あんたが今ここで倒れたら、王太子殿下との約束はどうなっちゃうの?お願い!断罪されないで、公爵令嬢。
「もうそろそろ、お暇させていただきたいのだが、馬車の修理はどうなっている?」
誕生祭でのやり取りや、当日の準備についての会話を一通り終えた後、王太子は空になったティーカップを戻しながら窓の外を見ていた。
「おそらく修理は終わっていると思います。ですが…」
「なんだ?」
「街道の調査がまだ完了していないのです。
なにせ、王太子殿下御一行を襲った魔物ではなく、別の何かが結界を壊したと考えられますので……、
その結果がわかるまでは危険ですので公爵邸を離れないほうがいいかと。」
「あの壁みたいなやつか……??」
「はい、危険区域に入らないよう、壁のような結界を張ってもらっていたのですが………って、何故知っておられるのです?」
王太子には結界が崩壊したことを今伝えたばかりである。また、結界の詳細については教えていない。
なのに、"結界が壁のようなもの"であることを彼は自ら口に出した。
アリアは警戒しながら王太子の行動を見守った。
「………すまない、多分…ソレ、私が壊した。」
「は???」
「……つまり、街道を走っていたら壁にぶつかり、馬車が進まなくなったので、王太子殿下自ら見えぬ壁を魔剣で斬った、と。」
「急いでいたもので、警戒標識等にも気が付かず……。」
アリアはあまりの失態ぶりに頭に手をおいて、溜息をついてしまった。
「…王太子殿下、貴方様は民の上に立つお方です。
御身が危険に晒されることで、どれ程国に被害が出るとお思いで?
何も考えていないから、急いでいたから等という言い訳が言えるのですね!!
挙げ句、ご自身の護衛の命が危うく無くなるところだったのですよ!?
民を守る立場の方が何をしているのですか!!」
「……申し訳ない。」
「私に謝るのではなく、護衛の方に謝罪なさいませ。
……結界に関しては貴方様が壊したとの事で無事解決しましたので、お帰りになって結構です。」
この王太子はあまり叱られたことがないのだろうか。
少し言い過ぎたとは思ったが、この程度で項垂れる人間だと、アリアは思っていなかった。
それとも、嫌っていた人間に正論で叱られて悔しいのだろうか…何にせよ、王太子相手に一介の公爵令嬢が叱咤したなど…下手したら自分の首が飛ぶ。
謝らねば…、とアリアが動いた時、
「アリアちゃん、レオナルドをあまり責めないでやってくれ…!俺がこの街道を通っていこうって言ったのが悪いから……」
ティグレはこの通りだ!とアリアに深く頭を下げた。
「ティグレ様、頭を上げてくださいませ。私の方こそ、言い過ぎでしまい、誠に申し訳ありません。」
アリアは椅子から離れ、二人の方へ赴いた後、頭を垂れた。
「よせ、私が悪かった……配慮が足りなかった。」
王太子は立ち上がり、アリアへ手を差し伸べた。
嫌いな相手であっても、
手を差し伸べることはできるのね。
そんなことを思いながら、アリアは王太子の手を取り、恭しく礼を述べた。
「王太子殿下の寛大なお心に感謝いたします。」
「魔物はもう出没していないとの事ですので、来た道を帰っていただいて大丈夫です。
一応、王都まで私の衛兵二十人に馬車を護衛させます。」
王太子とティグレを玄関へ案内し、アリアは護衛させる自分の衛兵を紹介した。
「何から何まですまなかった。」
「これ位のこと、ノウン公爵家にとっては朝飯前でしてよ、謝れることではありません。」
「そうか……、ありがとう。」
初めて、王太子が口角を上げてアリアに感謝を示した。
花が綻ぶように笑うその姿は、アリアが見たことの無い、王太子の表情だった。
アリアは見惚れるというよりも、
こんな儚げな笑みを浮かべられる男がいるのね……、
うわぁ…、この人女だったら絶対国が傾く美人だわ。
なんて野暮な事を考えていた。
いかんいかんと、頭の中の考えを吹き飛ばし、アリアはティグレに渡す為の品物を侍女に持ってくるよう命じた。
「ティグレ様、これ、いつものクッキーです。今朝、明日のお茶菓子にしようと焼いていたので、もしよければ馬車の中でお食べください。」
そう言って紙袋に包んだクッキーをティグレに渡した。
「え!いいの!?わー!ありがとうアリアちゃん!
