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彼と私の二重奏  作者: POMじゅーす
3.雨唄円舞曲(ワルツ)
23/30


「おかえりなさい兵士様。外、すごい雨でしたね」

 帰ってきた彼は、私同様濡れ鼠だった。

 あんまりにも彼がずぶ濡れだったため、私は自室へ大きめのタオルを取りに行く。玄関に戻ってみると彼は雨よけの外套を脱いだところで、まあ見事に中の服もびっちゃんこだった。数刻前の私と同じ状態である。

 ドア横のフックに水を吸った外套を引っ掛けるよう促し、タオルを渡す。彼はぼそりと「ありがとう」と言い、頭や手先など肌の見えている箇所を拭き始めた。

「着替えてきてはどうですか? その間に何か温かい飲み物を用意します」

 くすんだ銀の髪から水滴が落ちなくなったのを見計らい、声をかける。

「……ん」

 小さく頷き、のそのそ靴を脱ぐ彼の衣類から雨水が滴り落ちた。きっと絞れば面白いくらいに水が出るだろう。

 家にあがって自分の部屋に向かう彼の後ろには、雨の足跡が幾つもできている。乾いた雑巾で拭きとらなきゃ。木が湿気てしまう。でもまずは、温かい飲み物を。

(何がいいかなーっと)

 雨に打たれたせいでかなり体温は下がっているはずだ。その証拠にいつにも増して顔が青白い。せっかく食生活革命が進んで健康を取り戻しつつあるのに、ここで風邪なんか引いて寝込んではパアだ。身体の芯から温まるものを提供しよう。

 お湯を沸かしながら、小さな棚に並んだ茶葉や粉末の瓶へ左から右に視線を這わせる。甘いの、爽やかなの、渋みがあるの、苦いの──……どれにしようか悩んだが、あの人は甘味が強いものは苦手だそうなのですっきりとした風味のハーブティーにすることにした。このハーブには血の巡りを良くする作用があるので、保温にはうってつけだ。

 さっそく選んだ茶葉の瓶を手に取り、適当な量を茶漉に入れる。お湯が沸くのを待つ間にテーブルへ料理を運び、夕食の準備もバッチリ。あとは……そうそう、彼が作った水の足跡を掃除しないと。

 ちゃかちゃかと動き、床の水分を丁寧に拭き取る。最後の水たまりにとりかかったところで、彼がダイニングに出てきた。

「あ、兵士様。もう少しでお湯が沸きますから、夕飯をお召しになっていてください」

 床に膝をついたまま、首を捻って彼の方を向く。部屋着のシャツとズボンに着替えた彼はじっと私を見下ろし、何を思ったのかこちらへ近づいてきた。ひたひたと、素足独特の足音がダイニングに響く。

「どうしましたか」

 なんだなんだ何事かと居住まいを正せば、彼は「ごめん」と呟いた。相変わらず何を考えているのか解りづらい真顔だが、なんとなく申し訳なさを感じる。いや、表情はぜんっぜん変わんないんだけどね、声のトーンとか大きさとか、俯き加減とか目の伏せ具合とか? 気のせいかもしれないけど、雰囲気を感じ取れるようになってきたのだ。……多分。

(え? ああ、床を汚してごめんってことかな?)

 床を掃除する私を見ての「ごめん」なので、そういう理由かなと思った。

「いえ、お気になさらず。大丈夫ですよ」

 心配ご無用と、にっこり笑ってみせる。私のことは構わず席に着いてくださいと言おうとしたが、先に彼が口を開いた。

「……手伝う」

 すっと私の脇にしゃがみ込み、雑巾に手を伸ばしてくる彼。これは予想外だった。

「えっ、いいですいいです! もう終わりますし、手が汚れますよ」

 慌てて手を引っ込めようとするも、雑巾の端はしっかり掴まれていて。ぐいっと引っ張るが彼は手を離さなかった。

「手伝う」

 澄んだ灰青の瞳が真っ直ぐに射抜いてくる。全く揺らがない硬い視線。やっぱり思うんだけど、この人ってちょっと頑固なとこあるよね。

「ほんとに大丈夫ですので! ご飯できてますから座ってください」

 渡してなるものかと雑巾を引っ張るが、逆に勢いをつけて強い力で引っ張り返され、湿った雑巾は私の手を離れてしまった。ぐぬぬ、不健康そうなくせに力があるなんて。そりゃ男の人だもんねえ。

「あっ、兵士様!」

 雑巾を取り返そうとした刹那、後ろでジュージューという水の弾ける音が聞こえたので私はハッと台所へ駆け寄った。そうだ、お湯を沸かしていた最中だった。

 ポットを下ろし、焔石に衝撃を与える。これでよし。

(そんなにお湯がこぼれなくて良かったーって、あ、兵士様兵士様!)

