第二十九話 責任
運動後、ステラが疲労困憊の状態で帰宅すると、ライアが昨日と同じような顔をして困っていた。ステラは疲れていたので客のふりをしてすり抜けようとしたのだが、招かれざる客であろう男に見つかってしまった。
「始めまして、ステラさん。貴方が、このグレン雑貨店の実質的な経営者とお聞きしまして」
「そうだったかしら。よく分からないわ」
「とぼけるな。ライアがさっきから頑張っていたんだ。後は頼む」
ヴァレルに肩を掴まれる。
「で、大人の貴方は何かしなかったのかしら」
「大人が出張ると角が立つ。用心棒の俺はここで見守るのが精一杯さ」
腕組みをしたヴァレルが他人事のように話す。剣以外は役に立たない男である。
「ティピカはどうしたの?」
「あいつを絡ませると、事態が混迷化するからな。買い物に行かせた」
「なるほど。それだけは正解ね」
ステラは大きく頷く。後始末もかねて二倍の労力が必要となりそうだ。
「それじゃあ頼んだぞ」
「――はじめまして。私に何かご用だったかしら」
ステラは、先ほどから穏やかな表情で立ったままの男に視線を向ける。全身茶色い外套とフードに包み、表情以外を窺うことはできない。どこぞの組織の刺客かと疑うところだが、ヴァレルが放置しているという事はその危険はないのだろう。確かに、見る限り凶器の類は持っていない。年齢は良く分からないが、30そこそこといったところか。温和な表情の割には、隙がない。
「ええ、この街にきたからには、是非ご挨拶をと思いまして」
「今、少し体を動かしてきたところなの。これで大事なお話をする訳にはいかないわ。着替えてきてもよろしいかしら」
「勿論ですとも。先ほど、隣で星屑の涙を購入いたしまして。お待ちしている間、じっくりと堪能させていただきましょう」
「では失礼しますわ。少々お待ちくださいね」
ステラは自室へと戻ると、体を拭っていつもの紫の装束に身を包む。帽子はいらないだろう。水場に向かい、顔を洗って意識をすっきりさせた後、店へと戻った。
「大変お待たせいたしました。私が、この店と食堂を経営している、ステラ・ノードゥスと申します」
「お若いのに実に立派です。私の国の人間にも見習わせたいものですよ。こちらの大陸の者は、勤勉な方が多くて感心させられます」
他国の、しかも別大陸の人間であるということを露骨に匂わせてくる。このムンドノーヴォ大陸以外の人間で、現在南東部に多数いる者。東方、リベリカ大陸からやってきた人間以外にはありえない。
ステラは挑戦的な表情を浮かべ、率直にたずねる事にした。
「それで、私に何かご用? わざわざ遠くから来たというのに、小娘を相手にしているほど暇でもないのでしょう?」
「それはもう。私の役目は、この血の臭いが途絶える事のない大陸に、大いなる太陽の光をもたらすことです。皆様に慈悲の心を広めたいと考えております」
胸元に輝く、太陽の首かざりを見せ付けてくる。宣教師だとでも言いたいのだろう。
「それはそれは、実に素晴らしいことですね」
「分かっていただけて光栄です。私はこの仕事に命懸けで取り組んでおります。本来なら、こうやってくつろいでいる暇もないのですが」
「――ですが?」
「貴方が、時間を消費するに値すると判断したのでお伺いしたのですよ、ステラ嬢。ストック商会を裏から操っているのが貴方だと分かりましてね。どうやったのか分かりませんが、大したものです」
剣に手を掛けるヴァレルを手で制する。まだ話は始まったばかりだ。面白いのはこれから。まだまだ物足りない。
「私がストック商会を? なにかの間違いではなくて、遠い大陸から来た宣教師さん。いや、密偵さんとでも言った方がいいのかしら?」
「ははは、私は密偵ではありませんよ。宣教師で間違いはありません。私の役目は、皆様と会話をして理解を深めることですから。ああ、紹介がおくれましたね。私は太陽神教から派遣された宣教師セボールと申します。どうぞ宜しくお願いします」
手袋を外し、手を差し出してくる。ステラはそれに応えて握手をする。
「意外と紳士的なのね。星教会の話だと、邪教を崇拝する暴虐の輩と聞いていたけれど」
「それはとんでもない誤解です。そうやって我らにレッテルを貼っているのです。彼らは鏡で自分を見た事がないのでしょう。実に愚かなことです」
