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相変わらずのバランディに、思わず笑ってしまったシェーラは……ギュッと自分から彼に抱きつく。
「安心しろ。大丈夫だ。……お前のことは俺が絶対守る」
怖がっていると思ったのか、バランディは、先ほどの怒鳴り声から一転、優しく囁いてきた。
シェーラは、フルフルと首を横に振る。
バランディの操る馬は、あっと言う間にゲン国軍の陣地を抜け出し、皇国へと馬首を向けた。
銃撃が追ってきたが、皇気――――いや、神気を使っているバランディには当たらない。
このまま乗っていれば、無事に皇国軍に帰れるだろう。
(でも、それでは戦争は止められないわ)
わざわざゲン国王と共に、ここまで来た意味が何もなくなってしまう。
だから、シェーラは――――
「馬を止めて」
小さな声でそう言った。
「あ?」
「馬を止めて。……そう言いました」
繰り返した言葉を聞いたバランディは、訝し気な顔になる。
「バカなことを言――――」
「止まりなさい!」
説得しようとしたバランディの言葉を遮り、シェーラは命令した。
驚くバランディの動きとは別に、彼女の意思に従った馬が歩みを止める。
ちょうどそこは国境で、両国軍の真ん中あたりだった。
「いい子ね。できるだけお前には負担をかけないようにするから、ジッとこのまま立っていてね」
シェーラは、馬の首をトントンと叩きながら、宥めるように声をかける。
「シェーラ?」
「ジ――――バランディさん……“お願い”があります。このままの体勢で、どうか最後まで逃げずに背筋を伸ばして騎乗していてくれますか?」
バランディは、不機嫌そうに眉をひそめた。
「……いったい何をするつもりだ?」
「戦争を終結させます。……大丈夫です。危険なことは絶対しませんから。バランディさんは、ただ座っていてくれるだけでいいんです」
(おそらくは、それが一番難しいのだろうけれど――――)
シェーラは、今から“女皇の皇気”を使うつもりだ。
自分が抱きしめている相手から、圧倒的な力の波動が出てきたら……普通の人間ならば慌てて逃げ出そうとするだろう。
それは言うならば、いつ自分を噛み殺すかわからない猛獣を懐に入れているようなもの。
(まともな神経の人では務まらないことよね)
そんな恐ろしいことを頼んでいるのに、バランディは気づかわし気にシェーラの顔をのぞきこんできた。
「……本当に危険はないんだな?」
そう聞いてくる。
シェーラは、クシャリと顔を歪ませた。――――笑ったつもりだったが、うまく笑えているかどうか、わからない。
「大丈夫です。――――それに、約束します。これがうまく行って戦争が無事終結したならば、私、バランディさんの言うことを、なんでも一つお聞きしますよ」
シェーラの言葉に、バランディは目を見開いた。
「本当か?」
「本当です」
(ひょっとしたら、それは『二度と俺に近づくな』という言葉になるかもしれないけれど――――)
例えそうでも、きちんと約束は守ろうとシェーラは思う。
(同じミームの町にいるんですもの、隠れて様子を見に行くくらいは、いいわよね?)
今まで、どれほどフラれても相手の後を追ったことなどないシェーラが、そう思う。
(私、自分で思っていたよりずっとジルが好きだったみたい。……今さら思い知るなんて、バカよね)
それでも、シェーラは止まるわけにはいかなかった。
「……わかった。このままでいればいいんだな?」
バランディも了承し、いよいよシェーラは覚悟を決める。
大きな男に後ろから抱きしめられる形で、馬の上に座り直した。
「……約束を忘れるなよ」
耳に囁かれ、コクリと頷く。
折しも、ゲン国軍からは、シェーラとバランディを狙った大砲が発射された。
即座に意識を澄ませたシェーラは、 “女皇の皇気”を発動し、バランディの皇気ならぬ神気を纏わせる。
そのまま強風を巻き起こし、砲弾の進路を変えた。
同時に、爆発的な勢いで、神気に見せかけた女皇の皇気を放出する!
『――――我に従え』
シェーラの意思は、力となって周囲に満ちた!
