9.兆候
それからしばらく経ったある日、麗はリハビリの一環として、看護師たちに連れられてドッグカフェにやってきた。 カフェの中では、小さな犬たちが楽しそうに走り回り、飼い主たちが笑顔で話している光景が広がっている。
麗は看護師たちの手を借りながら、車椅子を押して入り口に近づき、そこで足を使いながら慎重に歩き始めた。 周囲の人々が視線を向ける中、彼女の足取りはまだ不安定だが、自信を持って前に進もうとしている様子が伝わってくる。
(少しずつ… 少しずつでもいいから… 前に進みたい)
「はい、今日はここまで。」
看護師の一人にそう言われ、麗は車椅子に戻された。
麗はドッグカフェの一角で、一匹の元気な子犬と遊んでいた。 子犬は無邪気に跳び跳ねては麗の手や足を舐め、その愛らしい仕草に麗は微笑んでいた。
「あなたは何を考えてるの?」
そう言って麗がその子犬と目を合わせた瞬間、突然奇妙な感覚に襲われた。 子犬の目の中に自分がすーっと紙切れ一枚くらいの薄さに変身して、引き込まれるような気がしたのだ。
子犬の目に飛び込み、脳のシナプスという色鮮やかな小宇宙をくぐり、様々な電気信号の煌めきを横目に、その先に広がる非常に抽象的な世界にダイブしていった。
それからは、麗はまるで子犬の目から一人称視点で物事を追体験することができるかのように、子犬の過去の思い出の一部始終が次々と蘇ってきた。 突然の体験に驚きながらも、麗はその子犬が幼い頃に感じた楽しい遊びや温かい家族の姿を体験した。 子犬の喜ぶ姿や家族とのほのぼのとした時間が、麗の心に深く刻まれた。
麗は子犬の思い出の中に浸った後、看護師に肩を揺すられたことで急に現実に呼び戻され、ぼんやりとした表情で周囲を見回した。
「い… 今のはなんだったの?」 と小さな声で呟いた。
周りの看護師たちは全員心配そうな面持ちで、彼女を見つめていた。 この神秘的な体験が、彼女の心に深い印象を残したのは間違いなかった。