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来る六月一日。素敵な新居へ越す私を祝福するかのような晴天だった。
この日は朝早くから起きて身支度をし、家具のなくなった室内でぺたんと床に座り読書をしていた。何を読んでいたかって、鶏の飼育本である。色気がなければ魔導師っぽくもないでしょう? いいんです。新しい家族となり、生きる糧を生み出してくれる鶏様を今日お迎えするつもりなので、しっかりおさらいしておかないと。
九時になり、恰幅の良い不動産屋がやって来た。不動産屋のおじさんの立会いのもと家の状態チェックをし、権利書の受け渡しを行う。これでこの家は私の所有物ではなくなった。二年間ありがとう。もう次の家主が決まってるみたいだから、その人と仲良くね。
晴れ晴れとした気分で、だけどちょっぴり寂しさを感じながら荷車に荷物を運びこむ。大した荷物はなかったのですぐに終わった。これも計画的に準備を進めてきたおかげである。
最後に家に向かってありがとうとさようならのお辞儀をし、運び屋のおっちゃんと市場に出発。あれこれ店をまわって、食料品や園芸用品、そして雌の鶏様を二羽購入した。雛の頃から栄養源豊かな餌を与えられ、弾力と甘みのある良い卵を産むというブランド鶏だ。よしよし、新居に着いたら名前を付けてあげるからね。
おっちゃんと世間話をしながら西地区に入り、昼前には我が家へ到着した。おお、マイスイートホーム。不束者ですが、今日からよろしくお願いします。一生を共にする勢いで。
玄関先まで荷物を降ろしてもらい、代金を払っておっちゃんとお別れ。鶏様を新築の家畜小屋へお連れして、畑の様子を見た。しっとりとしたこげ茶色の土から、瑞々しい新芽がぴょこぴょこ顔を出している。なんてチャーミングなの。早く大きくなあれ。午後から水やりと草引きをしよう。
ルンルン気分で銀製の鍵を錠に差し込み、手首を捻ったところで違和感が生じた。
──既に鍵が開いていたのだ。
私は防犯意識はしっかりしている方なので、鍵の閉め忘れは考え難い。引っ越し準備で最後にこの家に来た時も、きちんと鍵をかけた記憶がある。
もしや、空き巣でも入ったのかと不安になったが、錠前がこじ開けられた形跡はない。
警戒しつつ、ドアを開ける。屋内はしんとしていて、人の気配はなかった。右よし、左よし、前よし……うん、ダイニングキッチンは異常なさそう。
新設した上がり框でブーツを脱ぎ、そろりそろりと家に上がる。ペッカイナでは玄関で靴を脱ぐ習慣がなく、純日本人たる私にとってそれは地味に気になるポイントだった。なので、ターニャさんの許可を得て作っちゃいました。「上がり框」。図やジェスチャーを用いて大工さんに説明したり、工程途中に口を挟んだりした甲斐があって、いい出来である。
閉めていたはずの鍵が開いていた。これは用心するに越したことはない。不審者が入り込んでいたりするもんなら、絶叫だ。すぐさま警備隊を呼ぼう。その前に走って逃げるか? 最悪、こっそり魔法を使おう。
もしかすると、単に私が鍵を閉め忘れていただけかもしれない。そうだったら拍子抜けだけど。いやでも、私、この前ちゃんと閉めたよねえ。
一先ず、家に誰かいないか、荒らされた跡がないか確認する事にした私は、玄関先の荷物をそのままに各部屋を見回っていく。
風呂場、トイレ、異常なし。
私の部屋、異常なし。
書斎、異常なし。
(なんだ、何もなさそうじゃん。私が鍵を閉め忘れてたのかな? うーん、閉めたはずなんだけどなあ。思い込み?)
残ったのは書斎の隣の部屋だ。そこは空き部屋で、掃除だけして家具は一切置いてない。まだ用途が決まってないため、とりあえず空き部屋のままにしている。
(あそこは盗まれるようなものないから大丈夫かなー。まあでも、念のため見ておくか)
ドアノブに手を伸ばし、ゆっくり回す。ガチャリという金属音。腕を手前に引くと、木製のドアはスムーズに開いた。
私の目に映るのは、畳七畳ほどのガランとした部屋──ではなくて。
(えっ)
思わずひゅっと息を呑む。
前回ここに来た時は、確かにこの部屋はがらんどうだった。
それがどうしたことか。
窓際にブラウンの質素なベッド、頭元にはエンドテーブル、部屋の中央に小さな丸テーブルと椅子が一脚、壁に沿って本棚とタンスが一つずつ……どれも私の物でなければ、身に覚えもなかった。
何より一番驚いたのは、室内に「人間」が居たことだ。
それも、私の知っている人間。
けれど、ここにいる必要性や関連性が全く理解できない、ここに居るはずのない人間。
(なんでこの人が)
パパパパパパ、と、様々な光景が蘇り、フラッシュバックが起こる。
城の外れの草薮で出会い、奇妙なやり取りをした青年。
夜の公園で出会い、手の傷を拭きハンカチを巻いてあげた青年。
下瞼にくっきり浮かぶ濃い隈、生気の欠けた灰青の瞳、青白い肌、血色の悪い薄い唇に、八の字に歪んだ眉、傷んだプラチナブロンド、ほっそりとした体躯。
不思議で不健康そうな近衛兵が、椅子に腰掛けこちらを見ていた。
(あの時の手の怪我は大丈夫だったのかな。じゃなくて、この人、うちで何してるの? なんで家具があるの? 訳が分かんない)
状況が飲み込めずに一時停止していた私だったが、向こうも大きく瞬いたきり反応がないので、埒があかない。そして何も分からない。
(まさかハンカチを返しに来たとか? でもなんで家の中に入ってんの? なんで私の家を知ってるの? なんで見知らぬ家具があるの?)
