第20話:(最終回) 世界救済の一刀両断と、いつもの三畳一間の湯上がり蕎麦
1
最高神殿の真ん中で、側近の神が起動させた『終末の魔導コア』が、世界を巻き込む自爆の狂気を孕んで漆黒に膨れ上がっていた。
バリバリ、と空間がガラスのようにひび割れ、天空の聖地から下界の大王都『ネオ・エド』、そして俺たちの故郷である国元にいたるまで、世界のすべての魔力が暴走を始めて地響きを立てている。
「――ははは! 終わりだ! 神々の不条理を拒んだ罰だ、世界はここで、すべて跡形もなく消滅し、大いなる無へと隠蔽されるのだ!」
側近の神が狂気的な高笑いを上げる。世界崩壊まで、あと十数秒。
上田秀人先生や佐伯泰英先生の超長編時代小説なら、これまでに紡いできたすべての人間関係、出会った仲間たちの想いが主人公の背中に集結し、歴史の歯車を文字通り一刀両断にする、怒涛のグランドフィナーレの瞬間だ。
「ツヨシ! 魔導コアのエネルギーが暴走して、もう私のツールでも暗号の解除が追いつかないわ! 世界が、世界がバラバラに消し飛ばされちゃう!」
カエデが涙目で俺の長法被の裾を掴み、エルフの長い耳を激しく震わせている。
「……ここまでか」
陣内先生が、愛刀を強く握りしめながらも、押し寄せる圧倒的な終末のプレッシャーに歯を食いしばる。新メンバーの紫苑も、冷や汗を流しながら不敵な笑みを消していた。
だが、彼らの前に立つ俺の背中は、不条理なほどにいつも通り、飄々とした「ただの浪人」のままであった。
俺の脳内には、これまでの旅の情景が走馬灯のように駆け巡っていた。
第1話で軍薯をすりおろした、あの懐かしい下町の長屋。三吉や大家のばあさんの笑顔。国元のお家騒動で出会った鳴海源十郎や大河内弾正の不器用な正義。そして、王都の下町で食った、砂を吐かない深川めしの香ばしい匂い――。
「おいおいお前ら。せっかく卵かけご飯で神様とも分かり合えたんだ。俺の愛する異世界の comical なスローライフを、その不条理な自爆リセットとやらで邪魔しないでくれよ」
俺は、空間を呑み込もうとする漆黒の魔導コアに向けて、ゆっくりと、眠るが如き無形の構えのまま踏み出した。
右手は静かに、腰の魔導刀の柄へと添えられている。
2
(「居眠り磐音は、迫り来る世界の終焉、あらゆる不条理な運命の嵐に対し、春の陽だまりにいるような、完全なる『脱力』のまま、ただ一足、前へと踏み出した。おのれの剣は、人を斬るためのものではない。愛する日常を、美味い飯を食う静かな時間を守るための、一刀である――」)
脳内の磐音モード、そして旅をともにしてきたチート能力のすべてが、俺の右腕へと極限を超えて集結する。
「――いくぞっ!」
――オォォォォォォォンッッッ!!!!
