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街の時計塔が九時の鐘を鳴らし、王都エンデンは沸き立った。ザアザアと降る雨の中、城のバルコニーで式典は開かれ、城の前には人がごった返しになっている。数百もの城兵が警備にあたっているが、なかなか骨が折れそうだ。
現王のスピーチから始まり、環境管理官の今年の降雨量の報告、神官の祝詞、選ばれた乙女による奉納の舞が終わり、いよいよ私とターニャさんの出番がやってきた。国守魔導師による魔導パフォーマンスだ。
「さ、いっちょやろうかね」
燃えるような赤髪を持つ我が上司からウインクが送られる。緊張している私を気遣ってのことだろう。実際、ほんの少し気が緩んだ。小心者ゆえ、緊張感はまだまだ残ってるけど。
「はい」
頷きながら返事をし、被っているフードを更に目深に下ろす。ターニャさんの横に並んでバルコニーの中央に行くと、気持ちがツンと張り詰めた。式典のために集まった国内のお偉方に囲まれており、品定めするような数多の視線で心臓が縮みあがる。
(うひー。失敗だけはしないようにしよう……)
体調バッチリ、魔力オッケー。コンディションは良い方だ。あとは集中力を途切れさせず、魔力調整をトチらなければいい。
「ペッカイナ王国国守魔導師、ターニャ・アランサバル。島の大地を潤す慈雨と天に感謝し、魔導の技を神々へ捧げ奉る」
「同じく、ペッカイナ王国国守魔導師、ナーナ・フィモル。これより千年の水の恵みを祈念し、魔導の技を神々へ捧げ奉る」
ターニャさんに続き、高らかに声を張り上げる。大降りの雨に負けないよう、大きな大きな声を出した。
体の奥底から魔力を集めていくと、全身が仄かに温かくなる。どんどん湧き出る魔法の力。原理は未だに理解し切れていないが、使い方はいっちょ前にマスターしていた。これもお師様のスパルタ教育のおかげでござんす。
十分に溢れた魔力を水に物質変化させ、私とターニャさんはそれぞれ一匹ずつ巨大な水の龍を雨空へと打ち上げた。ワッと上がった歓声を耳にしながら、水龍の煌めく躰をうねらせる。魔力で作った水龍は、さながらお伽話に登場する伝説生物のようで、雄々しくかつ神秘的だった。その長い体躯で蜷局を巻けば、城の半分が隠れてしまうだろう。
右、左、上、ターン……一回吼えて急降下。動きの一つ一つに送られるのは、ヤンヤヤンヤの大喝采。去年もそうだったが、これほど興奮してもらえると素直に嬉しい。練習の甲斐があったってもんだ。
猛々しい龍の演舞はフィナーレを迎え、二匹の水龍は遥か上空に昇っていく。美しく勇壮な尾が雨雲に消えると同時に、私は一気に力を四散させた。半透明の水の龍は細やかな雫となって王都中に弾け散り、雨と等しく降り注ぐ。
観衆からの盛大な歓呼は、暫くの間鳴り止まなかった。宰相の狸爺──グスタフさんの締めのお言葉でだいぶ静かにはなったが、未だ興奮冷めきらぬようだ。城兵の「静まれ!」という注意もあまり効果を成さなかった。どんまい。
とまあ、式典の方は大賑わいで無事に終了し、私は王族諸侯に手短に挨拶に伺った。現王アルベルトと王妃ソフィアナに「結婚が決まったらすぐに報告するように」と何やら期待の眼差しで言われ、面食らってしまった。誰だこの人達を誤解させたのは。ターニャさんか? フェデリカか? いや、グスタフさんだきっと。あの狸め。
愛想笑いで誤魔化してみたけど、王も王妃もずっと目がマジで……居心地が悪くなった私は適当な所で場を離れ、ターニャさんやフェデリカ、数人の知り合いと少しだけ話して城をあとにした。
さあ、早く帰ってデートの支度だ! うわー、デートって何年ぶりだろ? ドキドキするような、ワクワクするような、でもちょっと不安で心がキュッとして──うわうわ、甘酸っぱーい!!!
