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死ねない魔女の呪い  作者: 守えま


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後編 リオ視点

リオ視点です。

雪の匂いが嫌いだった。

冷たいからじゃない。

あの日を思い出すからだ。


焼け落ちた村。

黒く崩れた家。

雪の上に転がる、人だったもの。

そして、その中心に立っていた銀髪の女。


初めて見た時、あの女は人間には見えなかった。

月の光で形を作ったみたいな白い肌。感情の薄い瞳。血と灰の中にいるのに、服の裾一つ汚れていない。

化け物だと思った。


だから睨んだ。

殺してやる、と。

まだ八歳だった僕は、それだけを考えていた。


「あなた、死にたいの?」


いきなりそう聞かれ、答えた。


「殺したい」


「誰を?」


「全部」


女の瞳が少し揺らぐのがわかった。


「復讐したい?」


女は雪の中にしゃがみ込み、僕の顔を覗き込んだ。その声は妙に静かだった。

慰めるでもなく。

哀れむでもなく。

ただ事実を確認するような声。

僕は答えなかった。代わりに、睨み返した。

女は小さく笑った。

 

「いいわ。なら、お前を強くしてあげる」

 

綺麗な指が、僕の顎を持ち上げる。


「ただし、条件がある。

 強くなったら、私を殺すこと。」


それが、アニエスとの始まりだった。


僕はその時まだ知らなかった。

彼女を殺すということがどういうことなのか。

彼女は僕を救ったわけではなく、ただ、自分を殺すために拾ったのだということを。




アニエスは、僕を人間としてではなく、武器として育てた。

朝は魔術。

昼は剣術。

夜は毒。

人の壊し方ばかり教え込まれた。


「違うわ、リオ。それでは浅い」


細い指が、僕の手首を掴む。

握っていた短剣ごと、白い胸元のさらに奥へ押しこまれた。


「心臓を貫くなら、もっと深く。骨の間を滑らせるの。

迷いなく刺しなさい」


八歳の子供に教える内容じゃない。

でも、アニエスは気にしなかった。

僕が泣いても。

吐いても。

熱を出しても。

彼女はただ冷たく言った。


「私を殺せるほど強くなるんでしょう?」


その言葉で、僕を立たせた。

 

