13.エルフというもの
冷たい夜風が首を撫で、反射的にコートの襟元を握る。積もった雪に覆われた王都は山小屋のあった場所よりも多少気温が高いと言ってもやはり真冬は寒い。すぐにでも暖かい室内へ戻りたくて、無意識に足の運びが速くなる。
「こっち」
「あ……、ごめん」
ろくに前も見ずに進んでいた菜月の腕を掴んだのはマオだ。彼に声をかけられるまで菜月は彼が同行していたことも、どの道を歩いていたのかも意識の外だった。慌てて謝り、彼の後に続く。けれど再び自分の思考に意識が沈み、顔は下を向いてしまう。
今、菜月の頭を占めているのは先程まで他人事のように眺めていたタクトのこと。いや、彼のことだけではない。彼と再会して嬉しそうに笑ったテレザ、そしてコレット。ランスロット達も含め、タクトは様々な人達に必要とされている、求められている。それを目の当たりにした瞬間に、菜月はタクトを遠くに感じた。
(馬鹿だなぁ……)
菜月はいつの間にかタクトに同族意識を持っていた。自分と同じようにタクトも独りなのだと。この広い世界の中で拠り所を作らず、独りで生きていくと決めた人なのだと。けれど実際は違った。彼には仲間がいる。遠く離れていても長い間顔を会わせていなくても、再会を喜ぶ人は沢山いる。どこへ行っても独りなのは菜月だけ。
不意に温もりを感じて、菜月は顔を上げた。
「マオくん?」
「迷子、なる」
マオの右手が菜月の左手をしっかりと握っていた。ずっと一緒に歩いていたのに、無言でボーッとしていたら心配かけてしまうのも無理はない。
「……ありがとう」
マオは一つ頷いて菜月を見る。街頭に照らされた淡萌黄色の瞳が綺麗だ。色白の肌と相まって容姿は平凡とは言い難いけれど、それを除けば町の少年達と何も変わらない。エルフと人間。一体何が違うのだろうかと、思わず菜月もじっと見返してしまう。
「ナツキ」
「うん?」
「元気ない。コレットのせい?」
「え!! 違うよ!」
慌てて首を横に振る。タクトに仲の良い人達が居て寂しくなった、とは流石に言えない。人は自分と同じぐらい不運だったり不幸な人間を見ると、自分だけではないと妙に安心することがある。先程まで菜月が考えていたタクトへの思いも要はそういう事で、それが最低な考えだという事も分かっている。
あぁ、やっぱりテレザのお店で自分もお酒を呑んでいれば良かった。そうすれば酔っている事にして誤魔化せたかもしれないのに。
「多分疲れが出ているんだわ。私、最近王都に来たばっかりなの。元々今日も疲れたから外食にしようってタクトが連れ出してくれたのよ」
「…………」
完全な嘘ではないが、本当でもない。菜月が絞り出した言い訳に納得してくれたのかは判断付かないが、マオがそれ以上この話題に触れることは無かった。
やがて大神殿の外門が見えてくる。この辺りになると人通りがぐんと減り、聞こえるのは二人分の足音だけだ。
そんな時、ふとマオが顔を近づけてきた。
「ナツキ」
「え?」
「良い匂いする」
「えぇ?」
マオと菜月の身長はほぼ同じなので、彼が一歩近づいただけで顔への距離が一気に縮まる。彼が首筋に顔を近づけると、ウェーブのかかったふわふわのくせっ毛が触れてくすぐったい。まるですり寄ってくる猫のみたいだ。
「マオくん……」
「?」
「あんまり、こういうことしない方がいいよ」
「??」
本気で分かっていないらしい。首を傾げる姿も菜月から見ればかわいいと言えなくもないが、十代の少女達に同じことをしたら気があると勘違いされてもおかしくはない。そういう機微に疎い所は人よりも精霊に近いと言えるのかもしれない。
どう説明したものか、悩んでいる内に門の前に着いてしまった。せっかく送ってくれたのだからお茶ぐらい振る舞った方が良いだろうか。不意に門番の男性と目が合うと、彼は厳しい顔をした。
「申し訳ございません。お連れ様はここから先はお入りいただけません」
「あ、そうなんですか……」
門番が居るぐらいだ。人の出入りはある程度管理されているし、それが夜ともなれば厳しくなるのは仕方がない。
「ごめんね、マオくん。今日はありがとう」
「…………。ナツキ、また会える?」
「うん。またお店行かせてもらうね」
笑ってそう答えると、それまでほとんど表情の変わらなかったマオの目元がほんの少し緩んだ。エルフと聞いて自分とはまるで違う生き物のように感じていたけれど、僅かな表情が見えるだけでぐんと親近感が出てくるから不思議だ。
