第十二話 郷愁
「やっぱりさ、おかしくないかな?」
「この珈琲のことかしら。確かに味は素っ気無いわね。粉は多くしてみたんだけど、やっぱり焙煎してから時間が経ちすぎよね」
「ステラさん、良ければ新しい物と入れ替えますか? 中区に売っているお店を見つけましたので」
「いえ、まだいいわ。折角だから、この店にある在庫から始末していきましょう。一応、財産の一つではあるものね」
カップの中の茶色の液体を揺らしながら、口に流し込む。眠気を飛ばし、精神を高揚させる効力がある。ただし、軽く依存させる副作用があるので注意が必要だ。ステラのように、一日何杯も飲んでいると、効力が切れたときに頭痛が生じる。
(星屑の涙とは全く違うわ。別に言い訳している訳じゃないけれど)
心の中でそう呟いておく。数杯程度で寿命が縮むような毒性はない。星屑の涙は知らない。多分、大丈夫だろう。多分。
「あの、珈琲じゃなくてさ。ステラ、お前のことだよ」
「指を差さないでくれるかしら。目障りだし、何より下品よ。貴方も一応女の子でしょう」
「う、うん、ごめんなさい、ってそうじゃなくて! 俺が男とか女とかそういうことじゃないんだ。お前は俺より三つも年下なのに、なんでそんなに落ち着いてて、色々できて、メイスみたいな悪党と普通にやりとりできるんだよ。どう考えたっておかしいだろう!」
「まぁまぁ落ち着いて、ライアちゃん。そういうこともあるわよ」
「いやいやいや! そういうことがあるわけないよ! この前から考えていたんだけど、どこの世界に人相の悪いごろつきどもと平然とやりあう十歳がいるんだよ! ぜーったいおかしいって」
「んー、そういうこともあるわよ。世の中、広いじゃない? だって、ちょっと前までは、他所の大陸から軍隊がやってくるなんて思いもしなかったでしょう。きっと、そういうものなのよ」
マリーが諭すように憤るライアの頭を撫でている。
他所の軍勢というのは、このムンドノーヴォ大陸に現在絶賛侵攻してきている連中のことだ。何の前触れもなく、太陽神を信仰するホルシード帝国が、10万の大軍で押し寄せてきた。彼らの勢いは凄まじく、旧ドールバックス連合の烏合の衆を蹴散らして勝手に新州樹立を宣言したのだ。完全に頭にきた星教会は時折異教徒殲滅を叫んで攻め込んでいるが、全て押し返されている。現在は頭を冷やし、戦力統合しての大反抗の機会を窺っているとか。街で入手した情報なので正確かは怪しいところだ。
(厄介な位置にあるのは間違いないのよねぇ。もう少し奥地にあれば良かったのに。立地まで面倒だわ)
このピーベリーは、丁度両軍の境目らへんに存在する都市で、一応星教会所属を謳っているが、実質は中立状態にある。教会側が軍隊を駐屯させる価値なしと判断したからだ。防御力はないに等しく、信仰心薄い住民ばかり。更には治安も悪い。金さえ吸い取ることができれば以前の教会は問題なしという考えだった。今では後悔しているようだが。現領主のグレッグスは独立志向が強く、教会からの干渉を嫌う傾向にある。今下手に手をだすと、一部領主のように寝返りかねない。グレッグスは教会、帝国を天秤にかけながら利権を握り続けるつもりらしい。
そのグレッグス・ジョージアは、元は前領主を支える旧連合貴族の一人であった。だが連合崩壊時の混乱に乗じ前領主を殺害、権力を乗っ取ったのだ。
(中々の手腕の持ち主みたいだけど、いつまで蝙蝠でいられるかしら。それを見届けるのが楽しみねぇ)
このまま攻勢を帝国が維持できるかどうかは分からない。星教会とて何がおこるか分からない。信仰の名の下に纏まっているようだが、一枚岩にはとても見えない。事態は非常に流動的だ。一つ言えることは、近いうちにグレッグスは難しい判断を迫られるだろう。
「あいつらがこなかったら、俺は奴隷になんか落ちなかったし、皆死ぬことはなかったんだよ! ――って、そうじゃなくて」
