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第3話 鍛ち、討つ

翌朝、湖畔に魔物の痕跡を見つけた。




岸辺の砂に、爪の跡があった。大きい。

四足の生き物で、龍司が森で見たものとは

別の種類だ。爪の間隔が広く、

深く刻まれていた。重い。体重がある生き物だ。




龍司は跡を辿った。




小屋から東へ三十メートルほどの岩場に、

獣臭があった。糞の跡があった。

縄張りを示す引っかき傷が岩に残っていた。




「これは何だ」とハーゲンに聞いた。




ハーゲンは跡を見て、少し考えた。




「グレイボアに似ているが、違う。

 もう少し大きい」




「危険か」




「出会えばな。ただし夜行性だ。

 昼は岩場の奥にいる」




「排除できるか」




「一人では難しい。二人ならどうにかなる」




「武器が要るな」




「今の装備では足りない」




龍司は岩場を見た。




この土地を自分のものにするには、

ここの魔物を排除する必要がある。




小屋を建てたからといって、

自動的に安全になるわけではない。

むしろ、この湖畔に人の気配が増えれば、

魔物との接触も増える。




それは分かっていたことだ。




湖畔を選んだ日から、覚悟はしていた。

土地を手に入れるというのは、そういうことだ。

誰かが整備した安全な場所に住むのではなく、

自分で安全を作る。




そのための力が、今はまだ足りない。




「鍛冶を始める」と龍司は言った。




「鍛冶場がないぞ」




「作る」




「炉があるか」




「小屋の炉を改造する。

 本格的な鍛冶炉にはならないが、

 最初の道具を作る程度なら使える」




ハーゲンは少し黙った。




「順番が多いな」




「そうだ」




「焦らないのか」




「焦っても変わらない」




龍司は岩場から視線を外して、湖を見た。




湖面が朝日を受けていた。

対岸の木立が水に映っていた。

風がなく、水は板のように静かだった。




この景色を、毎朝見ることになる。




その一事だけで、

龍司はここにいる理由を確かめた。

焦りはなかった。あるのは順番だけだった。




やることは決まっている。

順番に片付けるだけだ。




「まず街へもう一度行く」と龍司は言った。




「鍛冶の道具を追加で買う。

 それとギルドで魔物の情報を集める」




「分かった」



「次に戻ったら、鍛冶場の炉を改造する。

 武器を作る。

 それからあの岩場の魔物を片付ける」




「武器が作れるか」




「刃物は作れる。鎧は後だ」




ハーゲンは頷いた。




二度目のレムハルト行きは、一泊で済ませた。




ギルドで魔物の情報を集めた。

湖畔周辺の生態について、受付が台帳を出した。

龍司が指定した地域の記録を調べて、

数種類の魔物の名前と習性を教えた。




ハーゲンが言っていた大型の魔物は、

フォレストボアという名前だった。




体長二メートル近い猪型の魔物で、

牙が長く、突進力が強い。




夜行性で縄張り意識が高い。

複数で行動することは少なく、

単独行動が基本だという。




討伐難度は中程度、

冒険者の二人組以上を推奨とある。




倒せば肉が食える。牙が素材になる。




龍司はその一文を読んで、少し考えた。




この世界では、魔物は驚異であると同時に

資源でもある。倒すことで素材が手に入り、

それが鍛冶の原料になる。




あの岩場のフォレストボアを排除することは、

単に安全を確保するだけでなく、

素材の確保にも繋がる。




一石二鳥という言い方は龍司の好みではないが、

理屈として悪くなかった。




鍛冶道具を買い足した。




羽口と鞴の部品を主に揃えた。

本格的な鍛冶炉には炭と送風が必要だ。




炉の温度を鉄が溶ける域まで上げるには、

通常の焚き火では足りない。

鞴で空気を送り込み、

炭素を燃やして温度を上げる必要がある。




鞴はこの世界にも存在した。

革袋と木の枠で組まれた単純な構造で、

前世の鞴と大差なかった。

原理が同じなら、使い方も同じだ。




鍛冶炭も買った。




木炭より密度が高く、温度が出る専用の炭だ。

量は重いが、馬がいるので運べた。




湖畔に戻り、炉の改造を始めた。




小屋の炉は加熱と暖房を

兼ねた構造にしていたが、

鍛冶用に使うには送風口と炭床が必要だ。




石を積み直し、鞴の羽口を差し込む穴を開けた。