年甲斐もなく浮足立った私。なんだか若返った気がした。ああ、こんな乙女な気分は学生以来かもしれない。一つ贅沢を言うならば、おデートの相手が好きな人だったら良かったなあ。いや別にあの人のことが嫌いってわけじゃなければ、イヤってわけでもないんだけど。それに好きな人いないし。
……今の私って、恋に恋してるのかしら。「デート」って単語に色気づいてるだけとか。うーん、有り得る。
(ま、たまにはこういうのもいいもんだよ。女として枯れないためにはさ)
彼に対する一抹の罪悪感を振り払い、私はいつもより駆け足で西地区の自宅へ一時帰宅した。
*
これでもか! というほどウィッグと地毛をヘアピンで縫い合わせ、用意していた水色のフェチカに袖を通す。このフェチカは去年フェデリカに誕生日プレゼントで貰ったものだ。襟元の花の刺繍が可愛くて気に入っている。色もそこまで鮮やかでなく、厚めの生地は勿忘草に似た淡い色彩をしていた。さすがフェデリカ。私の趣味をよく心得ている。
鏡の前で何度か一回転し、カツラのずれチェック。更には角度を様々に変え、も一度チェック。特に今日は念入りに。
再三鏡に映った自身の頭部を眺め回していると、書斎の壁掛け時計がボーン、ボーンと音を鳴らし、私はハッと時間を見る。
(やば、もう十一時だ!)
なんたる失態。ヅラに真剣になるあまり、時間感覚が鈍くなってしまっていた。
彼との待ち合わせ時間は十一時。つまり今の時間、私は街の広場に到着していないといけないわけで。
(ぎゃあー! 初デートが遅刻ってそれどんな失敗!)
ワタワタとお出かけ用の小さな肩掛けバッグに財布やらハンカチやら詰め込み、最後にもう一度だけヅラチェック。うん、黒色見えず、ズレもなし。
「遅れる遅れる遅れるー」
(いやもう遅れてるんだけど急げーっ!)
フローリングにバタバタ足音が響き、実に慌ただしく騒々しい我が家。撥水加工の施されたブーツに足を突っ込むが、今に限って上手く履けない。んもー、こんな時に! 焦って履きながら歩いてみれば、よろめいてしまった。
「行ってきまーす!」
鶏小屋の美鳥と飛鳥に大声で言って、私は土砂降りの雨に突撃し、街に続く道をひたすらに走った。なにぶん体力がないため途中途中歩き休憩を挟み、息を切らしてまた走る。
街の広場に着いた頃には動悸バクバク脈もドクドク。走り過ぎて心臓がはち切れるのではないかと思った。
呼吸を整えつつあの人の姿を探す。広場の時計は十一時半前を指していた。約三十分の遅刻。ああ、ごめんなさい!
(あの人あの人……)
ひしめき合う人の群れに目を凝らすも、なかなか彼は見つからない。パーン広場は他の広場と違ってそこまで広くないから、細かい場所まで決めていなくても合流できると踏んでたんだけど……祭りの人混みを侮っていた。
(目の下に隈、目の下に隈……身長は私より少し高いくらいで細身のあの人……隈、隈、くすんだプラチナブロンドでー、前髪長めの襟足長めー)
彼の特徴を頭に浮かべ、あっちをうろうろ、こっちをうろうろ。振り続ける雨で視界が悪いこともあって、髪の長さや顔のパーツなど、細部が見えづらい。あれは違う、これは違う──だめだ、分かんない。
(もしかして、遅れた事に怒ってどこかに行っちゃった?)
律儀な彼はそんな行動とらないだろうと思っていても、こんなに見つからないと不安になる。なんだか心細い。
足を止めて辺りを見渡す。……それでもやっぱり彼は見当たらない。いったいどこにいるのだろう? それとも、もうここにはいない?
アーケードの下にも、木陰にも、噴水の前にもいない。あれは違う、あれも違う、そこの人も、向こうの人も、違う、違う、違う、違う──。
じわじわと、ゆっくり蝕み寄る心許なさ。周りにはフェチカに身を包んだたくさんの人、人、人。みんな私の知らない人。
(!)
不意に、腕に冷たい温度を感じた。雨よりも強い感触のそれは私の肌を押して離れ、私は誰かにぶつかってしまったのかと思った。この人混みだ。こんな所で突っ立っていては邪魔になる。
振り向きざまに謝罪の言葉を口にするが、最後まで言えなかった。
なぜなら。
「あ、すみませ──……っ兵士様!」
私より頭半分だけ高い背丈に、白くて細い体。灰青の瞳は澄んでいて綺麗だけど、その下を飾るのはどんよりとした濃い隈。雨に濡れてペタンコになった銀の髪はくすんでいて。
後ろに居たのは、紛れも無く彼だった。
心細かったせいかひどく安堵した。小さな吐息が漏れてしまうほどに。
「ああ、良かった。そこに居たんですね」
自ずと顔が綻んだ。
彼は相変わらずの無表情でこちらを見下ろしている。いつもと違うのは、右手が指差しポーズをとっていることだ。その指で私を気付かせてくれたんだね。
「ありがとうございます。私、全然兵士様を見つけることができなくて」
(あーよかった。ほんっとーによかったー!)
