外伝7 グレッグス
ピーベリーの街の最高権力者、グレッグス・ジョージアは追い詰められていた。今までの人生で最大の苦境であると言ってもよい。
「……彼らの意見は?」
「どちらにつくかは、ほぼ半々です。ですが、戦に巻き込まれる事態は絶対に回避してほしいと、何度も念押しされました」
「毎度のことながら、簡単に言ってくれるものだな」
執務室で、グレッグスは秘書から報告を受ける。手を組み、両目を瞑り考えに耽る。
グレッグスの権力を支えているのは、北区に住む貴族や地主たちの支持。そして中区の繁華街からの収入である。近隣農村部を治める彼らあってこそ、ピーベリーという都市は成り立っている。グレッグスも、元々はその中の一人であった。
都市国家の一つであったピーベリーは、各貴族の持つ力が異常なまでに強い。都市を治めるのは代表であり、貴族達はそれに協力しているだけ。王と家臣のような強力な従属関係ではないのだ。故に、グレッグスは意見を纏めるのに苦労させられてきた。
頭を悩まされたグレッグスは、強力な私兵団を結成。金と武力により、北の喧しい連中を押さえ、なんとかピーベリーの統治を行ってきたのだ。北区と中区以外の治安が最悪なのはそれが原因でもある。そこまで手を回す余裕がないのだ。更に言えば、外敵から身を守るほどの軍事力など持ちようがない。どこにそのような金があるのか。どこから搾り取れというのか。北区の連中は口々に不満を叫ぶが、金と人は決して出さない。それがピーベリーの貴族なのだ。
(私を筆頭として、腐った人間しかいない。くくっ、いっそ滅びたほうが世の為なのだろうが、そうもいかん)
グレッグスは思わず自嘲するが、そうも言っていられない。グレッグスにも守るべき家族、名誉、地位、財産がある。支配者となった今、残った夢はこの権力を息子にそのまま引き渡す事だ。ジョージア家の歴史が続いていけば、グレッグスの名も後世に残されていく。
「星教会からは?」
「シスターメロイがいらっしゃいました。本日も寄付金をお渡ししましたが、反応は芳しくありませんでした」
「……上乗せして構わん。今は時間を稼げ」
「承知いたしました」
星教会からの意向を受けたシスターメロイは、毎日のようにグレッグスの館を訪れる。用件は簡単だ。星教会への信仰を直ちに示せ。金だけではとても足りない。異教徒どもを討ち払うために兵を出し、血を流して信仰を示せ。
現在のピーベリーは、星教会の支配圏に一応は留まっている。教皇からピーベリー領主として任命されてもいる。ならば兵を出して協力を示すのが当然ではあるのだが。
(今兵を出せば、帝国と完全に敵対する事になる。それは避けたい。この街には篭城できるだけの防備も、跳ね返せるだけの兵力もない。星教会が守ってくれる保証もない)
ピーべリーから東方はすでに帝国勢力圏なのだ。ヴェルダン州にはリベリカ大陸から続々と援軍が到着しているとも情報が入っている。この状態で帝国と戦えばどうなるか。防波堤としての役割を務めることすらできず、ピーベリーはたちまちに押しつぶされるだろう。星教会の人間たちは、そうなろうとも構わないという考えなのだ。一秒でも時間を稼ぎ、一人でも多く敵を殺せれば。彼らの視点はもっと上にある。大陸全土から見れば、このような街一つ消えてなくなろうがどうでも良いのだ。
(そうはさせんぞ。使い捨てになぞされてたまるか。勝って勝って勝ち続けて私はこの地位を掴んだのだ。奴らが利用しようというのであれば、逆に利用してやるまでだ)
グレッグスが拳を握り締めていると、別の秘書が入室してくる。
「失礼いたします。ストック商会から使いが参りました。明日の招待の件、承知しましたとのことです」
「そうか、分かった」
グレッグスは静かに頷いた。どうしても最後に一人だけ、意見を聞いておきたい人間がいた。ストック商会所属の娘、ステラ・ノードゥス。年に見合わない、ひどく冷たい目を持つ少女。ストック商会を影から操っているらしい化物だ。
(それが嘘か真か。直接話してみる価値はある。戯れに終わったならば、それはそれで構うまい)
――北区、上流階級の人間だけが利用できるレストラン。グレッグスは、メイスを通じてステラをディナーに招待していた。警戒して断ってくるかと思ったが、ステラは堂々とした様子で現れた。護衛には大剣を持った大柄の男、金髪を後ろに束ねた双剣を持つ若い女が付き添っている。彼らは背後の席に着き、テーブルには正装をしたグレッグスとステラが相対することになった。
「グレッグス様、本日はお招きいただき、光栄に存じます」
「堅苦しい挨拶はなしにしよう。さぁ、掛けてくれたまえ。そう改まる必要はない。君は私に招かれた客人なのだからね」
「ありがとうございます」