炉床を深くして、

炭が十分に燃える空間を作った。




半日かかった。




試しに炭を入れて火を起こし、鞴を動かした。




温度が上がった。




石を近づけると、

輻射熱が強くなるのが分かった。

鉄を入れれば赤くなる温度まで達している。

これで鍛冶ができる。




最初に作ったのは、斧だった。




持っている手斧が細くて、

木を大量に割るには非効率だった。




薪の確保と建材の加工を続けるには、

もっと大きい斧が要る。

それと、フォレストボアに

対抗するための武器も必要だった。




鉄を炉に入れた。




橙色になるのを待って引き出した。

アンビルに置いて叩いた。




鉄が動いた。伸びた。




この感触を、龍司は前世で知らなかった。

修理の仕事で金属を扱うことはあったが、

鉄を一から打ち出した経験はなかった。




しかし手が覚えている、というのは

ハーゲンの言葉だが、龍司の場合は少し違った。




整備士として金属の性質を知っていた。

熱した鉄がどう動くか、

どこに力を当てればどう変形するか。

それを頭が知っていた。




最初の斧は粗かった。




刃の厚みが均一でなく、

片側がわずかに重かった。

使えないことはないが、

完成品とは言えなかった。




龍司はそれを見て、もう一度やり直した。




捨てたわけではない。

失敗作は素材として残す。




しかし使うものは

自分が納得できるものでなければならない。




妥協したものを使い続けると、

どこかで無理が来る。

整備士の仕事でそれを何度も見てきた。




二度目の斧は、一度目より整った。




三度目で、龍司が求める精度に近づいた。




刃が均一に鍛えられ、バランスが取れていた。

柄を取り付けて振った。手に馴染んだ。




この手応えだ、と思った。




前世で工具を選ぶ時に感じる、あの手応えだ。

適切な道具は手の延長になる。

道具と手の境界が消える感触がある。

この斧はその域に入った。




ハーゲンが見ていた。




「売れるぞ、それは」




「売らない」




「なぜだ」




「自分で使う」




ハーゲンは少し間を置いた。




「鍛冶が好きか」




「好きかどうかは分からない。

 ただ、自分で使うものを自分で作れるのは、

 いいことだと思う」




ハーゲンは頷いた。




「そうだな」




斧を作った翌日から、武器の製作に入った。

フォレストボアに対する武器として、

ハーゲンが槍を勧めた。




「突進を受けるには距離が要る。

 接近戦では不利だ。

 槍で距離を保ちながら捌く方がいい」




「剣より槍か」




「あの手の魔物には、そうだ。皮が厚い。

 剣で斬るより、槍で急所を突く方が早い」




龍司は槍を作ったことがなかった。




構造は単純だ。穂先と柄だけだ。

穂先を鍛えて、柄に固定する。

ただし穂先の形状が重要で、

突き刺す目的に適した形にしなければならない。




幅が広すぎれば引き抜きにくい。

細すぎれば折れる。

肉の中で折れれば取り返しがつかない。




ハーゲンが槍の穂先の形を教えた。

説明ではなく、自分の槍の穂先を見せた。




それを龍司が手に取って、

形状を目と指で覚えた。




「こういう形か」




「幅はもう少し広くていい。

 厚みはこれくらいだ」




「根元の溝は何のためだ」




「血溝だ。

 刺した時に空気が入って引き抜きやすくなる」




実用的だった。




龍司は炉に鉄を入れた。




槍の穂先は斧より繊細な仕事だった。




厚みの調整が細かい。

均一に叩かないと刃が曲がる。

中心線がずれると飛ばした時に

真っ直ぐ飛ばない。




槍を投げて使う予定は今のところないが、

構造の精度は使い勝手に直結する。




三日かけて、穂先を二本作った。




一本は練習だった。形は出たが精度が甘かった。二本目が使えるものになった。




柄は手斧で削って作った。




太さとバランスを調整しながら削り、

穂先に差し込んで固定した。

革紐で巻いて緩みを防いだ。




振ってみた。

重心が安定していた。




ハーゲンに渡した。

ハーゲンが構えて、突きの動作をした。




「悪くない」




「合格か」




「初めて作ったにしては、十分だ」




「十分、か」




「上を目指すなら、次を作れ」




龍司は頷いた。




そうだ、と思った。一本作れば次が見える。