「帰ってしまったのかと思って」
不安だった。心配だった。
遅れた私に怒り、どこかに行ってしまったのかと思った。
「はあ……良かった」
深厚に安心していた私は、心の赴くままに彼の右手をそっと両手で包んだ。冷たい冷たい彼の手が、なんだかとても頼もしく、そして温かく思える。
ギュッと、甘えるように力を込めると、彼がピクリと腕を引いた。
(あ、思わず手え握っちゃってた。ごめんごめん)
「あ、すみません。安心してつい……。兵士様、待ち合わせの時間に遅れてしまって、本当に申し訳ありません」
彼が身動いだことで通常運転に戻り、二つの謝罪をする。いかんいかん、安心感で若干甘えんぼモードになっていた。
軽く見上げれば、口を真一文字に結んだ彼がいる。目が合うなり視線を逸らされた。ガーン。
手を握ってしまって馴れ馴れしい奴だと不愉快にさせてしまったのだろうか。ショック。そんなつもりじゃなくて、ほんと安心しちゃってついなんですよ!
「すみません」
再度謝り、頭を下げる。おずおずと彼の顔色を窺うと、彼はゆるゆる左右に首を振った。ああよかった。本心は分からないけど、とりあえず表面的な怒りや不機嫌さは感じない。
少しの間彼の心情を掴もうとさり気なく様子を見ていたが、ずっと黙ったままでいるのも不自然なので「では」と声をかけた。
「合流もできたことですし、どこに行きましょうか」
もしもあるなら聞かせて欲しい。デートプラン。……彼の性格からして、おそらくないような気がするけど。や、失礼だな私。
そんな私の予想は大当たりで、彼は薄い唇を開きこう言った。
「君が行きたいところ」
さいですか。分かりました。……なんて言うと思ったかい? せっかく二人で祭りに参加するというのに、私の行きたいところだけに行くというのはいかがなものか。
「兵士様はどうなんですか? どこか行きたいところがあればそちらに先に行きしょう」
申し出てみるが、彼はボソボソ呟き首を振る。なんと言ったのかは分からなかった。普段から不明瞭な声の彼。こんな大雨の中にいるのでますます聞き取りづらい。大粒の雨音は、バックミュージックにしては大き過ぎた。
「本当に行きたいところはないんですか。遠慮しなくていいんですよ」
念のため聞き直すが、彼は首を横に振るばかり。一つくらい行きたいイベントを出してくれてもいいのにな。
(さて、どうしようか)
逡巡し、腹を決める。彼がリードしてくれないなら、私がするしかないじゃない。理想のデートとは程遠いが、人付き合いが不得意でなおかつ女性が苦手という彼にないものねだりをするのは酷というものだ。
「兵士様、お腹は空いていませんか?」
もうじき時計は十二時を回る。立派なお昼時だ。私も走ったり魔力を使ったりでお腹がペコペコ。
「……し」
彼のボソボソ声は雨の音に掻き消され、最後のほうしか聞こえない。口の動きを見る限り、おそらく「少し」と言ったのだと思う。
「少しですか。それではまずお昼ご飯を食べに行きますか? いろんなストラ料理の試食をやっている所があるんですよ。それともどこかのお店にしましょうか」
問いかけると頷く彼。言葉はない。いやいや、頷くだけじゃどっちにするか分かんないよ。
「どんなお店がいいですか?」
努めて穏やかな顔で聞き、彼の口元に耳を向ける。こうすればちょっとは声が聞き取りやすくなるかもしれない。
「……も……い」
ダメだ。聞こえなかった。読唇も無理だった。んもー、もうちっと声張ってよー。
「え?」
ぐいっと体を傾けて、彼の口と私の耳の距離を縮める。これで聞こえるといいのだが。
ザアザアうるさい雨の音を遠ざけ、彼の声を聞くことに集中していたのだけれど、とんと返事がない。どうしたことかと疑問が生じたところで、ようやく彼が口を開いた。
「どこでもいい」
(ひえっ! ええ!?)