神殿のすべてがまばゆい純白の光に包まれた。
夜空を、いや、世界そのものを切り裂くような、凄絶にして粋な、究極の居合い一閃。
俺は神を斬ったのではない。コアを破壊したわけでもない。
チート能力によって視界に明確に見えていた、終末の魔導コアから世界中へと伸びる「不条理な暴走魔力の因果の糸」そのものを、一瞬のうちに全て正確に、刀の「峰(背の部分)」の圧倒的な一撃によって、パシィン!!!と叩き切ったのだ。
――フゥゥゥン……。
漆黒に膨れ上がっていた魔導コアが、まるで空気が抜けた風船のように音を立ててしぼみ、暴走していた世界の地響きが、一瞬にして嘘のように静まり返っていった。
世界中の魔力の流れが、元の穏やかな流れへと強制終了(システムリセットの阻止)させられたのだ。
「ば、馬鹿な……我が絶対なる終末の魔法が、世界の不条理な支配システムが……刀を抜きすらしない、ただの浪人の峰打ちによって、完全に一刀両断にされたというのか……っ!?」
側近の神が、戦慄に震えながら大理石の床の上に膝を突き、そのまま comical に白目を剥いて卒倒した。血を流した者は、ここでも一人もいない。世界救済の峰打ちの芸術、ここに堂々の完成である。
「……見事だ、ツヨシ。お前こそ、真の士だ」
陣内先生が、深く感銘を受けたように微笑み、刀を収めた。
「もう、本当に何が起きても驚かないって言ったでしょ……!」
カエデが、涙を拭いながらも、本日一番の眩しい笑顔を俺に向けて、エルフの耳を嬉しそうにパタパタと揺らした。紫苑も「ふふ、最高の男に賭けたもんだねぇ」と、粋にキセルを燻らせていた。
最高創世神の老人は、俺の圧倒的な器量と剣の前に完全に脱帽し、深く頭を下げた。
「世界は救われた、ツヨシ殿。我ら神々は、下界の豊かさに二度と不条理な手を下さぬことを、ここに永遠に誓おう」
こうして、世界の強制初期化システムは、俺の魔導刀によって美しく一刀両断にされ、世界には本当の、永遠の平和がもたらされたのだった。
3
――翌朝。
小鳥のさえずりと、どこか懐かしい下町の喧騒が、開け放たれた障子の隙間から三畳一間の部屋へと流れ込んできた。
「……ふう」
俺は、すっかりお馴染みとなった、擦り切れた黄色い畳の上でゆっくりと目を覚ました。
天空の聖地での大決戦が嘘のように、俺たちはいつの間にか、大王都『ネオ・エド』の、あの運河沿いの長屋へと戻っていたのだ。世界を救ったヒーローへのご褒美は、豪華な王宮のベッドではなく、住み慣れた我が家(三畳一間)というわけだ。実に浪人スローライフらしくて粋じゃないか。
俺は立ち上がると、日課である「朝風呂」へと向かった。
長屋の裏手にある共同浴場で、四十一度のお湯に、きっちり十分間、じっくりと浸かる。
「ぷはぁぁぁ……。やっぱり、世界を救った後の朝風呂は、五臓六腑の隅々まで染み渡るなぁ。今野敏先生の警察小説の主人公たちも、大事件を解決した後は、こうして自宅の風呂で一息つくもんだ」
湯船の中で手足を伸ばし、極限の戦いで凝り固まっていた身体の芯をじんわりと解きほぐす。これぞ、男の最高の毒消しである。
風呂から上がり、長法被をさらりと羽織って三畳一間に戻ると、俺はさっそく、この長大な旅路を締めくくる「最後の仕込み」に入った。
取り出したのは、第一話で長屋の大家のばあさんから餞別として貰い、大切に使い続けてきた、あの「魔導蕎麦粉」の最後のひとかけら。
「世界救済のグランドフィナーレ。風呂上がりの胃袋に流し込むのは、これしかないだろ」
俺は手早く蕎麦粉を水で練り上げ、チート能力を使って一瞬で極上のコシを持つ麺へと成形し、細く、美しく切り分けた。
それを大釜の熱湯でサッと茹で上げ、井戸の冷たい水で一気に「キュッ」と引き締める。
おつゆは、第1話からの相棒であるココノエ醤油とみりんをじっくり煮詰め、よく冷やしておいたもの。そこへ、運河の泥船の市で仕入れた夏野菜を、昨夜の串カツの残り油でからりと揚げた「天ぷら」を添えた。
これぞ、江戸の夏の風物詩、そして俺の旅の原点にして最高峰――「朝風呂上がりの、冷やし天ぷら蕎麦」だ。
4
竹ザルの上に美しく盛られた、みずみずしく輝く灰色の蕎麦。その横には、衣がサクサクと音を立てそうな夏野菜の天ぷらと、キリッと冷えた濃い目のツユ。
「よし、能書きはここまでだ。いただきます!」
俺は箸で蕎麦をひと手繰りすくい、ツユにちょいとつけて、江戸前の粋な作法でズズッと勢いよくすすり込んだ。
――ズズズッ、フワァァァッ、シャキィィィン……!
