公爵令嬢、死す。
「……もう死にたい。」
アリアは青白い顔をしながら、声を絞り出した。
「物騒な言葉が漏れてるぞ、どうした?」
自分をエスコートする男性から声をかけられ、心の声が漏れてしまっていたことに気がついた。
「申し訳ございません…、いつもの服装とは真逆の装いですので、つい本心が漏れました。聞かなかったことにして下さいませ、王太子殿下。」
今日は王妃殿下の誕生祭。
アリアは王太子殿下と約束した通り、誕生祭の舞踏会に二人で出席するため、大広間までの廊下を王太子のエスコートで歩いていたのである。
アリアは苦痛で仕方なかった。
物理的な意味で。
なんせ、コルセットがキツ過ぎるのである。
いつもの感覚で、少し緩めに縛って王宮に到着したところ、王妃様の侍女たちに連行され、締め上げられたのだ。
一歩踏み出すだけで、肋骨に痛みが走る。空気すらまともに吸えない。
世の女性たちはこんな痛みに耐えて、更に重苦しいだけのパニエを身に着けているのか……、とアリアはご令嬢達に対して尊敬の念を抱いた。
アリアがコルセットのせいで暗く覇気がないことなどつゆ知らず、
王太子はこの容姿の何処が気に入らないのか探すため、婚約者の姿を気付かれないように確認していた。
パニエによって膨らまされたシルエットではなく、
三角錐を描くようなヴェルチュガダン・シルエットのドレス。
その生地は初雪を思わせるかのような純粋な白色で、
ペチコート部分は海のような澄んだパステルブルー色。
自分の瞳の色である鮮やかな銀糸で描かれた幾何学模様の装飾、水滴のように光で淡く煌めく真珠で作られた飾りロザリオ。
広がった袖口を折り返すデザインの袖は、折り返す部分を透明な絹地にし、装飾的なスラッシュがよく見えるよう作られている。
黒色のベールで隠されていた髪は透明なベールで覆われたことにより、
虹色に輝く白銀の髪であったことを初めて知った。
「ふむ……、君に似合っていると思うが、そんなに嫌なのか?、そのドレス。」
「は?」
急に何を言い出すのかと、アリアは思わず王太子の方へ顔を向けた。
「髪色や肌の色とも合っているし、洗練された上品な女性に見えるが……」
「まぁ、王太子殿下にお褒めいただき恐悦至極にゴサイマスワ。
ですが……、この衣装高すぎやしません?」
「高すぎ、」
「そもそも、銀糸で最高級のお針子が手縫いした刺繍は金属加工よりも金額が高いんですよ!?、それに真珠なんて……!
加工しなくていいから宝石よりも高価なのに!!
更になんですかこのヘッドドレス!!小枝や蔦、花をあしらった銀製のヘッドドレスってなんですか!?
しかも全部に小さな金剛石が散りばめられてる……!
下手したらそこら辺のティアラより値が張る…!
これ、本当にティアラじゃなくてヘッドドレスなんですか!?
ああ…恐ろしい……、私は今上級役人の二十年分ぐらい…、いやそれ以上の給料を背負っている…」
自分の婚約者はこんなにも表情を変えて喋る人だったのか。
王太子はアリアの言動に驚きつつ、少し面白いなと感じていた。
「公爵家の令嬢である君が金銭の心配事をするなど思わなかったな。」
「あら、私だって領民の上に立つ者の一人ですから、
税金の使い道や経済には目を光らせておりますのよ。」
「そうか。……上に立つものとして自覚のある君ならば、
"私の隣に立つ者"としての役目を全うしてくれるね?」
大広間へ繋がる扉の前で、王太子はアリアに向けてはにかんだ。
「勿論、契約させていただきましたので任務はしっかり
遂行させていただきますわ。」
自分たちの入場を知らせる号令と共に開かれた扉に向かって、二人は歩き始めた。
「今のところ、順調……と、考えてもよろしいですか?」
「まぁ、周囲から騒がれるのは予想済みだったが……、
母上の反応は意外だったな…。」
「…あれは私も驚きました。」
アリア達は王妃殿下へのお祝いの挨拶を終え、曲が始まるまで睦まじく見えるよう(王太子だけ)微笑みながら小声ではなしていた。
ついに!私の息子とアリアちゃんが並ぶ日が来るなんて!!
