(86)ドレスとダンスの本当の意味は
「さて。皆様方、今少し茶番にお付き合いを」
前公爵と前侯爵が去り、落ち着きを取り戻そうとしていく会場の空気を揺り戻すように声を上げたのは、兄だった。舞台上で大仰に手を広げるその姿は道化めいていて、それでいて常にどことなく皮肉っぽさが滲み出ている。
「私が侯爵を継ぐに当たり、我がカドレッド領は新たな事業に参画することを決定しました。まずはこちらをご覧頂きたい。──カトリーヌ」
「は? ……あ!」
突如として兄に名を呼ばれ、すっかり観客気分になっていたカトリーヌは間抜けな声を上げたあと、はっと周囲に視線を馳せた。
カトリーヌが立っているのは中央階段の袂。父と対峙していたところに野次馬が集まってきたため、良い感じに形成された人垣のサークルの中央に、ソキウス(と追加でリリア)と一緒に立っている塩梅だ。
そして今、兄から指名された結果、踊り場を向いていたはずの野次馬の視線が一気にカトリーヌ一人へと集中している。
……ついでに、右手の辺りにも、いくつかの視線を感じる。
「~~~~~っ!」
にわかに駆け上がった羞恥心のままに、カトリーヌは勢いよく右手を振り払おうとした──が。
「──!?」
ソキウスは決してカトリーヌの右手を離さず、むしろがっしりと強く握り直してきた。
そしてそのまま周囲に見せびらかすように握りあった手を少し掲げてみせると、にっこり、とよそ行きの微笑みで群衆に応え、有無を言わせずカトリーヌを連れて階段を上り始めたのである。
ああエスコートの一環に見せてしまえばよかったのか、とカトリーヌが混乱する思考の片隅で得心しているうちに、あっという間に踊り場まで引き上げられていた。といっても兄の立っている、複数の階段の中継地としての大きな踊り場ではなく、その少し下、階段のシルエットと勾配を整えるための狭い平面部分である。
そうやって数段高いところへ連れ出されてしまえば、浴びせられる人々の注目はこれまで以上。
思わず顔も身体もこわばらせるカトリーヌに、後部上方より兄の声が追い打ちをかけるように降ってくる。
「こちら、私の妹が着用しておりますドレスは、昨今巷に名の知れた「ミセス・マトローネ」がデザインした品。中でも赤薔薇の飾りは彼女が手ずから仕上げた渾身の力作です」
ズァッ、と音がしそうな勢いで御婦人がたの目が左胸の赤薔薇に集中したのがわかる。ミセス・マトローネの作品と名声は、上流層のマダムたちにすっかり浸透しているようだ。
(……なるほど、マネキンをやれってことね……)
さっそく最初の家長権限を商人の如き口上でいきいきと振るう兄に遠い目をしながらも、カトリーヌは当たり障りのない控えめな笑顔で大人しくマネキン役を引き受けた。エスコートされていない左手を心持ち広げて、袖やショールの裾を見やすくするサービス付きである。……ここで兄に歯向かって前ツィザーレ公爵が整えた舞台を台無しにする選択肢は存在しない。我が身の安寧のために。
(ていうかこのショール、正確にはほとんど私がデザインしたやつなんだけど……)
「ちなみにこちらのショールに関しては、我が妹カトリーヌが主体となってデザインから作り上げました、マトローネとの共作の品という形になります」
(バラしてんじゃないわよ兄ぃぃぃぃぃぃぃいッッッ!!)
声に出さなかったのは腐っても貴族の意地と根性である。
ファンシー翼ショールがカトリーヌの自作であると知られて顔から火が出る思いだ。階段下に未だ陣取っているであろうリリアがどれだけ腹の立つ顔をしているかわからないので、絶対にそちらだけは見ないことを心に誓う。
だがこれで、巷で人気らしいミセス・マトローネがカドレッド家の者であると、改めて周知できたことだろう。その孫であるカトリーヌが祖母と共同で新作を仕上げたとなれば話題性も抜群、実際の物品の出来以上の注目を浴びること間違いなし。……ファンシーショールがカトリーヌにとって呪いのアイテムになった瞬間である。
兄も爵位を継いだからには、家を守り立てるために立っているものは祖母でも妹でも使う腹積もりなのだろう。貴族らしからぬ商人めいた泥臭さを感じるやり方だが、効果はてきめん。公式な社交場とは趣の異なる、多少は型破りをやらかしても目をつむってもらえる卒業パーティとあって、これくらいのパフォーマンスならば絶妙なラインだ。
しかしこれが兄の言う「新たな事業」なのだろうか。
代替わりとともに祖母の仕事も大幅に兄に譲られることになるのだろうから、生じた手隙の時間を「ミセス・マトローネ」に費やすのは合理的だ。だが手芸だのデザインだのを活かした仕事となると個人事業という印象が強い。大きめの商会と手を組んでブランドを立ち上げる……というのならばまあありだろうが、こうやって貴族が主導するタイプの商売ではない気がする。そこにあえて侯爵として参入するならば、もっと貴族の強みである土地や資金力を活かした大規模な産業を絡めて……
「────……」
……ひとつ、可能性が。
ミセス・マトローネの作品を旗頭にして、儲けが見込める産業がいくつか。
内、鉱山はないが土地広くして水豊かであるカドレッド領におあつらえ向きの大規模産業がひとつ。
そして、これまでミセス・マトローネに積極的に協力していた商会が、ひとつ。
ぎぎぎ、と不出来なからくり人形の軋む音が聞こえてきそうな塩梅で、カトリーヌはぎくしゃくと首を回した。
