対策がされているのだろう。
真冬だと言うのに柔らかな草が茂るその草原は神殿から五十メートル四方は除雪されているのか不思議と雪は無い。
「あの、彼女たちは?」
「グリフォンの世話をするために集められた少女達です」
「神殿の方ではないのですか?」
「えぇ。違います」
ランスロットの目が菜月の横に向けられる。そして何故この場所に保養地があるのか。その理由を説明してくれた。
「この国では五十年前まで三年に一度、グリフォンと人の絆を結ぶ儀式を行っていました」
「儀式、ですか」
「はい。グリフォンは我が国の神獣。儀式で彼らとの絆が確かなものだと国民と他国の賓客に示すことで王族の威厳を保持し、他国の脅威から国を守る為のものです」
成程、と菜月は相槌を打つ。生態系の頂点に立つ生物がクレイアドア国の味方であると示せば、国民の支持を得ることが出来、かつ他国への牽制になる。我が国を脅かすならば、グリフォンが牙を向くことになるぞ、と。
「何故五十年前までなのですか? グリフォンが現存しないと多くの国民が誤解しているのも、その儀式をやらなくなってしまったからですよね?」
「魔物の活動が活発化したからです」
「あ……」
そうだ。十年以上前からこの国も含めこの大陸の多くがその脅威に晒されてきた。隣国同士の争いなどしている暇はなく、どこの国も自国を守ろうと必死だった筈だ。少し考えれば分かる筈なのに、と軽率な質問をしてしまったことを内心反省する。菜月がその時代を知らないからこそ口から出てしまった言葉だった。
「各国が魔物の対応に追われ、他国からの賓客を招くような行事は全て行われなくなりました」
「……なら、今ここに居るグリフォン達は?」
「貴方も知っての通り、十年前に魔王が倒され、現在各国の復興も進んでいます。我が国が再建された象徴として、再び儀式を行うことになったのです」
菜月の表情の変化には気づいているだろうに、ランスロットは少しも気にする様子は無い。あえてなのか、それとも無関心なのか。どちらにせよ菜月にとってはありがたい。
「なら北殿に出入りしているのはその儀式の準備を進めている人達なのですね」
「えぇ。もっと早くから儀式を再開すべきだと言う声はあったのですがね。我が国では新しい国王が擁立されたのもあって、ここに来るまでに大分時間を要してしまいました」
(新しい国王……)
――今はルドワルドが王位についています
ランスロットがタクトを迎えに来た時、そう言っていたのを思い出す。ルドワルド王とは魔王討伐後、すぐにクレイアドアの王になった王太子だ。あの時はあまり深く考えなかったけれど、国王が代替わりした事はタクトを説得するのに重要な要素だったのだろうか。
(深入りすることじゃないわよね……)
例えこの場で質問してみた所でランスロットからは冷たい目線を受けるだけな気がする。彼は多分、自分の内側に入れた人間とそうでない者の境界線がはっきりしている。彼にとって菜月は外側の人間だから、シーリーもあんな風に心配したのだろう。そして、容易には内側に入れてもらえないに違いない。
――ナツキに他の利用価値があると分かればどんな目に合うか
――あの男を信用しすぎてはならぬぞ
再びシーリーの言葉を思い出す。グリフォンの言葉が聞こえたことは彼に言わない方が良いのだろうか。
(シーリーに会いたいな……)
気兼ねなく相談できる相手が欲しい。遠くに見える山を眺めながら、そう思った。