今日はてっきり無いと思ってたから嬉しい〜!」
まるで尻尾を勢いよく振っているかのように喜びながら、ティグレはアリアから紙袋を受け取った。
「王太子殿下には、料理長が作りましたお茶菓子をお持ちいたしました。また、護衛の方に軽食をお渡ししておりますので、皆様でお食べください。」
「……何故、私には君の手作りのクッキーがないのだ?」
包を受け取りながら、疑問を投げかけてきた王太子に
アリアは驚いて一時固まってしまい、言葉を紡ぐのに時間がかかった。
「何故って……、それは……
以前王太子殿下に手作りのお菓子を差し上げた際に、
床に投げ落として足で踏みつぶし、
『食べ物と呼べないような汚物を差し出すな!お前が作ったというだけで吐き気がする。』
と私に仰ったからなのですが………」
醜女であろうとも、婚約者であるからには
せめて仲良くなろうと、愛し合うことはできずとも、
尊敬し合う仲になろう。
そう決意してアリアは過去、王太子に何度か近づこうとしたことがある。
結局惨敗し、ただただ自分の不出来さを実感しただけの
苦しい過去になってしまった。
「うわ……お前、俺でも引くわ……サイテー。」
ティグレは貰ったクッキーは守り抜こうと、抱きしめつつ自分の主人を軽蔑の眼差しで眺めた。
「過去のことですし、私は気にしておりません。
嫌いな相手から手作りのお菓子など貰っても、喜べるはずがありませんものね。
私のお茶菓子を喜んでくださるのは家族とティグレ様ぐらいですもの。」
本当に全く気にしていないような口調で喋るアリアが、どんな顔で話しかけているのかが解らない事に王太子は悔しさを感じていた。
「はあああぁぁぁぁぁ、つっっかれたー」
物凄く深い溜め息と共に、アリアは自分の部屋のソファに全身を預けた。
「見事な公爵令嬢ぶりでしたよ、お嬢様。このゴート、感服いたしました。」
「わざとらしくお辞儀するのやーめーてー、
あー、本当焦った……私目当てで来たなんて……。」
十年間放っておいた婚約者に会いに来ると思わないじゃない?そんなことを呟きながらアリアはヘッドドレスとベールを脱ぎ捨てた。
「それにしても、王太子殿下はお嬢様に何用が?」
後ろで控えるゴートの問に、アリアは顔だけ向けて公爵令嬢らしからぬ呆れた顔で答えた。
「それがさぁ、めちゃくちゃ危ない香りの案件なのよ。」
「なるほど……、王太子殿下に誘われた王妃様の誕生祭が、この『王太子殿下の恋人は平民』の、クライマックスに似いていると……。」
執事とお嬢様の二人は机上の本と睨み合いながら考察していた。
「まぁ、"私が"強制的に王太子と出席するよう仕向けた、とか、主人公は伯爵令嬢だけど、現実だと子爵令嬢だったり多少違うけどね。
全く…こんなことなら契約結ばず突き放せばよかった。」
「契約を締結したのですか?」
「そうよ?何でも願い事一つ叶えてね!っていう承諾は紙に残したほうがいいじゃない。拇印も押してもらったわ。」
アリアはスッと、何処からともなく王太子のサインと拇印付きの契約書を出してゴートに見せた。
「……王太子殿下を奈落にでも突き落とすつもりで?」
「私が王太子に復讐でもすると思ってるの?
復讐するぐらい憎んでないわ、時間の無駄よ。
そうじゃなくて、この舞踏会が終わったら……」
「終わったら?」
国の中で三公と呼ばれるほど、豊かで権力のある公爵家に生まれ、
権力も財力も望まないお嬢様が、王太子に望むものとは
一体何なのか……。
検討がつかない執事は、生唾を飲みながらアリアの答えを待った。
「婚約破棄して貰おうと思って!!!」
瞳を輝かせながら言うアリアをよそに、執事は斜め上どころではない回答が飛び出てきたので肩を落とした。
「それは……、旦那様にご相談したら破棄できるのでは?」
「無理だったのよ。王妃様が王太子と私をどーしても結婚させたいらしくて…、それで国王陛下も首を縦に振ってくださらない。あー!!何で私なんかを嫁にほしいのかしら……」
じたばたと駄々をこねるように暴れるアリアを横目に、執事は考え込んだ。
確かに、お嬢様は王太子と歳の近い唯一の公爵令嬢であり、
今の王妃様が何度も逃げ出したという王妃教育を、十年間欠かさず続け、
遂には国王代理補佐が出来るレベルまでの学力及び判断力を身に着けたお方。
そこまで手塩にかけて育てた王妃候補を手放したくない…
ということなのだろうか…。
いや、王妃様にはそれ以前にお嬢様に執着する原因があったが……まさか、それが理由か?
「ゴート?、さっきから何一人で考え込んでるの?」
「失礼致しました。仮にも、この物語の通り王太子が刺されるなどという事件があってはマズいのでは…と考えていまして、」
「確かに……、王太子に何かあったら私が『聖なる力』みたいな変な必殺技で断罪されるってことよね……。
駄目だわ……駄目よ!!!」
流石に王太子の身に危険が迫ることは幾ら嫌っていようとも望んでいないのだなと、ゴートは少し安堵した。
「婚約破棄して貰えなくなるし、ノウン家が危うくなるじゃない!!」
「そこですか!?」
「それ以外何があるの!?
何もしてないのに冤罪ふっかけられてお家没落に処刑だなんて…、私は婚約破棄してハッピースローライフを送るつもりなんだから…!
今に見てなさい……!この本の通りには進ませない!!
王太子との約束を果たすまで、
我がノウン家の名にかけて護りきってみせるわ!!」
天に向けて拳を掲げるお嬢様を、執事は呆然と見ることしかできなかった。