外伝5 マリー
マリーの人生は40を迎えるまでは幸福に包まれていた。ドールバックス連合領の、とある街で生まれたマリーは、中流階級の家の娘として比較的不自由もなく育った。北方で勃発した解放戦争に巻き込まれることもなく、連合領は発展を続けていたからだ。男たちだけでなく女や子供たちも仕事に精をだし、皆が手に職をつけて暮らしをよくしていこうと励んでいた。生活水準は向上し、戦争で疲弊した新生王国や帝国を尻目に、経済大国として見事に成長を為し遂げたのだ。
マリーの人生も順風満帆だった。食堂を営んでいた幼馴染と交際の後に結婚。経営も軌道にのり、数年後に男の子を出産。上流階級の客層からも評判は上々で、いずれは更に店を拡大していこうと夢を持っていた。
「…………ふぅ」
マリーは洗い物を止め、家族の顔を思い出す。今は亡き夫と息子の顔を。一体どこで歯車が狂ったのか。幸せなどというものは、一瞬で崩れ去るという事を、マリーは身を持って思い知らされた。
星教徒革命が勃発すると、あれだけの領土を持っていた新生王国はあっさりと崩壊してしまった。王国領の領主達は星教会の庇護のもとに独立し、利権と領土争いのために小競り合いを繰り広げ始めた。
領主たちの独立の流れは、戦とは無縁と思われたドールバックス連合領にも波及。元々都市国家の共同体だったため、意思決定は合議により行なわれていた。意見が割れたときは多数決により決定するのだが、何度も意志を退けられた都市の領主が連合からの独立を宣言。星教会に対して庇護を求めたのだ。連合は当然独立を認めなかったが、星教会と正面から対決する力も意志もない。戦から縁遠かったために軍備などろくに整っておらず、相手にならないのは目に見えていた。そして、連合のために血を流そうという人間は皆無であった。
そうこうしている内に、なし崩し的に連合は崩壊。大小様々な都市が好き好きに独立を宣言し、領主たちは今までの分をとりもどすか如く軍備拡張に乗り出していく。平穏だった大陸南東部に、一足遅い乱世が訪れてしまった。
駄目押しだったのがホルシード帝国からの遠征か。マリーのいた街は呆気なく占領。徴兵されていった夫は戦死、共に避難していた息子は疫病にかかり死んだ。あっと言う間だった。見えない大きな力に流されるかのように、マリーの幸福は消えていった。
「マリー」
いつの間にか背後に立っていたステラ。彼女の特徴的ともいえる、常に何か面白がっているような表情を浮かべている。
「あ、ステラさん。どうかしましたか?」
「ええ。そろそろ、貴方のことをもっと知りたいと思って。だって、貴方は私のものでしょう? 出来る限りでいいから教えてくれないかしら」
「…………」
「まぁ、気分が乗らないなら今日じゃなくてもいいけれど」
「……面白い話ではありませんよ? それに、どこにでも良くある話です」
マリーは目を伏せる。正直に言えば、あまり話したくはないが、先延ばしにする意味もない。
「それは私が判断するわ。何よりも、人の経験、歴史というものにとても興味があるの。誰一人として同じものなどないでしょう」
「……分かりました。では、お話します。少し長くなると思いますので、珈琲を淹れますね」
マリーは珈琲をステラに差し出した後、今までのことについて全て話した。家族を失うまでの経緯、その後失意で街から街へ移動していたとき、人間狩りの集団に襲われ奴隷の身にまで落ちたことを。
「なるほどねぇ。やっぱり、戦争というのは恐ろしいわね。怒涛の勢いですべてを押し流すもの」
「ええ、本当に。……本当に、あっと言う間に私は二人を失ったんです。悲しみにくれる時間もありませんでした。あの子を、埋葬しおえたとき、ようやく私はかけがえのないものをなくしたのだと気付いたのです」
「…………」
「死にたいと考えました。でも、死ぬ気力がわかなかった。いえ、死ぬのが怖かったのかもしれませんね」
ナイフを喉下に突きつけたことはある。だが、もう一歩が踏み出せなかった。怖かった。周囲には、後を追って死ぬ人間もたくさんいたというのに。どうしてもマリーにはできなかった。
「誰だって死ぬのは怖いものよ。もちろん、私も怖いわ。別に恥じる事じゃない」