 私に代わって床掃除をさせるなんて、気が咎める。振り向くと、四つん這いになって雑巾をぐしぐし動かしている彼がいた。ひえええ、やらなくていいんだって。仕事帰りで疲れてるでしょあんた。

「兵士様、兵士様、代わります!」

 急いで彼の側に膝をつき、雑巾を奪い取ろうとする。そこにあったはずの雨の足跡はなくなっていた。ああ、遅かったか。

「……終わった」

 手を止めてじっとこちらを見やる彼。屈んでいるせいでシャツの隙間から白い鎖骨が覗いており、少しドキッとした。

(うわ、鎖骨見えてる。チラ見えチラ見え)

「あ、ありがとうございます。すみません、仕事から帰ったばかりなのに気を遣わせてしまって」

 形の良いそれから目を逸らし、彼の手からそそくさと雑巾を取る。床拭きをやり遂げたからか、抵抗はされなかった。

 ふるふると首を左右に振る彼にもう一度侘び、「夕飯できてますよ」と椅子に座るよう声をかける。彼は数秒無言で私を眺め、不意にパッと顔を背けゆっくり立ち上がった。こんな不思議な行動にもだいぶ慣れたが、やはり僅かな疑問や違和感が生じる。いったい彼の中で何が起きてるんだろう。謎だ。

 彼が椅子に腰掛けようとするのを確認し、私は手を洗ってポットへ茶漉を浸す。少し蒸らせばハーブティーの完成だ。もうすでにいい香りがしている。

(……んー、いい匂ーい。アルザ草のシフォンケーキにも合いそう。って、あれ、私なんか大事なこと忘れて──あー!)

 とあるコトを思い出し、ピタッと活動を停止した私の体。

 脳内に突如現れたのは、ポケットの中の手紙。そう、そう。そうなのよ。明日の雨祭りへの誘いが書かれたそれについて、さり気なく彼に尋ねるよう作戦を練っていたじゃないか。

 お茶の用意をしたり、雑巾の取り合いをしたりしたせいですっかり忘れていた。

(ど、どうしよう。聞くタイミング逃した気がする)

 そわそわしつつ、可愛らしいティーカップに蒸らしたハーブティーを注ぐ。

(こうなったらご飯中に話題を出すしかない。「そういえば掃除していたらテーブルに紙がありましたけど……」みたいな?)

 うし。これでいこう。あくまでさり気なく、さり気なーく、ね。

 心の中で自分に喝を入れた後、トレイに二つのティーカップを乗せ丸いテーブルへ運ぶ。彼は料理に手をつけず、ちょこんと座って私を見上げていた。毎度毎度律儀だなあ。先に食べててもいいのに。

「兵士様、先にお召になっていても良かったんですよ」

 蜂蜜色のハーブティーを零さないよう、そっとカップをテーブルに下ろす。彼はふるふると顔を揺らし、僅かに俯いた。

「ハーブティーです。どうぞ。体が温まりますよ」

 穏やかに微笑みかけると、「ありがとう」とか細い声が返ってきた。うん、最近返事が来るのが早いわ。最初の頃と比べたら段違い。私と会話するのに慣れてきたのかな。

 トレイを台所に戻し、テーブルにつく。「じゃあ、食べましょうか」と一声かけ、どちらともなく祈りの所作をする。

「今日はオムレツと野菜スープにしました。デザートがあるのでパンは抜いてます。もし足りなかったら出しますから、言ってくださいね」

 デザートはもちろん、ターニャさんとフェデリカにお墨付きをもらったシフォンケーキだ。とっておきの自信作、早く食べてもらいたいなー。気に入ってもらえるかなー。

 淹れたばかりのハーブティーを啜り、ほうっと一息つく。目の前に座るあの人の様子を窺うと、彼はスプーンでオムレツを断ち割っていた。ふわふわとろとろの半熟にしていたため、チキンライスから卵がずり落ちないか気になったが、彼は上手にスプーンを使って一口大にまとめていた。

