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彼と私の二重奏  作者: POMじゅーす
2.始まりの奇想曲(カプリチオ)
11/30


 常春とはいえ、さすがに夜は少し冷える。

 ショールでも羽織ってくれば良かったと思ったが、既に西地区まで来ていたので取りに帰る気にはならなかった。それに、冷えるといっても氷点下になることはない。日本の冬に比べれば可愛いものだ。

 このひんやりとした夜気も、走れば体が温まって気にならなくなるだろう。それに、走ればターニャさん宅に早く着く。そう思い、私はブラウスの襟元を片手で寄り合わせながら煉瓦道をトントン駆けた。

 運動が苦手な故にスピードは遅かったけれど、彼女の家までの距離は着実に縮んでいく。満天の夜空から星明かりが降り注ぎ、そのおかげでランタンがなくとも容易に夜道が歩けた。

 レサ・ハルダには月が──すなわち、衛星がない。それでも夜がこんなに明るいのは、地球のように自然環境が破壊されていないからなのだろう。この世界はどこに行っても空気が綺麗で、空を遮るものがない。とても美しい世界だ。たまにそれが寂しくなることもある。高層ビルやスモークでくすんだ空など、レサ・ハルダにはありもしないのだから。

 人気のない夜道を女ひとりで歩くのはあまり褒められたことではないが、ペッカイナは治安が良い。そうそう追い剥ぎに出会したりしない……と思う。夜も警備隊がちゃーんと巡視してるし、万が一の事があっても私には魔法がある。不穏な輩に襲われたら、突風を装って吹っ飛ばせばいい。

 今日までの付き合いになる現在の私の家からターニャさん宅までは、徒歩でおおよそ十五分から二十分かかる。アバルキン牧場を越えたので、あと半分くらいだ。

(もう一息……だけど、しんどい)

 何ぶん体力がない私には、走り続けることなどできず。

 情けないが、走っては歩き、走っては歩きを繰り返し、ヘロヘロになりそうなところでようやっとアランサバル家の大豪邸が見えたのであった。私の体はすっかりポカポカ。暑いくらいである。

 目的地に到着し、気を引き締めた私はまず呼吸を整えた。そして、星の光で鈍く照るドアノッカーを鳴らす。影の落ちた鳥の装飾がこちらを睨んでいるようで、若干不気味だった。

「よっ。ナーナ。こんな時間にうちに来るの、珍しいな」

 観音開きの大きな扉が開くのに合わせ、ハスキーヴォイスが聞こえた。私の顔を見る前だったというのに、我が上司は来客が私であると分かっていたようで。

 私がターニャさんの魔力を感じられるのと同じく、ターニャさんもまた、私の魔力を感知することができる。魔力探知は魔導師の技の一つだ。

 私の魔力を感じたのか、はたまたこうなる予感があったのか──。

「夜だというのに急にお伺いしてすみません。急遽お尋ねしたいことがありまして……今、よろしいでしょうか?」

 これから一癖ある上司を問い質すとあって、声が堅くなってしまった。きっと顔もそうなっているのだろう。ターニャさんは普段と違う様子の私に気付き、砂色の目を一度だけ瞠ったが、すぐにニンマリと妖しい笑みを浮かべた。

「ああいいよ。入んな。ちょうどチビどもが寝たとこで、暇だったんだ。カインもまだ仕事から帰ってきてないしな」

「すみません。ありがとうございます」

 妖し気な笑みが何を意味しているのか。これは直感だけど、彼女は私の用件を分かっていて、それを面白がっているのではないかと感じた。

「お邪魔します」

 礼を述べてターニャさんの邸宅へ入る。するとターニャさんは不機嫌そうな面持ちで口を尖らせた。

「お邪魔じゃないよ。ったく、それ、うちでは使わないどくれって言ってるだろ?」

(しまった。忘れてた)