分からない。分からない。
このままではだめだ。マイスイートホームに何が起きたのか、なぜ彼がここに居るのか確認しなければ。
「こ、こ──こんにちは兵士様。どうしてこちらに?」
意を決して尋ねてみる。ああ、最初だけ声がうわずってしまった。仕方ないよね、不測の事態ですもの。混乱して叫ばなかっただけマシだ。
椅子に座る不健康そうな青年はしばし押し黙る。私はこんなに動揺してるっていうのに、彼の表情は先日と同じ。よっぽど精神的にタフなのだろうか。それとも表面に出さないだけ? または私が来ることを知っていたのか。
数十秒の沈黙ののち、彼の唇がうっすら開いた。相変わらずのスローペースに慣れてきた自分がいる。が、早く事の次第を知りたい今の私は若干やきもきしてしまった。
「今日から……ここに住めって、言われてる」
(はあ? ここに住む? なんで?)
ボソッと放たれた言葉に呆気にとられ、「へあ?」と間の抜けた声をあげてしまう。頭の中はクエスチョンマークだらけだ。
「どいういうことですか? どなたに言われたので? あの、間違いでなければここは私の家のはずですが……」
私は無意識に彼の側に近づいていた。詰め寄るように。この時、「どういうことかさっさと説明しろ」と言わんばかりに鬼気迫っていたかもしれない。そのせいか、不健康そうな近衛兵の応答が何某か速かった……気がする。
彼は二度大きく瞼を開閉させ、隈の刻まれた瞳をほんの少しだけ丸めた。そういうのいいからとっとと話を聞かせて欲しい。
そうして、ボソボソとしたか細い声が紡いだのは。
「カイン副隊長が、お互いを知り合うために婚約者と住めって……」
ピキピキっ。
思考にヒビが入る音、久しぶりに聞いた。同時に、誓約書の裏に書かれていた文字と、ターニャさんとのやり取りを思い出す。
会って話してその気になれば恋愛に持ち込み、そうならなければそこでオシマイ。家と庭と畑の三つの贈り物につい昨日プラスされたのは、婚約者という名の恋人候補。
「婚約者って、もしかして、あなたが?」
(嘘! この人が!? この人だったの!?)
驚愕。良い意味も悪い意味もなく、ただただ驚愕。
まさか目の前にいる彼が、あの時の近衛兵がそうだったなんて、予想だにしなかった。
「……ここが君の家なら……多分、そうだと思う」
少し間が空き、返ってきたのは歯切れの悪い肯定。
ここは我が家です。輝かしい新居です。どうしてここが私の家ならこの人が私の婚約者になるのだろう。
(はっ、「家の持ち主がお前の婚約者だ」とか言われてるのかもしれない。ていうか、一緒に住むの!? なんでそんなことになってんの!?)
「そ、そうですか。ここは、はい、私の家ですね。カインさ、様からこの家に住むように言われてるんですか」
恋人候補が彼だったことよりも、恋人候補と同居するようになっていたことへの衝撃が強い。いつの間に家具搬入したのこれ。
パニックに陥りそうな脳みそをフル回転させていると、不健康そうな近衛兵──もとい、私の恋人候補(?)が伏せ目がちに呟いた。
「……ん」
そして、ゆるゆる俯く彼。
ターニャさんちょっと待って。大いに待って。
あのですね、付き合っているわけでもなければ仲を深めているわけでもない異性と同居するのは、常識的に考えて有り得ないと思うんです。しかも家主である私に断りもなく話を進めるってどういうことですか。や、もともとこの家はターニャさんの所有物件でしたけど。
ああ、なんだか頭痛がする。イヤな冷や汗もかいてる。どうすりゃいいのこれ。てかカインさん、あんた止めなさいよ! 自分の嫁でしょうが!