「おいしい」

 オムレツを頬張り、一口目をごくりと飲み込んだのちに彼が口を開く。最近は私が聞く前に料理の感想をこうやって彼の方から伝えてくれていた。

(おいしいと言ってくれるのは嬉しいんだけど、ちょっと照れくさいですはい)

「ありがとうございます」

 恥ずかしいのと嬉しいのとで、つい「にへらー」っと締りのない笑みを出してしまう。ああ、いつもの愛想笑いが作れていない。この人、こういう時に限ってじじじーっとこっち見てるんだもんなあ。んもう。

「えっと、今日は美鳥と飛鳥が卵を生んでなかったんですけど、市場で卵が安かったのでたくさん買ってきてしまって」

 照れを誤魔化すように何気ない話を繰り出した。彼は私に灰青の双眸を向けたままじっとしている。

(気にしない、気にしない、気にしない……持ち直せ私)

 まじないをかけるように心に言い聞かせ、スッと平静を取り戻す。

「それで夕飯はオムレツになったんです。お口に合ったようで良かったです」

 当たり障り無いいつもの落ち着いた声で言い、奥歯を少し噛み締めキュッと口角を上げる。うん、いい笑顔ができているはずだ。平常心平常心。

 彼は長めの前髪から灰青の瞳を覗かせ、微かに頷いた。相槌を打っているようである。

 それからというもの、時折会話を挟みながら互いに黙々と料理を口に運んだ。彼はあの紙や雨祭りについて何も言ってはこない。私の方もタイミングがうまく掴めず、とうとう例の話題を出すことなく食事を終えてしまった。

(もしかして他の人に渡すものだったんじゃないの? テーブルに偶然置き忘れてたのかな)

 心は悶々していたが、関係なしに手と口が動く。

「デザートをお出ししようと思うのですが、まだ食べられそうですか?」

 食器を片付けつつ尋ねれば、彼はゆっくり首を縦に振る。

(食べる量、だいぶ増えたよなあ。今日もスープを三杯おかわりしたし。いやあ、いっぱい食べてくれると作りがいがあるんだけどね)

 それはそうと、そろそろあの手紙のこと聞きたいなと思いながら、作っておいたシフォンケーキを台所で切り分ける。しんとした部屋に、外の雨音がよく響いた。窓から見える景色は雨だれだらけだ。

 無数の雨粒が大地に降り注ぐ光景に目を奪われ、ぼうっとしてしまう。

 靄がかった白くぼやけた空気に混じり、雨に反射した鈍い光がキラキラ瞬いていた。

「……雨脚が強いですね。この分だと明日の雨祭りも良い雨が降りそうです」

 雨滴の犇めく様を眺めていると、胸の奥から自ずと言葉がにじみ出てきた。独り言のつもりで、特に意識したつもりはなかったのだけれど──誰かに、彼に話しかけるような口ぶりで。それは図らずとも雨祭りの話題に繋がった。

(あ。雨祭りの話にしちゃった。……これに乗っかっちゃおうかな)

 薄緑色のケーキを載せた皿を両手に一枚ずつ持ち、彼のいるテーブルへ戻る。

「どうぞ。甘さは控えめにしてありますよ」

 コトリと皿を置けば、薄い唇がうっすらと蠢いた。

「……ありがとう」

「いえ。おいしければいいんですけど」

 私も自分の席につき、フォークを取る。同じようにフォークを持とうとしている彼の動向を探りつつ、できるだけ自然に声を出した。

「そういえば兵士様」

 つい今しがた思い起こしたような空気を醸しだし、素知らぬ顔して彼を見る。返事はなかったが、濃い隈の刻まれた二つの眼はギョロリと私を映していた。

「夕方、掃除をしている時にこの紙がテーブルにあったのですが、兵士様のお忘れ物ではないですか?」

 スカートのポケットに入れていた例の紙を取り出し、徐ろに彼へ差し出す。白々しすぎかしら。

 ほんのちょっぴりドキドキしていたけれど、心乱れるほどではない。さあ、真実は如何なるものか。

 ただでさえ表情の読みにくいこの人。一挙一動見逃さぬよう、視界の中央に留めた彼を注視する。

 彼はというと、私の差し出した紙に黙って視線を落とし、二回ほど大きく瞬いた。ううむ、あの仕草は驚いているときのもののはず……。

(なんで私が持ってるの? って驚いてるのかな)