「お休みなさい」
「おやすみ」
手を振ってマオを見送る。その背中が見えなくなった頃、改めて門をくぐろうとしたら再び声をかけられた。
「出ていかれる時はお二人だったと記憶しておりますが、もう一方はご一緒ではないのですか?」
「あ、はい。彼は知り合いのお店にまだいると思います」
「分りました。ではお通りください」
「はい。ありがとうございます」
会釈して門を通る。悪いことは何もしていないのに、二人の門番の間を進むだけでやけに緊張してしまった。
(やっぱり、だたの宿屋と違って出入りには厳しいわね。あまり遅くなると神殿に戻りにくくなるってテレザさんが言ってたのはこういうことか……)
宿舎に入り、自分の部屋に着いた所でつい深いため息が出てしまった。ランスロットの講義にテレザやコレットとの邂逅、そして門番とのやり取り。思い返すだけでぐったりする。
(もしかしたら、今夜はタクト帰らないかもな……)
最初に朝まで呑もうとテレザさんに誘われていたし、コレットがあの様子では難しそうだ。
早々に就寝準備をして、今夜は自分のベッドでゆったりと眠りについた。
* * *
(ん、ん――……。重い……)
かけ布団とは違う重みが肩の辺りにかかっている。寝返りを打とうとしても体が上手く動かず、ようやく菜月は瞼を持ち上げた。昨日とは違いベッドの上で寝ているから体が痛くなるなんてことは無い筈だ。
カーテンの隙間から漏れる陽の光に眩しさを感じ、やっと意識が覚醒する。
(……うで?)
まず目に入ったのは自分よりも太くて日焼けした腕。それが菜月の上に投げ出されている。その意味に気づいて菜月は慌てて上半身を起こした。
「えっ!」
思わず漏れた声。恐る恐る隣を見れば、腕の持ち主は気づかず寝息を立てている。堅そうな黒髪の下にあるのは、起きている時には見えないあどけない顔。
(びっ…………、くりした……)
いつの間に帰っていたらしい。本来なら反対の壁側にあるベッドで寝ている筈のタクトが、何故か菜月の隣で眠っている。昨夜余程お酒を飲んだのか。それとも疲れていたのか。
(寝ぼけてベッド間違えたのかな)
遅くに帰って来たのだろうし、起こすのは可哀そうだからこのまま寝かせておこう。昨日予定はないと言っていたから、寝坊しても構わないだろう。
自分の上に載っている腕をゆっくり持ち上げる。その時、袖の先から見えたのは沢山の傷跡。
(昔の傷かな……)
これほど近くで見るのは初めてだ。魔物と戦う。それは菜月では想像のつかない世界。普段あれ程穏やかな彼が、そして酒場であんなに明るく笑っていたテレザやコレットがそんな所にいたなんて信じられない。生死をかけて戦っていた彼らだ。当然その絆はとても深いのだろう。
(あぁ、駄目だわ。またこんなこと考えたら……)
今日も一日講義があるのだ。朝から落ち込む訳にはいかない。
タクトの腕をどかし、なるべく物音を立てない様気を使いながらベッドを下りた。
その後、結局菜月が部屋を出る時間になってもタクトは起きてこなかった。神官見習いが運んできてくれた朝食のバケットの上に布巾をかけてメモを残してきたから、起きたら適当に食べるだろう。
菜月は頭を切り替え、昨日と同じ部屋に入ると既にランスロットが席に着いていた。
「あ、おはようございます」
「おはようございます」
挨拶をしながらランスロットの向かいに座る。彼の手には分厚い歴史書があって、菜月は今日も歴史尽くしであろう講義に腹を括った。
「エルフ?」
「はい。私のいた町では見かけなかったんですけど、王都に来て初めてエルフの方にお会いする機会があって……」
一日の講義が終わり、昨夜決めていた通り、菜月はエルフについて質問をしてみることにした。それを聞いてすぐにピンときたのか、ランスロットが納得の表情で菜月を見返した。
「あぁ、テレザの店にでも行ったのですか?」
「あ、そうです。よく分かりましたね」
「タクトが店を案内するとしたら、大抵そこでしょうから」
タクトと共に出かけた先でエルフに会ったとは一言も言及していないのだけれど、ランスロットがそう捉えたという事は門番から彼の下に昨夜の報告が入っているのだろう。行動を管理されているようで気持ちの良いことではないけれど、ここは特殊な場所だ。その事については仕方がないと口をつぐむ。
