第387部分
しかし、その「我々の関係」というものが単純な親しさの話であるのか、それともタチバナから見れば自分達は主とその師という事になる為、何を言われても文句は言えないだろう、というどちらの意味であるのかが、恐らくは前者ではあろうとは思いつつも、何だかんだ言っても未だ出会って丸一日も経っていないという事で確信を持てるという程でもなかったアイシスは、それ故にはっきりとした返答をする事も出来ずただ曖昧に笑う事しか出来なかった。
とはいえ、一連の言葉の裏にあるシラユキの真意がどうであろうと、一緒になって「そうだそうだ」と喚く……という事は現在の性格的にも無いにしても、仮にも師の言葉という事で曖昧に賛成する位は仕方の無い事であるにもかかわらず、一貫して自らを庇おうとしているという事は何となく察せられていた為、その最初の発言により前倒しにされた調理の準備を忙しくこなしながらも、タチバナの胸中には主の自然な優しさへの感謝が確かに浮かんでいた。
そして、そうして早められた調理の工程により発した音、則ち何かを油で炒めていると思しき音が食卓の方にまで届き始めると、流石にその時点では何がそうされているのかまでは分からずとも調理の過程が進行した、つまり当人もそれを待ち望んでいる事を明言した昼食の時が近付いた事を理解したアイシスは一度無意識にその音の方を向くと、未だに先の言葉が本心からのものかは不明なものの、それで気を収めてくれただろうかと考えながらシラユキの方へと向き直る。
が、そこで待っていたのはそれ以前の、つまり気を収めたとか収めない以前の予想外の光景であった為、それを見たアイシスは思わず言葉と動きを失い、また一時的にフリーズした様にその姿勢のまま静止してしまう。
「……どうした?」
しかし、その要因となった「予想外の光景」を作り出した当の本人にはその自覚は無いのか、或いは有る上でとぼけているのかは不明だが、変わらず台所からは何かを炒める音が響く中、そうして動きを止めたアイシスを暫し眺めていたシラユキは漸く口を開いたかと思うと、未だ動きを失ったままのアイシスに向けてそう尋ねる。
「いや、どうした? じゃないですよ。シラユキ先生こそどうしたんですか、そんなに私の事を見つめて」
すると、そのとぼけた反応が癇に障ったのか、或いはそうしなければならないという使命感に駆られたのか、殆ど思考停止していた筈であるにもかかわらず珍しく即座に反応したアイシスは即座にそうツッコミを入れると、自身をその状態に陥らせた原因となった師の行動についてそう問い返す。
「いや、やはり人間を観察するのは面白いと思うての」
尤も、あくまでもアイシスが目にしたのは自身がそちらを振り向いた瞬間にはシラユキの視線が自身に向いていた、という情報のみであり、アイシスがその様に、つまりシラユキがずっと自身の事を見つめていた、と判断した根拠としては乏しいというか、その判断には当人の予想が多分に含まれている事は否めなかったのだが、それを承知していない筈もない、則ちその質問にも引き続きとぼける事は難しくはない筈であるにもかかわらず、それを受けたシラユキはその指摘を暗に認めてそう、先程にも似た様な事を口にした答えを返す。
「……私がそんなに面白いって事ですか?」
そして、その事は当然ながらアイシスも未だ覚えていた為、この短期間に二度も「面白い」と判定された、より厳密にはそう解釈したアイシスは少し考えた後、自身は別に面白い事をしようなどとは一切考えていない為にやや不満げにではあるものの、その真意を問おうとそう訊き返す。
「ううむ、難しい質問じゃな。その質問に否定の答えを返せば嘘になってしまうのじゃが、此度は別にその様な意味で申した訳ではないからの」
とはいえ、あくまでもシラユキは「人間の観察が面白い」と述べただけである為、別に「アイシスが面白い」などは言っていなかったのだが、それを聞いたシラユキは短く唸った後にそう言うと、その質問自体には肯定の意を示した上で、やはりアイシスが先の自身の言葉を誤解している旨を明言する。
「……それなら良いんですけど。それよりも、もうすぐお昼ご飯が出来そうですよ?」
しかし、流石にそう明言されたからにはその言葉を疑う様な事はしないまでも、別に何も面白い事をしようなどとは考えていない自身が「面白い」とも明言されてしまった事に対しては何か思う所が無い訳ではなかったアイシスであったが、此処で大人げない反応を見せればそれこそ更に「面白い」と判断されてしまいかねない、という事で渋々ながらも納得の意を示す。
が、そもそも最初に騒ぎ出したのはシラユキの方であるにもかかわらず、台所から聞こえる音に反応していなかった事が直前の自身の反応の、つまり「面白い」などと思われてしまった要因である事を思い出すと、何故それを気にしていないのか、という抗議の意を密かに込めてそう訊き返すのであった。