「……それで? なぜ私が商会を操っているなどと? 貧弱な私をその目で見て、まだそんなことが言えるのかしら」
ステラがとぼけると、セボールがお見通しとばかりに笑う。
「ははは、もう分かっているんですよステラ嬢。私の仕事は、この街の権力者たちと会うことです。来るべき未来のためへの地ならしです。グレッグス卿、東のバニアス殿、南のロコ殿との会談は無事終了しました」
会談の内容は芳しくなかったのか、セボールの顔に僅かに不機嫌なものが浮かぶ。有能かどうかはともかく、この街の連中は一筋縄ではいかない連中ばかりだから仕方がない。
「へぇ。それはご苦労なことね」
「同情には及びませんよ。そして最後にお会いした、西のメイス殿はあまりにも」
「あまりにも?」
「優柔不断なお方でしてね。会談中、常に誰かの目を意識しているような態度。父を殺し、敵対組織を一夜にして滅ぼしたとはとても思えませんでした。私はどうも疑問に思いましてね。気になる事は全て調べなければなりません。すると、どうでしょう。ただの雑貨店の小娘にしか過ぎない貴方のもとを、商会の使者が往来を重ねている。怪しいと思うのも不思議ではないでしょう?」
「さぁ、私には良く分からないわ」
「貴方は何らかの手段によって、メイス殿の弱みを握った、あるいは操る手段を見出した。商会の最近の躍進は貴方の手によるもの。メイス殿はただの傀儡。さて、違いますかな?」
ステラは密かに左手を背後に回し、クレバーを待機させる。この手が強く握られたとき、セボールは死ぬ事になるだろう。
「そうだとしたら、どうなるのかしらねぇ」
「別に何もありませんよ。言ったでしょう、私の役目は地ならしだと。ですが傀儡と話をするほど暇ではありません。力を持った方々と話を行い、太陽神教の教えを広めたいのです。とても困難な道ですがね」
セボールがフードを外し、友好的に微笑んだ。頭は丸められ、後頭部には奇妙な刺青がある。信仰の証なのだろうか。太陽神教については詳しくは知らないが、遺産を用いて一つの大陸を制覇した人間はいたようだ。
「それが本当であると仮定して。私に何かできることがあるのかしら」
「もちろんありますとも。事がなった暁には、我らの神を受け入れ、そして統治を受け入れて頂きたい。貴方達権力者の助けがあれば、それは更に順調に進みます。この街が少々複雑な事情を抱えているのは存じております。ですから、念入りに地ならしを行なっているのです」
ホルシード帝国遠征軍が近々、支配圏を延ばす戦を行うという噂は以前からあった。だが、実際に密偵や工作員が活動を始めたとなればいよいよ現実味を帯びてくる。
この男の話が嘘か本当かは分からない。ただの脅しだったとしても、十分に効果がある。もともと旧連合領は星教会の権威がそれほど及んでいない地域。信仰心から反抗する人間は殆どいない。残るは利害のみだ。自らを売り込もうとする人間は現に現れている。
遠征軍がすんなりと南東に橋頭堡となるヴェルダン州を樹立できたのは、領主たちがこぞって帝国軍を受け入れたから。ここまではヴァレル、メイスの話から分かっている。
「お話は良く分かったわ。でも、答えはすぐには出せない。表立っての協力も今は無理よ。この街は名目上は星教会の支配下にある。この街にも教会があるのは知っているでしょう?」
「それはもちろんです。その上でお伺いしています」
セボールが直視してくる。威圧のつもりなのだろうが、ステラは笑いながら受け流す。
「そう焦らないで? 今の私には信じる神はいない。それが答えでどうかしら?」
「ええ、ええ。今はそれで十分ですとも。……これで私はこの街の全ての権力者にお会いする事ができました。一番興味深くお話できたのはステラ嬢、貴方ですよ。いやはや、その歳でその覚悟をお持ちとは。貴方は実に末恐ろしい」
セボールが左手を再び差し出してくる。こちらの意図を見抜いていたのだろう。ステラも歯を見せて笑うと、それに応じて左手で二度目の握手をしてやった。
「私は貴方を気に入りましたよ。ですから、余計なこととは思いますが忠告させていただきます」
「何をかしら?」