バランディが、グッと息を呑む。
『――――我に逆らうな』
吹き飛ばされた砲弾が、ゲン国軍の目の前で大地に叩き落される。
即座に上がったドドォ~ン! ドドォォ~ン!! という爆音に消されることなく、シェーラの意思は、明確に人々の頭に響いた。
それは、正確には声ではない。
圧倒的な思念であり、逆らうことを許さずに、心に侵入する絶対者の意思。
ゆえに、声には性別もなく高低もなかった。
『我が意に染まぬ者に、消滅を』
無機質な声と同時に、一天にわかにかき曇る。
大地は鳴動し、雷鳴が轟いた。
『疾く失せよ! 我が眼前に、二度とその姿を現すな!!』
その瞬間、雷がゲン国軍のすぐ脇に落ちる。
何本も、何本も、天から大地を貫く稲妻が、陣営近くの大地をズタズタにした!
大気がビリビリと震えて、風が悲鳴を上げる。
圧倒的な力が、この場を支配した。
――――ゲン国軍は、悲鳴を上げ、怯え、逃げ惑う。
這う這うの体で、全てを置き去り戦場から逃げだした。
その先頭は、ビュケ伯爵だ。
一方、皇国軍の陣営からは、興奮と熱気に満ちた歓声が上がっていた。
「ウオォォォ~!!」という地鳴りのような声が空気を震わせている。
それら全てを――――シェーラは、静かに見ていた。
実際のシェーラは、身動きひとつしていない。
ただ、黙ってバランディの前に座っているだけだ。
それでも、この場を支配した恐ろしいほどの“力”が、シェーラから発したことは、バランディには筒抜けだろう。
逃げ出しこそしなかったものの、シェーラの体に回された男の腕には不自然な力が入り固まっている。
(本当に、ずっといてくれて助かったわ。……これで、ほとんどの人が今の“神気”を出したのがバランディさんだと思ってくれるわよね)
そう思ったシェーラは、操っていた女皇の皇気を治めようとした。
これ以上力をふるう必要はないだろう。
なのに――――
消そうとして――――できないことに、気がついた!
「……なっ!? どうして?」
思わず声が出る。
シェーラの意思とは裏腹に、女皇の皇気は、ますます勢いを増していた。
――――いや、それは本当に“女皇の皇気”なのだろうか?
風がごうごうと吹き荒れ、黒い空を稲光が切り裂く!
「ダメよ! このままじゃ暴走するわ!」
唖然として叫んだ。
今までヴァレンティナが、女皇の皇気を制御しきれなかったことはない。
(なのに、どうして? 私がシェーラだから? ……それとも、ひょっとして――――女皇の皇気に“神気”を纏わせたせいなの?!)
“神気”は神皇家の者だけが操れる力だ。
その力を、シェーラが使ったことが、そもそもの間違いだったのかもしれない。
「……いったい、どうしたら」
途方に暮れてシェーラは呟いた。
もちろん、その間も“神気”を治めるべく全身全霊をこめている。
……なのに、一向に風も雷も止まなかった。
グラリと、シェーラの体が傾く。
極度の気力の集中で、一瞬気が遠くなったのだ。
そのまま馬から落ちそうになるところを、バランディに引き止められた。
なお深くシェーラを抱きしめた男は、心配そうに声をかけてくる。
「おい! 大丈夫か!」
その心が、疲弊したシェーラの心に染みいった。
同時に、バランディの神気も流れこんでくる。
温かく力強い神気だ。
その力が、シェーラの体を巡り――――
(これだわ!)
そう思った。
バランディから流れ込む力を捕まえ、それを利用して、もう一度“神気”を治めようとする。
今度は、手ごたえがあった。
徐々に風が穏やかになり、雷が鳴りをひそめ、黒雲が流れて行く。
大気からピリピリとした緊張が抜け、大地も鎮まった。
――――やがて、“神気”も“女皇の皇気”も……消え去る。
「……終わったのか?」
バランディが、ホッとしたように呟いた。
シェーラも大きく息を吐く。
(……終わった)
そう思った途端、力が抜けた。
倒れそうになって、体に回されているバランディの腕にギュッとしがみつく。
「おい! 大丈夫か!?」
慌てたようにバランディが顔をのぞきこんできた。
雲間から太陽が顔を出し、最初の光が射しこんでくる。
光の中にバランディの顔が、浮かび上がって――――
彼の顔を見て――――ひどく安心したシェーラは……その場で意識を失った。