そんな声が聞こえてきそうなほど、王妃は二人の姿に大喜びした。王太子からのお祝いの言葉などそっちのけで、アリアに対して次の舞踏会にも是非二人で来てほしいやら、お茶会には何時来てくれるかしら等…話が止まらなくなり、遂には国王に止められていた。
「君、母上に何かしたの?」
「王太子殿下と婚約してからは、三ヶ月に一度ほどお茶会にご招待されるくらいしかお会いしておりませんので、何もしてないかと……。
それより、問題のご令嬢方は……?」
「男爵令嬢の方はまだ来ていないと思う。
子爵令嬢に関しては、ディチア小公爵にも気があるみたいだから、そっちに話しかけてるんじゃないかな。」
三大公爵家のうちの一つであり、
代々宰相を輩出する一家であるのがディチア公爵家である。
小公爵は王太子殿下と同い年であり、王太子補佐としても活躍している。
「…そういえば、王太子の恋のライバルが宰相を輩出する公爵家の嫡男だったな…」
アリアは『王太子殿下の恋人は平民』の内容を思い出しながらぶつくさと呟いていた。
確か、王太子が婚約者と舞踏会に出席したことに衝撃を受けて、泣きそうになるところを小公爵に励まされるとか何とか…で、奮起して二曲目の曲を王太子と踊るんだっけ…?
それで、三曲目は悪役令嬢に王太子は渡さない…!
と言われて嘆いてたら……あの事件が……
「どうかしたか?」
「いえ、あのディチア小公爵まで気に入っている子爵令嬢様は、さぞかし可愛らしい方なのかと思いまして……」
「アイツが気に入る?そんなわけ無いだろう。
やめてくれ、鳥肌が立つ。
そもそも、あのご令嬢は苦手なんだ……
私まで気に入っているような言い方をしないでくれ。」
麗しい顔が見たこともないようなしかめっ面をしていたので、アリアは少しからかいたくなった。
「あら、何度も言い寄ってくると仰っていたので
てっきり口説いたのかと思ってましたわ。」
「誰が口説くか!!」
「声が大きいですわよ、皆に気が付かれていまいますわ。」
アリアは王太子の口元近くにそっと人差し指を向け、
王太子の耳が赤くなったことなど知らず、見えない顔でクスクスと笑っていた。
弦楽器とチェンバロの優雅な三拍子が大広間に響き渡る。
舞踏会での最初の曲が始まり、主役である王妃とその夫である国王が玉座から広間の中心へと赴き踊り始める。
次は両陛下の第一子である王太子レオナルドが女性を誘い、踊り始めなければならない。
王太子はアリアの右手を手に取り、口付けをした。
「…アリア公爵令嬢、どうか私と踊ってくださいますか?」
「もちろん、喜んでお受けいたします。」
王太子に向かって、アリアは微笑み返すように小さくお辞儀をし、二人は踊り始めた。
「あの方……"醜女"よね?、何で王太子殿下と踊ってらっしゃるの?」
「しかもあの衣装…王太子殿下と対になってるわ…!
何でよ……、引き籠もりのくせにっ、あんなに踊りが上手だなんて聞いてないわ…!」
「あら、ノウン家のアリア嬢が踊っていらっしゃるの?
王太子様ととても良くお似合いだわ。
険悪な関係だと謂われていたけど、あの足取りは仲が良くなければ出来ないわね。」
「ノウン公爵夫人に似て、洗練されていて華がある方なのね……知らなかったわ。」
若いご令嬢方から羨望と怨恨の眼差しが、
貴婦人方からは青春を見て懐かしむような眼差しが二人に向けられていた。
白地に銀色で装飾されたドレスを着たアリアと、藍色に銀糸で彩られた礼装用軍服を身に纏った王太子の軽やかな足取りから生み出される甘美な踊りは、
それだけ人々を魅了していたのである。
「踊りが上手なんだな、君。」
「王妃教育の賜物ですわ。王太子殿下も伊達にご令嬢全制覇してるわけじゃないんですね。」
「全制覇って……違う言い方があるだろう?」
「私とも踊ったので、全制覇以外の何ものでもないでしょう?