次を作れば、また次が見える。




これが鍛冶の話ではなく、

全ての仕事の話だということを、

整備士として知っていた。




最初の一台を直せば、次の仕事が来る。

次の仕事をこなせば、腕が上がる。

腕が上がれば、より難しいものが直せる。




湖畔の城を建てることも、同じだ。




最初の小屋が建てば、次の増築が見える。

鍛冶場が整えば、その次が見える。

全部、最初の一歩からしか始まらない。




魔物の排除は、

武器が揃ってから三日後に実行した。




夜明け前に起きた。




フォレストボアは夜行性だが、

夜明け前後は岩場に戻る習性があると

ギルドの記録にあった。

帰宅途中を狙う形だ。




ハーゲンが先行した。

岩場の上流に回り込み、退路を塞ぐ位置に就く。

龍司が正面から近づいて、姿を見せる。

逃げれば追う。突進すれば槍で受ける。




計画は単純だった。

実際はもっと単純だった。




岩場に近づいたところで、

フォレストボアの気配を感じた。臭いが来た。

獣臭より鉄気に近い、魔物特有の匂いだった。




岩の陰から姿が出た。




大きかった。体長は二メートルを超えていた。

牙が月光を受けて白く光った。目が赤く光った。




龍司を見て、一瞬止まった。




その一瞬で、龍司は槍を構えた。




フォレストボアが突進した。




速かった。しかし直線だった。整備士の目は、

動くものの軌道を読むのが得意だ。




ピストンの動き、ベルトの振れ、回転体の偏心。

全部、動きの法則がある。

フォレストボアの突進も、

最初の踏み込みで軌道が決まった。




龍司は半歩横にずれた。




槍を脇腹に向けた。




フォレストボアの体が槍に乗った。

深く入った。

悲鳴に近い声が出た。

巨体が崩れた。




ハーゲンが背後から来て、首に剣を入れた。




終わった。




龍司は槍を引き抜いた。血がついた。

穂先は折れていなかった。

刃が歪んでもいなかった。




悪くない。




感動はなかった。

ただ、仕事が終わったという感触だけがあった。




ハーゲンが隣に立った。




「上出来だ」




「慣れてないのが出た」




「半歩の話か」




「もう少し早くずれれば、

 もっと深く入れられた」




「生きているから問題ない」




「そうだな」




二人で体を引いた。重かった。大きい魔物だ。

全部運ぶのは無理なので、

肉の良い部位と牙だけを取った。




朝日が出てきた。




湖畔に光が差した。水面が金色になった。




岩場から魔物の痕跡が消えたわけではない。

縄張りが空いたことで、

別の何かが入ってくる可能性もある。

定期的に確認が必要だ。




ただ今日は、この岩場に一つの決着がついた。




龍司は湖を見た。




小屋が見えた。

岩盤の下に建った、粗末な小屋だ。

炉の煙が細く立ち上っていた。

昨夜の残り火がまだ生きている。




あそこへ帰れる。

その事実が、龍司の体の奥で静かに温かかった。




それから日課が変わった。




朝は鍛冶をした。

午前中は火を使う作業に集中した。

炉が温まっている間に、

できるだけ多くの仕事をこなした。




農具の修理依頼がギルド経由で来るように

なっていたので、それをこなしながら、

自分の道具の製作も並行した。




午後は建築だった。




小屋の改修を続けた。

床を土間から板張りに変えた。

壁の隙間を補修した。窓を一つ開けた。

南向きの、湖が見える側だ。




窓を開けた時、湖が見えた。




当たり前だが、窓から湖が見えるのと、

外に出て湖を見るのは、感触が違った。




窓から見える湖は、

自分の場所から見える景色だった。




龍司はその窓の下に、木の棚を取り付けた。




酒瓶が置ける棚だ。




今はまだ一本しかないが、いずれここに並べる。

自分で仕込んだ酒が並ぶ日が来る。

そういう棚だ。




ハーゲンがそれを見て、何も言わなかった。




夜は炉の前で酒を飲んだ。




毎晩ではなかった。疲れた日は食ってすぐ寝た。

体の維持が先だ。

ただ、余裕のある夜は炉の前に座って、

火を見ながら飲んだ。




前世ではできなかったことだ。




疲れて帰って飲む酒は、

疲れを流すための酒だった。




今飲む酒は、

火と湖畔と自分の場所のための酒だ。




同じ酒が、全く違うものだった。




龍司はそのことを誰にも言わなかった。

言う必要がなかった。




