夏の日に
翌日。
わたしはコムラに告げた通り、山に登っていた。
けれど…。
「おっ重い…」
昨日、帰ってから祖父と祖母にコムラのことを話した。
すると面倒をかけた礼として、冷えたスイカを持って行けと言われた。
昔からある井戸で冷やしたスイカは美味しい。
けれど…。
「おっ重い~」
すでに体は汗まみれ。
まさかLサイズの丸ごとのスイカを持たせられるとは思わなかった。
もしかしなくても、祖父と祖母はコムラの家が近所にあるとでも思っているのだろうか?
…いや、絶対にそう思っている。
そしてわたしがそこへ行くのだと考えたのだろう。
実際は昨日、会った山の中の神社へ向かっているのだが…。
「しかし、キツイ…」
今日は麦わら帽子をかぶり、お気に入りの白いワンピースを着て来た。
…けれどこんな汗まみれでは、何もかも台無しだ。
「はぁ~。…もう帰ろっかな」
こんな格好じゃあ、コムラに合わす顔がない。
「…アラ、こんな所に人間の女の子?」
鳥のようにキレイで弾んだ声が、上から振ってきた。
顔を上げると、黄緑色のワンピースを着た少女がわたしの前に立っていた。
「こんにちわ」
にっこり微笑む笑顔は、可愛い。
「こんにちわ」
「こんな所でどうしたの? 道に迷ったの?」
「ううん。コムラの所に行こうとしているの」
「コムラ? あなた、コムラを知っているの?」
女の子はキョトンとした。
「ええ。昨日、この山で迷っているところを助けてもらったの。だから今日はそのお礼をしに来たんだけど…」
「ああ、そのスイカ! 美味しそうね」
女の子は眼を輝かせて、わたしの担いでいるスイカを見た。
「ちょっと待ってて! コムラを呼んで来るから!」
「えっ! いっいいわよ。ちゃんと行くから」
「ダメダメ」
そう言って女の子は踵を返した。
「か弱い女の子が持つには重過ぎるものだわ。それに…私も頂きたいしね」
そう言って茶目っ気たっぷりにウインクする女の子を見て、察した。
「あっああ…。食べたいのね、スイカ。一刻も早く」
わたしのスピードでは、たどり着くまでもうしばらくかかるだろう。
そしてその間に、スイカはぬるくなってしまうから…。
「察するのが早くて嬉しいわ。じゃあ、待ってて。すぐに戻って来るから!」
そう言って女の子は軽やかに山道を走り出した。
元より小柄な女の子だが、その動きはちょっと人間離れしている…というより、田舎の少女らしい。
わたしは『すぐに戻って来る』という言葉を信じて、その場にしゃがみこんだ。
…実は限界だった。
距離的にはそんなに遠くないのだが、急斜面がキツイ。
整備されていない山道を歩くのは、ここに来なければまずないことだ。
草むらのキレイそうな所まで移動して、腰を下ろした。
「ぷは~。…しんどかった」
座ると気付いた。
…やっぱり汗臭い。
滝のように雨のようにダラダラ垂れてきているのだから、しょうがないのだが…。
この体でコムラに会うのは、やっぱり気が引ける。
スイカを渡して、そのまま帰ろうか。
あの小さな女の子も食べるのなら、自分がいなくても平気だろう。
「あれ? キミ、昨日の女の子?」
「えっ?」
再び声をかけられ、わたしは顔を上げた。
後ろに、黒尽くめの少年がいた。
歳はコムラと同じくらいか、彼の方がわずかに上か。
にっこり笑うも、背筋に冷たい汗が流れた。
…何だろう? 悪寒?
しかし別におかしなところは見受けられない。
一見は。
「あなたは?」
「ああ、俺はキムロ。コムラの古くからの知人」
コムラの名前を簡単に言った。
わたしと彼が知り合いだということを知っている?
つい昨日のことなのに?