それより、私の予感が正しければ二曲目の前に子爵令嬢に絡まれると思いますので、お気を付けくださいね。」
アリアは周りに気付かれぬよう、顔を近づけて王太子に注意を促した。
『王太子殿下の恋人は平民』の通りであれば、一曲目が終わり互いにお辞儀をした後、主人公が王太子に声をかけるはずだ。
現実では令嬢から王太子殿下に声をかけるなど、禁じ手である。
だが、相手は元平民。仮にあの本を読んで行動していたとしたら、必ず声をかけてくる。
その時、自分がどう行動するか…、私と王太子の言動によって上手く収まるかが決まる。
そんな覚悟を抱きながら、アリアは王太子と共に一曲目終了のお辞儀をした。
「王太子様っ!!!」
可愛らしい必死な声が、大広間に響き渡る。
たったったった、とドレスの裾を持ち上げて走ってきたのは、
なんとも服に着られた少女のような令嬢だった。
腰を絞り、スカートはパニエで膨らませ、メリハリの効いた
ローブ・ア・ラ・フランセーズスタイルのドレス。
ドレスの縁をフリルで肩から腰、足元まで装飾し、
前面は四連ものリボンがついたピエス・デストマで華やかに見せている。
スカート部分や袖口にもリボンが沢山付けられ、
フリルとリボンで彩られたチョーカーに、頭には大きなフリルのリボン。
フリルとリボンが大渋滞を起こしている。
ドレスに興味のないアリアにもわかるほど、盛りすぎだった。
この調子で胸も盛りたかったのだろう、
だが、コルセット内にパットを必死に入れてある事がバレバレなほどに谷間がなかった。
「王太子様、次は私ミーナと踊ってくださいな、こんな心まで醜い悪女と踊らなくていいのですよ?」
子爵令嬢はアリアを指でさしながら、王太子が私と踊れなくて困っているでしょう?と言わんばかりの台詞を吐き出した。
が、そんな事などアリアは聞いていなかった。
可哀想。多分、あの主人公のように宝石を使わずに華やかさを演出したくて盛りすぎたんだろうな……、あと顔に化粧をしないで純情さをアピールしようとしたせいで顔と服とのアンバランスさが凄い!!お化粧映えしそうなお顔なのに……。
「ちょっと!ミーナの話聞いてるの!?、権力を持ってるからって私と王太子の仲を邪魔しちゃいけないんだからね!?」
キャンキャンと威嚇する小兎の罵詈雑言など、可愛く見えてくるわ…、などとアリアは呑気に子爵令嬢を見ていた。
貴族社会では、目上の人が話しかけてきたら目下の人間はその方と会話をすることができる、という常識がある。
ここで自分か王太子が話しかけてしまうと、子爵令嬢に話す権利を与えることになるのだ。
何を言われようが無視を続ければ、それだけ子爵令嬢はタブーを犯すことになる。
耐えて、こちらが不利にならないように動かなければならない。
耐え……
「ミーナの話すら聞かない公爵令嬢だなんて、両親の育て方が悪いんじゃないのぉ?」
「ソリーニ子爵令嬢、でしたか?」
耐えられなかった。
アリアの発した一言で、大広間が凍りついた。
まるで熊をも射殺すような、鋭い視線と圧力がベールで見えない向こう側から発せられていた。
あれだけ咆えていた子爵令嬢も、蛇に睨まれた蛙のように動けない。
「ええ、私は醜女でしょうとも。
ですが、貴女ごときが名前を呼べるような身分ではなくてよ。
ましてや我が両親を侮辱するなど、ノウン家に対する宣戦布告かしら?
私、喜んでお受けいたしますわ。
何せ、『心まで醜い悪女』なんでしょう?
貴女の家が無くなるまで、消してあげますわ。」
「ひっ……、」
子爵令嬢は冷や汗が止まらなかった。
この女は確実に私と家族が消滅するまで潰す気なのだ、と肌で感じ取ったからである。
「ですが、今日は王妃殿下のお祝いの席。
そんな佳き日に争い事など好ましくないので、貴女を赦して差し上げます。」
アリアは一歩ずつ、逃げたくても動けない子爵令嬢に向かって近づいていった。
「いいこと?平民には平民の常識があるように、貴族には貴族の常識があるのです。
もう一度、しっかりソリーニ子爵に教育してもらいなさい。
次もこのような事を起こしたのなら、その時は貴女のお父様の育て方が悪かった事になるわ。」
「むっ、娘が大変ご無礼を……!!誠に申し訳ありません!!
王太子殿下…、ノウン公爵令嬢様!どうか、ご容赦を……!」
自分の名前が出たことに慌てた子爵が、娘の頭を手で下げさせながら深々とお辞儀をした。
「よい、さっさと下がれ。」
「はっ、はいっ!!」
アリアにも負けぬような凍てついた王太子の声に恐れをなしたソリーニ子爵は、何で!?私と踊らないの!?おかしい!!等と叫ぶ娘を強引に引き連れて去っていった。
場の悪い雰囲気を消し去るべく、慌てて楽団が華やかなメヌエットを奏で始める。
何事もなかったかのように人々は踊り始め、アリア達もそのまま二人で踊っていた。
「さっきはすまなかった。」
「何がです?」
「その…、前に君を守ると、宣言したのに…私は…」
「貴方様のか細い腕に守られたい等と私は言ってませんが?