それにこの人もこの人よ。そんな常識外れな話、なんで断らなかったの! 問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。
(落ち着け七恵、落ち着け七恵)
「そう、だったんですね。知りませんでした」
大声で彼を質問攻めしそうな自分を諌める。鎮まれ鎮まれ、私は大人。感情のコントロールくらいできなくてどうすんの。喚き散らす歳じゃないでしょ。
彼はいつもの八の字眉。声音も低く、口調もボソボソ。嬉しそうな様子はないとみた。そう、彼も望んでこうしたわけじゃないのだ(と思いたい)。おそらく、近衛隊副隊長、上司であるカインさんに逆らえず頷いてしまったのだろう。そのカインさんの裏にターニャさんがいるのは明白である。
飛び出してきそうな発問ぐっと喉で抑え、一つ深呼吸。一旦、現状整理をしよう。
彼は例の恋人候補で、カインさんに言われて今日からうちに住むようになっている。理由は「お互いを知り合うため」。私は恋人候補がいる事を知ってたけど(知らされたのは昨日だけどね)、その人がうちに住むなんてのは聞いてない。
そういえば昨夜、アランサバル邸を出る際、ターニャさん気になることを言ってなかった? 「あいつとは近いうちに会える」って、含み笑いでニヤニヤしながら──……。
……あ。
(「近いうち」って今日かい! しかも会うどころじゃないでしょこれ)
絶対ターニャさんに仕組まれてた。そう確信した私は、度重なる彼女の野放図なトラップにいい加減うんざりしてしまった。無理もないでしょう。もう言葉も出ません。
辟易としていると、彼が徐ろに動いた。ベストの内ポケットにのろのろと手を入れ、出されたのは一通の手紙。
「……これ」
「あ……私に、ですか」
問うと、俯いたまま緩慢に首肯する彼。こくりと頷く動作が幼子みたいでちょっと可愛かった。年の離れた私の弟もこんな感じだったなあ。あの子、恥ずかしがり屋で話すのが苦手だったから、身振り手振りで自分の気持ちを伝えてくるんだよね。
頭の片隅に浮かんだ弟の心像を懐かしく思うも、今は感傷に浸っている場合ではない。
気を取り直し、飾り気のないテーブルにカサリと音を立てて置かれたそれを手に取る。封筒には宛名も差出人も書かれていなかったが、封蝋の印璽はアランサバル家の紋章だった。ということは、差出人はターニャさんかカインさんだ。
固まった蝋を外し、封を開け、私はクリーム色の便箋に目を走らせた。
*
あたいの可愛い召使モリーへ。
引越しは無事に終わったかい? 家に入って驚いたろうね。ギョッとしてるあんたが目に浮かぶよ。
さぞあたいに膝詰めして文句を言いたい事だろう。だがまあ、あたいの話を聞いて欲しい。
この手紙を読んでるってことは、予定通りあいつに会ったんだな。もう知っての通りだが、あんたの家に待機させてある奴が婚約者さ。
カインの部下で、名前は──自己紹介ついでに本人から聞け。見た目も中身もちょいと風変わりな奴だけど、カイン曰く根は良いらしいぞ。あたいの砂占いでも相性良しと出たことだし、安心して親しくなれ。
でさあ、あんたには悪いんだけど、その家にしばらく二人で住んでもらうようになった。おいおい、早まるなよ。発起人はあたいじゃない。宰相だ。
同棲はさ、面白くなりそうとは思った。お互いを知るのに手っ取り早いし、関わる時間も増える。あんたたちをくっつけるのに、もってこいではあった。
んでも、あたいはそこまで乗り気じゃなかったんだ。グスタフがそうさせろって頑として譲らなくてさあ。あいつ、やっぱり何か企んでるよ。ま、どうせあんたを早く誰かと結婚させてこの国に縛り付けようとしてるんだろうけどな。
あんた、けっこう他人に気を遣うだろ? よくも知らない男と突然二人暮らしするの、苦痛なんじゃないかい。あんたの正体のこともあるしね。だからやめといた方がいいってグスタフに言ったんだけど、ダメだったよ。
でもな、あたいはあんたが大事だから、グスタフと話し合ったわけさ。あのいけ好かない狸爺と一戦やりあったんだ。感謝しとくれよ。
で、討論の結果、こうなった。
一、一ヶ月の期限を設けて同棲する。
二、一ヶ月の同棲期間を経た後どうするかは二人で相談する。
三、どちらかの心労が強くなるようであれば、一ヶ月を待たずして同棲を取りやめてもよい。
四、同棲の理由は近衛の「任務のため」とし、事実は公にしない。
要は一ヶ月我慢すりゃいいってことさ。限界がきたらあいつに出てってもらえばいい。
あんたに伝えようか迷ったんだけどねえ、伝えたらその場で突っぱねられそうだったからやめた。先に言っておくのもつまんないしね。おっと、本音が出ちまった。
まあ、この前も言ったように気楽にやりゃあいいんだよ。どうしても嫌ならうちに逃げ込んできな。……グスタフに呼び出されるだろうがな。その時は一緒に行ってやるよ。あたいはいつでもあんたの味方だ。
あいつと上手くいって恋の駆け引きに悩むことがあったら、いつでも相談においで。さあ、どう転ぶか楽しみだねえ。
それじゃ、健闘を祈る。願わくば二人の道が永久に混じり合わんことを。
あーそうそう、貞操の危機は心配しなくても大丈夫。ちゃーんと言い聞かせてあるし、なんてったってあいつは生息子だそうだからな。ははっ!
ターニャ。
*