 フォークに伸ばした手をそのままに、彼は微動だにせず紙を凝望している。

 一秒、二秒……と時が経ち、沈黙の重みがどんどん増していった。見えない重圧に耐え切れなくなった私は、少しだけ笑みを深めて声をかけた。

「あの、詮索しているわけではないですよ。兵士様のものであればお渡ししようと思っていただけですので」

 何か反応しがたいワケでもあるのかと考え、彼が答えやすいように補助をしてみる。

(やっぱりこれ、この人のだよね。そうじゃなくても何らかの関わりがありそう。だって自分のじゃなかったら「違う」って言えばいいだけだもん)

 心の中で推測していると、やっとこさ彼に動きがあった。

「……」

 薄い唇をきゅっと結んだまま、色の白い腕がこちらへ伸びてくる。形の良い爪をした指が紙の端を持ったので、私はそっと指先の力を抜く。小さな紙はするりと指の腹を通り、彼の手に収まった。

 彼は私を見ることなく、ずっと紙に目を落としている。おや、なんだか八の字眉の皺が濃くなったような?

(どうしよう。これはもっと触れてもいいのか悪いのか……)

 ポンポンポーンと選択肢が幾つか浮かぶ。

 一、核心をついてみる。

「掃除中に見つけてドキッとしました。もしかして私が誘われてるのかと思っちゃって。あはは」

 二、遠回しに振ってみる。

「すみません、中身、見てしまいました。どなたかお誘いされるんですね」

 三、全く触れない。

「ハーブティー、冷めてしまいますよ。体が温まるので早めに飲んでください」

(んー……若干険しげな顔になってる気がするし、無難に何も聞かないほうがいいのかなー。口数少ないし何考えてるか分かりにくいから返しが難しいわー)

 依然、穏やかな面持ちを保っている私。

 ほんのすこーし眉間の皺が濃くなった彼。

(不機嫌になった? 怒ってる? それとも考え事してるだけ?)

 間をもたせるため、ハーブティーを飲んでみる。このまま彼が何のアクションも起こしてこないなら、それはそれでそっとしておこうかしら。触らぬ彼に祟りなし、だ。

 チラリと盗み見た彼は、ほとんど俯いてしまっていた。長めの前髪が顔を覆い、表情を隠している。

 ──なぜだか、背筋がぞわりとした。

 理由など分からない。ただ、私の第六感とか、直覚とか、そんな不確かなものが何か善くないモノを感じ取った。

 顔も見えないのに。何か言われたわけでもないのに。それでもどういった事か、言いようのない何かを彼から得たのだ。

「……ケーキは、……お嫌いでしたか?」

 黙って彼と対峙しているのがなんとなく怖くなって、話題を変えて話しかけてみる。

 しばしの間を経て、くすんだ銀の髪が左右に揺れた。

「良かった」

 嫌な空気を消そうとするように「ふふ」と息を漏らして笑うと、彼が僅かに顔を上げる。

「では、どうぞお召になってください」と言おうと口を開きかけたその時、刺を孕んだ低い音が耳介を打った。

「……気付かない振り、してるの?」

 何の事か皆目つかなかった。けれど、聞いたことのない声音にひどく戸惑う自分が居た。

「え?」

 澄んでいていつも綺麗な色だと思っていた灰青の瞳が、淀んでいるように見える。

「何がですか?」

 努めて普段の口調で尋ねてみたが、すぐに返事はこなかった。私何か失礼なことやらかした? なんでなんで? と、彼の態度が変化した原因を考えたり、彼の言葉に思い当たる節がないか記憶を掘り起こしてみたりしたが、ピンとくるものは出てこない。

 たっぷりと時間をおいて、再び彼は声を出す。

「嫌なら嫌って言えばいいのに」

(えっ)

 投げ捨てるような、突き放すような声だった。聞き取りづらい大きさだったけど、確かに彼はそう言った。

 ズシンと胸に重たい岩がのしかかる。衝撃だった。私と彼のこれまでの関係はまずまず良好だと思っていたし、彼にこんな言い方をされたことがなかったから。

 しかし衝撃の余韻に浸ることなく、そこで私は閃いた。

(あの紙!)