彼女は何度も囁いた。

「憎みなさい」

「強くなりなさい」

「私を殺せるよう、もっと強くなりなさい」


最初は、本当に憎んでいた。

家族を失ったから。村を失ったから。

僕は、彼女を殺すために生きている。そのはずだった。

けれど。

長く一緒にいるうちに、気づいてしまった。

アニエスの嘘に。



彼女は夜を嫌った。正確には、夜明け前を。

誰も起きていない時間、アニエスはよく一人で窓辺に立っていた。

銀髪を揺らしながら、じっと外を見ている。

でも違った。

彼女は眠れないのだ。

不死の身体は、深い眠りに落ちない。

だから彼女は、毎晩のように静かな屋敷の中を歩いていた。

寂しそうな顔をしているのを、誰にも気づかれないように。


ある日、僕は聞いたことがある。


「あなた、眠れないんですか」


彼女は少し黙った。

それから、つまらなそうに肩をすくめた。


「数百年も生きていれば、夜なんて飽きるわ」


軽い声だった。


その時、初めて思った。

この人は、ずっと一人だったんだと。



アニエスは、きっと誰が見ても美しい。

けれど、その美しさには温度が無かった。

死体みたいだ、と昔の僕は思っていた。

年を取らない。

傷つかない。

変わらない。

時間から切り離された存在。


でも。

時々、表情が動く瞬間があった。

そんなアニエスを見ると、胸の奥がざわついた。


紅茶を飲んだ時。

甘い菓子を食べた時。

僕が怪我をした時。

特に、僕が傷つくと、アニエスは不機嫌になる。


「何をしているの」


ある日、僕は訓練場で腕を怪我した。

深い傷ではなかったけれど、僕の腕から流れる血を見て、彼女は眉を寄せていた。


苛立っている。

だけど、それは僕を責める苛立ちとは違った。

まるで、僕の痛みを自分のものみたいに嫌がっている。そんなふうに見えた。


「訓練で」


「そんな傷、避けられたでしょう」


そう言って彼女は、僕の腕に触れた。

冷たい指。けれど、そこから流れ込む魔力は、ひどく温かかった。

傷口が塞がっていく。痛みが薄れていく。


「何」


「いえ」


「言いたいことがあるなら言いなさい」


「……どうして怒るんですか」


…その質問に、彼女は答えなかった。


「今日はもう終わりよ」


彼女はそう言って、去っていった。

いつもの冷たい顔だった。



その日の夜更け、ふと、目が覚めた。

目を閉じたまま、なぜ目覚めたのかと思っていると、

不意にアニエスの気配を感じた。

瞬間、胸を握られたようにバクバクしだした。


アニエスは僕のベッドに近づいて、僕を見下ろしている、ようだった。

全く身動きできなかった。

アニエスも何もせず、ベッドの脇に立っている。

そのまま、静かに時間が過ぎた。


僕の高鳴っていた胸が落ち着いてきた頃、

アニエスはそっと僕の頭に触れて、

「死なないで」

とささやいた。


今、決して動いてはいけない、と固まっていると、

ほおに冷たいものが落ちてきて、

アニエスは音を立てず、部屋を出ていった。


何が起きたのか、わからなかった。

ほおを触ると、それは水で、

舐めるとしょっぱかった。


アニエスに感じる胸の奥のざわつきは、苛立ちに似ていた。

たぶん、最初は本当に苛立ちだった。

僕を拾って、剣を持たせ、魔術を叩き込み、

あらゆる力を僕に与えたのは、この人だ。

なのに。

彼女は、本当に僕を道具だと思っているのか?

なぜ僕が傷つくと怒る?

なぜ夜中にやってきて涙を流す?

彼女は、嘘をついているんじゃないか?


