32.悲しみの果てに
ポータルに何度も潜り、その闇の奥深くへと進むにつれ、隼人が生まれ育った苦しい過去が浮かび上がってきた。幼い頃、隼人は愛されず孤独だった。親からの無関心と、虐待の日々が彼を形作った。泣きながら抱きしめられることもなく、ただ苦しみと絶望に包まれた記憶がそこにあった。
隼人の心の暗闇の中で、麗は幼い彼の姿を見つける。彼がかつて感じた愛の欠片を取り戻すよう、麗は、しくしくと泣いている幼い隼人を優しく抱きしめた。その時、隼人のポケットからふと何かがこぼれ落ちる。それは小さな花のようなものだった。麗はそれが「愛の花」だと直感した。隼人の心の奥深くに眠る愛の欠片が、彼の心を少しだけ癒しているのを感じた。
すると、麗を取り囲む暗闇が徐々に白んでいき、麗はみるみるうちに現実世界に呼び戻された。
現実世界に戻ると、隼人は涙を流していた。彼の目から溢れる涙は、長年抱えてきた苦悩と怒り、そして深い悲しみを物語っていた。「俺は…俺は…」弱々しい声で繰り返す言葉が、麗の心を打った。彼女は静かに大男を抱きしめ、その背中に手をやる。
しばらくして、麗はゆっくりと隼人の肩を撫でながら問いかけた。「私のこと、覚えてる?」隼人は目を閉じ、深いため息をついた後、再びゆっくりと頷いた。
そして、静かに始まる隼人の告白。半年前のあの夜、彼は夜の街で出会った麗をホテルに誘い込もうとした。しかし、その計画は突如として終わりを告げる。ある男の出現で狂わされたのだ。その男は麗の父親を名乗り、彼女を守ろうとした。混乱の中で、路地裏で激しい争いが始まり、隼人は仲間と共にその男を制して麗と共にホテルの一室に引きずり込んだ。
隼人の目は、その時の混沌とした記憶をたどりながら、その男との激しい肉弾戦を描き出す。我が子を守ろうとする男の抵抗、そして彼の怒りと悲哀が入り混じる中で、最終的に隼人が父親を倒し、麗には睡眠薬を飲ませた。その後、彼女の父親は隼人に最後の抵抗を試み、そのことが隼人を憤慨させ、彼の手によって息を引き取ったのだ。
その真実に直面した麗は、自分の父親が隼人によって殺されたことを知り、衝撃と混乱に包まれた。目を覚ましたとき、ホテルの一室で倒れていた男が、隼人によって殺された麗の父だったのだ…。
普通の神経であれば、この真実を受け入れることは難しい。しかし、麗の精神は修行によって成長していた。そして、深い愛と感謝の気持ちで父親の運命を受け入れることができた。
彼女は静かな涙を頬に光らせながら、何度も「ありがとう」と呟いた。思い返せば父の失踪後、事あるごとに寸でのところで救われる機会が多かったように思えた。父は何らかの理由で麗とは直接の接触を避けるようになったが、代わりに彼は常に遠くから麗を見守り続けていたのだ。彼女が無意識に感じていたあの視線、それはずっと父親だったのだ…。そのことに気づいた麗の心には、温かい何かが満ちてきた。麗はその深い愛を受け取り、心の中で父親に感謝の言葉を捧げた。
「ずっと、見守ってくれていたんだね。ありがとう、お父さん。」
麗の呟きは、静かな夜風に乗って、遠くの星空へと消えていった。その瞬間、彼女の心は少しだけ軽くなった。
しかし、この事件にはさらに深い闇が潜んでいた。隼人の一味と中警隊の一部がグルになって、隼人の殺害をうやむやにし、麗に罪をなすりつけるための計画を練っていたのだ。隼人の仲間は、彼の殺害が発覚することを恐れ、中警隊の腐敗した警備隊員たちと結託して証拠を隠蔽し、偽の証拠を捏造した。
彼らは、麗が睡眠薬で記憶を失っている間に、彼女が犯人であるかのような状況を作り上げた。現場に残された指紋や血痕を巧妙に操作し、まるで麗が夜の商売で出会った男を殺害したかのように見せかけたのだ。そして、この偽りのシナリオをもとに、二人の刑事が調査を進め、記憶のない麗は自分が何をしたのか確信を持てないまま、ますます混乱していったのだ…。
麗はその闇の事実を知り、深い憤りと失望を感じた。彼女はこれまでも中警隊の腐敗に対して不信感を抱いていたが、今回の事件でその思いは一層強くなった。
「これだから中警隊は…」麗は鋭く言い捨てた。
隼人は恐る恐る問う。「そ…それで、俺はどうすればいい?償おうにも…償いきれんし…。もう煮るなり焼くなりどうとでもしてくれ」
麗は穏やかな声で応えた。「この町を去ってください。もう二度と私があなたの顔を見ることのないように。」
隼人は少し戸惑いながらも、麗の言葉を受け入れ、大男に似合わぬ様相でトボトボと歩き始めた。
ふっと一息つき、仄かな安堵感を胸に、立ち去る隼人の背を見ていると、最後の最後に ー 麗は妙なひっかかりを覚えた。
「ねぇ、加賀見隼人」
静止する隼人。麗は問うた。
「本当に、父を殺したのは…あなたなの?」
隼人はこちらを振り向かないまま、過剰なまでにゆっくりとした動作で頭を垂れた。
そして彼はおずおずと町を後にし、二度とこの地に姿を現すことはなかった。