 小さな紙の短い文がフラッシュバックする。

『明日の雨祭り一緒に行かない? 嫌ならいいけど』

「嫌ならいいけど」の部分と、先ほど彼の言った「嫌なら嫌って言えばいいのに」がピタリと重なって。

 これは私の予想だけど、やはりあの手紙は私宛だったのだ。それを私が白々しく躱したもんだから、この人もムッとして「周りくどいことせずに断るならはっきり言えよ」的な展開になってしまったんだ。

 驚くほど思考がクリアになった。まだ正答かどうか決まってはないけど、そう考えると納得がいく。何より今の私が見に覚えのあることといったらあの手紙の件しかない。

(いやでもそれは誤解だからー! 自分宛てか分からなくて返事ができなかったというか探りを入れたというか……!)

 白々しい出方なんてしなきゃ良かった。初めからちゃんと聞けば良かった。そうすれば、この人に嫌な思いをさせなくてすんだのに。

 保守的な自分を呪い、後悔するがもう遅い。今はとにかく、誤解をとかなければ。あ、その前に確認しなきゃええとああどう言おう。

「へ、兵士様! あの、あの、その手紙って私宛だったんですか!? いえ、見つけた時にもしかするとと思ったんですけど、宛名がなくて本当に自分が誘われてるのかすごく悩んでですね……!」

(うわわわわわわわわヤバイめっちゃ動揺してる私!)

 焦燥感と罪悪感とが入り混じり、私のよそ行き顔はとうに崩れてしまっていた。素の自分が出ていることは分かっていたが、直す余裕もない。彼の反応を窺うことすらできなかった。

「ほら、私宛って分からないのにその気になっちゃうのは自意識過剰じゃないかなと思いまして! もし私宛じゃなかったら思い上がった自分が惨めで恥ずかしいですし」

 何を言っているんだ私は。もうほとんど何を言ってるのか理解できない。そもそも考えて話すということを大方放棄してしまい、口から出るのはその場その場の言葉なのである。

 顔が熱い。湯気が出そう。焦る、焦る、焦る。彼は何も言わない。

「私宛なのか確認しようと思ってたんですよ? でも兵士様何も言わないですし、やっぱり私宛じゃなかったのかと思って話さなかったんです! 私宛ならそう書いてくださいよ! あっ、いえ、私も悩むばっかりせずに最初に確認すればよかったんですけどっ……」

 あまりにも一方的だ。だけど、焦りが勝って止まれない。勢いだってついている。

 目の前には美味しそうな緑のケーキ。それと、すっかり顔を上げた彼。

「ええと、まあ、そういうことなんです。嫌とかじゃなくて、つまりは誤解なんです! お誘いは嬉しいし、一緒に行こうと思ってました!」

 隈の刻まれた双眸が怪訝そうに私を見つめている。眉間の皺は薄れ、さっきのような険しさはないが、何やら疑われていそうだ。

 焦って興奮し勢いづいていた私は、とにかく信じてもらうことに躍起になっていた。

「だから、ほんと、嫌じゃないんですよ全然! 兵士様、雨祭り一緒に行きましょう!」

 テーブルに身を乗り出した私の口から、なんとも力強いお誘いのセリフが飛び出してきた。テーブルに置いてある両手が自然とギュッとなり、立派な拳が出来上がっている。

 彼は淀みの消えた灰青の瞳を微かに丸め、何度か大きく瞬いた。誘われたことに驚いているのか、私の剣幕に驚いているのか……どっちもか?

 そんな彼を真正面から見つめているうち、私は次第に正気になっていった。荒れていた心の大海が波を小さくしていったのだ。

(……あれ!? 私、自分から誘っちゃった? ていうか超一方的にしゃべっただけで結局なんなの今回の事件。解決するのこれ?)

