外伝2 ライア
「あー、疲れたー」
ライアは店に設けられている机に突っ伏した。残っている客が煩せぇと叫ぶが、気にしない。どうせストック商会の連中なのだ。昼間の雑貨店、及びその周囲は彼らのたまり場と化している有様。夜は警備、朝は睡眠、昼はといえば星屑酒をたらふく飲んでいる。酒場に行きたいらしいが、夜から警備の仕事があるから行けないと文句を言いながらだ。メイス・ストック選りすぐりの面子が聞いて呆れる。ステラが自分で護衛を探したくなる気持ちも多少は分かる。
近づきたくもない人種だが、今のところは手を出してくることもない。ステラが商会に例の治療薬とやらを卸しており、機嫌を損ねるわけにはいかないからだ。相手が子供だろうと容赦する連中ではないのだが、ステラには強引な手段を取ろうとはしない。
(なんか変なんだよな。悪徳商会のくせに、ステラに対しては妙に甘いというか、怖がってるというか。面子を重んじるくせに、メイスはステラに生意気な口利かれても怒らないし。ベックはベックで頭がおかしいし)
自称ステラの手下一号のベック。元商会の下っ端だ。あれだけ痛めつけられ酷い扱いをうけているのに、全く反抗しようとしない。そういう人間だということは理解したが、それにしても妙だ。ああいう関係になる切っ掛けがあったはずなのだ。
(最初からああだったはずはないし。どうして手下になったんだろう。さっぱりわからないな)
「うーん。ステラって、一体何者なんだろう。どうしたらああいう風になるんだ?」
「ライアちゃん、疲れたなら奥で休んでいても大丈夫よ。後は私がやるから」
「ああ、ごめんなさい、マリーさん。何か、仕事残ってたっけ」
「洗い物は商会の人が手伝ってくれたし、後は水汲みくらいかしら」
「水汲みかぁ。面倒だけど、少ししたらやるよ。今は手空いてるしね」
「あらあら、私がやるから大丈夫よ。お客さんも少なくなってきたし」
先日の盗人侵入の一件後、ステラは『自分のことは自分でやれ』と厳しく告げたのだった。ごろつきたちが反論しようとしたところ、ステラの視線で厳しく遮られていた。役立たずがどうなるかは言うまでもない。金の卵を産む鶏を放って酒盛りをしていたのだ。商会から制裁を加えられないだけマシである。とはいえ格下げされたようで、新しく派遣されてきたごろつき達にこき使われている。
「でもさぁ、こんなんでいいのかな。これじゃあ雑貨店というより、食堂というか、酒場というか。売れるのは星屑の涙とつまみばっかりだし」
「雑貨店としての売り物がちょっと少ないのは確かね。今度仕入れてみるようにお願いしてみるつもりよ。ステラさんのご両親が残した大事なお店だもの。しっかりとやっていかないと」
「優しいなぁマリーさんは」
ライアは感心した。奴隷として買われたというのに、嫌な顔ひとつしない。こんな糞みたいな街にはもったいない大人である。
「私にはこれぐらいしかできないから。もっと酷い扱いをされると思っていたのに。こんなこと、普通じゃありえないもの。私達は幸運だと思うわ」
「……それは分かってるんだけど。つい反抗しちゃうというか。俺、奴隷なんて慣れてないしさ」
「ステラさんは、貴方のことを奴隷として見てるんじゃないと思うわ。でなきゃ、呼び捨てなんて許さないでしょうし」
「それは確かにそうかな」
奴隷に呼び捨てを許す主など聞いたことがない。所有物だとはっきり宣言しているのに意外と甘い。そういうことには興味がないというか、心からどうでも良いという感じだ。ただし、仕事をしない人間には厳しい。余計なことをした人間にもだ。大体ベックなのだが。
「だから、恩返しのつもりで働いてみたらどうかしら。お金もいただけるし、貴方は10年したら解放してくれるという話だもの」
「……うん、分かったよ。ちょっと汗が酷いから、着替えたら水汲んでくるね」
「うふふ、それじゃあお願いね。こういうの、なんだか懐かしいわね」
マリーは笑みを浮かべると、店の仕事に戻っていった。軽食を注文してくる客がいるので、それの応対をしなければならない。
ライアはそれを見ながらゆっくりと立ち上がり、店の奥へと歩いていく。途中、商会の人間が寝転がっていたので、軽く蹴飛ばしながら。ここは宿屋ではないし、こいつらの自室でもないのだ。
ライアとマリーの部屋としてあてがわれた場所。ここはこの雑貨店の従業員用の部屋らしい。長年使われていなかったようで、最初は空箱やら売れ残りの品やらで倉庫状態であった。片付けるのは一苦労だったが、なんとか住めるぐらいにはなっている。
「やれやれっと。まだまだ汚いから、後できっちり掃除しないと。なんだかちょっと臭いし」
カビや染みが壁や床に残っており、僅かにだが異臭がする。きっちり掃除すればなんとかなりそうではある。