表情を変える事無く、当たり前のようにステラは怖いと言った。その顔はどう見ても、恐れているようには見えなかったが。すべてを受け入れた、まるで老人のような目をしていると思った。そこには希望も絶望もない。
「……ステラさん」
「自分の命をどう扱うかなんて、自分の勝手でしょう。なら無理に死を選ばなくてもいいのよ。だって、死は誰にでも必ず訪れるもの。人間ならば、いずれ必ず。だったら焦る事はないわ。ね、そうでしょう?」
「……そうかもしれません」
ステラは口癖のように人生六十年、残りをしっかり生きなくてはならないと言い聞かせるように呟いている。有言実行とばかりに毎日忙しく動き回っている。その痩せた体のどこにそんな生命力が宿っているのかと思うほどに。
マリーには、ステラが十歳とはとても信じられなかった。子供の精神力ではない。魔女が化けているのではないかというのも信じかけたほどだ。
だが、その子供離れした性格とは反対の一面も持ち合わせている。両親の死に涙を流し、形見であるこの雑貨店に固執し、そして仇である商会の人間に復讐を成し遂げた。氷のように冷静かと思えば、赤子のように激しい激情も垣間見せる。そう、ひどく歪なのだ。
「今日は沢山話してくれてありがとう。貴方の経験、歴史を知る事で、私は更に視野が広くなった」
「……お役に立てたのならいいのですが。こんな話、珍しくもないでしょうし。本当に、どこにでもある話ですから」
「ふふ、珍しいとかはどうでもいいのよ。大事なのは、貴方のことを知ることだったのだから」
ステラは珈琲を飲むと、ゆっくりとカップを置く。
「ああ、そうか。貴方がやけに接客や料理に慣れているのは、食堂を手伝っていたからだったのねぇ」
「はい、夫と一緒にずっと頑張っていましたから。ふふっ、それなりに評判の店だったんですよ。港町でしたから、魚料理が好評でした」
「なるほど。ということは、貴方に食堂の女将というのは天職なのね。偶然とはいえ、良い買い物をしたわ。あの奴隷商人も、そういうことを教えればいいのに。全く、使えないわねぇ」
ステラが苛々を抑えるように珈琲を口に含む。
「……ステラさん。私のような奴隷に、こんなに良い待遇をしてくださって感謝しています。きっと、最後に神様がお慈悲を――」
「貴方の信仰にどうこう言う気はないけれど、私の行いを神の慈悲などと例えるのはやめなさい。死ぬ程不愉快だから。今の私は自分の意志で動いている。誰かに操られてなどいない」
ステラが心底不快だと言わんばかりに吐き捨てる。ステラは思いつきで行動をすることは多いが、マリーやライアを理不尽に叱ることはない。面と向かって不快と言われたのは初めてだった。マリーは慌てて立ち上がり謝罪する。
「も、申し訳ありません。私のようなものが、生意気なことを――」
「別に怒っていないわ。反吐がでるほど不快だっただけ。あと、自分をいつまでも奴隷と卑下するのもやめなさい。私は貴方を所有物と見ているけれど、奴隷という身分では見ていない。過剰にへりくだる必要もない。仕事をしっかり果たしているのは私が誰よりも知っている。貴方は有能よ、マリー」
「あ、ありがとうございます」
ステラは先ほどとは一転して、上機嫌で褒めてくる。奴隷と所有物ではどう違うのか良く分からなかったが、マリーは惹き込まれる様に感謝を述べてしまった。こんなに真正面から褒められた経験はあまりないので、なんだかむず痒い。前々から思っていたが、ステラは人の心を掴むのがとても上手い。普段が素っ気無い分、素直な言葉をぶつけられると妙に嬉しくなってしまうのだ。それが、彼女の魅力なのかもしれない。だから、あのような扱いをされてもベックはついていくのだろう。それに、最初に比べて店はとてもにぎやかになった。
「ところで、新しい労働力はどうかしら。ちゃんと働いている?」
「ええ、最初は戸惑っていたようですが、皆真面目に働いています。仕事の覚えも早いですし」
「つまり、ベックよりは使えそうということね。本当に良かったわ。私の頭痛の種が増えないだけでも朗報よ」
ステラに買われてきた三人。若い娘サリィは色々と辛い経験をしてきたようだが、ここでは害を為されることがないと分かると、次第に心を開いてくれた。今は調理場を担当している。接客を手伝う少年二人は歳相応に元気いっぱいだ。マリーを母親代わりとしてみてくれているようで、たまに甘えてくる。まだ九歳と十歳なのだから仕方がない。ステラが特別すぎるのだ。