「あっ、すみません。癖でつい……」

 日本では一般的に使われている「お邪魔します」。他人の家に上がる際の礼儀のうちの一つだが、ターニャさんはこれが好きでないらしく。注意されるのも初めてではない。

 豪気で堅苦しいことが嫌いな彼女からすると、邪魔じゃないから訪問を歓迎しているのに「お邪魔します」と言われるのが気に入らないそうだ。まあ、言いたいことは分かるんだけど、ずっと使ってるからなあ。やっぱり出ちゃうんだよね。それに私自身、礼節や慎みは日本人の美徳だと考えてるから、あんまり直そうと思えない。

 申し訳なさそうに頭を下げた私に、ターニャさんは苦笑いをする。

「ま、二年も経てばもう慣れてきたけどな。気にするな」

 ああ、気を遣わせてしまった。ごめんなさいターニャさん。

 引き締めていた心がしゅんしゅん萎んでいく。出鼻をくじいたような気がしたが、応接間のソファーに座ると緊張感がじりじりせり上がってきた。

「ちょっと待ってな、紅茶を淹れてくる」

「あ、いいです。話が終わったらすぐに帰りますので、おかまいなく」

 私は紅茶を淹れる時間すら惜しいと思い、おもてなしを断る。早く真相が知りたかった。また、夜なので長居するのは迷惑だ。どういうことか聞いて、問題があれば解決してさっさとお暇しよう。

「遠慮するんじゃないよ。いいから待ってな」

 そう言って応接間を出ようとするターニャさんに首を振り、私は肩掛け鞄から一枚の羊皮紙を取り出した。

「本当にいいんです、ターニャさん。それより、これ、どういうことか知ってますか?」

 艶のある黒テーブルに広げた誓約書。もちろん、裏面を上にしている。

「おや、それはこの前の誓約書かい?」

 体を強ばらせ、真剣な表情でターニャさんに視線を向けると、彼女は遠目で見ただけで羊皮紙を「誓約書」と言い当てた。そして、二ターっと口元を歪める。背筋が薄ら寒くなった。

(……ああ、黒だ。ターニャさんは黒だ)

 唇がじんじんする。知らず知らずのうちに、私は口をキュッと結んでいたらしい。

 砂色の目を楽しげに細め、ターニャさんは意味ありげな笑みを浮かべたままこちらへ近づいてきた。

「んふ、ナーナ。あんたようやく気付いたのかい」

 色っぽい声を漏らし、我が上司は笑みを深める。

(黒だー! 真っ黒だー!)

 私の心臓は高鳴った。推測が事実に変わってしまったことに衝撃を受けて。こうなることをある程度予測していても、やはり動揺は避けられなかった。

 お師様と魔導師修行の旅に出てた時は、もう少し精神面タフだったのになあ。あの頃は夜這いされても雪崩がきても「面倒くさいな」で済んでたのに。ペッカイナに来て平和ボケしちゃったか?

 鼓動が僅かに速まったが、取り乱すほどではなく。私はできるだけ静かに口を開いた。

「ターニャさんが仕組んだんですか、これ。もしもこの『婚約者』が贈り物の一つだったとしても、私は絶対に受け取りませんよ。取り消してください」

 わりかし私はいつも下手に出るタイプであるが、今日は違う。

(婚約者なんて、何が何でも受け取れない。受け取らない)

 強固な姿勢を崩さずに立ち向かうんだ。でないと自分の人生狂いそう。「婚約」って、好きな人同士がするもんでしょ。私は好きでもない人と手を繋いだり愛を語らったりチョメチョメしたりできません。うん。相手にも失礼でしょうよ。

