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サハギンたちが、完全に沈黙した川岸には、血と泥、そして魔物の死骸が散乱していた。大きく傾き陽のの光が、その凄惨な光景と過ぎ去った時間を僅かに照らしている。

荒い息遣いだけが、激しい戦闘があったことを物語っていた。全身泥まみれ、水に濡れた服は体に張り付き、冷たい。疲労困憊だが、生き延びたという実感だけが、ケイとパトリックの全身を支配していた。


ケイは急いで隊長の傍らに駆け寄った。毛布にくるまれた隊長は、相変わらずぐったりとしている。そっと額に触れると、まだ熱い。しかし、浅くても呼吸は続いている。


「隊長……」


無事だ。サハギンの攻撃は、隊長のいる場所までは届いていない。パトリックの隊長を置いて戦うという決断が正解へと導いたのだ。


パトリックも剣を収め、隊長の傍らに膝をついた。泥と血に汚れた手で、隊長の頬をそっと撫でる。その表情に、深い疲労と共に、安堵の色が浮かんでいた。


「渡るぞ、ケイ」


パトリックが立ち上がり、川に視線を向けた。サハギンは殲滅したが、この川を渡らなければ、都市へ帰還する道は開かれない。相変わらず川幅があり、流れはそれほど早くないものの、渡るのは容易ではない。特に、重傷の隊長を連れてだ。


「隊長をどう運ぶか……」


ケイは呟いた。使える物資はほとんどない。担架代わりになるようなものもないだろう。


パトリックは再び隊長に視線を向けた。そして、決意を込めた目でケイを見た。


「俺が、再び背負う」


「ですが……!」


ケイは思わず声を上げた。あの疲労困憊の体で、再び隊長を背負って、流れのある川を渡るというのか。それは、パトリックにとって想像を絶する負担になるはずだ。


「それしかない。お前は前を歩き、足場を確認しろ。俺が隊長を濡らさないように、慎重に進む」


パトリックの決意は固かった。これ以上の議論は無意味だと悟り、ケイは頷いた。


「分かりました。俺が先導します」


パトリックは慎重に隊長を抱き上げ、再び背負った。隊長はぐったりとしたまま、パトリックの背中で揺れている。重い。その一挙手一投足から、隊長の重みとパトリックの疲労が伝わってくるようだ。


二人は川へ向かった。浅瀬になっていると思われる場所を選び、パトリックが先頭に立ち、ゆっくりと川へ足を踏み入れた。ケイはパトリックのすぐ後ろを歩き、足元の石や水の流れに注意を払う。


川の水は、夜明けの空気と同じように冷たかった。冷たい水がブーツの中に染み込み、足先から急速に体温を奪っていく。足元は石ころが多く、滑りやすい。時折、泥濘になっている場所もあり、足を取られそうになる。


流れは早くないが、体の抵抗になる。そして、深さがある。膝まで、そして腿までと、徐々に水深が増していく。隊長を背負ったパトリックは、水圧と流れの抵抗に耐えながら、一歩ずつ、信じられないほどの力強さで進んでいく。その肩は震え、荒い息遣いが聞こえるが、決して立ち止まらない。


ケイはパトリックの背中を見守りながら、自身の足元と周囲に気を配る。川の中にも魔物がいないとは限らない。そして、最も重要なのは、隊長を濡らさないこと。パトリックは隊長が濡れないように、上半身を傾け、細心の注意を払っている。


水の冷たさが、疲労困憊の体に容赦なく襲いかかる。全身が震え、歯の根が合わない。それでも、都市へ、そしてマルスたちの元へ、という思いだけが二人を突き動かしていた。


川の中央部を過ぎた頃、水深が少しずつ浅くなってきた。足元が岩から砂利に変わる。岸が見えてきた。あと少しだ。


そして、ついに向こう岸にたどり着いた。全身ずぶ濡れになり、体の芯まで冷え切っている。パトリックは隊長を下ろし、岩の上に横たえた。ケイもその場にへたり込み、荒い息を吐き出した。


渡河できた。最大の難所の一つを、切り抜けたのだ。


しかし、安堵する間もなく、再び立ち上がらなければならない。都市への道はまだ続いている。マルスが黒板に示してくれた道を進み、渓谷地帯と海岸地帯の間の安全地帯を目指す。