その夜は、もう眠ることはできなかった。




「アニエス」


初めて名を呼んだ時、彼女は少しだけ目を見開いた。


「何」


「あなたは、僕に死んでほしくないんですか」


聞いた瞬間、空気が凍った。

彼女の顔から表情が消えた。

失敗した、と思った。

踏み込んではいけないところへ踏み込んだのだと分かった。


「……当然でしょう」


やがて彼女は言った。


「あなたには、私を殺す役目があるもの」


それは予想していた答えだった。

けれど、なぜか胸が痛んだ。


そうだ。

僕はそのためにここにいる。

この人を殺すために。

この人が望む終わりを与えるために。

そのために強くなる。

分かっている。


けれど、いつからか。

アニエスが長く眠らない夜は、気になった。

食事に手をつけない日は、胸が重くなった。

窓辺でひとり遠くを見ている背中を見ると、声をかけたくなった。

でも、触れてはいけない。近づいてはいけない。

そう、自分に言い聞かせた。




「リオ」

ある夜、アニエスが言った。


「あなた、最近よく私を見るわね」


心臓が跳ねた。


「監視です」


「誰を?」


「あなたを」


「私が逃げるとでも?」


「あなた、死にたがりですから」


そう答えると、アニエスは少しだけ笑った。

冷たい笑みではなかった。

困ったような、諦めたような、ひどく寂しい笑みだった。


「そうね」

その声が、胸に刺さった。


死にたがり。

自分で言った言葉なのに、それが彼女に似合いすぎていて、嫌になった。

嫌で、嫌で、仕方がなかった。

この人が死を望むことが。

自分の命をどうでもいいもののように扱うことが。

この人が、いつか本当に消えてしまうかもしれないことが。

怖い。

そう気づいた瞬間、息が止まった。


僕は、アニエスが死ぬことを恐れているのだ。殺すと誓った相手なのに。

彼女がいなくなることを想像しただけで、胸の奥が冷たくなる。

復讐でもなく、憎しみでもなかった。

もっと厄介で、もっと醜くて、もっと手に負えない感情だった。



目を逸らしたいのに、逸らせない。

触れてはいけないのに、触れたい。

笑ってほしい。怒ってほしい。僕の名前を呼んでほしい。

誰にも見せない顔を、僕だけに見せてほしい。

そして、死なないでほしい。



「……最悪だ」


作った毒を自分で飲んで試し、体を休めている時だった。

思考が飛んで思わず呟いてしまった。

アニエスが首を傾げる。


「何が?」


「あなたです」


「失礼ね」


「……そういうことにしておかないと」


僕は言った。

「あなたを殺せなくなりそうです」


言ってから、息を呑んだ。

本音だった。隠していたものが、こぼれてしまった。

アニエスは黙っていた。

長い沈黙だった。

やがて彼女は、僕から目を逸らした。


「それは、困るわ」

その声は、とても小さかった。


もう戻れない。


僕は彼女を見た。

銀の髪。冷たい瞳。傷ついた者を突き放す言葉。

それなのに、触れる指だけは優しい人。


僕の師で。僕を拾った人で。僕が殺すはずだった人。

そして。

僕が、愛してしまった人。


認めたくなかった。けれど、もう遅かった。

この人に、生きていてほしい。

たとえ彼女自身がそれを望まなくても。

たとえ神が許さなくても。

たとえ、この想いが殺意よりも罪深いものだったとしても。

僕は、アニエスを生かしたい。




呪いの構造を知るまでに、何年もかかった。


アニエスの不死は、単純な再生ではなかった。

傷が治る。

病が消える。

毒が効かない。

老いが止まる。

それらは結果であって、呪いの本質ではない。


神は、彼女の肉体を呪いを受けた瞬間に固定していた。

どれほど身体が壊れても、無理やり再構成される。

心臓は止まったまま動かない。

それが、死ねない魔女の正体だった。


僕は最初、彼女の時間を進めようと考えた。

だが、術式を組めば組むほど、分かってしまった。

時間を進めれば、彼女はすぐに死ぬ。

数百年分の疲労。

積み重なった損傷。

魂に刻まれた神罰。

それらが一気に彼女を呑み込む。


それは、死にたい彼女を救うかもしれないが、

彼女に生きてほしい僕にとっては無意味だ。


だから、考え方を換えることにした。


時間を進めるのではなく、僕の魔力と命を楔にして、

彼女の心臓と、僕の心臓を結びつける。


それは、残酷な術だった。

彼女が望んだものとは全く違う。

それでも。

僕は、彼女を死なせたくなかった。





僕が成人した夜。

月は赤かった。

月食。

魔力が最も弱まる夜。

アニエスはカウチに腰掛け、静かに僕を見上げていた。


「ようやくね」


白い指先が、短剣を持ち上げる。


それは妙な武器だった。

鏡のような刃(やいば)には、何も映らない。

なのに揺らいで見える。

存在が曖昧だった。


「これはあなたのものよ、リオ」


受け取った瞬間、刃が震えた。

ぞわりと背筋が粟立つ。

短剣が、生き物のように僕の熱を吸った。

そして理解した。

これで完成したのだと。

この刃は、僕が握るために、魔女を殺すために作られたのだと。


「さあ」

アニエスが笑うその顔は、美しかった。

ようやく望みが叶う子供みたいに。


「私を殺しなさい」


だから、胸が痛んだ。

ついにその時が来たのだ。


僕は彼女を見つめた。

銀色の髪。

白い肌。

長い睫毛。

数百年を生きた魔女。

でも、その奥にいるのは。

ひとりぼっちで置き去りにされた女だった。


「……リオ?」


「……アニエス、あなたを終わらせる方法を探しました」


「なら、そうしなさい」