自分で買った新品の服に袖を通していく。動きやすいシャツと、ズボン、そして下着。少年にしか見えないだろう。いずれごまかせなくなるだろうが、今はこれで良い。
残り少なくなった生活用の水瓶から水をすくって顔を洗う。これから井戸との往復作業が始まる。暇そうな護衛を手伝わせてもいいだろう。
――と、裏口へ向かう途中で、ステラの部屋、そして病的なまでに完全封鎖された異様な扉を見つける。事情を知らない人間が見たら、確実に奇怪に思うだろう。
ステラの部屋は特に妙なことはない。喋る変な鳥、クレバーと一緒にステラが寝起きしている場所だ。看病するときに中に入ったが、目につくものはあの紫に光る魔水晶ぐらいか。ちょっと興味があったので触ってみてしまったことがある。触ると力が吸い取られる気がしたので、とっとと手放してしまった。あれは魔術師専用なのだろう。ただの人間であるライアに使えないのは当たり前だ。
(問題はこっちの扉だ。ここの前を通るとき、いつもぞっとする)
頑強な木板と釘、更に厳重な錠が複数かけられているのがステラの両親の部屋。外から見てみたが、窓は鉄板で覆われている。幾らなんでもやりすぎだと思うが、ステラはこの部屋について探られることをそれ程までに嫌うということだ。一度、酔っ払ったごろつきが、からかい半分でここにちょっかいを出そうとしたときは、激怒して全速力で追いかけようとしたくらいだ。体力がないから追いつけるわけがないのだが、変わりにクレバーが飛んでいった。恐らくは酷い目に遭った事だろう。詳しくは聞かなかったが。
自分のことを話すのは面白くないと良く言っているが、この部屋に関しては嫌悪感すら示す。だからライアも自然と聞かなくなった。
以前は家族一緒にここで寝ていたと、寝室の話題のときにポツリと漏らしていた。そして、ステラは殺されかけ、両親は首を吊って死んでいたと。きっと本当のことなのだ。ステラが感情を露わにするのは、両親に関する事ばかり。彼女の心の傷なのかもしれない。
「…………」
部屋の前に立ち、様子を窺う。中は見えない。何も聞こえない。この中がどうなっているのかを知ることはできない。
(私だったら、どうしていただろう)
ステラの親は借金を苦に、心中を図った。ステラは信じていた人間に殺されようとして、一人だけ生き残ってしまったのだ。
ライアの親は、自分を助けようとして死んだ。ライアは避難民に紛れて逃げている最中に盗賊共につかまり、奴隷として売り飛ばされた。
「……どう思うかなんて、やっぱり分からないな」
今ライアが諦めずに生きているのは、両親が生を願ってくれたからだ。だから奴隷に落ちても、諦めずに必死に生きてきた。だが、ステラの両親は死を願った。自分がそうだったら、きっと後を追っていただろう。生への執着など持てるはずがない。
(なのに、あいつは生きている。悲しくない訳がないのに、一人で商会の屑共とやりあって。どうしてそんなことができるんだろう。どうしてそんなに強くなれるんだろう)
僅かに嫉妬を感じる。その精神の強さに。だがそれ以上に悲しいと思う。最初の晩の、ステラの涙を見るとそう思う。表情は平然としているくせに、涙をボロボロと流していた。あれが仮面を取ったステラの正体なのかもしれない。
「……っと。さっさと汲みにいかないとマリーさんが困っちゃうな」
封鎖された扉の前を去る。この部屋はいつまでこのままなのだろうか。ステラが悲しみを忘れるまでか。それとも、死ぬまでこのままなのか。それは誰にも分からない。
「ねぇ。ちょっと水汲みにいくから手伝ってよ」
「……ああ? この店は客に水を汲ませるのかよ。常識じゃありえねぇだろ」
暇そうにくつろいでいたごろつきに声を掛ける。露骨に嫌そうな顔をする。本当に暇なくせに。こんな昼間っから襲撃にくるような盗賊もいない。いるとしたら、酔っ払いか、ストック商会の後ろ盾を恐れない対抗組織ぐらいである。
「何が常識だよ。昼間から酒飲んでるくせに。どうせ暇なんだからいいじゃないか」
「暇じゃねぇよ。今の俺は自由時間なんだからよ」
「じゃあ家に帰りなよ、もう」
「一々商会本部に帰るのが面倒だからここでいいんだよ。飯も出るし、寝る場所もある。俺にとっちゃ天国だぜ」
「じゃあ天国の維持のために手伝ってよ」
「面倒だから嫌だって言ってるだろ」
「じゃあいいや。ステラに言いつけてやる。マリーさんの仕事の邪魔してるって」
素直に動くとは思っていない。使える物はなんでも使えとステラに言われているので、素直に従う。
「お、おい! 汚ねぇぞ! あの餓鬼、いや、ステラさんの奴、ちょっとメイス副会長に気に入られてるからってよ。大きな顔しやがって。いいか、俺がちょいと本気になりゃ」
