7 とある近衛兵の間奏曲②
軽い食い違いはあったものの、めでたく彼女と雨祭りに行ける事になった。
「彼女を誘い、約束を取り付ける」というかねてからの目標を達成でき、ほのかな充足感に心を温めていた僕だったが、ベッドに横になってふと思った。これで終わりではないのだと。
今回僕は、彼女との仲を深めるために、彼女との距離を縮めるために動いている。重要なのは「明日の雨祭りをどのように過ごすか」であって、「雨祭りに一緒に行く約束」ではない。……約束を取り付けただけで彼女と仲良くなれたら苦労はないんだろうけど。
……どうすれば彼女ともっと近づけるのかな。どんなことをして、どんな所に行けばいいんだろう。どんなことを話したらいいんだろう。
シーツに包まりしばらく考えてみたが、さっぱり分からなかった。
そもそも僕は対人能力が低いのだ。人と話す事──特に女の人と接するのは大の苦手。分からない事が分からないくらいに。
そんなどうしようもない僕が、異性である彼女との仲を深める術など思いつくわけがない。思いつけるはずもない。女性経験だって皆無なのだから。
それでも、何か自分にできそうなことはないかと思考を巡らせ、深々と夜が更けていった。夜通し悩んだ割には何一つとして思い浮かばず、睡眠時間が失われただけだった。
「彼女の行きたい所に付いて行けばいいか。全て彼女に合わせよう」というなんともぼんやりとした答えが出たところで、鶏が朝を告げる鳴き声を高らかにあげた。……結局、一睡もできなかったな。
曇天ながらにすっかり白んだ窓の外へ視線だけをやると、隣室から物音が立つ。彼女が目覚めたのだ。
鶏の世話を終えて屋内に戻ってきた頃合いを計らいダイニングに出れば、にこやかに挨拶をしてくれる彼女。どこか忙しげな雰囲気を纏っており、あまり話しかけてもらえなかった。いつもよりほんの二三言少ないくらいだけど、少し残念に思った。自分から話しかければいいだけなのだろうけど、それができないのが僕である。しょうもない。
彼女はせかせかと掻きこむように朝食を食べ、早々に身支度をしてドアに向かった。なんでも、国守魔導師の召使として雨祭りの式典の準備を手伝わなければならないそうだ。「召使」の仕事がどんなものか知らないが、あの自由奔放なターニャ・アランサバルの下で働くのである。きっと大変なのだろう。
「行ってきますね。では、またのちほど、パーン広場で」
そう言って家を出た彼女を見送り、しんと静まった空間に取り残された僕。彼女に見送られることは多々あったが、その逆はこれが初めてだ。
ドアの向こうに姿を消した彼女はもういない。数時間後にはまた会えるというのに、なんとなく気分が沈んだ。……これは、きっと、寂しいんだと思う。
女性が苦手で、これまで避けるようにして過ごしてきた僕が異性である彼女へ寂しさを感じるなんてどういうことだろう。僕はどうかしてしまったのだろうか。
ああ、毎日一緒に居たせいなのかな。まあ、彼女は僕が知ってる「女性」とは違う、不思議で優しい人なのだけど。
聞こえるのは雨の音だけ。僕の目は未だにドアに張り付いている。彼女の幻影を追うように。彼女の姿を探すように。
静寂は僕に安らぎを与えてくれていた。孤独は決して淋しいものではなかった。一人でいると気が楽だった。
それなのに、妙に心がざわつく。
──彼女が居ないと、落ち着かない。
*
彼女が仕事に行ってしまってから、ぼうっとしたり雨祭りの事を考えたりしていた。しかし、彼女の居ない家はどうにも落ち着かないし、彼女が待ち合わせの時間より早く来るかもしれないと思い、出かける準備をすることにした。
一張羅である暗い色のフェチカに袖を通すと、僅かな違和感が生じた。この服、もう少しだぶついていたと思ったんだけど……体重が増えたせいかな。前より筋肉もついているし。
久しぶりの祭り装束。二年前にこれを着た時は、余ったズボンの生地がブーツの端から垂れ下がり、ベストも肩口からずり落ちていた。丈は合っているはずだったのに、僕の体の肉付きが非常に悪かったのだ。
当時、近衛の同僚に連れられて渋々雨祭りに参加したんだけど、「服の大きさが合っていない」「子供が背伸びして正装を着たみたいだ」と散々笑われた。カミユやユリアンが窘めはしたが、僕を見下している連中はずっと肩を震わせていた。
別に僕は怒ったり、不機嫌になったりしていなかったのに、クラウスはギンと気を尖らせ、アストラッドは「こいつを馬鹿にしていいのは俺だけだ」と怒鳴り散らして──大雨の中、一触即発の空気が流れていたっけ。
過去を思い返しながら、ベストのボタンを留める。紺色のそれはもう肩口がずり落ちることはなく、体にぴたりと合っていた。ズボンも同様で、裾がくるぶし辺りの調度良いところにきている。これならブーツから余剰に生地が垂れることはないだろう。