(本当に、不思議な人ね。誰よりも先を見通しているみたいだもの)
ステラはいわゆるオーナーとなるのだろうが、商会と有利にやりとりを行なうことができるのは彼女の手腕。食堂の改築費用を捻出したのも彼女。ステラがいなければ、とてもではないが経営は成り立たない。この街は真面目に働けば報われるという街ではない。陥れようとする人間を跳ね付ける強さが必要だ。ステラは10歳にしてそれを身につけている。
「いずれ私もちゃんと話をしようと思うのだけどね。今は忙しくて。折を見て機会を作るわ」
「ステラさんのことは私から少しずつですが話しているんです。失礼なことは言ってないと思うのですが」
「ふふっ、そうねぇ。挨拶はしっかりしてくれるのだけど、どうも私を本当に魔女かなにかと勘違いしている視線なのよね」
「も、申し訳ありません」
「いいのよ。そんなことで怒ったりしない。しっかりと働いてくれれば問題ないわ」
このように、ステラは特に気分を害している様子はない。絶対に怒らせてはいけない人であると脅しすぎたのが悪かったのか、子供たちは未だに脅えている。ベックのような扱いを受けないようにと念を押したのがまずかった。彼のことは気の毒に思うが、ある意味ではステラの“特別”なので仕方がない。
「マリー、食堂の方が軌道に乗ったら、経営も貴方に任せようと思うの。雑貨店の方はおまけでいいわ。赤字がでたら、私が補填する」
「おまけだなんて、そんな訳にはいきません。だって、この雑貨店はご両親の大切な」
「店が残っているという事実が重要なだけよ。別に雑貨店を繁盛させようとは思っていない。私は、店に思い入れはあるみたいだけど、商売に興味はないもの」
ステラは小さく呟く。いつもの自信に満ち溢れた表情ではない。歳相応の少女の顔が覗く。
「お言葉は嬉しいです。でも、私としては食堂と一緒に大きくしていきたいと思います」
「ふふっ、この腐った街で日用雑貨の類だけで繁盛させるなんて無理よ。間違いなく貴方の食堂が主体となるでしょう。星屑の涙だってそう。あれのどこが雑貨なのかしらねぇ。今じゃ食堂の稼ぎ頭の一つでしょう?」
ステラが自嘲する。西区の雑貨店が繁盛しているのは、ストック商会の麻薬を代理販売しているからだ。豊富な品揃えはその利益で集めただけに過ぎない。教会への一種の擬態のようなものだ。裏では賄賂を贈り報告させないようにしていると、ステラが語っていた。
「…………」
「でも、貴方がやりたいなら好きにしなさい。必要なら貴方の裁量で労働力を増やしても構わないわ。……ちょっと早いとも思うけど、丁度良い機会ということかもしれないか。マリー、貴方を正式にグレン雑貨店、及び食堂の店長に任命する」
「――わ、私を店長に? で、でも、先ほどは軌道に乗ってからと」
「気が変わったの。だって、人間だからね」
ステラが悪戯っぽく笑う。
「そ、そうですか」
マリーはあっさりと経営権を渡されたことに、呆気に取られてしまう。
「方針だけ報告してくれれば、好きにやって構わない。これからよろしくね、マリー店長。貴方の今後の働きに、心から期待しているわ」
ステラはカップを静かに置くと、優しく微笑んで自室へと戻っていった。きっと魔術の鍛錬を行なうのだろう。彼女はどんな状況でも自分の強化を怠る事はない。思うようにいかなくても、体調が苦しいときでも絶対に休まない。それが彼女の生き方なのだ。
(……なんとか恩返しできればいいのだけれど)
マリーはステラを見習い、少しずつ改善していこうと心に決めた。まずは食堂を更に繁盛させた上で安定させる。その次は、雑貨店で星屑の涙以外で利益がでるようにする。勿論麻薬を扱ったりはしない。幸い、雑貨の定義は広い。例えば、ライアの装飾技術を活かすのもありだろう。少年達がそれを覚えれば数を揃えられる。この街は確かに治安は最悪だが、中区では裕福な人間の往来もある。西区での評判が噂になれば雑貨店にも客を呼び込めるかもしれない。
「できることから少しずつ。でも確実に前へ。私もステラさんを見習って頑張らなくちゃ」
マリーは手をぎゅっと握ると、食堂へと戻っていった。もうすぐ開店準備をしなければならない。下ごしらえは終わっているとはいえ、やることは沢山あるのだ。