「次に帝国が戦を仕掛けるとき、こちらの方面には精鋭部隊がやってくるでしょう。悪鬼をもひれ伏せさせた恐ろしい者たちです。絶対に抵抗しようとしてはいけません。彼らには戦闘本能しかないのです」
「それで?」
「交渉のときが過ぎ、万が一剣を交えることになったならお逃げなさい。貴方は死ぬには些か若すぎる」
セボールの声色が若干穏やかになる。これは彼流の余計なお世話のようだ。人間というのは、こういう面があるから興味深い。
「それは貴重な情報をありがとう。セボール、貴方、いい人ね」
「私は太陽神の慈悲を皆様に知っていただくためにやってきたのです。これくらいは造作もありません。それでは、いずれまた」
セボールが立ち去った後、ヴァレルが静かに近づいてくる。
「外に密偵の気配が十あった。それにあいつ、宣教師などとのたまっているが、あれは戦闘訓練を受けている」
「そうでしょうねぇ。手に剣で訓練を積んだ跡があったもの。まぁ、握手はそれを教えるためでもあるのでしょうけど」
「わざわざ接触してくるとは。本当に、あいつの言った通りの意図だと思うか?」
「顔見せというのは本当だろうけど。多分、奴等は私が例の治療薬を作成しているという情報も握っているのでしょう。麻薬を商売道具として扱うつもりなら、抱き合わせで売り込みたいでしょうし」
帝国が正面から販売を認めるとは思わない。だが、密偵がわざわざ接触してきたところを見ると、利用したいという意図が見える。適当な商人、領主に貿易を行なわせても良い。
表は白く、裏は黒く。人間の行なう政治の基本。権力者は汚れる代わりに力を手に入れる。力を適切に用いて意見を通し、理想の政治を実現する。権力者が有能ならば実に素晴らしいシステムである。
もっと手っ取り早いのは宗教により民を完全に洗脳してしまうことだろう。全員が同じ意見を持った理想郷の完成である。異端は抹殺される。それが幸福かどうかには興味はない。一ついえることは、ステラはそんな国に住みたくはない。星教会はいまのところそこまでの過激思考ではないようだ。今後どう転ぶかは分からないが。
「政治と戦争か。傍から見ているには面白いけど、実際に巻き込まれると中々面倒ねぇ。死の臭いが近づいてきている気がするわ」
「確かにな。で、どうする気だ? 悪いが、俺とティピカは――」
「ふふっ。弟さんが星教会所属なんでしょう? 正面から戦えなんて言ってないし、戦うつもりもないわ。私に戦闘能力がないことくらい見れば分かるでしょう。これまで通り貴方達は護衛をしていてくれれば良い」
魔術を使えるからといって戦力になりはしない。ステラが矢面に立つ事などありえない。
「……なんとなくだが、お前が陣頭に立っていそうな光景を思い浮かべてしまってな。戦列を率いて国中を蹂躙している姿だ」
人を魔王でもみるかのような目で見てくるヴァレル。
「中々面白い冗談ね。そもそも、この体でどう戦えというの。貧弱な娘にあまり無理を言わないでね」
「……それもそうだな。くだらんことを言った。忘れてくれ」
「とにかく、彼らに正体を知られてしまったけれど、その分私には利用価値が生まれたことになる。帝国から刺客を向けられる心配は多分ないわ。当分は安心して暮らしていなさい」
「穏やかじゃない話になったな」
物騒な物言いに眉を顰めるヴァレル。まだ状況は逼迫してはいない。だが、悠長に構えている訳にもいかない。
「ええ、巻き込まれないように注意を払わないといけないわ。自分の事にばかり目が行き過ぎて、外に目を向けるのを怠っていた。時間がないというのは、本当に不便よねぇ」
ステラは呆然としているライアに珈琲を注文する。淹れ方が分からなければマリーに頼んでとも付け加えて。
「近いうちに、戦になると思うか?」
「なる。ここが巻き込まれるかはグレッグスの判断しだいかしら。今までは詐欺師顔負けの話術と、有り余る金で誤魔化してきたみたいだけど。話の通じない連中がきたときは、さてどうするのかしらねぇ。手をこまねいていると、この街はあっと言う間に詰むわね。得意の交渉術で乗り切れるかしら?」