「本当に騒々しいわね。私が色々なことを知ってて、魔法が使えて、珈琲を美味しく飲んでいる事になにか不満でもあるの? いったい貴方は何が気に入らないのかしら」
ステラが目を細める。珈琲がいまいち美味しくない。
「いや、不満はないけど……」
「じゃあいいじゃない。貴方もそこそこ恵まれた生活を送れているでしょう。マリーも。ベックだって、ベックなりに生きているわ。変態の上に役立たずだけど。なら、何も問題ないんじゃないかしらね」
ベックは俺は変態じゃないと頭を抱えている。だが役立たずというのは否定していない。自分の力を知るというのは大事なことである。分かっているなら成長する気概を見せてほしいところだが。それをやらないのがベックがベックたる所以である。
「うーん、納得いかないけど、それも正しいんだよね。俺って奴隷のはずなのに、なんだか居候? みたいな感じで振舞っちゃってるし。生意気な口利いても全然怒られないし」
「跪かせて、美辞麗句を垂れ流されるだけの日々って退屈そうでしょう。だからよ。こうして、会話をしていることも、無駄ではあるけれども、人間を理解する上では有用だと思っている。だから、うるさいと思っていても付き合っているの」
「……いや、別にそこまで説明してくれなくてもいいんだけど。もうちょっと、子供らしくしたら、みたいな?」
「子供に、子供らしくしろといわれるのって、なんだか不思議ね。なんだか、ちょっと興味深い体験をした気分よ」
ステラは笑みを浮かべて、ライアを褒めてあげた。
「やっぱり納得いかない」
「そういうこともあるわよ」
「マリーさん、さっきからそればっかりじゃん。……あ、またクレバーの口癖が」
『ウケケ、いいじゃんいいじゃん! ライアっち、いけてるじゃんか!』
「やめてくれよ!」
ライアが逃げ出すと、クレバーが嬉しそうにおいかける。実によいコンビである。ステラは満足して、マリーに珈琲のお代わりを要求した。彼女は珈琲を淹れるのが上手である。
午後になると、客の出入りも大分少なくなる。星屑依存症に陥った連中は、商会が経営する酒場でくだをまいているらしい。ここは酒、煙草は厳禁としたからだ。儲けは減るが、騒音が緩和されるから問題ない。いまだやってくる客というのは、ここで売っているものこそが本物だと主張する馬鹿者どもである。効きが全然違うとかなんとか。当たり前だが中身は何も変わらない。
「大分、客の入りも落ち着いたみたいね。すっきりして、気分がいいわ」
「うーん、これはこれで物足りないなぁ」
「貴方、我が儘ね」
「お前に言われたくないよ」
「お二人は、本当に仲が良いですね」
マリーが嬉しそうに笑っている。檻の中に入っていたときは、魂が抜けたような顔をしていたが、最近は活き活きとしている。誰かの世話をするのが好きなようだ。毎日文句も言わずに家事を行い、店の番をして、会話を満足げに眺めている。
「うーん、からかわれてるだけのような。俺やベックを弄るときのステラの目って、なんか活き活きとしてるし」
「店番兼私の話し相手が貴方の仕事だもの。最初に言ったじゃない。貴方は立派に役目を果たしているわ」
「……あー、そういえば。すっかり忘れてたけど、そんなこと言ってたよね」
はぁ、と嘆息するライア。納得してくれたようである。
「そういえば、明日は安息日でしょう。皆、好きなように過ごして構わない。休みの日まで命令するようなことはしないから」
体力と気力を回復させることも重要だ。働きづめではいずれ反乱を起こす。以前の自分のように。
「それでは、私は倉庫と店の掃除をしていますね。普段できないところが一杯ありますので」
「マリー、それが好きなことなの?」
「はい。毎日暮らして、働いている大切な場所ですから。是非綺麗にさせてください」
「……やりたいというのなら許可するわ。貴方の好きにしなさい」