「あ……すっ、すみません私、失礼な事を」

 詫びて姿勢を元に戻す。彼の方はゆるゆると俯いてしまった。やばい、怒らせたか。

 気まずい静寂が私達を支配する。とてもじゃないけどケーキやハーブティーで凌げる雰囲気ではない。非常に気まずい。

 真相究明すべきか、誘いの返事を問うべきか、今度は冷静に説明すべきか。カップの中の蜂蜜色の液体に視線を落とし、思案していると。

 スッと、手紙を持った彼の手が私の前に差し出される。

「君宛」

 ボソリ。短く呟かれた音は、いつもの彼の声だった。彼が怒ってやしないか気がかりで構えていたのだけれど、声から怒気は感じない。俯いていて顔が見えないので本当に気を悪くしてないかは不明だが。

「え、あ、はい。……ありがとうございます」

 お誘いの手紙が私宛で、それを手渡されたことに少し照れてしまう。収まりかけた頬の赤みが再燃しそうだった。

(や、やっぱり私誘われてたんだ)

「あの、私でいいんですか? 雨祭りにご一緒するの」

 おずおずと聞いてみる。彼は未だに俯いたままだ。

(やだやっぱり怒ってる?)

 微動だにしない彼にハラハラする。常日頃、感情の起伏が表面に出ないためか、彼の心の変化には余計敏感になってしまうのだ。怒ると怖そうだし。

 彼の動向を見守っていると、銀の髪がさらりと揺れた。

「……」

 コクンと縦に揺れた頭が肯定を表す。

(あ、私でいいんだ。良かったー怒ってはなさそうだよね? ね?)

「そうですか。明日、よろしくお願いしますね。ふぇへっ」

(しまった。変な笑いが出ちゃった)

 安堵から出たヘニャヘニャの間抜けな笑み。幸い、彼は下を向いていたので見られはしなかった。

「君こそ」

 急いですまし顔を作る私に、彼が声をかけてくる。

「はい?」

 首を傾げて返事をすれば、ワンテンポ遅れてボソボソ声が問うてきた。

「……僕でいいの?」

(僕でいいのってあんた自分から誘っておいて今更)

「はい、もちろんです」

 嫌であれば誘われても困るだけだし、誘い返したりなどしない。特別一緒に行きたい! という訳ではなかったが、行きたくない訳でもない。彼に誘われたのは意外だったけれど。

 彼はのろりと首をもたげ、じーっと私を眺め始める。灰青の瞳と視線が交わり、なんだかむず痒くなった。とりあえず愛想笑いだけはしておこう。

「明日も良い雨が降るといいですね」

 にこやかに言うも、彼はこっちを見やるだけ。

「……」

「……」

 虚ろなくせに真っ直ぐな二つの眼に負け、思わず目を逸らしてしまう。顔に穴が開きそうだ。せっかく作ったおすまし顔が乱れてしまうじゃないか。

「えー……っと。ケーキ、食べましょうか。今日のは自信作なんですよ」

 取り繕うようにニコッと笑い、フォークを持つ。ひとまず話はついたので、もう「食」に逃げることにした。安易に声をかけて墓穴を掘るようなマネはしたくない。

 ハーブティーとシフォンケーキを交代交代に口に運び、食べることに集中する。そのうち彼もゆるりと動きを見せ、銀のフォークでケーキをつつき始めた。

 モソモソとケーキを頬張る姿は幼い子のようでなんだか可愛らしく、十数年も前に亡くなった弟と像が被る。見た目は全然違うのだけれど、雰囲気や仕草がたまに似ているのだ。

 だからだろうか。庇護欲? 母性? そんなものが沸く事がある。

「おいしい」

 相変わらず表情のない顔を向け、低く暗い声で褒めてくれる彼。

「そうですか? ありがとうございます。そう言って頂けて嬉しいです」

 褒められて胸がくすぐったくなるが、恥じらいよりも安心感の方が大きかった。今の彼から善くないモノは感じない。私の知るいつもの彼だ。

 ホッとした私はシフォンケーキの材料を明かし、やれ栄養価がどうとか健康に良いはずだとかを聞かれてもないのに語った。彼は黙って私の話に耳を傾けてくれ、ちょっとした質問にも答えてくれた。

 ぎこちない空気はすっかり消え、和やかなデザートの時間になったと思う。

 ──それにしても。

(あの嫌な感じはなんだったんだろ。……まあいっか。多分怒ってただけだよね。こじれなくてよかったー)