「そう殺気立つな。あんた目つき悪いんだから、余計に怖いぞ」

 だから、細目でつり目で一重なのは生まれつきですってば。目つき悪いのも重々承知です。

「ここを削除してくれたらすぐに笑顔になりますよ」

 人差し指で例の一文を示す。ターニャさんは私の向かいのソファーに腰を下ろし、頬杖をついた。

「んー……。そんなに嫌なのかい? あんた、王女の結婚式をそれはそれは羨ましそうに眺めてたじゃないか。イイ人が欲しいんだろ?」

「そういう人が欲しいのは否定しませんが、嫌です」

「誰かも分からないのに?」

「分からないから嫌なんです」

「じゃあ、分かればいいのかい」

「よくないです。私は『結婚するなら恋愛で』って決めてるんです。出会って、お互いのことを知り合って、仲良くなって、告白されて、恋人期間を楽しんで、将来を語り合って、プロポーズされて……そういう過程を踏みたいんです。なのにいきなり『婚約者』ってなんですか。色々すっ飛ばしすぎですよ」

 あ、理想語りすぎた。いや、勢いに乗ってついつい……。なんか恥ずかしいな。二十五になるのに、子供っぽい恋愛観なんだなとか思われてないといいんだけど。

「ブッ、はははははは! なんだいそりゃ。あんた、見かけによらずウブで可愛いこと考えてるね」

 うわあ、案の定。思いっきり笑われたよ。

 羞恥で一気に頬が火照る。言い返したい気持ちはあるが、今はその話ではない。目的を忘れてはならんのだ。

「もう、ほっといてくださいっ。ターニャさん、早くここに消去線引いてサインしてください」

 むー、と唸りそうな自分を抑え、ずずいと誓約書をターニャさんの前に出す。

「本当に『婚約者』を用意してるなら、その人にもちゃんとこの件がなくなったことを伝えてくださいね」

 顔は赤いままだが、私は強気を保っていた。これはいい調子である。目上の者に弱く、すぐ萎縮してしまう私にしては。

「まあ待て、ナーナ。あんた今二十四だろ? 今年で二十五になるのに、あんたときたら浮いた話の一つもない。このまま一生独身を貫くのかい?」

 グサッ! 見えない鋭利なナイフが胸に突き立つ。

 ターニャさんめ、人が気にしている事を……。

「そのうちいい人見つけます。その話はいいので、消去線とサインをお願いします」

 突かれた弱点をなるべく気にしないように努め、テーブルの端ギリギリまで誓約書を滑らせる。ターニャさんは長い睫毛を揺らし、顔を曇らせた。

「あたいはね、心配なんだよ。あんたが婚期を逃して女の幸せを掴めなかったらどうしようってさ。老後が一人じゃ淋しいだろう?」

(痛ったー!)

 そ、それ以上言わないでください。私もそこはほんのちょっと危惧してるんです。周りが結婚して幸せそうだから、余計に気にしてるんですー。

「ターニャさん、この歳になって結婚してない私を心配してくれるのは嬉しいですけど、あの、生涯の伴侶くらい自分で探しますから」

 脆いところを指摘され、じくじくと心が疼く。そこにターニャさんが追い討ちをかけた。

「言っちゃあなんだが、あんた口だけだろう? 見合いもせず、外を出歩きもせず、飲み会にも行かず、休みの日は家で過ごして──そんなんでイイ人が見つかるのかい? だからあたいは心配なんだよ。あんたがもっと恋人作りに精を出してたら、あたいもこんなことしなかったさ」

(うっ! い、痛いっ)

 確かに私は心の中で焦りを感じ、「結婚したい」「羨ましい」「彼氏欲しい」と口にすることはあっても、婚活には勤しんでおらず。二十五歳になるまであと何ヶ月かあるので、「まだ大丈夫かなー」と、焦りを行動に移すところまではいっていなかったのだ。