それに、王太子殿下が口を挟んだほうが厄介だったので、あの対応が一番役に立ってます。」
「そうか……、ありがとう。」
皮肉で言ったつもりだったのに、笑って自分に感謝をしてくる王太子がアリアは少し憎らしかった。
「後は男爵令嬢だけなんだが……、まだ姿が見当たらないから今日は来ていないのかもしれない。」
「それだったら安心で……」
来ていないはずがない。
だって、あの本の通りならば三曲目が始まる前に……
そんな事がアリアの脳裏に過ぎった時、こっちへと走ってくる影を視界が捉えた。
「危ない!!」
王太子を手で押して避けさせ、アリアは影を抱え込んだ。
影は長い髪をおろした女性で、アリアの腹部には短剣が突き刺さっていた。
ごぶっ、
アリアの喉から血が口へとめがけて飛び出してくる。
「アリア!!」
王太子はすぐさま立ち上がり、アリアの方へと向かおうとしていた。
アリアは左手で短剣を抑え、右手で王太子が近づいてこないよう合図を出した。
「なんでよぉ……、何で!?なんでなんでなんでなんで!?
なんで、アンタが王太子を庇うの!?庇うのよぉっ!!」
隈で覆われ痩せこけた顔に、汚れが目立つ服。
正気とは思えないその姿。この人が男爵令嬢なのだろうか。
アリアは短剣を引き抜かれないよう必死に力を込めながら、女性を見つめていた。
「私と踊ってくれない王太子様なんて、要らない…イラナイのよ……、だから……、だからっ、殺して私のモノにしようと思ったのにぃ……!
こんな、こんな価値がない醜い女を刺しちゃうだなんて……」
「価値がない…?」
ここまで沢山貶されるなんて、今日はあの本の断罪よりも厄日だったかもしれない。
「醜女って呼ばれて、嘲笑レて、舞踏会にも顔を出さず王太子にさえ忘れられタ!!私よりも価値がない女!!
なのに、なのになのに……!!何で王太子を庇ったのよ!?気に入られたいノ!?
私の、ワタシだけの王太子を返してエッ!!!」
叫びながら短剣をアリアの腹から抜こうとする女を、
アリアは右手で弾き、大理石に突き飛ばした。
「……な、」
口から血と言葉を吐き出すように、アリアは声を荒げた。
「ふざけるな!!私の人生を勝手に価値のないものにするな!!」
誰にも見られないベールの奥で、アリアの瞳は濡れていた。
「醜女だろうが、王太子殿下に嫌われていようが、私はここにいる全ての人、そして、この世界の人々と同じように価値のある人間だ!!
醜いなりに、必死で努力して努力して、次の王の支えになるために頑張ってきたのに……、それが無意味だというのか!?」
きっと、無意味なんだろう。
私の価値は、虫けら以下で、
この社交場で必要とする人はいない。
今ですら、私を心配してくれる人はいないのだ。
そうだとしても…最期ぐらい、華々しく散ってもいいよね。
「私の価値は、自分で決める。
……貴女が自分に、『王太子を暗殺しようとした悪逆人』という価値をつけたように。」
「嫌っ…、いやよ……!!私は王太子と……いやああああああああああ!!!!」
女は駆けつけた近衛兵に連行された。
アリアはそれを見届けた後、張っていた糸が切れたように倒れ込んだ。
頭から血が引いていく。
久しぶりに身に纏った淡い色がどんどんと深紅に変わっている。
剣を抑え込んだ手が血でじわじわと温まる反面、その他の部分は蒼白くなっている気がした。
「………!」
「………ア!!しっかりしろ!!」
顔の上で誰かが叫んでいる。
「アリア!しっかりしろ!!アリア!!」
見上げると金色の輝かしい髪と、宝石のように煌めく銀の瞳があった。
……ああ、こんな時でも王太子殿下は憎たらしいほどに綺麗な顔をしている。
馬鹿馬鹿しい。
何故今にも泣きそうな顔で叫ぶのか。
貴方が嫌った婚約者が倒れただけなのに。
最後に見る顔が自分を『見た』こともない婚約者だなんて、
神様に喧嘩を売りたくなる。
「………殿下、」
「…っ!アリア!!もうすぐ侍医と魔術師が来るから……」
アリアは消えゆく意識の中で一つの言葉を彼に残した。
「王太子殿下、よかったですね……これで貴方の婚約者は……、
二度と…貴方様の前に、現れません。」
王太子が何度呼びかけようとも、アリアの瞼が開くことはなかった。