傍らで、相変わらずよそゆき人畜無害の笑顔を浮かべたままカトリーヌの様子を見守っていたらしい黒い瞳と、ばっちり目が合う。
彼が……某大商会の三男坊が、若くして心血を注いでいた、土地も資金も重要な産業が、ひとつ。
……まさか。
疑問は声にならずに、カトリーヌの唇だけが空回りした瞬間、兄が決定的な爆弾を投下してきた。
「妹発案の、未熟であるがゆえの無謀にして斯様に贅沢な意匠を実現できたのは、ミセス・マトローネの熟練の技と指導力の賜物であり、またこれほどの繊細かつ複雑な美しさへと昇華することができたのは、何よりも素材の力……ひいては全ての素材を提供してくれた彼のベルモー商会のたゆまぬ努力と技術力に拠るところでしょう」
ベルモー商会、という名に流行に敏感な御婦人方が少なからず反応し、カトリーヌをエスコートするソキウスへと視線が集中した。
水を向けられたソキウスは再度にっこり笑って、聴衆に向けて端然と会釈した。貴族的でない、平民としてよくわきまえた誠実さの滲む、つまりは貴族に好まれがちな謙虚な仕草で。
「ご紹介に与りました、ベルモー商会紡績部門の副主任を勤めております、ソキウス・ベルモーと申します」
「名のとおり、彼は商会創業者夫妻のご子息です。ベルモーはあえて後継を我が子に定めぬ生粋の実力主義。でありながら、在学中より商会において役職を得ている彼の優秀さと不断の努力は、皆様にもご理解頂けるところでありましょう」
「わーなんか始まったぁ」
そつなく挨拶するソキウス、褒めそやす兄、野次馬の中からのんきな茶々を入れるリリアの声。情報量の濃度に目眩を覚えながらも、カトリーヌはひたすら隣のソキウスを凝視する。
……確かに、なんなのだろうかこの茶番は。
聞きたいことは山ほどある。いつの間に兄と知り合っていたのか、祖母や前公爵とも示し合わせていたのか、今回の「見世物」にどの程度噛んでいるのか……カトリーヌをダンスに誘ったのは「見世物」の一環か……ここで商品を売り込むための伏線か……
──全て、脚本どおりか。
(あのダンスは! お誘いは! 褒め言葉は! ……このドレスはっ! いったいどういうつもりで……ッ!!)
どれほど凝視しようと視線は相手を貫いてくれないし、兄もカトリーヌの心情などかまってくれない。
「彼の働きは我がカドレッド家に数々の福音をもたらしてくれました。最も平明なところでは、海運王エベ・サレッセンとカドレッドとの顔を繋ぎ、業務提携にまで結びつけるまでに至ったことが挙げられるでしょう」
「──!」
──海運王エベ・サレッセン。
あの時確かに、ソキウスは彼と親しげだった。
バザーでの遭遇が脳裏をよぎり、カトリーヌは息を呑んだ。会場でもどよめきが広がる。
ベルモーは誰もが知る新進気鋭だが、あくまでも国内の新興商会。対し、エベ・サレッセンはすでにして三国を跨ぐ大商人だ。ネームバリューが格段に違う。
「こうした功績をもって、私も祖母も、彼を大いに評価しております。ゆえに、我がカドレッド家は領地にベルモーの紡績工場を誘致し、ベルモー家とも業務提携を結ぶことを決定致しました」
思いのほか大きなニュースに驚きの声と拍手が上がる。
ツィザーレ公爵家の覚えめでたく、ベルモーとサレッセンを味方につけたカドレッド家を、もはや誰も軽んじることはできないだろう。これは秘匿し続けておくべきカードではなく、盛大に誇示すべき矛であり盾である。
……父がこのタイミングで当主から引きずり降ろされるのも納得だ。こんな強力な後ろ盾を大っぴらに得ることになっていたとしたら、父のことだ、横暴に磨きがかかって大暴走を繰り広げていたことだろう。そうなれば当主交代劇は血を見るような苛烈な厳罰を伴うものになっていたかもしれない。祖母たちは父を本当の意味で破滅させないために、社会的地位を根こそぎ剥ぎ取るという、容赦なくも比較的穏便なやり方を選択したのだろう。
「つきましては、幾久しく良好な関係を維持するために、カドレッド、ベルモー、両家の間で特別な契約を……と。少々古臭いやり方で賛否ありましょうが、幸いにしていずれの家にも異論はなく、道義的にも障害はない。あとは、若い二人次第……ということになりますが」
「……ブライアン」
ソキウスが息を呑み、初めて困惑の入り混じった険しい顔になって兄を振り仰いだ。
視線を返す兄は悠々と笑っている。目の奥にはいたずらを成功させた子供のような輝き。
その傍らでミセス・マトローネにしてカリエーラ・カドレッド──祖母が淡々と口を開く。
「己が大望を成し遂げた貴方に、わたくしは最大限の敬意を払い、報いるつもりでおります。けれど選択肢はカトリーヌに。──それでよろしいのですね?」
……それはまるで、本来ならばカトリーヌの意思など無視して進めてしまえる話の決定権を、あえてカトリーヌに託すとでも言わんばかりの……
カドレッド侯爵と前侯爵夫人。二人に見下ろされ、ソキウスは口をつぐみ、深く沈黙した。
黒い瞳を揺らしていた戸惑いと迷いが瞬きの向こう側に消え、次に見開かれた瞬間には、強い光が灯っていた。
右手はまだ、握りしめられたまま。ゆっくりと振り返ったソキウスの瞳が、確かにカトリーヌ一人を捉え、映し出す。
覚悟、決意、その奥に確かにある……欲と熱。
カトリーヌの心臓が、わけもわからず大きく跳ねた。