「ありがとうございます、ステラさん」
本人が望むのだから止める必要はない。ちなみに、ステラは何をするかというと、散歩兼運動、星屑の涙作成、魔術の訓練、休息、読書が今の所の予定である。いつもと大して変わらない。この合間に会話を行い人間観察を行なう。
「……やっぱり、全然時間が足りないわ。睡眠時間を一時間削ろうかしら。しかし、それでは――」
現在は六時間睡眠。妥協に妥協を重ねて割り出した時間だ。
「な、なんだよ急に怖い顔をして」
「でも、睡眠時間の減少はそのまま寿命の減少に繋がるし。悩ましいわ。――ああ、私には時間が足りない」
ステラは腕組みをして、深い溜息を吐いた。
「本当に、変な奴だなぁ」
「聞こえてるわよ、ライア。マリーに言って、こっそりもらっているおやつをカットしてもらおうかしら」
「な、なんでだよ! あれは俺のお小遣いから」
「私の言うことは絶対なのよ。だって、主だからね。でも、子供のおやつをとるほど外道じゃないから、安心して貪りなさい」
「なんだよもう!」
ステラが寛大な処置を降してやったのだが。ライアは頬を膨らませて怒った後、地団駄を踏んでから奥へと引っ込んでしまった。
「ふふっ、子供ね」
「ステラさんが大人すぎるんですよ。でも、ライアちゃんも、ここに来るまでに色々酷い光景を見てきたと思います。ですから」
「別に同情はしないけど、ここでは好きに暮らして構わないわよ。貴方達は私のものだから、危害を加える奴には容赦しない。私に迷惑をかけない限り、好きなようにやりなさい」
「……本当にありがとうございます。でも、ステラさんも無理をしないでくださいね」
「私は無理をしているつもりはないわ。余計な心配は無用よ。それこそ時間の無駄というやつねぇ」
マリーは僅かに悲しそうな顔を浮かべた後、頭を下げて片付けに戻っていった。どういうことかは当然理解出来ない。
――三十分後、ライアがクレバーと一緒にバツの悪そうな顔で出てきた。「変な奴なんて言って、ごめん」と殊勝に頭を下げてきた。気にしていないと言ってやると、多少元気を取り戻したらしく、マリーの手伝いを始めだした。
クレバーが意味ありげに羽を動かしている。
「……クレバー、貴方、何か余計なことを言ってないでしょうね」
『え? なんのことじゃん? 俺っち、何にもしらないじゃん! だって、鳥だし!』
「で、お節介な鳥野郎は何を言ったのかしら? 全部吐きなさい」
『ご主人は素直じゃないからとか、悪気があって偉そうにしている訳じゃないとか、ああ見えて寂しがりやとか、そんなことは一言も言ってないじゃん! 俺っち鳥だし!』
「……一つも当ってないわ。その愉快な頭、絞めた鶏のと付け替えたほうが素敵だと思うの。ねぇ、今から試してみない? 一分で終わるわ」
『え、遠慮しておくじゃん! 俺っち、ちょっと散歩にいってくるじゃん!』
「本当に、逃げ足だけは速いわね」
聖獣のくせに、どうしてああいう性格なのか。前はもう少し威厳があったような気がするのだが。どちらが素なのか、もうステラにも分からない。だが、一つ分かっているのは、クレバーのお蔭で自分は記憶を取り戻した。そして、こうなってまであれは自分についてきてくれている。
(あそこは、今頃どうなっているかしら。相も変わらず、停滞した場所で退屈な日々を過ごしているのか。それとも――)
既に道は分かたれた。自分は抜け出ることを選んだ。出るための代償は死と忘却、そして有限の命。それでも、ステラはあの場所に耐えられなかった。だから、出た。それだけのことだ。あれがどうしているかは、知りようもない。
(今は、とても充実している。たとえ、今死んだとしても、私は笑って消える事ができるだろう。終りがあるというのは本当に素晴らしいわ)
ステラはそう考えた後、まだまだ死んでたまるかと思い直し、肉体強化に更に努めることを決意した。