いつまでたっても本気を出さないのがこいつらごろつきである。本気を出したやつは偉くなるか、既に死んでいる。
「あ、それも言いつけてやろうっと」
「……へ、へへへ。ちょっとした冗談だ。なぁに、俺たちにかかれば水汲みなんてあっと言う間よ。なぁてめぇら!」
「ああっ!? まさか俺たちもいくのかよ!」
「当たり前だろうが。俺たちは一心同体、ストック商会グレン雑貨店防衛チームだからな。けっ、水汲みなんて昼飯前よ!」
全員に木桶を渡し、ライアは井戸へと歩いていく。春だというのにえらく日差しが強い。本当に暑い。
井戸から水を汲み出し、店へと向かう。両手に木桶をもったごろつきたちが、途中で仲間たちにからかわれれている。
「お仕事ごくろーさんだなぁ! 子供の遣いか? 楽しそうで羨ましいぜ!」
「てめぇら、笑うんじゃねぇ! 明日はわが身だろうが! しまいにゃぶっ殺すぞ!」
「おお怖い怖い。けけっ、まぁ星屑の涙飲み放題だからいいじゃねぇか。精々必死に働けや!」
「他人事だと思いやがって! あのステラって餓鬼、色白で死にそうな癖に、悪魔みてぇな目しやがってよ。あー、畜生!」
唾を吐きすてながらも仕事はこなすごろつき。ステラの怜悧な視線とメイスからの制裁が怖いのだろう。
(確かに、ステラの目には妙に力があるんだよな。顔は本当に白くて、前なんてどす黒くて死体みたいだったのに)
白い肌と銀の髪。黙っていれば本当に人形じゃないかと思う。看病していたときは特にそう思った。血の気を感じさせない白い肌は、死の臭いを強く感じさせられた。鼓動がなければ死んでいると判断していただろう。
だが、ステラは肉体は貧弱だが、意志が強い。強すぎるといっても良い。朝は肉体強化のために運動、午後は魔法の訓練、合間合間に店に出てきたり、商会の人間とやりとりをする。今日みたいに外出することもある。以前は、散歩一時間で息を乱していたのに、今は普通を装おうと我慢している。見苦しい格好を見せないように強がっているらしい。面子とやらに拘りたいそうだ。
「でも、生き急ぎすぎじゃないかな」
「ああ? 何か言ったか?」
「いや、ステラだよ。何かさ、慌ててるような気がして。アンタには分からないだろうけどさ」
言って損したと、ライアは溜息を吐いた。つい話しかけてしまったが、こいつはろくでなしである。人を傷つけるのが仕事の屑だ。
「……まぁ、それは俺も感じるぜ。あの餓鬼、常に全力疾走してやがる。そのうち倒れて死にそうな気はするな」
ステラは本当に意志が強い。それに、身体がおいつけていない。魂だけが強すぎるというか。だから、精神が挫けるようなことがあると一気に反動がくる。人間として極めて歪なのだ。
「……やっぱり、そうだよね」
(別にあいつがどうなろうと知らないけど。今死なれるのは困るんだよ。だって、お金もないし)
そう心の中で言い訳しておく。
「へっ。餓鬼が死のうが俺の知った事じゃねぇ。商会は死んでもらうと困るらしいから、お前が精々面倒みてやるんだな。俺は知らねぇからよ」
ごろつきがそっぽを向いて呟いた。
「いまさら人間らしいこと言ったって、俺は騙されないからな」
「それが良いぜ。俺たちは人間の屑だからな。その日が楽しけりゃいいって諦めた連中だ。諦めた分楽だが、取り返しはつかねぇ。こうなりたくなかったら、精々頭を使うこった」
「偉そうに」
ライアは眉を顰めた後、さっさと歩き始めた。ごろつきの癖に偉そうな事を言うのが気に入らなかった。だが、彼らも好きでこうなった訳ではないのかもしれない。貧しさに限界が来て外道に落ちたのかも。だからといって、更に弱い人間を虐げるのは許されるのか。
ライアには分からない。だが正しくないと思う。では正しく生きれば誰かが救ってくれるのか。どうして誰も助けてくれないのだろう。世界はどうしてこんなに残酷なんだろう。
――『神などいない』。ステラの言葉が、ライアの脳裏に過ぎる。きっといないのだ。いるならば、敬虔な教会信徒でもあったライアの父や母があんな目に遭う訳がない。特に、母は旧王国に続いて二回目の悲劇だった。ライアの曽祖父とやらは旧王国の立派な将軍だったらしい。だが裏切りの汚名を着せられて殺された後、母は一人で逃げてきた。そして再び災いが降りかかり、死んだ。
(……嘆いているだけじゃ駄目ってことかな。ステラだったら――)
彼女だったら、既に行動を始めているに違いない。何せ時間の無駄が大嫌いな性分なのだから。とは言っても、ステラが世のため人のために働いてくれるとはとっても思えない。何故そんなことに力を注がなければいけないのかと真顔で問われそうだ。
――つまり、自分でなんとかしろということである。暗澹とした気分に陥ったライアは、深い溜息を吐いた。