川岸から離れ、再び陸地を進む。足元は相変わらず悪く、泥や瓦礫、倒木が道を塞いでいる。渡河でさらに体力を消耗した体には、一歩進むのも辛い。膝が笑い、足がもつれる。


パトリックも、隊長を背負ったまま、苦痛に顔を歪めながら進んでいる。その背中は震え、汗なのか川の水なのか分からない水滴が滴っている。


しかし、諦めるわけにはいかない。都市で待つ仲間、そして救助を信じて待っているであろう家族や友人。彼らのためにも、生きて帰らなければならない。


マルスの黒板の地図を何度も頭の中で反芻する。この先、もう少し進めば、安全地帯があるはずだ。どんな場所だったか、明確には思い出せない。ただ、魔物が寄り付かない場所。それだけが、今の彼らにとって最も重要な情報だった。


一歩、また一歩と、重い足を引きずって進む。夜明けは完全に終わり、太陽の光が強くなり始めている。しかし、二人の疲労は限界に近づいていた。


その時、視界の先に、何かが見えた。


人影だ。複数人いる。そして、何かが光っている。金属の、光沢。


「……人か?」


パトリックが、絞り出すような声で呟いた。警戒するべきか、それとも……。


さらに近づく。その姿がはっきりとしてくる。それは――騎士だった。複数人の騎士が、こちらに気づいたようで、手を振っている。そして、彼らが手にしているもの。


担架だ。


いくつもの担架が、岩場の上に置かれている。


「……救助か……?」


ケイは呆然と呟いた。まさか、こんな場所で、救助隊と合流できるなんて。


騎士たちが駆け寄ってくる。彼らの顔には、安堵の色が浮かんでいた。


「騎士パトリック!ケイ!無事でしたか!」


聞き慣れた声だ。彼らは、都市から救助要員として派遣された、みならいの騎士だった。


「こんな場所までとは気がきくじゃねえか……」


パトリックが、信じられないという表情で言った。


「マルス様より連絡を受けまして!」


みならい騎士の一人が答えた。


「山脈ルートで先に帰還したチームより、生存の可能性があるため、こちらへ救助に行けと指示があり、急行しました!」


マルスたちが、自分たちのために救助隊を手配してくれた。そして、その救助隊が、自分たちが目指していた安全地帯で待っていてくれたのだ。その事実を理解した瞬間、張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと切れた。体中の力が抜け、その場に崩れ落ちそうになる。


「……マルスさんたちが……」


ケイは、喉の奥から絞り出すような声を出した。目頭が熱くなる。あの極限状況の中、彼らが自分たちを見捨てず、都市へ救助を求めてくれた。そして、その努力が実を結んだ。


パトリックも、背負っていた隊長を慎重に降ろし、救助隊の騎士たちに託した。隊長はすぐに担架に乗せられる。パトリックは、その場で膝から崩れ落ちた。疲労と安堵で、もう立っていられないのだろう。


救助隊の騎士たちが、温かい言葉をかけながら、二人を介抱してくれた。水と食料、そして温かい毛布。その全てが、今は何よりの宝物のように感じられた。


「ご苦労様でした」


騎士の一人が言った。



◇◇◇



隻腕の騎士グレイとセッツィア・ミスコフ上級騎士が、宿舎でレポートを確認していた。二人とも頭を抱えて唸っている。


「頭が痛いのである」


「ゴブリンキングの出現はともかく、地震や津波の発生は予見が難しいかと」


「それも、イナミエ・ケイ殿の提言であるか?」


「はい。古文書にそのように記載があったと証言しています」


「なるほど。セッツィア騎士団始まって以来の全滅を防いだ英雄殿がそういうのであれば、そうなのであろう」


そう言いながらミスコフは、熱いハーブ茶をすすった。


「嫌味であれば、ミスコフ様であろうと此の場で切りますが、我が命の恩人に何か?」


隻腕の騎士は、無言で騎士剣を起動した。ミスコフはグレイの行動にあわてて、茶を少しこぼした。


「待つのである。吾輩もケイ殿には感謝をしておる」


「であれば、良いのですが」


「まったく、最近の若いのは血の気が多い……それにしても、この事態は吾輩の首だけでは収まらないのである。」


「そうですね。ご当主様の進退に関わりますよ」


「しかし、ケイ殿をスケープゴートにするのは、吾輩は反対である。なんとしても、守るのである」


「タジマールの連中の要求を飲むことにはなるでしょうね」


「そこはケイ殿にも人肌脱いでいただきましょう」


二人の騎士は再度レポートに目を落とした。そこにはケイだけでなくマルスやスレイの状況も記載されていた。



報告書

件名:海岸エリアにおける大規模災害発生に伴う状況報告

報告日:xxx年7月18日

事象発生:xxx年6月27日

エリア:渓谷、海岸  (同時期セッツィア周辺出現エリア:森林、山間など)