予想していたよりもよく聞こえた彼の声。何より驚いたのは、耳で感じた空気の揺れ、彼の息遣い。低くボソボソとした声が耳をくすぐり、生ぬるい吐息が耳元にふわっとかかって──。
あれ私こんなに近づいたつもりはなかったんだけど。
ビックリした私は弾かれたように前を向き、傾いた姿勢を元に戻す。動揺していたせいで離れ方が少し不自然になってしまったかもしれない。
彼はさっき見た時よりもほんの少し背を丸めていた。ああ、私に聞こえるように彼の方も顔を寄せてくれてたのね。それはいいから声を張ってください。ヅラがバレそうで心臓に悪い。
早まった鼓動が勢い良く血液を体中に巡らせ、それは私の頬を染めた。
「そっうですか。何か食べたいものはありませんか?」
おったまげるわ恥ずかしいわでぐらついていた自分の心を立て直す。最初の方で声が裏返ってしまっているが、その後は大丈夫だった。
丸めた背を直し、首を横に振った彼。
「じゃあ、どこか適当に回ってみます?」
彼はじーっと私を見つめ、「うん」というように首を縦に振った。行き先は決まってないが「昼食を摂る」という目的はできたので、それに合わせて動けばいい。
「よさそうなお店とか、食べたいものがあった時は教えて下さいね」
出発進行。彼の前に一歩踏み出し、先導してみる。目線で「さあ行きましょう」と伝えてみると、ちゃんと彼はついて来てくれた。ずっと私が先を行くのもどうかと考え、数歩歩いて足並みを揃える。
(プライベートで男の人と横並びで歩くのって、久しぶりだなー)
レサ・ハルダに落っこちてはや五年。その間、異性と接触がなかったわけではない。ただ、どれもこれもまともなものではなかったのでノーカウントとしている。
どこぞの第三王子からの求婚、どこぞの貴族の跡取りからの求婚、どこぞの高貴なお方からのアプローチ、どこぞの国での夜這い事件──……ああ懐かしい。思い出すのもおぞましい。修行時代はロクな男としか関わってないな。当然、全部袖にしたけど。
(みーんな「魔導師」目当てだったもんねえ……。一般人として男の人と出かけるのは初に等しいかも)
しみじみそんなことを思いながら、露店や出し物をよそ見し、さり気なくウィッグのズレ確認をする。うむ、今のところ問題ない。ここに来るまでに結構走ったが、固定をしっかりしていたおかげか全くズレはみられなかった。さすが私。
チラリと隣に歩く人を見やれば、彼も静かにこちらを向く。
(何、エスパー? 相手に気付かれないようなチラ見だったのに)
視線に気付いたのか、はたまた偶然なのか。なんとなくバツが悪くなった私は大急ぎで視線を外し、何事もないような顔で露店に目を走らせた。
飲食店街までの道中、ずっと無言でいるのもナンなので何度か彼に話しかけてみた。どれも他愛のないもので、「雨すごいですね」とか「寒くないですか」とか、そんな話ばかり。
常日頃物静かな彼はやっぱり無口で、自分からは決して話しかけてこない。私の話に対して頷いたり首を振ったり、時々ボソボソ返事をしたりと、良くも悪くもいつも通りである。
どこもかしこもお祭りムード。誰もがワアワアきゃあきゃあ楽しそうなだけあって、私達の雰囲気は少々場違いかもしれない。
私は露店や賑わう人々を見たり、飾り付けられた街を歩くだけで楽しいんだけど、彼はどうなんだろう。祭りの空気を味わい、少しは楽しんでくれているのだろうか。……いや、なさそうだな。
そんなことを考えながら、混雑した道をぼんやり歩いていると。
「食べたいもの、ある?」
(わひぎゃっ!)
耳をくすぐる低くボソボソとした声、呼吸が生み出す生ぬるい気息。
それらから逃げるように、また何が起こったのか確認するように首を横に捻じれば、すぐ近くで灰青色の瞳と目が合った。お前か!
わざわざ私の耳元に寄るようにして声をかけてくれたようだが、もっと大きな声を出せと。耳の側で話されると非常に心臓によくないです。
「っ食べたいもの。ええと、いえ、何でもいいですよ。はい」
ドキドキしている心臓を隠すようにニコリと笑ってみせる。言葉はスムーズにいかなかったけど。笑顔が作れただけ上出来だ。
「お腹が空いてる時って、なんでもおいしくなりますよね。あはは」
必死に取り繕う私を知ってか知らずか、彼はじーっと私を眺めている。その視線が痛い。そして恥ずかしい。
(気を遣ってくれるのはありがたいんだけど、いちいちビックリしちゃうんだよね。カツラもバレそうで怖いし……なんとかならないかなー)
できるだけ口の形を読もうとしても、それには無理がある。私は読唇術など習得していない。
どうすれば接近せずに彼の声が聞けるかあれこれ思考し、一ついいアイデアが浮かんだ。まあ、付け焼刃的なものなんだけど。
「あ、兵士様。あのお店、肉料理がおいしいらしいですよ」
飲食店街に入ってすぐの店を指さし、隣の彼に話しかける。
雨の音が障害になってるなら、それをなんとかすればいい。但し、雨祭りなので雨を止ますことはできないため、雨音がちょっとでも小さくなる場所へ行くのはどうだろう。そう考えた私は、壁や天井で外の音が遮断できる店での食事をそれとなく提案した。
彼もこくんと頷いてくれ、私達はスムーズにお食事処へ入店するに至ったのである。そして私の思惑通り、耳に届く雨音の音量は下がり、普段のように彼と会話をすることができた。
まあ、それは店内に居る間だけで、腹ごしらえして店の外に出た瞬間、彼が耳元に話しかけてきた訳ですが。こんちくしょう!