 背筋を這った違和感と、得体の知れない深く大きなもの。明らかに彼から感じたアレが何だったのか気になったが、単に怒らせてしまっただけだろうと脳が片付けた。

(怒らせると怖そうだもんね。気をつけとこうっと)

 彼に関する注意点が一つ増え、「反感を買うような事態は避けるべし」と心の中でそっと復唱した。


 *


 明日の雨祭りを彼と過ごすことになったのだが、一つ二つほど問題があった。約束を取り付けた(取り付けられた?)際はやや興奮状態だったため、そこまで気が回らずに即諾していたのだ。私としたことが。

 表向き「ターニャ・アランサバルの召使い」となっている私。しかし、真の顔は「国守魔導師ナーナ・フィモル」。一応国の重役ポジションなので、明日白亜の城で執り行われる式典に参加せねばならない。式典の最後には頑張って練習した魔導パフォーマンスを披露する予定もある。

 つまり、明日あの人と雨祭りを共にするといっても、式典が終わってからでないと無理なわけで。「丸一日付き合えると思わせたらいけないなあー。早くそこ伝えとかないといけないなー。また嘘つかないといけないなー」と、少しばかり憂鬱だったのです。

 まあでもこれについてはハーブティーで一服する中で、「明日は式典の手伝いがあるため式典が終わってからでないと祭りに同行できない」と伝えることができ、彼もそれでよいと了承してくれたので難なく解決。ちゃーんと頭を働かせ街中で落ち合うことにさせてもらったので、私は式典後に一旦家に戻り、まんまと入念な身バレ予防対策(主にヅラ固定)ができるのである。むふ。

 雨ってねえ、厄介なのよ。ウィッグを被って雨に濡れると、ズレ易くなるんです。水気を吸って重みが出ちゃってさ。雨期は外に出にくいわ。……まあ、インドアな割にぼちぼち出てるんだけど。

 とにかく明日はヘアピンの数を倍増させてガッチガチにヅラを固定させないとヤバイ。祭りの最中に「あ、カツラ落ちた!」なんてことになったら、あの人だけでなく全国民に身バレしかねないじゃないか。うう、恐ろしい。

 ヅラがずれたら嫌だからあんまり動き回りたくないんだけど、明日どこを回るつもりでいるんだろ? あの人、デートプランとか考えてるのかなあ……。

 雨害を退け慈雨を求める雨祭り。街では様々なイベントが繰り広げられる。雨音や音楽に合わせたダンスや、水瓶に雨水を溜めるゲーム、雨の似合う美男美女コンテスト、ストラ料理の試食会──などなど、他にもたくさんある。中には私が把握できていないものも。この国に来て二年経ったけど、まだまだ知らない事は多い。

 フェデリカの侍女ちゃんたちは雨祭りのイベントに関して、「一日かければ全て回ることはできます。とても疲れますけれど」と言っていた。それを聞いてなんだか気の遠くなる話だなあと思ったのは去年の暮れあたりの記憶だ。体力のない出不精の私にとって、イベント制覇など夢のまた夢なのである。実際、去年の雨祭りも午後から街をあてどなくプラプラ歩いたくらいだった。それだけでも楽しいものだが。

 私としては、露店巡りとダンスの観賞ができたら十分なところ。ああ、ストラ料理の試食会も捨て難い。……でも、彼はどうしたいのだろう。どこか行きたい所や参加したいイベントはないのだろうか。せっかく二人で行くのだから、どうせなら私も彼も楽しめるようにしたい。……うーん。楽しめる、のか? あの人楽しむのか? なんか不安だけどお祭りマジックに期待するしかない。

 式典で着る魔導師の正装と、彼と出かける時の服をクローゼットの手前に用意し、床につく。年に一度の雨祭りの日は、「フェチカ」という祭り装束を着るのが習わしだ。「雨」をイメージした鮮やかな青や水色を基調としたワンピースで、今年の流行りはレースをふんだんに取り入れたものだそう。侍女ちゃん情報。

 準備を終えた私は、ベッドの中で何度か魔導パフォーマンスのイメージトレーニングをし、しとしと降る雨の音を子守唄に眠りについた。


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