ある夜、ハーゲンが聞いた。




「ここが気に入ったか」




「ああ」




「最初から決めていたな」




「湖畔を見た時からだ」




ハーゲンは火を見た。




「俺は国のために戦っていた頃、

 こういう場所を想像することがあった」




龍司は黙って聞いた。




「どこか水のそばで、小さな家があって、

 誰の都合も関係ない場所だ。戦場では、

 そんなことを考えると逆に動けなくなるから、

 あまり考えないようにしていたが」




「今はどうだ」




「今は考えても動けなくなることはない」




「それはよかった」




ハーゲンは少し黙った。




「お前は、うまくやれる気がする」




「そうか」




「俺の直感だがな」




「傭兵の直感は信用していいのか」




「生き残ってきたんだ。

 そこそこは信用していい」




龍司は麦酒を飲んだ。




「助かる」と言った。




感謝の言葉を龍司はあまり使わなかった。

使う時は本当に使いたい時だけだ。

今がそうだった。




ハーゲンが最初に助けてくれた時から、

この男が何かを求めて手を貸しているわけでは

ないことは分かっていた。余分を持たない男だ。




余分を持たない男の言葉は、軽くない。




ハーゲンは頷いた。

それだけだった。




月が変わった。




小屋は随分と形になっていた。




床が板張りになり、壁が補強され、

窓に木枠が入り、扉が吊られた。




炉は鍛冶と暖房を兼ねる形で整備されていた。

棚が増えた。工具を掛ける壁面が整理された。




まだ城には程遠い。

しかし、人の暮らす場所にはなっていた。




龍司は毎朝起きると、窓から湖を見た。




水の色が季節で変わることに気づいた。




朝の光の角度で、

湖面の表情が変わることに気づいた。

風の方向で、

木の揺れ方が変わることに気づいた。




この湖畔の顔を、毎日少しずつ覚えていった。




それは好きなことだった。




前世で、乗り慣れたバイクが

どういう天気でどういう音を出すか、

どういう道でどう傾くかを

体で覚えていく感触に似ていた。




場所を知ることは、

その場所のものになることだ。




ある朝、龍司は湖畔に座って、

頭の中で設計をした。




次の建物は、鍛冶場だ。




小屋と切り離した専用の建物が要る。

鍛冶は火を使う。熱が篭り、煤が出る。

生活空間と一緒にしていると限界がある。




専用の建物を作り、そこに本格的な炉を据える。アンビルの台を作る。工具を壁に吊るす。




鍛冶場の設計を頭の中で描いた。




四メートル×六メートルの床面積。




天井を高くして、熱を逃がす。

北側に炉を置いて、南側に作業台を置く。

壁に工具を掛ける金具を均等に打つ。

炉の上に換気のための開口を作る。




その隣に、将来ガレージを建てる空間を残す。




バイクを作る、と龍司は思った。




まだ先の話だ。鉄の扱いに慣れていない。

この世界の金属の性質を理解するのに

もっと時間が要る。




動力源の問題がある。




前世の知識をどこまで応用できるか、

まだ見えていない。




それでも、作る。




前世でバイクに乗る時間だけが、

完全に自分の時間だった。




それ以外の時間は、全部何かに属していた。

バイクの上にいる間だけ、龍司は龍司だった。




この世界でもそれを作る。




誰かに乗せてもらう必要はない。




自分で設計して、自分で作って、自分で乗る。

この湖畔の道を走る。

誰も走ったことのない道を、

自分が作った機械で走る。




それが、この城の最後の部品だ。




まだ先の話だが、順番は決まっている。




鍛冶場を建てる。腕を上げる。素材を集める。

部品を作る。組み上げる。

全部、一つずつだ。




焦りはなかった。




湖畔の朝日が水面を割って差してきた。




鳥が鳴いた。

龍司は立ち上がり、小屋へ戻った。




炉に火を入れた。




鍛冶の仕事が待っていた。




今日も手を動かす。

それだけで、今日は始まる。




翌月、レムハルトのギルドに、

湖畔の修理屋と鍛冶屋の名が登録された。

依頼主が街から湖畔まで来るようになるのは、

もう少し先のことだ。




しかし、龍司の評判はすでに

街から街道沿いに広がり始めていた。




鍛冶場の建設は、その年の秋に始まる。

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