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「おいしいですわ」
「ああ。あたいも美味いと思うよ」
雨祭り前日。雨雲の調整と魔導パフォーマンスの打ち合わせで城を訪れた私は、仕事を終えてフェデリカの部屋にお邪魔していた。上司のターニャさんも一緒だ。
白を基調としたテーブルの上には、細かな網目が見事なレースのテーブルクロス。高そうな陶器のティーセットの中心に、私が作った飾り気のないシフォンケーキが身を縮こめている。
このシフォンケーキは昨日作った私の新作スイーツだ。お茶会のお菓子にと家から持って来て、フェデリカとターニャさんに味を見てもらっている。
「色が緑だね。生地に何を入れたんだい?」
ターニャさんがケーキを口に運びながら私に問う。砂色の猫目が品定めするかのように細まっていた。
「アルザ草です。茹でてすり潰して裏ごししたものを練り込んでみました。お菓子だけど野菜の成分も摂れて健康的じゃないですか?」
不健康そうな同居人にいかに栄養分をおいしく摂取してもらうかを考えて作成しました。アルザ草の他にもメコの実、マルーン、シュレイザが入ってます。栄養満点、ふふん。
「へえ、アルザ草が? うちのマルタがアルザ草嫌いなんだけど、これなら食べられそうだね。苦くない」
「まあ、アルザ草。わたくしも幼い頃は苦手でしたわ。このケーキにアルザ草が入っているなんて……」
ターニャさんは感心した様子で、フェデリカは驚いた様子で淡い緑色をしたシフォンケーキを見つめる。二人の好感触に、心の中で得意顔をしている自分がいた。
「アルザ草って苦いでしょ? でも滋養強壮に良いから、どうにか食べやすくならないかなって思ってケーキにしてみたんだ」
言い終わって、自分の皿に切り分けたシフォンケーキを口に放る。うん、しっとりとしていて甘さ控えめで──おいしい。
自分でもなかなかイケルと思っていたが、フェデリカとターニャさんに「おいしい」と言ってもらえて自信がついた。よし、今夜にでも食後のデザートに出してみよう。あの人、食べてくれるかな。
静かで、たまに気まずくて、ホンの少し照れくさくて、だけど嫌ではない二人の食卓。最近慣れてきた私と彼の食事風景を思い起こしていると。
「……ナーナ」
フェデリカが唸るような、絞り出すような声を出した。
「あなた、アルザ草が苦手というわけではなかったでしょう? なぜわざわざ食べやすいように取り組む必要があるのです」
勘ぐるように瞳を凝らし、どこか不愉快そうな面持ちでフェデリカが私をじいっと見つめてくる。
「え? あ、いやー、ええっと」
(簡潔に言うとあの人のためなんだけど、それを言うのはなんか恥ずかしいし……どうしよう)
どう返そうか逡巡した刹那、ハスキーヴォイスが割り込んできた。
「そりゃあ、あいつのためだろうよ。美味くて栄養のあるもんを食べさせてやりたいって女心だろ?」
核心をつかれ、心臓がビクッと跳ねる。そんな私のヒヤヒヤ感を知ってか知らずか、我が上司はニヤニヤとしていた。
「えっ! いえ、そんなんじゃ」
気恥ずかしくてなんとなく否定の言葉を出してみるも、ターニャさんの笑みは深くなるばかり。対照的に、フェデリカは面白くなさげに顔を顰めていた。
「ルキノ・ブランティエのために作ったものを、わたくしに試食させたのですか」
「そういうわけじゃないよ。まあ、おいしいかどうか食べてみてもらおうっていうのはあったけど、他の人じゃなくてフェデリカとターニャさんに食べてもらいたかったの。自信作だったから」
ご機嫌が斜めに傾いてきたフェデリカに、フォローじみたものを入れる。麗しの王女殿下は形の良い眉を僅かに歪め、「本当かしら」と唇を尖らせた。可愛いお人だ。
「おいおい王女、いいじゃないか。ヤキモチ焼くな。二人が仲良くやってるようであたいは嬉しいよ。聞いた話じゃ、あいつここ数日で随分顔色が良くなったそうじゃないか。カインも喜んでたよ。体力がついて鍛錬でヘバらなくなったってさ」
隣で「誰がヤキモチなんか!」という声がしたが、つっこんだら話がややこしくなりそうだったので今回はスルーしよう。