財布のみを入れたポーチをベルトに付け時計を見やれば、針は九時半前を示していた。待ち合わせは十一時なので今家を出るには早かったが、どうにもこせつかない気分だ。
雨音だけが響く室内はやたら静かで、寂しくて。──音が、気配が、色が、足りない。
彼女が居ないというだけで、こんなにこの家が味気なく、もの淋しいものになるなんて。
小さく溜息を吐き、ゆっくりと立ち上がる。家にいても落ち着かなくてしょうがないから、もう出発してしまおう。ここでただソワソワしているよりは、広場で彼女を待っている方がいい。
早くあの人に会いたい。声を聞きたい。はやる気持ちを抑えながら外に出ると、地を這うような唸り声が空気を震わせ、ビリビリと肌を伝った。見上げれば、遠く王城の上空に二匹の半透明な龍が見える。おそらく、祭りの開催を祝して行われる式典の催し物だろう。
(……そういえば、去年は龍じゃなくて鳥だったな)
二人の国守魔導師によって宙を踊る巨大な物体。それは生き物ではない作られたもののはずだが、さながら命が宿っているように繊細な動きをする。魔導とは、人智を超えた技でしかない。
レサ・ハルダには数十億もの人間が生きているが、現存している魔導師の数は五十にも満たないという。遥か大昔にはもっと多くの魔導師がおり、更なる太古は誰でもその身に魔力を宿し魔法を扱えたと歴史の授業で習った記憶がある。
今ではすっかり希少種となった「魔導師」は、神の御業の如く火水風土を操り、奇跡を生む。そんな彼らを人は恐れたり羨んだりするけれど、僕は別にそうでもない。そこまで興味がないのだ。
僕にとって「魔導師」とは、天上人のような別世界の人々。きっと、深く関わる機会など一生訪れることはない。
どこか冷めた気持ちで雨雲を泳ぐ龍を一瞥し、しとど降る雨の中、石畳の小路を早足で歩いた。
彼女の顔が脳裏に浮かび、それが僕の足を前に前にと押し進めていった。
*
レミス大陸の左沖合に浮かぶペッカイナ島は、遥か昔から雨期と乾期を繰り返していた。雨期には洪水や地滑りが起きるほど大雨が振り続け、乾期には川が干上がり地が割れる。
極端な気候に困り果てた島民が神にすがる思いで始めたのが雨祭りだ。雨害を拒み、水の恵みを祈る……雨が降って欲しいのか振って欲しくないのか、少し矛盾しているような、そんな祭り。
六月十四日のこの日の王都は、国内外を問わずたくさんの人でごった返す。毎年毎年、同じように。
僕は人混みは嫌いだし、うるさいのも好きじゃない。正直なところ、僕にとっての祭りなんて遠くからぼうっと眺めるくらいでいいものだ。年に一度の祭りと言っても、生まれも育ちもペッカイナだから何度も参加したことあるし。
だいたい、僕ももう二十五といい大人である。祭りではしゃぐ歳じゃない。……まあ、二十にも四十にも五十にも、六十にもなっても祭りで騒ぎ、羽目をはずす人間もいるのでなんとも言えないけど。アストラッドとか、ニコラウス隊長とか。
祭り好きな同僚と上司を一瞬だけ思い浮かべ、煉瓦の柱にもたれかかる。雨で灰色の視界には、青や水色の人影があちこちに揺らめいていた。しかし、そこに彼女の姿はない。
彼女との待ち合わせ場所であるパーン広場は、他の広場と違って面積が小さい。そのくせ、ごちゃごちゃと物が置いてある。背の高い時計台や、等間隔に植えられた木々や茂み、子供向けだという動物の彫像──……。
こんなにたくさん物があるので、どこで彼女を待とうか少々悩んでしまった。いろいろ目移りしたが、僕は公園の隅、一番端の煉瓦の柱の陰を待機場所に選んだ。本当はこんな隅っこじゃなく、もっと分かりやすい、見つけやすい所にいた方がいいんだろうけど。
目立つ場所って苦手だし、僕みたいな気味が悪いのが広場の真ん中に陣取るのはどうかと思うし……。それに僕は、こういう物陰にいるのが落ち着くんだ。
(……あの人が来たら、ちゃんと分かるように出て行こう)
十時を過ぎたばかりで待ち合わせの時間にはまだ早いというのに、彼女が来やしないかとそわそわしていた。いつも家で顔を合わせてはいても、こうやって外で会うとなると妙に緊張する。彼女が来たら、なんて言えばいいんだろう。
あの人と合流した場面を想像しながら、あれやこれやと考える。初めに挨拶をして、彼女の話に合わせて──。
彼女は笑ってくれるだろうか。楽しんでくれるだろうか。小さな子供のように、祭りではしゃいだりするのだろうか。……そんな彼女も見てみたい。
(今より仲良くなれたらいいな)
後ろ向きな僕にしては珍しく良い事ばかりを思い描いていて、──けれどそれは、時が経つにつれて消え失せていった。それどころか、どんどん悪い方へ、悪い方へと移ろんでゆく。時計の秒針に合わせるように、ゆっくり、ゆっくり、着実に。
確かに十一時だと言った。確かにパーン広場でと言った。
だのに、あの人は。
あの人は、十一時になっても、十一時を過ぎても現れなかった。