「やっぱりランスロットさんもテレザさんとお知り合いなんですか?」
「えぇ。エルフの話が出たのならマオに会ったのでしょう?」
「あ――、そうです……」
マオも彼らの仲間だとは聞いていない。だからランスロットから彼の名前が出たのは意外だった。ランスロットは職業柄酒場に出入りしないと思っていたけれど、旧知の店となればそれも違うのかもしれない。
「なんです? 歯切れの悪い返事ですね」
「えっと、それともう一人、エルフの方が居て……」
菜月が返事に躊躇したのは何もランスロットがマオのことを知っていたからではない。勿論驚きはしたけれど、その原因は勿論あの少女――に見えるエルフにある。
「もう一人…………」
「…………」
一瞬顔を窓の外に向け考える仕草をしたランスロットだったが、すぐにその眉間に皺が寄った。
「……まさかとは思いますが、コレットですか?」
「はい……」
するとランスロットが思いっきり舌打ちする。普段からにこやかな表情を見ることがない人だけど、こんなに嫌そうな顔を見るのは初めてだ。シーリーと対峙した時でも、言葉は辛辣だったが表情は冷静だった。
「もう嗅ぎ付けたか……」
その言葉でコレットには意図的にタクトの帰還を知らせていなかったことが分かる。
タクトを説得する際、仲間達に顔を見せてほしいと言ったのは他ならぬランスロットだった筈だけれど、何故かコレットには会わせたくなかったようだ。
(まぁ、相性の悪そうな二人だもんなぁ)
菜月が彼女と接したのは1時間程だけれど、コレットはシーリーに近い性格だってことは既に知っている。
だがランスロットはそれ以上コレットの話には触れず、話題を元に戻した。
「それで、エルフの話でしたね」
「はい。テレザさんが簡単に説明してくれたのですが、今まで身近な所にエルフの方が居なかったせいか、いまいちピンとこなくて」
「当然でしょうね。一般的にエルフあまり人里には現れません。王都は様々な人種が集まる場所ですからエルフの一人や二人はいますが、小さな田舎では聞いたこともない言う方が普通です」
言葉で聞いて、実際に会って会話もした。けれど彼らは人間と何も変わらないようにしか見えなくて、菜月は余計にエルフというものが分からなくなってしまった。
「えっと、確かエルフは人間と精霊の間のような存在だと」
「テレザの説明で概ね正解ですよ。この世界に存在するものは、精霊、エルフ、動物、そして人間の順に派生しました。精霊の中でも物質を取り入れるようになり、やがて肉体を得たのがエルフ。さらにそこから本能と肉体に特化したものが動物、知能に特化したものが人間になったと言われています」
生物の進化については菜月もある程度知識を持っている。海の生物が陸に上がり、肺呼吸に進化し、動物や鳥類が誕生してやがて人間へ。そういう内容だった。けれどランスロットの説明の中には聞き流せないものがあった。
「……人間も元は精霊だったんですか?」
「えぇ、先祖を辿ればそうです。人間の中でも魔力を持っていたり、精霊に好かれる体質があるのはその名残だと考えられています」
「へぇ……」
これはかなりの驚きである。菜月の中で精霊というのはもっと神秘的で神がかった存在だと思っていた。それがまさかヒトの先祖だったとは。
「エルフの方も普通にこの国では暮らしていけるんですよね?」
「種族は違えどエルフもいち国民です。この大陸にあるほとんどの国では彼らも市民権を得ています。まぁ、人間より精霊の気質に近い者が多いせいか、一つの場所に長い間留まる者は少ないようですが」
「そうなんですか?」
「えぇ。ほとんどが流浪の民で、コレットも先の戦いがあるまで様々な国を旅していたようです。今は王城に役職を与えられていますが、その気になればすぐに辞めて出て行くでしょうね」
コレットの名が出た途端その表情が冷たくなる。すぐにでも出て行って欲しいと言わんばかりだ。
「……そう、ですか」
「何か?」
怖い怖い。空気を読むのなら、これ以上コレットの話をするべきではない。けれど菜月は湧き上がる好奇心に負けてしまった。
「いえ、あの……、あまり、コレットさんと……親しくないんですか?」
「親しくする理由がありませんから」
「……そうですか」
取り付く島もないとはこの事だ。これで本当にタクトとコレットが結婚したらどうするんだろう、この人……。