 その報いか、恋人どころか恋人候補、いいや、独身の男友達ですらできていない。……なんか悲しくなってきた。

「じゃあ、これから頑張りますので、今回の件はきちんと取り消してくださいね」

「何をどう頑張るか具体的に教えておくれ」

 どこか威圧感のある言葉に、私は言葉を詰まらせる。

「それは──……」

 普段婚活をしていなかったために、パッと浮かんでこない。

「出会いを見つけるために外出したり、誰かに男の人を紹介してもらったり……?」

 やべ、疑問系にしてしまった。絞り出した答えはありきたりで、不明確。

「それ、実行できるのかい?」

「で、できますよ」

「本当に?」

「っ、はい」

 正直、外出を増やすのには気が進まない。「はい」と返事をしたのはこの場を乗り切るための虚勢である。

「嘘だね」

 見透かしているのか、ターニャさんは砂色の瞳を鋭く光らせた。

「嘘じゃありま」

「ナーナ」

 言いかけて、制される。

 上司の纏う圧迫感がひしひしと詰め寄ってきて、即座に空気が張り詰めた。

「あたいの話も聞きな」

 ターニャさんは刺すような砂色の双眸で私を見つめ、誓約書の裏に書かれた文字をなぞる。

「何もすぐに結婚しろとは言ってない。婚約しろとも言ってない。ちょいと卑怯なマネをしたのは謝る。悪かった。あたいとしては、あいつと気が合ったらいつかそうなればいいって考えてるんだ。だから、あいつのことを知ってみて、合わなかったらそこで終わりにすればいい。好きになれなかったら結婚なんてしなくていい」

 九分九厘婚約者の受け取りを強要されるだろうと構えていたが、そうではなかった。

(なんだ、強制結婚とか、強制婚約ではなかったんだ)

 どうも私の立てていた推測は、ちょっと違っていたらしい。話を聞くからに、ターニャさんが贈ろうとしているのは「婚約者」ではなく(ゆくゆくはそうなって欲しいと思っているみたいだが)、恋人候補っぽい人のようだ。

 そういうことかと少しだけほっとする。ターニャさんは強引な気質を持っているが、浅はかではない。愛のない結婚、婚約などを無理強いするはずがなかったのである。あーよかった。

「そうなんですか」

 安堵の溜息と共に、少し緩んだ声を出す。

「なんだい。あたいが好きでもない奴とあんたを結婚させるとでも思ってたのかい」

「えっ、いえ、そんなことは」

「あたいは政治家や貴族じゃないんだよ。他人が取り決める結婚なんざ胸糞悪い」

 咎めるような視線に居心地が悪くなり、精一杯否定する。するとターニャさんは顰めっ面を一転させ、ふわりと微笑んだ。

「あたいはね、あんたに幸せになってほしいのさ。結婚は好きな奴とするに限る。あたいや王女みたいにね」

 張り詰めた空気があっけないほど一瞬に解けた。ターニャさんが私を想ってくれる気持ちが伝わってきて、嬉しさが滲む。けれど、そこに戸惑いも生じていた。

 私は強制的に婚約者を据えられるもんだとばかり思っていたが、実際はそうではなく、相手と関わってみてお互いいい感じだったら付き合っちゃいなヨ! という旨趣らしい。

 まったく、紛らわしいな。それなら「婚約者」じゃなくて、「恋人候補」とか「素敵な出会い」とか書いておいてほしい。私が誤解してしまったのも当然だ。

 ……で、私はその「恋人候補」をどうするのさ。

「お心遣いありがとうございます。そうですね、結婚は好きな人としたいですね」

 相槌を打ちながら、どうしようか思考を巡らせる。「婚約者」と「恋人候補」とでは重みがかなり違うのではなかろうか。「婚約者」は断固拒否だが、「恋人候補」となると少し考える余地があった。

 私だってひとりの女。恋がしたいと思うし、好きな人とか恋人とか欲しいとも思う。むしろ早く作らないとほんとに一生独り身になりそうで怖い。今すぐにというわけではないけど、結婚願望、それなりにあります。はい。

(要は、紹介みたいなものだよね? うーん……気軽にメル友からだったらアリかな? あっ、この世界には携帯ないわ。じゃあペンフレンドか)