「仲が良いかは分かりませんが、あの人の食生活があまりにも乱れていたので、そこに首を突っ込まさせてもらってます。いい迷惑になってないといいんですけど」
「謙遜するな。良い方向にいってんじゃないかとあたいは思ってる。あんた、最初より疲れた顔してないよ。だいぶ慣れたんじゃないかい?」
「うーん、そうですね。同居し始めた頃よりは慣れたんじゃないでしょうか」
最初に比べて彼の生活パターンや性格が少しずつ分かってきたのと、単純に他人と暮らすことに慣れたため、望まぬ同棲も最近そこまで苦痛には感じない。身バレが怖いので気は抜けないが。
「いっそ、同居期間延ばすか?」
ニンマリと三日月型になった唇がそう零す。
「いけません!」
「それは遠慮します」
ほぼ同時にノーの声があがり、思わず苦笑してしまった。当事者の私よりもフェデリカの方が躍起になっているではないか。
ちらりと隣に目をやると、頬を上気させた友人がコホンと小さく咳払いをする。
「いえ、その──ナーナが心から良いというのであれば、延長すればよいと思いますけれども。ですけど、わたくしは婚姻関係にない男女が同じ家で暮らすなど……」
「王女は心配性だよなあ。ま、それだけナーナのことが好きなんだろ。憎いねえ」
バチン、と、星が飛んできそうなウインクをかますターニャさん。
フェデリカは「ターニャ!」と王女らしからぬ荒げた声を出し、ターニャさんを制す。
「おーおー、怖いねえ」
妖美な笑みを浮かべたままの口に、シフォンケーキが次々と運ばれてゆく。ターニャさんは大食いだ。そのくせ、食べたものがぜい肉にならないんだから羨ましい。
ターニャさんとフェデリカのやり取りを微笑ましく見守る中で、無意識に褐色の肌に目を滑らせる。豊満な胸、細いウエスト、ムチムチな太もも──なんとも魅力的なプロポーションである。いかん、私はオヤジか。
不純な己を戒め、視線を逸らす。おいしいものでも食べて気を紛らわそう。
「ああ、そういやナーナ」
甘みのある紅茶とあっさりしたシフォンケーキに舌鼓を打っていると、不意にターニャさんが話しかけてきた。フェデリカをからかうのに飽きたのだろうか。
「はい?」
カップを置いて砂色の猫目を正視する。隣のフェデリカはからかわれた余韻のせいか、ムスっとした表情をしていた。
「明日の雨祭り、どうすんだい?」
ざっくりとした問いかけを自分なりに解釈する。おそらく、式典後の予定のことだろう。国守魔導師として式典には参加しなければならないが、それ以外はフリーだ。
「今のところ予定はないですね。式典が終わったらちょっとだけ街を歩いて、あとは家にいるつもりです」
(マルタちゃんやセイジュくんとお祭り回りたいなー)
もしやターニャさんに誘われるのではないかと一瞬期待したが、それは違った。
「ふうん。あいつと一緒には行かないのかい」
「え? あー、そうですね。そんな予定はないです」
「誘ってみればいいじゃないか」
「ええ? いや、それは……仕事かもしれないですし、第一私とあの人はそんな仲じゃありませんから」
無理強いこそしてこないが、ターニャさんは私と彼にくっついて欲しいのだろう。仲を深めてほしそうな言動がチラホラある。まあ、単に面白がっているだけなのかもしれないけれど。
「消極的だなあ、あんたは。もっとガツガツいかないと男は落とせないよ」
「いえ、落とすも何も私は別にあの人のこと好きじゃ」
「ああ、『まだ』そうだったね。まっ、何はともあれ一回誘ってみなよ」
(「まだ」ってなんですか「まだ」って)
赤毛の上司のニヤニヤ笑いは止まらない。バツが悪くなってきた私へフェデリカが助け舟を出した。ナイスタイミング。
「ターニャ、強要はよくないですわよ。ナーナもああ言っていることです。無理にルキノ・ブランティエと雨祭りに出向かなくても良いではないですの」
「強要なんかしてないよ。これは助言ってやつさ」
ターニャさんは肩をすくめ、「今の話、考えてみなよ」と紅茶を啜った。
私は「はあ」と生返事をし、なんとなく想像してみた。自分とあの人が二人でお祭りに参加する光景を。
音楽に合わせてダンス。笑顔はない。というか、あの人ダンスできんの?