白いドレスに身を包んだステラが椅子に腰掛ける。血の気のない色白の肌と、そのドレスが妙に合っていて、見るものにある種の畏怖を感じさせる。人形というのが最も相応しいか。十歳という歳を考えれば、可愛らしいと表現したいところだが、目がそれを否定する。こちらの価値を見定めるような、奥底を探るような目。いやでも観察されていると分かってしまう。後10年もすれば、立派な女狐に成長することだろう。いや、すでにそうなっているか。
グレッグスは軽く咳払いをしたあと、適当に美辞麗句を述べる。
「ははは、今日は前のような魔術師の装束ではないようだね。そのドレス、君に良く似合っている」
「お褒め頂き、光栄ですわ」
「ワインはどうかね?」
「生憎、お酒は控えております。見ての通り身体が弱いものですから。健康には気を使っているのです」
「なるほど。それは賢い生き方だ」
グレッグスは軽く手をあげると、自分のグラスにワインを注がせる。ステラには果実のジュースだ。
「食事はもう間もなく来るはずだ。その前に、まずは乾杯といこうじゃないか」
「ええ、喜んで」
ステラは笑みを作ると、グレッグスと乾杯する。
「さて、話は先に済ませておこうと思うのだが。ここの料理は実に美味でね。食べる時はそれに集中したいのだよ」
「ええ、私は構いません」
「では早速本題に入ろうか。私が知りたいのは、君の本性についてだ」
「私の本性といいますと?」
「驚かないで聞いて欲しいのだが。実は、君が化物だという噂があってね」
「まぁ、それは恐ろしいですわ」
ステラがくすくすと笑う。人形が笑っているようで、実に気味が悪かった。
「だが、私が調べたところ真実のようなのだよ。君は魔術を用いて星屑の涙を作成しているという。例の治療薬、それの出所も君だ。これは調べがついている」
「……そうなのですか?」
「私を舐めてもらっては困るな、ステラ。この街の支配者は私だ。目と耳はどこにでもある。君はそれを用いて、店の借金を帳消しにした」
「…………」
「だがそれだけではあるまい。先日の西区制圧作戦の一件。メイス・ストックを焚きつけ、パルプド組合を壊滅させた挙句、ルロイを抹殺したな? オーソン一家さえ巻き込んだその手腕、それに私への根回しといい、見事と言うしかない」
「何か証拠でもおありなのですか?」
「人間を見れば一目瞭然だ。メイスは確かに有能だが、あのような大胆なことを一人で決断し実行できる男ではない。あれは補佐型の典型的な人間だよ。そう、誰かの強い指示でもなければあんな真似ができる訳がないのだ。そして、後継者有力候補のガルドが奇妙なまでに大人しいのも腑に落ちない。まるで誰かに脅されているかのようではないか。では一体だれが? 落ち着いて観察し、少し考えれば分かる事だ」
「ふふ、つまり、貴方の勘が証拠なのですか?」
「後は帝国の宣教師セボールだ。彼は君に接触していたらしいじゃないか。ただの雑貨屋の娘に、帝国の密偵が接触する理由があるのかね。先ほども言ったが、あまり私を舐めてもらっては困るのだ」
グレッグスが語気を強めると、ステラは息を大きく吐いた後、口元を歪めた。まるで魔女のように妖艶に。
「別にバレても大したことではないけれど。貴方、意外と目が見えたのねぇ。流石は領主にまで昇りつめただけはあるわ。やっぱり、人間って面白いわね」
「ふん、それが君の本性というわけか」
「誰でも状況に応じて仮面を使い分けるでしょう。中と外で対応を変えるのは当たり前。人付き合いというのはそういうものではなくて?」
「確かに、その通りだ。……ふむ、中々興が乗ってきた。こう面白いのは久々だよ」
「私もよ、グレッグス卿」
ステラが大胆不敵に笑う。恐れる者などなにもないと言わんかのように。どうにも気圧される。
「西区をメイスに制圧させた理由を聞いても良いかな?」
「色々と煩かったから、掃除を兼ねてね。最大の理由は、私の店に盗人を送り込んできたからよ」
「なるほど。実に明快な理由だ。……それで、君はこれから何を望む?」
「充実した人生。色々な経験をして、色々な人間を見てみたいわ。だから、今日はまさに素晴らしい経験ができているということ。招いてくれて、本当に嬉しいわ」
「…………」
(私は、開けてはいけないものを見ているのではないのか? これは、やはり化物だ)
グレッグスは僅かに逡巡したが、意を決して尋ねてみる事にした。
「君は、今のピーベリーの状況を理解しているかね。内側ではなく、外のことだ」
「ええ、多少はね」
「どう動くべきだと君は考える?」
「ふふっ。私のような小娘にそれを尋ねるの? 主を殺し、その地位を見事に奪い取った、グレッグス・ジョージアともあろう男が」
嘲りを浮かべる。グレッグスの背後にいた部下たちが顔色を変えるが、動く事はない。合図か緊急事態でもない限り、彼らが手をだすことはない。
「今は小娘の手すら借りたいほどの状況でね。危機はもうそこまで近づいている。君とて他人事ではないのだよ?」
「そうね。だから、私は私にできることをする。貴方は貴方にしかできないことをすればいいでしょう」