「結婚するにも婚約するにも恋愛するにも、まず必要なのは『出会い』と『きっかけ』。あんたには家と一緒にそれを贈ったのさ」

 色恋沙汰に必要なのは出会いときっかけ。んー、一理ある。

「まあ、そうですね。でも、それなら『婚約者』なんて書かないでくださいよ。すごくビックリしたし、慌てました」

「悪い悪い。なんて書きゃいいか迷ったんだけどさ、グスタフが『婚約者』にしとけって言うもんだから」

「え、グスタフさん? どうしてあの人が」

 予期せぬ名前に虚を突かれる。私とターニャさんの知る共通の「グスタフ」といえば、ペッカイナ王国宰相グスタフ・イェッセルしかいない。彼はとんでもなく頭の切れる古狸で、煮ても焼いても食えない人。私はあの爺様が苦手だった。

「今回の『贈り物』はあたいが発案したんだけど、どっからかグスタフが嗅ぎつけてきてさ。あれこれ口を挟んできた訳だ」

 肩をすくめるターニャさん。

 なるほど、ターニャさんが誓約書に署名を求めてくるなんて異例だと思っていたが、グスタフさんが裏にいたからか。豪胆な彼女が狡猾な手段を好んで使うわけないだろうし。ああ、そういえば誓約書の文字、ターニャさんの字じゃないもんね。これはグスタフさんが書いたのかな?

「へえ……グスタフさんが。あの人ももの好きですね」

 しげしげと誓約書の裏表を見る。そこには綺麗なレミス文字が乱れることなく並んでいた。ははあ、グスタフさん、「婚約者」って単語を用いて私を慌てふためかそうとしたんだな。現にそうなったんだけど。悔しい。

「あいつ、性格悪いからな。人を陥れる策を練るのが好きなんだ」

「……ですね。グスタフさんらしいです」

 彼は良くも悪くも古狸。宰相という職であり、策謀には長けている。

「あ、そうだ。この贈り物のことって、グスタフさんの他に誰が知ってるんですか? カインさんとフェデリカは知ってそうでしたけど」

 ここで、疑問を一つ出してみる。この前会ったカインさんとフェデリカの言動から、あの二人が今回の件について既知なのではと推し量っていたが、どうなのだろうか。

「ああ、あの二人には言ってあるからな。あとは王と王妃くらいだ。ニコラウスは隠し事が下手糞だからやめといた」

(やっぱり、カインさんとフェデリカは知ってたのね。王様と王妃様くらいならいいかな? ニコ隊長には言わなくて正解だったと思います、ターニャさん)

 近衛隊の統率者、ニコ隊長はターニャさんに負けず劣らずの豪快なお方。もう四十を越えているのに、筋骨隆々でエネルギッシュ。まだまだ退役の気配はない。彼は中年にしては無邪気であり、素直過ぎる所がある。嘘をつくのが壊滅的に下手っぴで、私の正体を何度バラされそうになったことか。