「…本当にコムラの知り合いなの?」
「もちろん。じゃなきゃ、キミのことは知らないハズだよ」
そう言ってしゃがみこみ、わたしと視線の位置を合わせてきた。
「にしても…」
ふと真面目な顔になり、キムロはわたしの顔をじっと見た。
「なっなに?」
「う~ん。…キミは普通の人間か?」
「はあ?」
どこか普通じゃないように見えるんだろうか?
思わず自分の体を見回した。
「この森で、平然としていられる人なんて珍しいんだよ。しかも『俺達』とも普通に出会えてる」
「…あなた達と出会えちゃいけないの?」
「うん。普通は、ね。出会わない方がいいに決まっている」
その言葉に頭にかっと血と熱が上がった。
「イヤよっ! 出会わない方が良かったなんて、そんなことない! 絶対にない!」
「言い切るね。若い証拠だ。でも…」
キムロはスッと手を伸ばし、わたしの顎を掴み上げた。
そんなに強い力じゃない。
けれど…手が異様に冷たい。
「『俺達』の正体を知って、それでもなおその言葉が言えるなら、俺はキミを歓迎するよ」
「…つまり、今のところは歓迎していないのね?」
「不用意に近付いてきた人間―としか思っていないことは確かだね」
そう言って、にっこり微笑む。
わたしが何か言おうと口を開いた時。
「キムロっ! 彼女に何をしているっ!」
険しいコムラの声。
それと同時に手が離された。
コムラがわたしとキムロの間に割って入ったからだ。
「彼女には近付くなと言っただろう?」
「こんな所に一人にしておくほうが危険だろう? 俺は他の奴等が彼女にちょっかいかけないよう、見張っていただけだ」
キムロは笑みを崩さず、立ち上がった。
「今度からコムラに迎えに来てもらうといい。ここにいるのは俺やコムラ、それにミトリだけとは限らないからな」
「ミトリ?」
聞いたことのない名前に首を傾げると、キムロは顎で上を差した。
上には、先程の少女がわずかに険しい顔をして立っていた。
「俺達三人ならば、キミに危害は加えない。他の奴等はどうだか知らないけどね」
「黙れっ! キムロっ!」
「やれやれ…」
肩を竦めるも、キムロは大して気にしていないようだった。
わたしは立ち上がり、服のゴミを払った。
「コムラ、わたし帰るね」
「えっ。…あっ、ゴメン。りん、ほっといたワケじゃ…」
「うん。ちょっとタイミング悪かったみたいだから、今日は出直すわ。スイカ、良かったらキムロも食べてね。美味しいから」
「それはどうも」
わたしはそのまま山道を下り始めた。
「あっ、送るよ。キムロ、ミトリ、スイカ持ってって」
「分かった」
「ちゃんとりんを送るのよ」
コムラは困り顔で、わたしの隣で歩く。
「今日はホントにゴメン。一人にするべきじゃなかった」
「…ねぇ、コムラ」
「なっ、何?」
わたしはクルッと体の向きを変え、彼と向き合った。
「わたし、コムラを信じて良いのよね?」
「えっ?」
「コムラが信じろって言うなら、わたしは信じる。…この世の中、人間だけが正しい生き物じゃないしね」
そう言って、にっこり笑った。
「りん…」
コムラは泣きそうな顔で、わたしに近付き、額と額を合わせた。
…さっきのキムロの手のように、冷たい。
「ゴメン…」
「良いのよ。ズカズカと踏み込んできたのは、わたしが先なんだもの。気にしないで」
「うん…。でもありがとう」
その後。特に会話をしなかった。
ただ手をつないで、二人で山道を歩いていた。
別れ際。
「明日、ここで待っている」
「分かった。じゃ、明日は冷たいヨウカンでも持ってくるわ。ミトリとキムロによろしく」
「うん、じゃあね」
ふと歩き出した時、気付いた。
…体温が少し冷たいぐらいになっている。
特に額と首元、そして手が。
だからわたしは―彼等を恐ろしくはないと感じた。




