第389部分
「おっと、それは良くないのう。確かに野外では油の類を入手する事は比較的難しいと言えるが、だからこそ事前の準備にて意図的に補ってやらねばならぬのじゃが」
しかし、確かにアイシスも冒険中の食事事情について嘆く……という程ではないにせよ、炒め物が少なかったという事実を口にしたとはいえ、別にそれが大して悪い事だと思っていた訳ではないというか、少なくとも仕方の無い事であるとは思っていたのだが、それを聞いたシラユキは意外にもその事実に対しそうはっきりと苦言を呈する。
「え? そうなんですか? でも、特に不足していたっていうか、身体に不調とかも感じませんでしたけど」
だが、シラユキがそう明言したとはいえ、特にそれによる、つまり脂肪不足による不調等を感じた覚えも無く、またそれが必須な栄養素である事は理解しつつも、かつての世界にて何となく蔓延していた脂肪に対する悪いイメージと、何よりもタチバナが準備を抜かるとは思えないという事もあり、それを聞いたアイシスは返答を取り繕う事も無くそう意外そうに訊き返すと、別にタチバナを庇おうと意図的にした訳ではないが事実として特に健康に問題は無かった旨を告げる。
「それは運が良かっただけじゃ。尤も、地域の生態系等を熟知しておれば、ある程度計算に入れても構わないという程度の確率ではあるが、冒険とは自然が相手である以上、十分なそれが手に入らない可能性もあるのじゃからな」
が、シラユキはその状況を一言でそう断じると、此方もあまりタチバナを責める意思があるという訳ではないのかその行動に一定の理解は示したものの、自然が相手である以上はそれが十分に手に入らなかった可能性もあった事を示す。
尤も、タチバナがどの様な意図で炒め物を出さなかったのかという事や、そもそも本当に油の類を用意していなかったのか、などという事は一応は一通りの荷物を目にした事はあるアイシスでさえ、基本的にその管理をタチバナに一任していた事もあり正直に言えば定かではなかったにもかかわらず、シラユキは既にその全てを知っているかの様に話していたのだが、最早アイシスはその事に違和感を覚えてすらおらず、ごく自然に語られた内容を事実として受け入れていた。
「……それはそうかもしれないですけど、脂肪ってそんなに重要なものなんですか? それは、長期的に不足するのは良くないとは思いますけど、冒険の途中なら多少の栄養の偏りは仕方が無い気はしますけど」
しかし、そのシラユキの言葉は至極尤もではあったものの、やはり脂肪にそこまでの重要性を感じないアイシスとしては、何故師がそこまで必死に……もとい厳しく言っているのかが今一つ理解出来なかった為、その自らの考えを隠す事も無く更にそう訊き返す。
とはいえ、無論それが「必須栄養素」とまで呼ばれるものである事位は当人も知っていた為、それはあくまでも「冒険」という特別な時間に限った話ではある事を追加で口にはしたのだが、それでもその弟子の言葉を聞いたシラユキは呆れた様子を隠す事も無く溜め息を一つ吐くばかりだった。
なお、たとえば毎食が「果物のみ」だとか「白米と漬物と赤身肉」の様に明らかに脂肪が不足しているものであれば、アイシスも流石にそれがよろしくはないという事には何の疑問も持たなかったものの、これまでの道中では何だかんだ言っても脂の乗った川魚やら豆やらで最低限の脂肪分は確保出来ていた、より厳密にはそう本人は認識しているからこそ、こうして師の苦言にもいちいち反論を試みている訳だが、これまでに見せた洞察力からして恐らくはシラユキもその辺りは理解している筈である為、それでもそれを隠さないという程度には、そのアイシスの理解は当人にとって呆れるに値する事の様だった。
「……先ずは後半についてじゃが、冒険では多少の栄養の偏りは、どころか碌な食事を取れない事すらもあり得るからこそ、事前の準備が肝要であるという話じゃろう。そして前半についてじゃが、無論重要に決まっておるじゃろう。一度それが不足してしまえば、皮膚や髪の乾燥といった大問題が発生してしまうのじゃからな」
ともあれ、溜め息を吐き終えたシラユキは先ずは、と順番を入れ替えてアイシスの発言の後半部分についてそう、此方もあまりにも尤もな反論をすると、それはそうだと顔を軽く染めたアイシスに向け、いよいよわざわざ後回しにした前半部分について、つまり脂肪分の重要性についてそう力説するが、それを聞いたアイシスの反応は芳しくはなかった。
というのも、シラユキがわざわざその重要性を取り立てて説明する程なのだから、自身の知識には無い何かしら特別な重要性があるのだろう、と勝手ながら期待を高めていた所に、まさか「皮膚や髪の乾燥」などという、少なくとも生命にはとても関わりそうもない影響を「大問題」だと力説されたアイシスには、最早きょとんとした表情を浮かべる以上の能動的な反応を示す事は叶わなかったのであった。