「そうなんですね。ニコ隊長には悪いですけど、言わなくて良かったと思います」

「だろ? ニコラウスは脳みそが筋肉でできてるからな」

 ええ、いわゆる「脳筋」ってやつですね。分かります。

 声にはしないが、私はうんうんと頭の中で頷いた。「脳筋」、ニコ隊長にぴったりだ。いや、そんな彼が好きなんだけど。

「それで、ナーナ。どうするんだい。あたいの贈る『きっかけ』、受け取ってくれるのかい」

 スラリとした褐色の指が、再び「婚約者」の文字に触れる。

「うーん……そうですね、ちょっと悩んでます。相手の同意はあるんですよね?」

「ああ、ちゃんとあっちも了承済みだよ。ナーナを傷つけたら国から叩き出すって釘刺してるから、悪いようにはならないさ」

「えっ、何脅してるんですか。向こうからしたら大迷惑ですよそれ」

 ギョッとして言うと、ターニャさんが不敵に笑った。前方からしなやかな腕が伸びてきて、私の頭を暖かく、優しく撫ぜる。まるで親が子を甘やかすように。

「大事な大事なナーナに仲立ちするんだ。このくらいニラミをきかせるのは当然だろう? あたいはあんたが悲しむ姿、見たくないからね」

 さいですか。私の事を大切に思ってくれてるのはすっごく嬉しいんですけど、なかなか愛が重いです。

「あ、ありがとうございます……」

 彼女の気持ちに嬉し恥ずかしの私は、照れてそわそわしてしまう。

「そういうわけだ。安心してあいつと交遊すりゃいい。話してみて気に入らなけりゃ放っとけ」

「はあ……」

 気の抜けた返事をし、ターニャさんの手が離れるのを待って私はあれこれ気になることを尋ねた。

「向こうの了承も得ているということですけど、相手方には好きな人とかいないんですよね?」

「いないいない。あんたと同じで、いい歳こいて粋筋の噂がからっきしな奴だからさ」

「からっきしで申し訳ありませんでした。……それで、どんな人なんですか?」

「ん? あんたあいつに会ったんじゃないのかい?」

「え? 会った覚えないですよ」

「こないだ、カインが血相変えて『ナーナ殿が積極的になっている』って言ってたよ」

 とある一場面が脳裏を過ぎる。五月六日のカインさんとのあの会話だ。

「あ、あれはやり取りがうまくいってなかったみたいで、行き違いです。私は家の方を見に行ったって伝えたかったんですよ」

「なんだ、そうだったのかい。おかしいと思ってたんだ。誰が相手かも分かってないのに会いに行けるはずないだろう」

「その通りですよ。私、相手がどういう人か知らないですから。ターニャさん、どんな人なのか教えてくれませんか?」

「んー、まあ会えば分かるさ。楽しみは取っておきな。あっちにもあんたが婚約者だってことを伏せてあるしねえ」

(お互い前情報なしかいっ)

「えーっ、気になります! カインさんとフェデリカが知ってる人なんですよね」

「ああ、カインの部下さ。あたいよりカインの方がよく知ってるよ。そうそう、あんたの『お相手』を王女に伝えた時、面白いことが起こってなあ」

(カインさんの部下ってことは、近衛兵か。うひゃー、エリートだ。で、フェデリカは何をしでかしたんだ)

 ターニャさんはくつくつと肩を震わせ、我が麗しの友人がした突飛な行いを話してくれた。

 ターニャさんがフェデリカへ今回の件について通知したのは、私が贈り物を受け取った次の日。フェデリカは恋人候補の話を聞くなり、眉を吊り上げいきり立ったそうな。友である私に出会わせる男性を「自分の目で見定めます」と言い、執務の途中でその人を呼び出したというのである。その後、三時間に渡って外見や経歴のチェックをしたり、質疑をしたり、口をすっぱくして戒めを説いたり……もうね、フェデリカ何やってんの。あんた一国の王女でしょ。仕事しなさいよ。いや、私を気にかけてくれるのは嬉しいんだけども。はー、相手方が可哀想だなあ、申し訳ない。

「王女は最後まで不満そうだったよ。何度も『あの殿方でよろしいのですか』『もっと良い殿方はおりませんの』ってふくれっ面して……あー面白い。説得するのに苦労したよ。ナーナ、あんた愛されてるねえ」

 だからフェデリカ、この前会った時複雑そうにしてたのか。

(というか、話を聞く限り私の「お相手」さんはあまりよろしくなさそうな感じじゃない? どうしよう、断った方がいい?)

「……あはは、頼りになる友人です」

 引き攣りそうな笑顔で答えると、応接間の壁掛時計がボーン、ボーンと時を知らせた。

 もう九時か。そろそろ失礼した方がいいかな。もっと聞きたいことはあるけど、あんまり話し込んでお子さんが起きてもいけないし、ターニャさんにだって予定があるかもしれないし。当面の危機が去っただけでよしとすべきだ。