グラスを傾け、こちらを楽しそうに窺ってくる。
「私にしかできないこと、だと?」
「自分の役目をしっかりと務めることよ。最後の最後まで支配者らしくね?」
暗に、グレッグスの破滅を示唆してきている。そこまで追い込まれているとは思っていない。グレッグスは思わず眉を顰める。
「それはどういうことかね」
「さぁてね。ただ、貴方が思っているほど世の中甘くないし、馬鹿ばかりじゃない。ふらふらとうろつく蝙蝠に、果たしてその地位を安堵してくれるかしら。今は、その席を預けているだけかもしれないわねぇ」
帝国と星教会を両天秤にかけているのはグレッグスだ。だが、この娘はそうではないと言う。
「……私はこの街の正当な領主だ。いや、ピーベリーは元を辿ればあの巨大な連合を構成していた都市国家の一つなのだ。その地位を軽んじるような連中に降ることはない。私にも誇りというものがある」
「実に立派な心がけね。その割には、国家としての防衛力が疎かだったみたいだけど。戦える兵も碌にいないし。外壁は老朽化して形骸化している有様。これはどういうことかしら」
「我々は剣ではなく、言葉で解決できると信じている。戦いよりも商い、力よりも金、それがこの旧連合地帯での流儀だよ」
「ふふっ、中々面白いことを言うわね。貴方がいうと誰よりも説得力があるわ、グレッグス卿。流石は領主を務めるだけのことはある。亡きご主人もきっと納得していることでしょうね」
皮肉を述べるステラ。領主の地位を奪うのと、戦を行なうのとは話が異なる。
「それはそれ、これはこれだ。少なくとも、多数の血を流す事態は好まないという事。武力ではなく、調整力こそがピーベリーの領主に求められる能力なのだ。それが欠けている者に、この街を治める資格はない」
「なるほどねぇ」
「さて、言葉遊びはもう十分だろう。君の目から見て、星教会と帝国、どちらにつくのが得策だと思う。参考の為に、是非とも聞かせてもらいたい」
ステラの本性はある意味では謀略家だ。全く油断ならない相手ということが分かった。このような状況でなければ、直ちに芽を摘みにいきたいほどだ。この年齢で商会を牛耳ってみせるなど、末恐ろしい。
だが、それだけ有能という証左である。謀略をめぐらせるのには、年齢も性別も力の優劣も関係ない。すべてを利用し、自らに有利になるようにことを運ぶだけでよい。だから、その意見は十分に参考になるはずだ。
「さっきも言ったけれど、貴方にできることは最後まで支配者として振舞うことだけ。どちらにつくかはもう関係ないわ」
「……だから、それはどういうことなのだ? 理解できるように話してもらいたいな」
「本当は分かっているのでしょう? もう動くには遅すぎるということに。今もまだ迷っているという事は、そういうことよ。貴方はとても利に聡い。人に指図されるまでもなく、正しい道を選び取る能力を持っている。自分で決断できる立派な人間よ。ふふっ、正しい道が、残っていればだけどねぇ」
「…………」
星教会、帝国、どちらについても、結末は同じ。辿る道筋は違うかもしれないが、地位を守る事はできない。ステラはそう言っている。
「貴方は地位を守ることに執着した結果、外の世界情勢に目を向けることを怠った。内側の争いには執着していたみたいだけど、外は金さえ出しておけばなんとかなると思っていたのかしらね。この腐れた街を国とか言ったかしら? ならその国力を増強する手筈はどうしたの? 民を守るべき兵と外壁は? 貴方が集めた私兵団は、住民の為に一度でも動いた事があるのかしら?」
次々と質問を投げかけてくるステラ。答えは分かっているのだ。
「……私には、破滅が待ち受けるというのかね?」
「さぁ。支配者として振舞うならそうかもねぇ。ただ、一人の人間として生きようとするなら違うかもしれない。それは貴方が決めることだもの。どちらにせよ、貴方の名はピーベリーの歴史に刻まれる。本当に羨ましいですわ、グレッグス卿。支配者冥利につきるというものではありませんか?」
魔女がグレッグスの未来を祝福した。
「……少し、喋りすぎたようだな。折角の料理が冷めてしまうよ、ステラ」
「ええ、本当に。こんなに豪華な料理の数々、無駄にしては勿体無いですもの」
「ああ、その通りだ。是非堪能してくれ。今日来てくれた、せめてもの礼だ」
「ありがとうございます、グレッグス卿。貴方に心からの感謝を」
いつ並べられていたのか分からない料理の数々。グレッグスは震えそうになる指を堪えながら、ナイフとフォークを握り締める。
(私に待ち受けるのは破滅? いや、まだ分からない。そうだ、どちらかに積極的に味方し、働きを認めさせるのだ。そう、そうすれば、私の地位は――)
グレッグスの思考を見透かすかのように、ステラがこちらをジッと見つめてくる。グレッグスは、それに吸い込まれるかのように、動きが止まってしまった。
「最期まで頑張ってね。私は貴方のことを心より応援しているわ」