選択肢は限られている。一つ目は、星教会連合軍に積極的に協力し、軍を寄越してもらって全力で帝国軍に抗戦する。問題は、星教会は戦線が膨大な長さであり、果たしてピーベリーにどれだけの兵を寄越せるだろうか。詳しい情報はないのでなんともいえないが、この街にそれほど率先して守る理由があるとは思えない。帝国がセボールの言う精鋭とやらを投入してきたら終わりだ。
二つ目は、さっさと帝国軍に鞍替えしてしまうことだ。帝国に攻められる心配はなくなる。が、帝国はここには兵を留めることなく、更に先へと進軍していくだろう。星教会連合軍の方針としては、帝国の拡大阻止、そして異教徒の壊滅だ。帝国の占領を認めたら、その判断をしたグレッグスは確実に異端の烙印を押される。異端審問官は暗殺者を数多く抱えている。グレッグスに心休まる日は二度と訪れない。そして、帝国がどこかで大敗でもしようものなら、グレッグスも運命を共にさせられる。
三つ目。どちらにもつかずに保留する。星教会にも援軍を請いつつ、帝国にも降伏の意志を見せておく。先にやってきた方に従えばよい。相手にも言い訳は多少は効くだろう。ただし、許されるかは微妙なところだ。両天秤に掛けた事など誰にでも分かる。まともな頭をした指揮官ならば、確実に地位を剥奪にかかるだろう。
ステラの見るところ、グレッグスは既に詰んでいる気もする。後はどう動くかだが、それは見てのお楽しみか。
「――というわけ。ね、面白そうでしょう。多くの人間の人生を左右する事になる決断よ。こんなことができるのは、限られた人間だけよねぇ。支配者冥利につきるんじゃない?」
「黙って聞いていれば。貴方、なんでそんなに面白そうなんですの!」
いつの間にか戻ってきたティピカが口を挟んでくる。
「貴方、買い物は終わったの?」
「貴方の答えを聞いたら行きますわ!」
買い物に行ったと見せかけてそこらへんから覗いていたのか。目的のためには手段を選ばない女のようだ。ステラは大いに共感した。
「人間の本性が分かるからかしら。追い詰められると、人間は自分の真実を曝け出す。綺麗でも、汚くても、美しくても、醜くても、私はそれを尊いと思う。さて、グレッグスはどうかしらねぇ」
ステラは心から楽しそうに笑った。上機嫌にライアが出してくれた珈琲に口を付けると、思わず咳き込んだ。
「ご、ゴホッ!! グエッ!!」
「だ、大丈夫?」
黙っていたライアが慌てて声をかけてくる。ステラは蛙の潰れたような声を抑えるため、必死に喉を押さえる。
「……な、なにこれ。なんなの、この恐るべき液体は。私を殺そうとする毒?」
死ぬ程粉っぽい。というか、粉そのものが入っているように見える。喉が粉々している。初めての体験だが何も嬉しくない。
「何って、珈琲だけど」
「貴方、粉をどれだけいれたの?」
「濃い方が好きって言ってたから、全部だよ」
「貴方、珈琲を淹れたことは?」
「見てたから淹れ方は知っているよ。今日は私流でやってみたんだ。ほら、今昼時だから食堂は忙しいじゃん?」
「なるほど。よーく分かったわ。……ヴァレル、マリーに珈琲を貰ってきて。大至急よ」
ステラは頬を引き攣らせながら命令を下す。有無を言わさぬ勢いで。
「わ、分かった」
「な、なんだよ! 折角いれてやったのに」
「貴方の気持ちは嬉しいわ、ライア。さぁ、貴方も一口飲んでみなさい。ほら、ほら」
ステラがライアに押し付け、強引に口に含ませる。ライアは直ぐにむせて、涙目になる。
「く、苦しい! 顔にかかるって。こ、粉、粉が口にッ!」
「私の気持ちが分かってくれて嬉しいわライア。流石は私のお友達ね。貴方と私はずっと運命共同体、仲良くしましょうね」
「お、覚えてろよ!」
最初にやったのはお前だろうと思ったが、半泣き顔が面白かったので黙っておいた。
「……真面目な話をしていたはずですわ。それがなぜ、こんなドタバタに? 本当に緊張感が足りませんわ!」
「お前が言うな」
ヴァレルが冷静に呟いているが、誰も聞いていない。
「まぁ、どうするか決めるのはグレッグスよ。あの男の判断が当ればよし。外れたら全責任を押し付けるだけ。簡単な話よ」
「……支配者というのも、結構世知辛いですわね」
「それが支配者の責任というものよ。嫌なら領主になんてならなければ良いだけ。簡単な話よ」
ステラは鼻で笑うと、ヴァレルが届けてくれた珈琲に口を付けた。――適度な濃さ。濃厚なコク。ガツンと来る苦味。実に宜しい。