 例の恋人候補は一先ず保留にしてもらおう。婚約者でないにしろ、もうちょっと思索したい。微妙そうな人っぽいし。

 時計に目を向けそんなことを考えていると、ターニャさんが笑いを収めて口を開く。

「ま、あんまり深く考えなくていいから、知り合いから始めてみたらどうだい」

「そうなんですか。あの、せっかくですがもう少し考えさせてもらってもいいですか? いてっ」

 即答を避けるが否や、ターニャさんのデコピンが飛んでくる。そんなに痛くはなかったけれど、額をさすって上司を見れば、彼女は呆れたような顔をしていた。

「気が合えば付き合う、合わなければさようなら。こんなに簡単な話なのに、何を考えるってんだい。あんたは慎重過ぎるんだよ」

 ターニャさんは誓約書をくるくる巻き、革紐でまとめたのち、それを私へ放り投げる。

「わっ、あの、でも」

 キャッチし損ねてわたわたしている私をよそに、ターニャさんは立ち上がって私の側に移動してきた。

「ほら、帰った帰った。子供は寝る時間だ」

 ぐいっと腕を持ち上げられ、お尻が浮く。なんて強引なんだ。あと、私は子供じゃないです。

 ちょっと抵抗してみたが、より一層強く腕を引かれてしまい、よろめきながら腰を上げる。

「ターニャさん、ちょっ、私、心の準備ができてませんし」

「そうかい。今からしておきな」

 ターニャさんの手が私の腕から下方へ移り、私は手首を引っ張られて応接間を出た。いや、出された。

 そのままどんどん玄関まで引きずられ、大きな扉の前に立たされる。ターニャさんは内鍵を外し扉を開け、私へ目配せした。

「気楽にやんな。なんかあったらいつでも相談に乗るよ」

「気楽にって言っても、相手のこと何も知りませんし、やっぱりもうちょっと考えてから──」

「はいはい。あたいはこれから湯浴びするんだ。あんた明日引っ越しだろ? 明日に備えて早く寝な。それじゃ、またな」

 不意に背中を押され、私は前のめりになって扉をすり抜けた。急いで振り返ると、扉の細い間からターニャさんがニヤニヤ笑いを覗かせている。

「んふ、あいつとは近いうちに会える。その時に知っていけばいいのさ」

 バタン。

 無情な音が夜の平原に響く。

「ターニャさん、ターニャさん!」

 声を出して何度か扉を鳴らしてみたが、中からの反応は一切ない。諦めの悪い私はしばらくそこでまごまごし、やがて大きな溜息を一つ吐いて回れ右をした。

(……出直してもターニャさんにやり込められそうだなー。婚約者じゃなくて良かったけど、もっとちゃんと考えたかった。まあ、日本に居た頃、何度か友達に男の人を紹介してもらった事があるからそんなに抵抗はないんだけど……どんな人なのかな? 今度フェデリカかカインさんに聞きに行こうか。でも二人とも忙しいだろうしなー。うーん。変な人だったらどうしよう。てかフェデリカの話を思い出す限り、「良い人」ではなさそうだよね。ブ男? 変人? 性格に難あり? とんでもない人だったりして)

 考えれば考えるほど、どんどんどんどん嫌な方向にいってしまう。

 ──ああ、やめだやめだ。だいぶ疲れた。受け取ったのが「婚約者」でないだけマシ。取り返しがきくだけマシ。そう思うことにしよう。考えたら余計疲れる。

 といっても、ターニャさんの発した最後の言葉が気に掛かる。「近いうちに会える」とは、どういうことなのだろう。言葉通りなのかもしれないが、「近いうち」っていったいいつ? 明日? 明後日? 明々後日? 向こうから接触してくるの? どこで?

(……それももういいや)

 会ったら会ったで話してみて、後は流れでなんとかしよう。良さげな人ならつなぎ止めて(私にできればだけど)、ピンと来なかったらご縁を自然消滅させて、向こうにその気がなさそうなら身を引いて……ターニャさんに倣い、気軽に接してみればいいんだ。

 そうそう、深く考えすぎなんだよ私は。もっと軽く行こう。うん。

 無理やり納得させようと、心の中で自分に言い聞かせる。どっとのしかかる疲弊にげんなりし、私は星明かりの下帰路についた。


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