事象概要:大規模地震(注1)およびそれに伴う津波(注2)の発生、並びにグレード5魔物の出現を含む一連の事象により、各部隊に甚大な被害が発生した。


経過報告:

1.撤退開始

 ⚪︎第1種人型生物の出現、各部隊の作戦地にて、グレード2(個体名:ゴブリン)、グレード3(個体名:ゴブリンソルジャー)と交戦。騎士及び、見習い騎士にて迎撃。

2.特別警戒種出現

 ⚪︎スレイ隊にてグレード5-第1種人型生物(個体名:ゴブリンキング)と交戦開始、戦闘能力を喪失。

 ⚪︎撤退中、フロスト隊、メイベル隊と合流するも、戦闘能力を喪失。騎士グレイ、騎士パトリックが足止めに成功。

3.大規模災害発生

 ⚪︎大規模地震発生、直後に巨大津波が発生し海岸エリア沿岸部を破壊。

 ⚪︎生存者は周辺の高台へ向け避難行動を開始。避難過程において、津波および混乱により多数の人員を喪失。 

 ⚪︎生存者グループは都市への帰還方針を決定。山脈ルートおよび海岸ルートが帰還経路として検討。


4.山脈ルート撤退

 ⚪︎山脈ルートを選択し、都市への撤退を開始。道程において地形の著しい変化および魔物の活動を確認。

 ⚪︎混成部隊(以後、臨時スレイ隊)は安全地帯を経由し撤退。臨時スレイ隊より1名離脱(騎士ケイ)。

 ⚪︎グレード2-第3種犬型生物(個体名:ベルキス)、グレード3-第3種鳥型生物(個体名:イーグル)と交戦。

 ⚪︎集落跡を経由しての撤退中、土砂崩れの発生によりルート変更。別紙1参照

 ⚪︎グレード5-第1種人型生物(個体名:ゴブリンナイト)の出現を確認するも、交戦せずに撤退成功。

 ⚪︎エリア境界にて、戦闘員を待機させ、騎士スレイのみ単独帰還。

5.救助要請

 ⚪︎騎士スレイの要請に従い、救助部隊を結成。

 ⚪︎ミスコフ上級騎士が指揮の元、3部隊を派遣。内2部隊は臨時スレイ隊戦闘員を収容し帰還。

 ⚪︎1部隊は生存者グループの状況確認の為、周囲の小安全地帯3箇所を捜索開始。


6.生存者グループの捜索

 ⚪︎臨時スレイ隊より離脱した騎士ケイが、臨時スレイ隊の撤退開始と同時に、生存者の捜索行動を開始。

 ⚪︎捜索中、ゴブリンキングと交戦し討伐に成功。

7.麓ルートにて撤退

 ⚪︎別動隊員は生存者2名と合流に成功。

 ⚪︎変遷までの残日数を考慮して山脈ルート帰還グループとの合流を断念し、海岸沿いの麓ルートでの都市帰還を決定。

 ⚪︎グレード1-第8種海洋生物(個体名:盤星)の大量発生を確認。盤星が放出する魔力により空間の歪曲効果が発生、移動を阻害されるも突破。

 ⚪︎グレード3-第6種人型生物(個体名:リザードマン)と交戦。討伐成功。

 ⚪︎進行ルート上に新たな川の形成を確認。迂回ルートとして川沿い遡上・渡河を計画。

 ⚪︎渡河ポイント付近において、グレード2-第8種人型生物(個体名:サハギン)と交戦。討伐

 ⚪︎渡河に成功し、小安全地帯にて臨時スレイ隊の要請した救助部隊と合流し、帰還。


被害状況:

 8部隊(騎士14名、戦闘員32名)

 ・騎士:生存 4名(見習い1名)、死亡 10名(見習い3名)

 ・戦闘員:生存 5名(地図士1名)、死亡 27名(地図士7名)

 ※詳細なリストは別紙2参照


特記事項:

注1 地震

海岸エリアの地下又はその周辺にて、図1の通り地形運動が発生した影響で、地面が激しく揺れること。


注2 津波

海岸エリア周辺にて地震が発生した場合、海水が影響を受けて、高波が発生する。

第一章はここで完結となります。

しばらくお休みして、第二章を6月中旬を目処に投稿しようと思います。


ここまでお読みいただき、面白かった、続きを読みたいと思っていただければ、高評価・ブックマークをつけていただけると幸いです。


ここまでお読みいただきありがとうございました。


以上、引き続きよろしくお願いいたします。

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