「できません」


「リオ」


「あなたを殺せません」


彼女の笑みが固まった。


「……何ですって」


「あなたは僕を育てた。あなたを殺すための道具として」


「そうよ」


「でも、失敗しました。僕はあなたの孤独ばかり学習してしまった」


僕は、ゆっくり後ずさっていく。

アニエスはカウチから立ち上がった。


「あなたまで、私から死を奪うの?」


赤い月光が、彼女の瞳を染める。


「違います」


「何が違うの」


「死を奪うんじゃない。あなたを、生きる身体に戻します」


アニエスの顔が歪んだ。アニエスの魔力が揺れる。空気が軋む。

けれど僕は目を逸らさなかった。


「私は死にたいのよ!」


「知っています」


「なら!」


「でも僕は、あなたに生きてほしい」


アニエスが息を呑む。

この人を死なせたくない。永遠を生きるんじゃなく。

普通に笑って。

怒って。

老いて。

そんな風に、生きてほしいんだ。

だから。




僕は短剣を、自分の胸に突き立てた。

「――っ!!!」

熱い。

焼けるみたいに痛い。


「リオ!!!」


アニエスの絶叫が響いた。

ああ。

この人、そんな声出せたんだ。

少し嬉しかった。


僕に駆け寄ってきたアニエスは、


「……嫌」

と呟いた。

こぼれた声は震えていた。


「嫌よ、リオ……死なないで」


「あなたは僕を拾って…生き方を教えた…」


血を吐きながら、僕は笑う。


「だから…今度は…僕があなたを…生かしたい」


そして、呪文を唱えた。



一瞬で白銀の魔法陣が床一面に広がり、

淡い白い光が、僕らを包み込んだ。


僕の胸に刺さった短剣が、呪いを解いていく。

アニエスの不死が、僕へ流れ込む。

膨大な呪い。

止まった時間。

永遠。


そして、彼女の身体は「変化」した。

銀髪が揺れる。

頬に赤みが差す。

心臓が、脈打つ。

止まっていた時は進み出したのだ。ようやく。


白い光は徐々に薄れて、最後に、空気に溶けて消えた。


「な……にを……したの……」


「呪いを…書き換えました……」


僕は胸から短剣を抜き、額を彼女の肩に押し当てた。


「あなたの不死を…僕が引き受けた」


涙をこぼしながら、彼女は僕に触れる。

温かい手だった。

初めてだった。彼女を温かいと思ったのは。


「僕の生命を、あなたの不死と結びつけました。

これで、僕とあなたは完全に同期しました」


術式は成功したのだ。

数百年を生きた魔女は生きる体に戻り、

僕の腕の中で震えていた。


「殺してって言ったのに」


「ええ」


「終わらせてって、言ったのに」


「ええ」


「どうして、私を生かしたの」


一呼吸おいて、言葉が、自然に出た。


「愛しているからです」


アニエスが固まった。

僕も、少しだけ驚いた。

けれど訂正する気はなかった。

それ以外に、理由はないのだから。


血に濡れた手でアニエスの頬を撫で、涙を掬った。


「これから」


そして、優しく囁いた。


「僕とあなたは同じ時を生き、一緒に死んでいくんですよ」


見つめ合う僕とアニエスは、それ以上言葉を発しなかった。

ただ、温かい肌が触れ合って、お互いの脈打つ調べを感じていた。




春になった。

アニエスは、驚くほど不器用になった。


「重い……」


「鍋くらい持ってください」


「無理よ、落とす」


以前なら片手で竜を殺せた魔女が、鍋一つ持てずに文句を言っている。

少し笑える。

でも、本人は真剣だ。


「階段って疲れるのね……」


「普通です」


「人間って欠陥生物じゃない?」


「あなたもね」


むっとした顔で睨まれる。

その顔は以前よりずっと表情豊かで、僕は安心した。

ちゃんと生きている。

ちゃんと変わっていく。

永遠じゃない。

だから美しい。


「リオ」


「ん?」


「……怖いわ」


珍しく弱い声だった。


「老いるのが?」


彼女は小さく頷く。


だから僕は、彼女の左手を取った。

細い指に、胸元から取り出した銀の指輪を通す。

彼女が驚いた顔をする。


「何これ」


「結婚指輪です」


「……は?」


「あなたを一人にはしません」


アニエスが固まる。

数秒後、耳まで赤くなった。


「な、何を勝手に……!」


「嫌ですか」


「嫌とは言ってない!」


その反応がおかしくて、僕は笑った。

すると彼女は悔しそうに顔をしかめ、それから小さく息を吐く。


「……誤算だったわ」


「何がです」


「人間なんて拾うべきじゃなかった」


でも。

絡めてきた指は、離れなかった。

窓の外では、春の風が花を揺らしている。

暖かい午後だった。

アニエスは眠そうに目を細めている。

その姿を見ながら、僕は思った。

この人は、ようやく終わったのだと。

永遠の孤独が。

死だけを願う夜が。


代わりに始まるのは、

限りある時間。

朝起きて。

一緒に食事をして。

くだらないことで喧嘩して。

同じ速さで年を取る。

そんな当たり前の日々。

きっと彼女は、何度も文句を言うだろう。

不便だとか。

疲れるとか。

人間は欠陥だとか。

でも、その全部を聞いていたいと思った。


だから僕は、彼女の手を握る。

離さないように。


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― 新着の感想 ―
初めてとは思えない素晴らしい作品でした。 魔女がどうして魔女となったのか等の経緯も面白く、『死』を題材するのはかなり難しかったはず。
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