のんびりと露店巡り。笑顔はない。あんまり連れ回すと疲れちゃうよねえ。
観劇。笑顔はない。お芝居とか興味なさそうだよなあ。
(……うーん、どうなんだろ。微妙なんじゃないかな)
様々な場面を想像してみるが、どの場面でもあの人に笑顔はない。いやいや、私の想像なんだけども、でもあの人ちっとも楽しそうじゃないんだってば。
不健康そうで物静かなあの人。人と話すのが苦手と言っていたので、人ごみもあまり好きではないかもしれない。誘ってもきっとやんわり断られるだろう。いや、誘おうとは思ってないが。
(まあでも)
──もしも、向こうから誘ってきたら。
その時は一緒に行ってみてもいいかなあと、心の中でぼんやり思う。楽しめるかどうかは別として、なぜか断る選択肢が思い浮かばなかった。
(……けど、別にそこまで仲良いわけじゃないから多分誘われないよね。仕事かもしれないし、第一あの人女の人苦手って言ってたし)
頭の中に浮かんだあの人の顔を脳内ハタキで払い、私は自信作のシフォンケーキをもぐもぐと食べ続けた。
*
夕方、降りしきる雨の中急ぎ足で帰宅。雨よけの外套を羽織ってはいたが、雨脚が強かったせいでぬれ鼠状態だ。
あの人が家の中のどこにもいないことを確認。今日は日勤だと言っていたから、六時には帰ってくるだろう。それまでに着替えや掃除をしてしまわないと。
たっぷりと水気を含んだウィッグと服を替える。火と風の魔法を組み合わせ、温風を作り手早くウィッグを乾かした。それなりに良いウィッグを使っているので、手入れを怠るとすぐに買い替えなくてはいけなくなる。スペアはたくさんあるからそう困りはしないが、ダメにするのはいただけない。雨期になるとウィッグの管理が忙しくなるのだ。除湿除湿。
魔法によるお手軽な乾燥処理を終えて一息つき、午後の掃除に取り掛かる。やはりどれだけきっちり髪をまとめていても、何本かは床に抜け落ちてしまう。一本、二本と黒い髪の毛を見つける度に心臓がひやっとした。
家中の掃除が済む頃には、窓の外がすっかり暗くなっていた。そろそろお夕飯の支度でも……と、ダイニングに行くと。
テーブルの上に一枚の紙が置かれていた。いやはや、集中していたせいか掃除中は全く気がつかなかったわ。
(なんじゃこれ)
ゴミかと思ったが、紙くずにしては大きい。紙切れを手に取り、ひらりと両面を確認する。
と。
「明日の雨祭り一緒に行かない? 嫌ならいいけど」
細く小さな字で書かれた文が目に入った。
(えっ)
内容を読み、理解した私はギョッとした。一瞬心臓が止まったかと思った。いや、止まった。たぶん。
(えええええええええええええええええちょっと待ってこれもしかしてえええええええええええええ)
「えええええええええ……」
心の声が思わず口に出るほど、私は驚き面食らった。
これは、この手紙はもしかしてあの人から私宛なのだろうか。
これは、雨祭りに一緒に行こうという誘いなのだろうか。
私はいわゆるデートに誘われているのだろうか。
考えれば考えるほどに頬が熱くなってくる。
「えええええ……」
(マジで私これあの人に誘われてる?)
乱れた思考回路が妙な文章を作り上げた。ああ、他に人がいなくてよかった。こんなみっともないとこ見せられないわ。
私はしばらく何の変哲もない紙と壮絶なにらめっこをし、ハッと我に返る。そう、私は夕食を作ろうとしていたはずだ。そのうち彼も帰ってくるので、早いとこ晩ご飯をこしらえねば。
……それに、この紙とにらめっこしてるサマをあの人に見られたくない。なんか恥ずかしい。
そそくさと紙をポケットに仕舞い込み、台所へ向かう。頭からすっ飛んでいた夕飯のメニューを呼び戻し調理に取り掛かったが、考え事ばかりしてしまって危うくオムレツを焦がしそうになってしまった。
(お誘い? 文章的にはお誘いだよね。わざわざテーブルに置いてあったってことは私宛で間違いない? それともただテーブルに置き忘れただけで他の人宛? 宛先ないもんなー……私宛って思い込むのも自意識過剰みたいでモニョっとするし……あーうー……)
野菜スープを煮込む間、なんて返事をしようか、本当に私宛なのか、少なくとも彼は私にほんのちょぴりでも好意があるのだろうか、ターニャさんかカインさんに「誘え」と言われたのだろうか──などなど、ぐるぐるぐるぐる考えていて。
盛りつけが綺麗にできた頃、ようやく自分がどう動くかまとまった。
彼が帰ってきたらいつも通りお出迎えをして、軽い世間話を振って、そういえば明日は雨祭りですねーって話題に変えて、テーブルにお皿を運びながら言うんだ。
「そういえばテーブルに手紙が置いてありましたけど……」って。
で、遠回しに誰に向けた手紙なのか聞いて──それでもし、私宛だったら。
──私宛だったら。
(な、なんて返事をしよう)
再び頬が熱くなる。歳をとってもこんなに心が反応するなんて、私もまだまだ乙女なんだなあ。
不思議と断ろうとは思わなかった。誘われたことが嬉しくもあった。だけど、上司であるカインさんに言いつけられたんじゃないかなあと、冷静に推測する自分もいる。
だって、おかしな話ではなかろうか。人とコミュニケーションをとることが不得意なあの人が、進んで賑わいに混じろうとするなんて。
だって、おかしな話ではなかろうか。女性が苦手というあの人が進んで私と祭りに行こうとするなんて。
なにゆえ私を誘ったのだろう。分かりにくい彼の懐をあれこれ推し量ってみるが、結局それは分からないまま。まあそりゃそうだ。人の心なんてその人にしか分からないものなのだから。
ザアザアと降る雨音に耳を傾けていると、玄関の鍵がガチャリと音を鳴らした。
ああ、あの人が帰ってきた。
(よし行け七恵、まずはお出迎えだ!)
少し緊張しつつ、気合を入れる。「何食わぬ顔」を作って上がり框まで行き、彼が扉を開けるのをじっと待った。