「――っ!!!!」
美味い、美味すぎる! 脳内で池波正太郎先生が、そしてこれまでに読んできた四大作家の先生方が、全員で「うむ、これぞ旅の最高の終わり(大団円)だな」と、晴れやかな顔で深く深く頷く幻影がはっきりと見える。
冷水で締められた魔導蕎麦の、圧倒的に力強いコシと、鼻に抜ける蕎麦粉の香ばしい風味。それが、ココノエ醤油のキリッとした辛口のツユと完璧に調和して、朝風呂上がりの乾いた喉へと、滑らかに滑り込んでいく。
そこへ、サクサクの天ぷらを囓り、ツユを吸った衣の旨味を白飯……ではなく蕎麦とともに楽しめば、これまでの二十話にわたる過酷な旅の疲れが、文字通り「一瞬で一刀両断」にされて吹き飛んでいくのがリアルに分かった。
「……おい、ツヨシ。自分だけ風呂上がりにそんな美味そうなものを食うとは、ずるいぞ!」
障子がガラリと開き、陣内先生が、すでにマイ箸を握りしめて座敷に躍り込んできた。
「そうよ! 世界を救ったのは私たち全員の力なんだから、そのお蕎麦、私にも手繰らせなさい!」
カエデも、すっかりお馴染みとなった comical な様子で、お椀を突き出して俺の蕎麦を狙っている。紫苑も「ふふ、風呂上がりの蕎麦とは、相変わらず粋な男だねぇ」と、嬉しそうに鍋を覗き込んでいた。
「はいはい、皆さん! 世界を救った記念の大団円だ、江戸前の蕎麦は逃げやしないから、遠慮なく手繰りなさいって!」
狭い三畳一間の長屋の中に、四人の「ズズズ、ハフハフ」という小気味よい蕎麦をすする音と、賑やかな笑い声が弾けた。
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「ふう、ごちそうさまでした。やっぱり、世界を救った後の日常で食う蕎麦が、一番染みるなぁ……」
俺は、蕎麦湯をグイッと飲み干し、青畳の上でゴロリと横になりながら、満ち足りた気分で深いため息をついた。
世界を脅かす不条理な神々の陰謀は消え去り、この大王都『ネオ・エド』には、再びいつもの、騒がしくも愛おしい下町の日常が戻ってきた。
お家騒動を解決し、大都会の闇を払い、最後には世界の崩壊すらも一刀両断にしてみせた俺たちだが、やることはこれからも変わらない。この狭い三畳一間で、美味いものを打ち、美味い酒を求め、飄々と浪人スローライフを楽しんでいくだけだ。
「――ちょっと、いつまで寝転がっているのよ、ツヨシ!」
片付けを終えたカエデが、腰に手を当てて、お馴染みの、しかしこれ以上ないほど愛おしいジト目を俺に向けて叫んだ。エルフの長い耳が、朝の活気に合わせてパタパタと元気よく揺れている。
「今日は市場の『朝市』の日でしょ! ぐずぐずしてたら、大家のばあさんが言ってた、あの噛むと出汁が溢れるという最高の魔導ブタの極上肉が、大商会の奴らに全部買い占められちゃうわよ!」
「おっと、そいつはいけねえ!」
俺は畳の上から、ハッと勢いよく跳ね起きた。腰の魔導刀をパチリと叩き、カエデと陣内先生、そして紫苑の顔を見渡して、ニヤリと最高に comical な笑みを浮かべた。
「佐伯先生や池波先生の物語が終わってもね、男の美味いものを求める旅路には、終わりなんてないもんだ。……よし、それじゃあ皆さん! 今日は市場の悪徳バイヤーどもを美味いもので釣るか、それともこの魔導刀で一刀両断にするか……」
長法被の袖を粋に翻し、俺は長屋の戸を開け放った。
「俺たちの最高に美味くて、comical な異世界浪人スローライフは、これからもずっと、ずっと続いていくんだからねぇ!」
「だから、また戦う気か!」
カエデの小気味よい突っ込みが下町の青空に響き渡り、四人の歩みは、まばゆい朝日の射す市場へと向けて、最高の足取りで踏み出されていく。
擦り切れた三畳一間から始まった、一人の時代小説オタク浪人の美味なる大活劇。
それは世界の果てを救い、そして再び、いつもの愛おしい日常の美味さの中へと、粋に、そしてどこまでも飄々と、繋がっていくのだった。
(『異世界に転生しちゃったので浪人になってみた』 全20話・堂々完結!)
最後まで読んでいただきありがとうございました。明日からは「ツヨシ」シリーズ第7弾が始まります。




